第9話_もしもの過去と今見る未来に

 出来たら傍に居たかったけど、翌日、私は仕事だった。とは言え、あれだけ甘えてくれた後でもきょうちゃんは腕の中から抜けたらもうそんなの無かったみたいにあっさりした顔をしていたし、今朝もいつも通りに玄関前に見送りに出てくれたんだけど。

「はよーっす、由枝ゆえ

「おはよう」

「二人共おはよ~」

 今日は二人と一緒の日。前から思ってたけど二人はいつも朝から元気だ。挨拶が明るい。お陰でどんな気分の日だって私まで明るくさせられてしまうから、こうして仕事前に待っててくれるの、何だかんだ私にも良い影響なんだろう。

「つーか昨日めちゃくちゃビビったよな、響さん大丈夫だったのか?」

 心配そうに翼は私の顔を覗き込む。きっと響ちゃんのことだけじゃなくて、これは私のことも心配してくれている。

「うん、本当に無傷だったみたい。でもちょっと疲れたって言ってて、うーん、いつもより沢山寝てるかな」

「そう……やっぱり戦うと、疲れがあるのね」

 無霊の人間は、霊付きのことはよく分からない。くらいによって能力使用にも色々勝手が違うみたいだってことは、時折インタビューに答えてる霊付きの話から分かるけれど、たった一人しか居ない『神霊付き』の響ちゃんがインタビューに答えたことは一度も無いので、分かっていることが少ない。

 以前はどうして何も語らないのかって不思議に思っていたものの、響ちゃんという人を目の前にすると、多分、そういうの嫌いなんだろうなと思った。あんまり注目されるのも好きじゃないタイプに見える。もしくは面倒くさいって言いそう。そんな勝手な想像を翼達とも話しながら、仕事場に到着する。

 今日は私と理沙がペアで倉庫内の整理になった。翼は少し離れた場所で一人、作業をしている。前回は翼とのペアだった。……こうして三人で仕事をする時、翼と理沙がペアを組むことは無い。つまり私が一人で作業をすることが一度も無かった。一年間ずっとそうなのに、こんなことを疑問に思い、改めて向き合う気になったのは、何でだったんだろう。触れられるだけ、私にも耐性が出来てきたのかな。

「なあに?」

 脚立の上で作業をしている理沙をサポートしながら横顔を見つめていれば、視線に気付いて理沙が微笑む。何だか今日は少し、ご機嫌らしい。

「今日は何か嬉しそうだね、良いことでもあったの?」

「ええ、昨日、翼との喧嘩に勝ったから」

「いや何してんの。仲良くして?」

 私の指摘に、理沙が楽しそうに笑い声を上げた。何だか本当に嬉しそう。喧嘩って言ってもあれかな、二人にとってはイチャつく延長みたいなものなのかな。それならあんまり触れないでおこう、今更、三年越しのダメージを食らうとは思わないけど、何か幼馴染のそういうのって、気まずいし。まあ何にせよ二人は仲が良いってことだ。けど。

「でもそれなら余計、翼と居ればいいのに」

「え?」

「あ」

 思ったことがまた、ぽろりと口から出て行った。あー、もう。最近駄目だなぁ、喋っちゃう癖が付いた気がする。顔を上げれば理沙は目を丸めて、私を見下ろしていた。うーん、「何でもない」って言っても引き下がってくれる顔してないなぁ……この顔の理沙、誤魔化しても追い掛けてくるって知ってる。私は諦めて、白状することにした。

「だから、二人っていつも私とペア組むけど、二人で組んでもいいのになって。そんなに気を遣わなくてもいいのに」

「ちょっと待って由枝、違うわ、それは――」

「痛ァっ!?」

 理沙の言葉が終わる前に、頭に衝撃が走る。すごいイイ音がしたんだけど、今の、私の頭からだよね。振り返れば後ろに翼が立っていて、大きく開いた手の平を見せつけるようにして掲げていた。

「翼……何で私、叩かれたわけ?」

「うるせえお前が何だよばーか、気なんか遣うかばーか」

「ちょっと翼! 由枝に乱暴しないでよ!」

 以前、翼の顔に思いっきり平手打ちをしていた理沙が『乱暴』を咎めるんだ、と少し感心する。でも慌てて脚立を下りてきた理沙が私を守るみたいに間に入ってくれたから、何となく黙った。

「うっせ、ちょっと脚立貸せ」

「え、駄目よ翼、脚立は二人以上が居ないと――」

「すぐ終わる」

「ちょっと!」

 結局さっきまで理沙が使っていた脚立を奪うように手にして、翼は私達から離れて行った。その背を、理沙がいつまでも睨み付ける。

「あいつ……」

「翼が使ってる間、私が見てようか?」

「駄目。私ちょっと取り返してくるから、ごめん、続けてて」

「え、ああ、うん」

 私の返答を聞いたかどうかも分からない勢いで、理沙は翼の方へと歩いて行く。そのまま二人で仕事してもいいんじゃないかな。そう思って、私は手元の作業に戻った。脚立が必要なものは後回しにして、新しい箱を開ける。少し離れた場所で、翼と理沙が言い争いを始めていた。

「は~、何でお前が来るんだよ」

「やっぱりそういうことなのね、ちゃんと決めたことでしょ、ズルしないでよ」

 何の喧嘩かよく分からないけど、聞き耳を立てても仕方が無い。ただ時々『由枝』ってワードが混ざっている気もするんだけど、まあいいや。痴話喧嘩には関わらないのが一番だって良く聞く話だ。聞かないようにして、作業に集中する。しかし理沙は、ものの三分で脚立を担いで戻ってきた。

「取り返したわ」

「え、本当に戻ってきたの」

「当たり前でしょ、今日は私が……ああ、もう。そっか、違うのよ由枝」

 理沙にしては妙に乱暴に脚立を床に下ろし、大きな音を立てる。ちょっと驚いた。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。つい先程まで機嫌が良かったのに。一瞬、翼の方へ視線を向けて窺えば、彼女も目だけで此方を見ていた。だけど理沙が続けた言葉に、再び彼女へと意識も視線も引き戻される。

「あなたに気を遣って、私と翼がペアを組まないんじゃなくて、私と翼が、あなたとのペアをだけなの」

「は?」

 何て? っていうか、なんで?

 呆けている私の顔を見た理沙が可笑しそうに笑うけれど、こっちは何が何だか分からない。二人がどうして私と話す必要があるんだろう。大体、いつも倉庫内で話すことだって、ほとんどが他愛のない、下らない話ばっかりなのに。

「週に一回、こうして由枝に会える時は、前日と、当日帰った後、大体そのことで喧嘩してるわ」

「いや本当に意味が分からないんだけど。仲良くしてよ」

 二人が喧嘩するほどの理由が私にはやっぱり見付けられない。なのに理沙は、少しも不思議なんかじゃない顔で笑う。

「だって由枝とは、ずっと、あんまり話せなかったじゃない?」

 そう言った時、一瞬だけ理沙は瞳に寂しさを宿した。私は思わず眉を顰める。二人が恋人同士になったと知った後、私は彼女らとは距離を取った。部活の子や、他校の子らと遊ぶことが増え、そのまま二人と顔を合わせることはすっかり無くなった。あの四月九日だって、私は二人が何処で何をしているのかなんて何も分からなくて、生き残った人達が集まる場所を駆けずり回った。それまで私の方から会うことを避けていたくせに、あの日、私が二人を探した。どうか生きていてほしい、助かっていてほしい、二人で一緒に居てほしいって願いながら走り回って、……ようやく見つけた先で、私の顔を見た翼と理沙は子供みたいに泣いた。泣いて、私を抱き締めてくれた。あの日を境に、何となく、こうして前みたいに話せるようになった。

「こんなことになったのは少しも幸福じゃないけど、由枝とこうしてまた話せること、私達はすごく嬉しく思ってる。だから、少しでも話がしたいし、一緒に居たいの。……それでね、いつも取り合い」

 少し照れ臭そうに笑う理沙に、私は何とも返すことが出来なくて黙る。寂しい思いをさせていたとするならそれって全部私が逃げたせいで、だけど今更それを謝ってしまえば逃げていたって告げるみたいで、何を言えばいいのか分からない。理沙は私を振り返るとちょっと困った顔をして口を開いた。けれど。

「いつまでも喋ってねえで仕事しろよ!」

「してるわよ! 翼こそこっち監視してないで作業しなさいよ!」

「監視してねえ! 作業してるわ!!」

 突然、翼の大きな声が入り込んで、私と理沙の間に漂った空気が霧散した。

「ほらね、すーぐこうやって邪魔するんだから。今日は私が由枝と組む順番なのに、嫌になっちゃう。また今日も帰ったら喧嘩になるわよ」

「いや、仲良くしてよ……」

 理沙は私の返事にまた楽しそうに笑う。上手く言えないけど、やっぱり、私がちゃんと向き合っていたなら二人はこうやって、『三人』の関係も、時間も、すごく大切にして、幸せだった日々を何も変わらず続けてくれていたんだろう。

 逃げなきゃ良かったのかもしれないって、この時、初めて本気で思った。


 私は『伝えなかった未来』をもう知ってる。相手の幸せや気持ちを慮ったつもりで飲み込み、自分を沢山傷付けた。何も関係のない周りも酷く巻き込んで、結果的には、一番大切にしたかった翼や理沙のことも、もしかしたら苦しめていたのかもしれない。

 だからって響ちゃんとのことが、同じ未来になるとは限らない。伝えれば、何か良いように向かうって保証も無い。

 ただ一つだけ思うのは、きっとこの『次』は無いんだってこと。

 新しい出会いなんてほとんど奇跡のこの世界では、今抱いているこれが多分、私の最期の恋になるんだろう。だとするなら私は、死ぬまで一度も恋に向き合わなかった自分のことを、最期を迎える日、どんな風に思うのかな。

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