義妹へ会いに行こう! その13

「お、おじ……うえ……?」


 ルースの瞳が見開かれる。そして己の腹と伯父の顔とに交互に視線を泳がせた。

 見れば剣の柄が腹にめり込んでいる。それが意味するところは、剣が腹を貫通して背に抜けているということだ。

 冷静にもそれを悟ったルースは、前のめりに倒れながらルボシュの肩を強く掴んだ。


「伯父上……どうして……こんな……」


 堪え切れないほどの痛みが走り抜けているはずなのに、ルースは悲鳴一つ上げようとしない。ただただ悲痛な表情のまま真っ直ぐ伯父を見つめ続けた。

 そんな姪の身体をルボシュが乱暴に押し退ける。するとルースは派手に血を吹き出しながら地に伏した。

 瞬間止まる時間。その一秒後、リタが声を上げた。


「ルース!」

 

 叫びながら駆け寄ると、リタがルースを抱き抱えようとする。剣を持ったままのルボシュなどまるで構うことなく必死に声を掛け続けた。

 晒される無防備な背中。これぞ好機とばかりにルボシュが剣を振りおろそうとしていると、そこに一人の影が立ちはだかった。

 それは円卓の騎士だった。禍々しい鎧を纏った身長2メートル超の骸骨の騎士が、瞬時にルボシュの剣を跳ね上げた。


 キーンッ!


 乾いた音を立てて宙を舞う剣。それを眺める間もなくルボシュの首に剣が突き付けられる。

 眼球の代わりに漆黒の闇が宿る騎士の眼窩。それに見つめられたルボシュは、恐怖のあまりへなへなと座り込んだのだった。



「ルース! しっかりするのよ、今すぐ助けてあげるから!」


 身体を抱きかかえようとしたものの、あまりの出血の多さにリタが断念する。代わりにルースを地面に寝かせると、傷口を診るために着衣を緩め始めた。

 その様子をまるで他人事のように眺めながらルースが告げる。


「あぁ、リタ様……私としたことが……しくじってしまいました……」


「喋らないで。今すぐ傷を塞いであげるから、少し黙ってなさい」


「しょ、承知いたしました。お手数をおかけして、申し訳ありません……ごほっ!」 

 

 言いながらルースが咳き込むと、口から盛大に血が吐き出された。

 白く細い喉元が真っ赤に染まっていく。その様子にリタの焦りが一層強くなる。

 

「傷口を確認する。少し痛むけど我慢するのよ、いいわね!?」


「はい……」


 返事を待つまでもなくルースの服をはだけさせると、リタは手早く腹と背を観察する。それからぶつぶつと治癒魔法を唱え始めた。

 見る見るうちに癒えていく傷口。しかし同時にリタの眉間に深いしわが刻まれていく。


 切創自体はそれほど大きくないものの、無理に剣を引き抜いたせいで複数の臓器が損傷していた。口から血を吐いていることからも、その診立てに間違いはないだろう。

 攻撃、召喚に特化した特殊な魔術師であるリタは治癒魔法を得意としていない。確かに傷口を塞ぐことはできるし出血も止められるのだが、あくまでそれは表面的なものでしかなかった。

 そのため彼女の力だけでは体内の出血まで止めることができない。気付いたリタは、小さくかぶりを振ってルースの頬に手を当てた。

 

「ルース……酷だと思うけれど、はっきり言わせてもらうわ。――このままではあなたを助けられない。私の力では臓器まで修復できないの」


「……」


「神術を使える僧侶なら治せるかもしれないけれど……呼びに行く時間がないわ」


「そ、そうですか……」


 リタの告白に、ルースの顔が諦めに彩られていく。

 それでも彼女は果敢に訊ねた。


「リタ様……あなた様は……偉大な魔術師だと聞き及んでおります……それでもやはり無理なのでしょうか?」


「無理……そうね、このままでは無理でしょうね。残念だけど私は治癒魔法が得意じゃないのよ。一つだけ方法がないとも言えないけれど、決してお勧めできないわ」


「あ、あるのですか? 助かる方法が?」


「えぇ、あると言えばあるわね。でも確実じゃない……いいえ、むしろ失敗する確率の方が高い」


「そ、それは……?」


 縋るようなルースの問いに、リタの表情が曇っていく。

 口にするのが憚られるように、遠慮がちに告げた。


「あなたのお腹に手を入れるの。そして臓器に直接治癒魔法をかけるのよ。想像を絶する痛みなのは間違いないし、成功するとも決して言えない。やめておいた方が――」


「お、お願いですリタ様……どんなに確率が低くてもいい……助かる見込みがあるのなら、お願いできませんか……」


「ルース……あなた、そうまでして生きたいの? 助かったところでどのみち処刑は免れない。散々拷問された挙句に、衆人環視のもとで首を刎ねられるのよ? それでも助かりたいの? 死ぬのが怖いの? このまま死んだ方が幸せかもしれないわよ?」


「そ、それはわかっています。でも、違うんです……私は……配下の者たちを助けたいのです……これだけのことを仕出かしたのですから……決して彼らも無罪では済まされないでしょう……けれど……私が首を差し出せば……命までは取られないかもしれない」


「ルース……」


「彼らにも……家族がいるのです。愚かな私たちに従っただけなのに……あまりに不憫です」


 言いながらルースがぽろぽろと涙を零し始める。

 その様に何を思ったのか、リタの顔に決意のようなものが浮かび上がった。


「わかったわルース。いい? 最初に言っておくけれど、ものすごく痛いわよ? それこそ拷問の方がマシだったと思うくらいにね」


「だ、大丈夫です……なんとか最後まで……耐えてみせます。ですから……助けてください……お願いです……」


「ふぅ……それじゃあ、これを咥えて。何度も言うけれど、めちゃくちゃ痛いわよ? 悲鳴ならいくら上げてくれても構わないし、なんなら失神してくれた方がこちらも助かる。いい?」


「わ、わかりました……お願いします」


 縋り付くルースに向けてリタが小さく頷く。

 それからやにわに右手をルースの腹に突き刺した。



「うぐぅあ!! うあぁぁぁぁ!!!!」


 ルースの口から悲鳴が漏れる。

 口にハンカチを咥えているため甲高く響くことはないけれど、それでもその声は部屋中に轟いた。

 その様子を無言のまま見つめるルボシュとカミル、そして周囲の者たち。

 もっとも彼らは、居並ぶ円卓の騎士たちナイツオブラウンドテーブルのせいで身動き一つできなかったのだが。


 痛みに耐えかねて、じたばたと暴れるルース。その身を必死に押さえつけながら、リタが腹の中を探り続ける。

 ぶつぶつと治癒魔法の呪文を唱える間もリタの両腕が真っ赤に染まっていく。変わらずルースが悲鳴を上げた。


「うぅぅぅぁぁぁ!! うぐぅぅぅ! あぁぁぁ……ぁぁぅぅぁ……」


 しかしそれも次第に小さくなっていく。そしてついに動かなくなった。

 痛みに耐えかねて気を失ったのだろうか。周囲の者たちが訝しんでいたその時、突如リタの瞳から涙が零れた。

 

「ルース……ごめん、やっぱり無理だった……私は僧侶じゃない……臓器の位置なんて正確にわからないわ……ごめん……ごめんねルース……ただ苦しめただけだったね……」


 ルースの腹から手を引き抜いて、リタが力なく肩を落した。

 その様子から皆がルースの最後を悟っていると、突如その場に声が上がった。


「いいざまだな、ルース! 裏切り者のお前には似合いの最後というべきか! ふははは!!」


 瞬時に集まる周囲の視線。その先にいたのはルボシュだった。

 なにを思っているのだろうか、その顔には狂気にも似た表情が浮かんでいた。その彼をキッと睨みつけてリタが叫んだ。


「なにを言うのルボシュ! 彼女は配下の者たちのために己の首を差し出そうとしたのよ! 死ぬために生きようとしたその想い。そして覚悟。それがあんたにはわからないの!?」


「知るかそんなこと! 往生際が悪いだけではないか、恥を知るがいい!」


「な……」


「私は伯父なのだぞ! 早くに死んだ両親の代わりに、私がマシア家の面倒を見てやってきたではないか。にもかかわらず、恩を返すどころか裏切りおって! 刺されて当然だ!」


「な、な……」


「最後の最後に地獄の苦しみを味わったのだ。まったくいいざまだとしか言う他ないが、それでも此奴こやつの態度には反吐が出るわ!」


「な、な、な、なんですってぇぇぇぇぇ!! このクソ親爺がぁぁぁぁぁ!!!!」


 叫ぶなりリタがルボシュに掴みかかる。それから両手で襟首をつかみ上げて頭をがくがくと力の限り揺さぶった。


「あんたはこの子の伯父なんでしょうが! しかも幼い頃から面倒を見てきたって言うじゃないの! なのに……なのに……なんでそんなことができるのよ! その手で姪を殺すだなんて信じられない!!」


「やかましいわ! 此奴こやつの両親が死んだ時から、マシア家の命運は私が握っていたも同然なのだ。ならば私が引導を渡してなにが悪い! ――とにかく手をどけろ! 血塗れで気色悪いわ!!」


「これは……これはルースの血よ! あんたが流させたルースの血なのよ! 見てごらんなさい、こんなに真っ赤に染まって!! ――もう許さない、あんたなんか殺してやる! 今ここで消し去ってやるんだから!!」


 叫びながらリタが真っ赤に染まった両手をルボシュに翳す。

 しかし突如その背中に声がかけられた。


「だめだリタ、殺すんじゃねぇ! そいつは生きたまま捕らえなきゃならん! 正当な裁きを受けさせなきゃならねぇんだ!!」


 背後からリタの肩を掴む男。

 それはラインハルトだった。このリタの義弟は、周囲に居並ぶ円卓の騎士たちナイツオブラウンドテーブルに遮られることなく、いつの間にか背後に現れていたのだ。

 見ればその他にもオスカルやバティストの姿も見える。

 皆一様に円卓の騎士たちに恐れを抱きつつ、遠巻きにリタとラインハルトを見守っていた。そのラインハルトが吠える。


「なにがあったか知らねぇが、このおっさんは殺しちゃいけねぇ。こいつ――ドナウアー伯爵とともに然るべき裁きを受けさせなきゃならんのだからな」


「だけど……だけどこの男はルースを!」


「いいかリタ、その話はあとだ。あとで全部聞いてやるから、とにかくその手を下げてくれ。下手人だからといって今ここで殺すのはまかりならん。それは私刑だ、報復に他ならねぇ。裁くなら陛下と衆人の前でするんだ」


「……」


 言い含めるようなラインハルトの言葉。

 それを聞いたリタは、天井を仰ぎ見ると大きく息を吸って平静を取り戻す。そして小さく呟いた。


「ふぅ……ラインハルト様、随分とのんびりした到着ですけれど、もしやここを探すのに手こずりましたの?」


「そう言うなよ。確かにドナウアー家は配下の貴族家ではあるが、ラングロワとは別の派閥だからな。特別な許しがない限り、さすがの俺達でもそう易々と屋敷の中までは踏み込めねぇよ。――まぁ、結局はお前の起こした騒ぎに乗じて無理やり乗り込んだんだけどな」


「そうですの……それは暴れた甲斐がありましたわね……」


 そう言ったきり、リタは固く口を閉ざしてしまう。

 それから暫くの間、彼女に声をかけられる者は誰もいなかった。



 今回の誘拐事件については、東部貴族の枠組みを超え、国家に対する重大な犯罪として処断されることとなった。

 もとレオジーニ侯爵家当主ルボシュを筆頭にして、ドナウアー伯爵家当主カミルとその配下の貴族たち。加えて、積極的に関わっていなかったものの、事情を知っていながら黙っていた貴族たちも同様に捕縛された。


 その結果、東部貴族において約三分の一を占めていた反ラングロワの派閥が瓦解。残った貴族たちもラングロワ家を筆頭とする派閥への合流を余儀なくされた。

 幸か不幸か、これにより一層の団結が図られることとなった東部貴族家。その代表である東部辺境候――ラングロワ侯爵家の地位もより安泰になったのだった。


 この結末を迎えるにあたっては、リタの献身を忘れてはならないと言われている。

 自ら犯人の懐に飛び込み、主犯の捕縛を単身で成し遂げた。それどころか、長年ラングロワ家を悩ませていた急進派を炙り出す切っ掛けにもなったのだから。

 その活躍はまたしても国中に知れ渡り、「ムルシアの魔女」の名は今や周辺諸国にまで知られるようになったのだった。 



 ――――



 事件の片付けも終わり、やっと訪れた穏やかな午後のティータイム。

 その日ラングロワ家のテラスでは、リタとエミリエンヌが優雅に茶を楽しんでいた。するとそこへ客人の到着が告げられる。

 直後に響く忙しない足音。リタの顔に満面の笑みが浮かんだ。


「あぁ、リタ! 無事で良かった!!」


「あなた! フレデリク様!」


 不躾にも案内のメイドを追い越してフレデリクが全力で走ってくる。その勢いのままリタを抱き締めると、リタも必死に縋り付いた。

 見つめ合う二人。直後に唇が重ね合わされた。


 ぶちゅー!


 まるで数年越しの再会であるかのような熱烈な口づけ。

 まさか舌を入れているのではあるまいな、などと思わず下衆に勘繰りたくなるような熱すぎる夫婦の抱擁に、エミリエンヌが冷静な突っ込みを入れた。


「ちょっと……兄様もリタもいい加減にして。気持ちはわかるけれど、もう少し人目をはばかってちょうだい」


「あ? あぁ……それはすまなかった。や、やぁエミリー、ひさしぶりだね、元気だったかい?」


「なによ、その取って付けたような挨拶は……一年ぶりに会った妹に対してそれはないんじゃない?」


 ジトっとした半眼で見つめるエミリエンヌと、顔を真っ赤にして俯く若い夫婦。

 やや小柄であるものの、美男と言っても差し支えないフレデリクと、小さく可憐な妖精のようなリタ。この二人が並ぶ様は、思わず見惚れるほどに愛らしい。

 事実、周囲に控えるメイドや騎士たちも、皆一様に微笑んでいた。


 その後リタとフレデリクは、間にエミリエンヌを挟んで再会の喜びに湧いた。

 そしてそのままティータイムの続きと洒落こんだのだった。



「どうぞ、フレデリク様。あなたがお好きなレモンティーですわ。長旅でお疲れでしょう。まずは座ってお寛ぎを」


「あぁ、ありがとう。それじゃあ、失礼するよ」


 にこにこと満面の笑みでリタが夫に茶を手渡そうとする。その直後、前触れもなく顔が歪んだ。

 そして……吐いた。


「うっ……! お、おぇぇぇぇぇ!!!!」


 茶を放り投げるやいなや、顔を伏せてリタが嘔吐する。

 その背にフレデリクが手をかけた。


「リ、リタ? 突然どうしたんだい? 大丈夫? 具合でも悪いのかい?」


「ごほっ、ごほっ……だ、大丈夫です……実は今朝からこんな調子で……平気な時は平気なのですが、急に嘔吐えずくようになってしまいまして」


「そうか。きっと疲れが溜まっているんだよ。それにあんなことがあったばかりだしね。精神的にまいっているのかも」


 汚れた顔を見せないように気を遣いながらリタが返事をする。フレデリクが優しくその背を撫でた。

 その様子にピンと来たのか、急にエミリエンヌがニヤニヤと笑いだした。


「ねぇリタ。お願いがあるのだけれど、ちょっとこの匂いを嗅いでみてくれないかしら」


「えっ?」


 ハンカチで口元を拭いながらリタが顔をあげると、その前にレモンの輪切りが差し出される。全く意味がわからずにリタが怪訝な顔を晒した。


「ちょっ……え、なに? レモン? くんくん……お、おえぇぇぇぇぇ!!!!」


 レモンの匂いを嗅いだ途端、再びリタが嘔吐し始める。堪え切れずに昼食やらおやつやら、色々なものをフレデリクへ吐きかけた。


「うわぁぁぁぁぁ!!」


「ご、ごめんなさいあなた! うぷっ、おえぇぇぇぇ!!」


「おわぁぁぁぁ!!!!」


「許してぇー! おえぇぇぇぇ!!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図。その真ん中でにんまりと微笑みながらエミリエンヌが宣言した。


「リタ、やったわね! これは『おめでた』に違いないわ!」


「あ゛ぁっ!?」


「えっ!?」


「懐妊よ懐妊! ついにあなたも母親になるのよ! ――さぁ楽しみねぇ……男の子かしら、女の子かしら……?」


 悪戯っぽい顔でエミリエンヌがウインクすると、リタもフレデリク固まってしまう。

 その3秒後、同時に二人は互いの顔を見合わせた。


「えぇ!? おめでた!? リタが!?」


「あ、赤ちゃん!? 私のお腹に赤ちゃんがいるの!? 本当に!?」


「凄いよリタ! お手柄だ!」


「は、はい、あなた!!」


「リタ!」


「うっ!」


「どうした!?」


「おえぇぇぇぇ!!!!」


「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 夕暮れ迫る午後のひと時。

 閑静なラングロワ家のテラスに、歓喜の声と悲鳴とが交互に響き渡った。

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