義妹へ会いに行こう! その12
「さて婿殿よ。そろそろエミリエンヌ夫人を連れてきてはくれぬか? 未だ夜までは間があるが、年甲斐もなく高鳴る胸を抑えきれぬ」
「はぁ……しかし
「ふはは、気にすることはない。一応は生かしておくが、それも総会が終わるまでだ。慰み者として暫し楽しませてもらった後は始末するだけのこと。全く心配はいらぬ」
「まぁ、我らの名は知られていますからね。どうしたって生きて帰すわけにはまいりませんでしょう。少々気の毒かと存じますが、これも致し方ないことなのでしょうね」
ここはドナウアー伯爵家の客室。
地下の牢舎で起こっていることなど露ほども知らずに、カミルとルボシュが雑談に興じていた。
反旗を翻したルースに怒り心頭のルボシュであったが、時間の経過とともに頭が冷えると、今やエミリエンヌ(実際はリタだけど)を凌辱することしか考えていなかった。
身分違いのために諦めざるを得なかった、若き日のバルテリンク公爵家令嬢――シャルロッテへの懸想。妻を迎えて子まで成していながら、未だルボシュはその想いを断ち切れていなかった。
ならばその血を受け継ぐ者――娘のエミリエンヌに積年の想いを果たそうと画策したのだ。
もちろんレオジーニ家の再興が最優先事項であるのは変わらない。けれど、そのどさくさに紛れて己の歪んだ欲望に忠実であろうとする。
そんな義父に対して娘婿のカミルが諦めにも似た視線を送っていると、唐突にそれは聞こえてきた。
「た、大変だ! 地下から化け物が湧いて出たぞ!」
「どうなっている!? 一体何が起きた!? 誰か事情のわかる者はおらんのか!」
「騎士を動員しろ! 状況がわかり次第、速やかに知らせるのだ!」
カミルとルボシュが密談を交わす豪奢な客室。その分厚い扉さえ突き抜けてくる屋敷内の喧騒。今一つ内容は聞き取れないものの、口調や勢いからは只ならぬ様子が伝わってくる。
何事かとカミルが扉に手をかけようとしたその時、外から勢いよく扉が開かれた。
「申し上げます! 地下から化け物が現れました。ただいま騎士たちが迎え撃っておりますので心配には及びませんが、念のために避難をお願いいたします」
腰から剣を吊るした、大柄で厳つい顔の中年の男。それは屋敷の警備隊長だった。
慇懃かつ平静を装った口調ではあるものの、扉へのノックを失念しているあたりに内心の焦りが透けて見える。
その彼にカミルが問う。
「何事か? 化け物とはなんだ?」
「詳細は不明ですが、報告によれば騎士の亡霊だとか。それが地下の牢舎に複数現れたそうです」
「亡霊……?」
「はい、亡霊です。騎士の格好をした骸骨だとか。ただいま屋敷の騎士たちと交戦中です」
「戦況は?」
「そ、それが……」
「なにを言い淀んでいる? 正直に申せ」
平静を装っていながらも、所作の端々に焦りが透ける警備隊長。
イラつきを隠さずにカミルが再び問い質そうとしていると、さらにもう一人の男が部屋の中に走り込んでくる。
ぜぇぜぇと両肩で息をする若い騎士。小刻みに震える身体と血の気のない顔を見る限り、単に走って息が上がっているだけには見えない。
よく見れば、端正に整った顔が恐怖に歪んでいた。
その騎士が叫ぶ。
「だ、だめです隊長、全く歯が立ちません! すでに11名が死亡、残った者たちだけでは止められません! 伯爵様もルボシュ様も、お早く避難を!」
「くそっ、もうこんなところまで……カミル様、ルボシュ様、いまお聞きになったとおりでございます。私が先導いたしますので、どうかこちらへ!」
もはや慌てた様子さえ隠すことなく、主人と客人を案内しようとする警備隊長。その背にルボシュが横柄に声をかけた。
「待て! なぜ逃げねばならぬのだ!? その前に状況を説明せよ! 化け物とはなにか? なぜに突然湧いて出た? それを聞かぬうちは一歩もここを動かぬぞ!」
「ル、ルボシュ様……恐れながら申し上げますが、今ここで説明している暇はございません! 今すぐに退去なさらなければ――」
ドカンッ!
突如響き渡る爆発音。耳の鼓膜が破れるかと思うような大音量とともに、目の前の壁が吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める砂ぼこりと、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる部屋の壁。
カミルとルボシュのみならず、警備隊長と若い騎士、果ては部屋付きのメイドに至るまで腰を抜かしていると、その前に一つの影が姿を現した。
漂う砂塵で判然としないものの、その輪郭はドレス姿のような優雅さだった。とは言え、成人にしては背が低く、ともすれば子供のようにすら見える。
そんな小さな影が、幾つもの大きな影を従えて部屋の中へと入ってきた。
もちろんそれはリタだった。
自ら召喚した専属護衛たちを引き連れて、彼女は真っすぐルボシュのもとへやってきたのだ。
ゲホゲホと咳き込みながら、胡乱な視線を向けるルボシュとその他大勢の者たち。その前で完璧な防御陣形を敷く、12名からなる
二メートルを超える長身と、常人の倍はあるであろう幅広の体躯。そして美しくも
いや、それどころか、兜から覗く骸骨の顔が、彼らがこの世の者でないことを物語っていた。
ルボシュたちの顔が恐怖に歪む。皆が皆、声すらも上げられずに凍りつき、部屋付きの若いメイドに至っては立ったまま床に粗相していた。
その情景にニンマリと極上の笑みを浮かべながらリタが口を開いた。
「うふふふ。そろそろお呼びがかかる頃かと思いましたので、こちらから足を運んで差し上げましたのよ。おかげで手間が省けましたでしょう? ――ルボシュ様」
「なっ……! き、貴様はエミリエンヌ! なぜお前が――」
「ふふ……お待ちください。何度か申し上げようと思っていたのですが、あなた様はなにか勘違いしておられるのではなくって? 私がエミリエンヌ? おやめください。あんな乳輪の大きなおっぱいお化けと間違われるだなんて心外甚だしいですわ」
「な、なに!? なにが言いたい!? お、お前はエミリエンヌなのだろう、違うのか!」
恐怖すら忘れ果て、慌ててルボシュが叫ぶ。
するとリタは、端正な小顔に呆れた表情を浮かべた。
「ふぅ……先ほどあなた様は、長年にわたってシャルロッテ様に懸想していたと申されましたわよね? それは本当ですの?」
「な、なにを言う! この想いは本物だ! 私は
「ならば問いますけれど、エミリエンヌの幼少時のあだ名をご存じ?」
「そ、そんなものは百も承知だ! 『プチ・シャルロッテ』だろう!?」
「正解ですわ、よくご存じでいらっしゃる。――ならば再び問いますが、それを知っていながら、なぜ人違いをされましたの? 私とエミリエンヌでは、髪の色から背の高さまで、なにもかもが違うではありませんか」
「な……な……」
「
「こ……こ……この小娘が! 言うに事欠いて、私の積年の想いを怪しいだと!? 許さん、許さんぞぉ!!」
「ふふん、許さなかったとしたら、一体どうなさるおつもり?」
胸を張り、顎を突き出し、あからさまに挑発する態度のリタ。
彼女に向かってルボシュが吠えた。
「貴様ぁ、名を名乗れ! エミリエンヌでないなら誰なのだ! どのみち貴様は用なしだ! すぐにでも始末してやるから、せめてその前に正体を現せ!!」
「ふふふ。本当によろしいのかしら? 驚きのあまり座り小便不可避ですわよ?」
「えぇい、やかましい! 勿体ぶらずにさっさと名乗れ! 貴様が誰であろうと同じこと、即座に始末してやるから覚悟しろ!!」
「頼もしいお言葉、痛み入りますわ。ならば教えて差し上げますが……」
「早く言え!!」
「私はリタ。リタ・ムルシアですの。泣く子も黙る『ムルシアの魔女』とは私のこと。――お初にお目にかかれて光栄ですわ、
「なっ……なにぃ!?」
「えぇぇぇぇ!!!!」
慇懃に礼を交わすリタの顔にニヤついた笑みが浮かぶ。名を明らかにした途端、カミルの顔面からは「サァー」っと音を立てて血の気が引いていった。
もっともそれは無理もない。なぜなら、
アストゥリア帝国の魔の手から国王の娘と孫を救い出し、勇者ケビンと共闘してカルデイア大公国を亡ぼした。そのうえ史上最年少で一級魔術師の称号を得たリタの武勇は婚前から有名だった。
そのため畏敬を込めて領民たちから「ムルシアの魔女」と呼ばれるようになったのだが、それらを知っているからこそカミルは生きた心地がしなくなる。
リタを中心とした、禍々しいオーラを漂わせる12名の騎士たち。それを目の当たりにしているだけで足の震えが止まらない。
およそこの世のものとは思えないその光景は、一切の抵抗を諦めさせるに十分だった。――ただ一人を除いては。
「そうか、貴様がリタ・ムルシアか! 東部貴族筆頭たるアンペールを叩き潰し、我らの結束を瓦解させた! 長年にわたる東部の安寧に水を差し、我がレオジーニ家まで取り潰させた首魁! それこそがリタ・ムルシア、お前なのだ!!」
リタに向かって指を差し、声高に言い立てる初老の男。
言うまでもなくそれはルボシュだ。リタの正体を知った彼は、これぞ千載一遇の機会とばかりに詰め寄ろうとする。
その彼にリタが言う。
「ルボシュ様。その辺にしておいた方がよろしいかと存じますわ。あまりにお口が過ぎますと、私の護衛騎士たちが黙っておりませんわよ」
「なにを言う小娘が! 若奥方と言いながら夫を尻に敷き、いいように義父母を操っているというではないか。たかが伯爵家の娘のくせに、侯爵家を我が物にしようと企む悪女めが! 身の程を知るがいい!!」
「ぬぬぬ……」
「嫁の分際で屋敷の中を取り仕切り、シャルロッテ様を隅に追いやっているのではなかろうな! チビで痩せっぽちで魔法以外に脳のないお前なんぞは、おとなしく子作りだけに励んでおればよいのだ!」
「なんですってぇ!? あんたなんかに言われなくても、子作りなら毎晩のように励んでいますわよ! それに私のどこが悪女なのよ!? 夫を立て、義両親を敬い、一族郎党全ての者たちにまで気を配っているでしょうが! 私の苦労も知らないくせに、適当こいてんじゃないわよ、このバカちんがぁ!!」
「やかましいわ! なんだその言葉遣いは!! それこそが卑しい伯爵家の出だと言っているのだ! まったくもってお里が知れるわ!」
「うぬぁぁぁ!! 許しませんわよ、このアホたれがぁ! この私が直々に成敗してくれるわクソ親爺! そこに直れ!!」
「やれるものならやってみろ! 貴様のような小娘は、身体に教えねばわからぬのだ! さぁ尻を出せ、引っ叩いてくれる!」
「むきー!」
あまりにレベルの低い言い合いに、さすがの
もはや召喚主を庇う気すらなく、ただただそこに突っ立っているだけだ。
その前には恐怖に固まるドナウアー伯爵家の騎士たち。
如何に勇猛な彼らとて、こんな人外を相手にどうにかできるとは思えなかった。
それが仕事なのだと言われれば確かにそうなのだろうが、もはや犬死としか言いようのない明らかに結果の見えているこの戦いに、敢えて身を投じようという酔狂な者はただの一人としていなかった。
暫し見つめ合う冥界の騎士たちと人間の騎士たち。
そんな中、リタの後ろから飛び出してくる者がいた。
突如集まる周囲の視線。
それはルースだった。牢を出た後そのままリタに付いてきていた彼女は、不肖の伯父の姿を認めて駆け寄ってくる。
「もうおやめください、伯父上! これ以上罪を重ねてどうしようというのですか! このお方が誰なのかはもうおわかりでしょう? そしてその功績も。いくら我らが束になったところで、敵う相手ではございませんよ!」
「やかましい! 貴様なんぞに指図される
「無駄です! 名も顔も知られてしまった以上、諦めて降伏するしかありません! そして罪を償うべきなのです! ――リタ様が約束してくださいました。今ここで降伏するなら、配下の者たちまでは罪に問わないと!」
その言葉を聞いた途端、騎士たちの顔に安堵が広がる。
今ここで投降すれば命までは取られない。それどころか、罪にすら問わないと言っているのだ。その事実が彼らに希望をもたらした。
騎士たちとて、家に帰れば妻も子も両親もいる身なのだ。こんな大義のない、それどころか勝ち目すらない戦いに身を投じる気などさらさらなかった。
それも配下の者ですら眉を顰めたくなるような、主人の歪んだ欲望を叶えるためのものなのだ。果たして残された家族はどう思うだろうか。
一歩、また一歩と後退する騎士たち。
その様を認めたルースがなおも伯父を説得しようと試みる。
「ご覧ください、もはや騎士たちも戦意を失いました。どうしたってリタ様には勝てません。だからお願いです、どうか現実を受け入れてください、伯父上!」
「うぬぁ! ルース……貴様ぁ! 許さんぞ!!」
ざしゅっ!
叫びざまに剣を抜いたルボシュが勢いよくそれを突き出す。
次の瞬間、ルースの背から剣が生えたのだった。
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