第324話 無垢な天使

 それは妖精、または天使、もしくは女神と呼ぶべきだろうか。

 いずれにせよその姿は、言葉が見つからないほど美しかった。


 穢れのない無垢を表す、純白のウェディングドレス。

 雅やかな生地と手の込んだ装飾が施された装いは、まさに芸術品と言っても過言ではなく、オフショルダーにより強調された肩から胸にかけての女性的なラインは、デザインの妙によりまるでいやらしさを感じさせない。


 二の腕を覆うショールは、豪華な刺繍をふんだんにあしらった一点もので、その意匠は名だたるレース職人の魂が籠められたものだ。

 腰から大きく広がるプリンセスラインのスカートは、小柄で華奢な体型でも華やかに見えて、そのボリューミーなフォルムはまるでお姫様のよう。

 ロイヤルでありながらどこか可愛らしい印象は、着用する者の持つ素材をより高度に昇華していた。


 高く結い上げたプラチナブロンドの髪にはやや小さめの銀のティアラが光り輝き、透き通る灰色の瞳とリンクして見る者の目を眩しさに細めさせる。

 年齢の割にやや幼く見える童顔に、はにかむ笑みを浮かべて佇む麗しの花嫁。

 

 そう、それはリタだった。

 彼女はまさに絶世の美少女と化して、控室に姿を現したのだ。

 頬を染め、恥ずかしげに唇を甘噛みしながらしずしずと歩み寄る少女。その姿に何と言えばいいのかわからずに、誰もが口を閉ざしてしまった。



 静まり返る室内。

 思わず耳に「キーン」と聞こえてきそうな状況の中で、やっとの思いでフレデリクが口を開いた。


「リ、リタ……」


「あ、あの……恥ずかしいですわ……そんなに見つめないでくださいませ」


「綺麗だ……」


「フレデリク様……」


「可愛い……」


「あの……フレデリク様?」


「美しい……」


「えぇと……」


 よくできた彫刻のように身動ぎ一つしない婚約者に、次第に胡乱な視線を向け始めるリタ。するとフレデリクはやっと気付いたように瞬きをした。


「あ……あぁ、ご、ごめん。えぇと、そのぉ、あ、あまりに君が美しかったものだから、つい……」


「いやですわ、フレデリク様。……そのように面と向かって言われますと、さすがに照れてしまいます」


「い、いや、この言葉に嘘はない。本当に君は美しい。まるで天使――いや女神のようだ。もともと君は美しいけれど、今日の君はさらに美しい。――あ、いや、ごめん。さっきから『美しい』しか言えていないね……語彙が少なくて恥ずかしいよ。でも、それ以外に言葉が見つからないんだ」


「まぁ、フレデリク様ったら……」


 リタが小悪魔のような上目遣いで見つめると、フレデリクは苦しそうに自身の胸を押さえつけた。

 どうやら彼は、リタの愛らしさに胸が苦しくなったらしい。それでも視線は婚約者に注がれたままだった。

 そんなフレデリクにリタの祖母イサベルが声をかけてくる。その顔は可笑しそうに笑っていた。


「まぁまぁフレデリク様。そのように立ち塞がれては部屋の中に入れませんよ。どうかリタをエスコートしてくださいませ。――このところ忙しくて、あまり話もしていなかったのではありませんか? 積もるお話もございますでしょう。式が始まるまでもう少しございますゆえ、それまで暫し二人きりにして差し上げますが、いかが?」


「そ、それはかたじけないイサベル殿。それでは少しの間リタをお借りします」


「ふふふ、何を他人行儀な。お貸しするもなにも、もうすぐこの子は貴方様の妻になるのです。どうぞ、お好きになさってくださいまし」


「えぇ!? す、好きに……? リタを……? ごくり……」


 その言葉になにを思ったのか、突如生唾を飲み込むフレデリク。

 するとオスカルがその肩を思い切り引っ叩いた。


「うははははっ!! フレデリクよ、お前が何を考えているのかはわからぬが、一つだけ言っておこう! ――少々気が早すぎるぞ!! 気持ちはわからんでもないが、おとなしく夜を待て!!」


「あ、あなた! 突然何を仰るのです!! ここにはリタ嬢のご家族もおられるのですよ!! まったく貴方というお方は……もう少し時を場所をわきまえた発言をなさいまし!!」


「す、すまぬシャルロッテよ! 許せっ!!」


 まるで般若のような表情を浮かべると、突如シャルロッテはオスカルの耳をつまみ上げた。そして身長183センチの大男が慌てて妻を宥めようとしていると、突如部屋のドアがノックされた。



「あ、あの……失礼いたします。お客様がお見えでございますが、このままお通ししてよろしいでしょうか?」


 おずおずと、盛大に遠慮しながら顔を覗かせる部屋付きのメイド。

 するとシャルロッテが胡乱な顔を返した。


「おや、客人……ですか? そのような話は伺っておりませぬが……そもそもここは新郎新婦の私的な控室。そこを訪れるなど、いささ不躾ぶしつけではありませぬか? にもかかわらず、なぜあなたは安易にお通ししようなどと――」


 咄嗟に咎めようとするシャルロッテ。

 恐縮したメイドが平身低頭しようとしていると、その後ろから見慣れぬ者が姿を現した。


「あぁ、それは大変失礼した。これは私が無理を承知でねじ込んだのだ。どうかメイドを責めないでやっていただきたい」


 そう告げながらドアの隙間から顔を覗かせた人物――それは一人の男だった。

 年齢は30代前半。この国では珍しい黒髪に黒い瞳、そして浅黒い肌。

 中肉中背を絵に描いたような大きくも小さくもない体格ではあるものの、着衣の上からでも鍛え抜かれた肉体がうかがえる。


 装いを見る限り式の参列者に違いないのだろうが、誰もその顔を知らなかった。

 果たして彼は何者か。正体を探るように互いに顔を見合わせるムルシア、レンテリア家の面々。するとその中の二人が同時に声を上げた。


「ケビン……ケビン王配殿下ではありませんか!!」


 と、リタ。


「で、で、殿下! ケビン王配殿下!!」


 と、オスカル。


「なっ!?」


「えっ!?」


 誰もが怪訝な顔をする中で、同時に二人がその名を告げる。するとその三秒後、また新たな客が姿を現した。


「いかがですか? あなた、リタ嬢はいらっしゃいまして?」


 きょろきょろと周囲を見回しつつ続けて部屋に入って来たのは、一人の若い女だった。

 年の頃は30手前だろうか。それにしては随分と若々しい姿は、ともすれば20代前半にすら見える。

 フォーマルに結い上げた銀色の髪に、透き通るような青い瞳が美しいその女性は、たとえ名乗らずともその場の誰もが察してしまう。

 その証拠に、誰よりも早くリタがその名を告げた。


「これはエルミニア女王陛下! ――お初にお目にかかります、わたくしがリタでございます。ご機嫌麗しく」


 リタの呼びかけとともに、思わず目を見開く高貴な女性。

 そう、それはブルゴー王国第18代女王、エルミニア・フル・ブルゴーその人だった。

 このブルゴー王国の国家元首にして、『魔王殺しサタンキラー』勇者ケビンの妻、そして国を代表する多産、富国の象徴にもなっている元『ブルゴーの美姫』は、わざわざ今日のために遠くブルゴー王国から家族を伴って来訪していたのだ。


 いかに国防の要――西部辺境候と言えども、爵位で言えば侯爵家でしかないムルシア家。

 不敬として国際問題にすら発展しかねない事情を鑑みれば、侯爵家が他国の国家元首へ結婚式の招待状を送りつけるなど、リタにしてはばかられた。


 しかしリタは約束していたのだ。結婚式には必ずケビン一家を招待すると。

 とは言え、相手は一国の女王とその王配。彼らを呼び寄せるには、それ相応の理由が必要だった。

 そもそも、たかが侯爵家の結婚式に他国の元首を呼ぶこと自体が前代未聞なのだ。しかも一家総出で。

 それを実現するには幾つもの難題をクリアしなければならなかったのだが、渡りに船とはこのことか。気を回したエルミニアが「なぜ結婚式に呼んでくれないのか。呼ばないのであればこちらから押し掛ける」と、自ら伝えてきたのだ。


 もちろんハサールに否やはない。

 それどころか、同盟を結んだばかりにもかかわらず未だ会談を開いていなかったとして、この機会にケビン夫妻を国賓として迎える気満々だった。

 そして蓋を開けてみれば、結局この来訪はハサール国王との会談がメインとなり、敢えて結婚式への出席はおまけという体裁になっていた。



 女王夫妻を前にして誰もが顔を強張らせる中、リタだけは平然としていた。

 純白のウェディングドレス姿のまま、貴族令嬢の挨拶――カーテシーを優雅に披露すると、その姿にエルミニアが目を丸くする。


「ばばさ……リタ嬢! 貴女がリタ嬢なのですね!? お話はかねがね夫から伺っておりましたが……これはまた本当に美しい……まるで妖精のよう!」


 女王という大仰な肩書きのわりに、どこか人懐こく親しみを感じさせるエルミニア。

 まるで感動に打ち震えるかの如く瞳を潤ませて見つめる様は、良い意味でおよそ一国の国家元首には見えなかった。

 それでも畏れ多さのあまり口を開くこともできずに皆が固まっていると、突如エルミニアが背後を振り向いた。

 

「さぁ、あなたたち。リタ嬢がいらっしゃいましたよ。中に入ってご挨拶なさい」


 柔らかく、優しげに紡がれる女王の言葉。

 それとともに部屋に入って来たのは―― 


 12歳長男 クリスティアン

 11歳長女 ヘルミーナ

 9歳次女 カタリーナ

 7歳次男 アルフォンス

 5歳三女 ロクサンヌ

 3歳三男 コンスタン

 2歳四男 リオネル

 2歳四女 クリステル

 

 そして最後に……女王の胸に抱かれた0歳五女、ヘンリエッタ。


 それは総勢9名にも及ぶブルゴー王家の子供たちだった。


 そう、実を言うとケビンとエルミニアの間には、最近もう一人生まれていたのだ。

 それはケビンがカルデイア遠征から帰って来たあとの話なのだが、長らくの禁欲生活からやっと解放された彼は、愛する妻のもとへ戻るなり自慢の聖剣を抜き放った。するとその翌年に、末娘のヘンリエッタが生まれたのだった。



 まさにぞろぞろと子供たちが部屋の中へ入ってくると、その愛らしさに張りつめていた緊張が失せていく。

 それでも相手は一国の女王夫妻。さすがに皆がその身を低くしていると、エルミニアが身振りとともに止めようとする。


「どうか皆さま頭をお上げください。それが正しい作法、礼儀なのは十分弁えておりますが、あくまでこれは私的な訪問なのです。どうかご理解いただきたく存じます。――なにはともあれ、私どもは新郎新婦に祝いの言葉を告げに参ったのです。どうかお聞き届けくださいませ。――さぁ、クリスティアン。あなたからどうぞ」


「はい! えぇ、フレデリク殿、リタ嬢。この度のご結婚に際し――」


「フレデリクしゃま! リタしゃま! おめでとうごじゃましゅ!!」


「うー、だー、ばー!」


 長男にして次期国王のクリスティアンを皮切りに、拙いながらも子どもたちが口々に祝いの言葉を述べていく。するとその場にはすっかり和んだ空気が漂い始めた。

 そして最後に女王夫妻が祝いを述べ終わると、レンテリア家当主セレスティノが口を開いた。


「女王陛下ご夫妻のみならず、ご家族の皆さま御自おんみずからお言葉を賜りましたこと、身に余る光栄に存じます。ここに改めてお礼申し上げる次第でございます。――それはそうと女王陛下。突然このような場所にいかがなさいましたか? あなた様方は国賓として招かれているのですから、今頃は国王陛下と懇談なさっているものとばかり――」


「申し訳ない。仰るとおり、このあと我らはハサール国王とともに過ごすことになるのだが、その前に直接新郎新婦に祝いの言葉を述べたくてな。不躾ぶしつけなのは承知していたが、どうしてもこのタイミングでしか身動きが取れなかったのだ。どうかご容赦いただきたい」


 エルミニアの代わりにケビンが答えた。するとセレスティノが慌てて言い募る。


「いえいえ、滅相もございません! これ以上の名誉はございませぬゆえ、謝罪などおやめくださいませ!」


「すまない、レンテリア伯爵。それではその言葉に甘えるとしよう。――そこで甘えついでにもう一つよろしいか?」


「はい。なんなりと」


「我ら夫婦とリタ嬢だけで話がしたいのだが……かまわぬか?」


「は、はぁ。私どもはかまいませんが……リタ?」


「もちろんわたくしに否やはございませんわ。女王陛下御夫妻と密談ができるなど、むしろ光栄の極み。願ってもないことですもの」


 思いもよらぬ申し出に、虚を突かれたセレスティノ。彼が問うと、どこか含みのある笑みとともに、リタは二つ返事で了承したのだった。

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