第320話 降って湧いた絶望

 ハサール国王ベルトランは頭を抱えていた。

 南西に国境を接する小国、ファルハーレン公国へ援軍を送り込んで二か月。やっと長女アビゲイルと孫ユーリウス保護の報がもたらされた矢先に、今度は南からアストゥリアが攻め込んできたのだ。


 いくら王妃の出身国とは言え、過去の経緯や国力の差、互いの国民が持つ感情などを鑑みれば、決してハサールはアストゥリアを快く思っていなかった。

 それでも隣国なのだからと長年に渡り関係を築いてきたものの、いざ事態が進展すると「やはり」という思いが強い。


 確かに予兆はあった。

 ファルハーレンに向けて軍を派遣することを決めた直後、首都に常駐していたアストゥリアの大使が帰国したのだから。

 通常の外交儀礼で言うなら、大使召還などというものは国交を断絶させる意味を持つ。

 それはつまり、ハサールの行いに対してアストゥリアが「断交も辞さず」と告げたに等しかった。

 にもかかわらず軍の派遣を強行するに至ると、この二国の関係は決定的なものになってしまう。

 

 それにしても、とベルトランは思う。

 結果としてハサールとアストゥリアは決別したのだが、そこに至るまでの流れがあまりに円滑過ぎた。

 初めから仕組まれていたのではないかと思うほどに、その動きは計算され尽くされている感があったのだ。


 しかし気付いた時には遅すぎた。

 フリンツァー南部辺境伯軍はすでに壊滅。今はラングロワ侯爵率いる東部軍が足止めをしていると言いながら、それもいつまでもつかわからない。

 国土防衛の要であるムルシア侯爵軍は遠くカルデイアの地へと向かってしまい、呼び戻すのに10日はかかる。

 実際に複数の早馬を走らせてはいるが、その返事も未だ返ってきていなかった。



 そんな中、唐突に知らせが舞い込んでくる。

 それは北方の隣国――南クリキア共和国の参戦だった。それも決して援軍ではなく、明らかな敵対行為だ。

 恐らくこのどさくさに紛れて、ハサールの地を奪いに来たのだろう。いずれはアストゥリアとこの地を分割するつもりで軍を送り込んできたに違いない。


 その報を受けたベルトランを始めとするハサールの重鎮たちは、皆一様に頭を抱えた。

 南部軍は抜かれ、東部軍も圧倒的な戦力差にさらされているうえに、頼みの綱であるムルシア軍の本隊は遠く異国の地にいる。

 さらに北部軍は南進を始めた南クリキアの牽制に忙しく、今後の状況を考慮すれば、首都防衛部隊を派遣するわけにもいかなかった。


 国家存亡の危機。

 まさにそうとしか言いようのない現状に誰もが暗い顔をする中、突如その報はもたらされたのだった。


「ただいま西部軍が到着いたしました!」


「なに!? 本当か!?」


「おぉ、やっとか!!」


 その知らせにパッと顔を明るくする重鎮たち。しかし現実を思い出して、再び顔を俯かせた。

 確かにそれは西部軍と呼ばれるムルシア将軍旗下の部隊ではあるが、その実態は居残り部隊でしかない。

 主だった幹部連中は皆オスカルとともに出払っているため、指揮するのは彼の長男であるフレデリクと、本来は予備役である二軍の幹部連中ばかり。その顔触れに、さしもの重鎮たちも不安を隠しきれなかった。

 と言いながら、そうするように命じたのはベルトラン自身でもあるので、決してそこは責められなかったのだが。


 武家貴族筆頭ムルシア侯爵家次期当主にして、次代の西部辺境候でもあるフレデリク。

 その名を聞けば誰もが期待するのだろうが、実態を知る者は不安に眉を顰める。

 立場と血統から言えば、フレデリクが次期将軍になるのは間違いない。しかし未だ実戦経験がないうえに、お世辞にも武人に向いているとは言い難い彼は、この国家的有事を任せるには些か力不足の感が拭えなかった。

 事実重鎮たちは軍の到着を喜びこそすれ、フレデリク自身に期待する者は少ない。それでも他に頼るべき者がいない以上、彼に任せるしかなかった。


 しかしそんな思惑など露知らず、急遽戦場へ向かわされたフレデリクは、緊張と武者震いにその身を震わせるのだった。

 



「フレデリク殿。この状況をどうご覧になる?」


 ここは首都から南に二日ほど離れた、対アストゥリアの戦場を見下ろす小高い丘の上。

 ようやくそこにフレデリクが到着すると、移動の疲れを癒す間もなくある人物が話しかけてくる。

 背が高く大柄な体躯でありながらも、全体的にすらりとした印象を感じさせる武人。

 若い頃はさぞ美男だったであろう整った顔立ちと涼しげな目元は、しかし厳しい現実に少々きつくしわが寄っていた。

 

 それはハサール王国東部辺境候にして東部軍将軍、そしてラングロワ侯爵家現当主であるバティスト・ラングロワだった。

 すでに崩壊した南部軍――フリンツァー辺境伯軍の敗残兵をかき集めつつ陣を敷く彼は、予備軍とは言え、ムルシア侯爵軍の応援を得て人心地ついたらしい。変わらず厳しい状況にもかかわらず、その顔に笑みさえ浮かべていた。

 その彼が問いかけてくる。するとフレデリクが答えた。


「そうですね。兵の数だけで言えばこちらが劣勢です。しかし相手は遠い本国から遠征してきているわけですし、補給もそれほど潤沢とは思えません。対して我々は、物資も兵の士気も完全に上回っています」


「ふむ、なるほど。――ならば貴方ならどうされる? どのように戦われる?」


 まるで試すようなラングロワの言葉。それとともに無遠慮な視線を投げてくる。

 いや、実際彼は試していた。実の息子――ラインハルトよりも若く経験すら不足しているこの19歳の若者に、意見を聞くていでその見識を測っていたのだ。 

 

 鍛え抜かれた体躯と豪快な武技、そして脳筋を絵に描いたような性格の父親と違い、フレデリクは線の細い文官タイプの人間だと世間には知られている。

 それは広く一般の認識ではあるが、実際に軍務よりも内政に光るものを見せ始めているところからも、その評価に間違いはない。


 だからと言って現状を打開できない言い訳にはならず、今さら軍務が得意ではないからと逃げ出すわけにもいかない。どうにかしてこの場を乗り切らなければ、フレデリクのみならず、全ハサール国民に明日はないのだ。


 まさにここが正念場だった。仮にここを突破されてしまえば、あとは首都防衛隊が残るのみ。そこまで侵攻を許してしまえば、もはや命運は決したも同じだ。

 だから、なんとしてでもここは持ちこたえなければならなかった。

 

 考えれば考えるほど、強張る顔と流れる冷や汗。

 それを必死に隠しながらフレデリクが答えた。



「カルデイアから父上――オスカル将軍が戻ってくるまで、あと10日。なんとか粘るほかありません。確かに兵の数では負けていますが、士気の高さは上回っています。ですから、なんとか兵たちを鼓舞して――」

 

「フレデリク殿。ここにきて精神論は危険だ。ただでさえ兵たちは数の差を見せつけられているのだからな。状況いかんによっては一気に崩れるぞ」


「し、しかし……」


「我々には守るべきものがある。それは国だったり、大義だったり、家族だったりと様々だ。そしてそのいずれかを守るために、兵たちは士気を高めている。――しかしそれにも限度がある。明らかな劣勢にもかかわらず無理に士気を保てと言われても、あまりにそれは酷だろう」


「……」


「ならばどうするか。――いいか? もはや言い古されているが、戦いは数だ。よほど特殊な状況でもない限り、小手先で策を弄するより数で相手を圧倒すべきなのだ。もっとも、ことはそこまで単純ではないがな。――兵を鼓舞するのも大事だが、今はそれ以上にすべきことがあるだろう」


「それはわかります。しかし……数ですか……」


 思わずフレデリクが胡乱な顔を返してしまう。

 彼とても兵法の基礎は叩き込まれているし、数の大切さも十分理解している。しかし今ここでそれを論じたところで無駄としか思えなかった。なぜなら、今やどこからも援軍など期待できないからだ。

 東の隣国ファンケッセルは未だ動き出す気配もなく、北の南クリキアからは現在進行形で侵攻を受けている。

 西のカルデイアは言うに及ばず、南の―― 


 そこまで考えた時、フレデリクはハッと顔を上げた。


「あぁ! もしかしてファルハーレンですか? 確かにあそこには大きな貸しもありますし、求めれば応じてくれるでしょう。しかし……の軍は、すでに引き返したと聞き及びますが」


「そのとおりだ。一度は帰路に就いたのだが――なにを隠そう、私が呼び戻した。今頃はここから三日の距離に迫っているはずだ」


「そ、そうだったんですか! それはよかった! ――し、しかし、私は何も聞かされておりませんでしたが……先日、陛下にお会いした時にも何も仰っていませんでしたし」


「もちろんそうだろう。なにせこれは極秘だったからな。しかし当然ながら陛下はご存じだったはず。――あぁ、ひとつ勘違いしないでもらいたいのだが、決して貴方を軽んじているとか、信用していないということではない。その証拠に、陛下と我が軍の幹部数名以外には等しく知らされていなかったのだからな」


「そ、そうでしたか……」


 フレデリクはホッと小さな息を吐く。

 すると同時にバティストも息を吐いた。



「まぁ、これで援軍の目途もつき、兵の数もアストゥリアとほぼ同数にまでなったわけだが……ファルハーレンだけではいささか心許ないのも事実。古来より『攻めるより守るが易し』と言う。しかしもはや我らに後がないとするなら、できればもうひと声ほしいところだ。――そこでさらに援軍を呼ぶことにしたのだが……さて、どこかわかるか? フレデリク殿」


「え……?」


 威風堂々たる初老の男と、見るからに頼りなげな細身の青年。

 端から見れば、まるで教師と生徒のようなやり取りは、ともすればここが切迫した最前線であることを忘れさせるものだ。

 事実バティストは、先輩将軍としてフレデリクに様々なことを教えようとしていたし、フレデリクも真摯に学ぶ姿勢を見せていた。

 その彼にバティストが答えた


「ふふ、わからんか? ならば周囲をよく見てみることだ。どうだ? すぐ近くに未だ無傷の兵が残ってはいないか?」


「無傷の兵……あっ……も、もしかして、首都防衛隊ですか?」


「ほう。わかったか。正解だ」


「し、しかし、彼らまで投入してしまえば、首都は丸裸になってしまいます。それこそ王城まで一気に攻められて――」


「何を言っている? もしもここを抜かれてしまえば、どのみちハサールは終わりだ。いかに精鋭揃いの首都防衛隊とは言え、あの数でアストゥリアの主力を抑えられるとは到底思えん。ならばここで我らとともに戦ってもらうべきなのだ。――ファルハーレンからの援軍と首都防衛隊。少々かき集めた感は拭えんが、それでも我らと合わせれば、数でアストゥリアを上回ることができる」


「た、確かに……」


「いいか、勘違いするな。なにも勝てと言っているのではない。オスカル将軍が戻るまであと10日。それまで持ちこたえればいいと言っているだけなのだ。――どうだ? それならばなんとかなりそうな気がしてきただろう?」


「はい! なにやら希望が見えてきました!」


「ははは、それはよかった。数で劣勢のところに無理に精神論を振りかざすより、この方が余程健全だ。わかったな?」


「はい。ありがとうございます!」



 それまで緊張に顔を強張らせていたフレデリクではあるが、バティストの言葉にパッと明るい顔をする。しかしその直後、再びその場に緊張感が満ちた。


「お、恐れながら申し上げます!! ラングロワ将軍閣下に火急の知らせがございます!!」


 前触れもなく、突然指揮所に走り込んできた男――それは一人の伝令だった。

 よほど慌てていたのか、指揮所に走り込んでくるなり、切れる息を整えることなく大声で叫んだ。

 

「ぞ、増援です!! 敵――アストゥリア軍に増援部隊が合流し、着々とその数を増やしています!!」


「なにぃ、増援だと!? それで規模は!?」


「は、はい! ざっと見たところ、第一陣とほぼ同数です!! つ、つまり、敵の数が倍になったということです!!」


 息も絶え絶えに叫ぶ伝令。

 その報告に、瞬時に指揮所の中が凍り付いたのも無理はなかった。

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