第266話 放蕩息子の演説

「死にたければ勝手に死ねばよろしいのです、このクソッタレ!!」


 その言葉に、瞬時に場の空気が固まった。

 それもそうだろう。満を持して現れた救援部隊に当然のように助けを求めた結果、「だが断る!! 死ぬなら勝手に死ね!!」と断られてしまったのだから。


 それも小さく華奢(しかし巨乳)な、ともすれば子供のようにしか見えない少女に、正面からそう言われてしまったのだ。

 その事実にさすがのファルハーレン公王エンゲルベルトも二の句うを継げずに、まるでアホのように口を開けたままだった。


 全開したフードから顔を晒し、まさに「ふんぬっ!!」とばかりに自慢の胸を反らしたリタが、尚も鋭く周囲を睨みつける。

 決して口に出してはいなかったが、その顔は間違いなく「文句があるなら言うてみぃ、このハゲが!! むふぅー!!」と語っていた。


 輝くプラチナブロンドの髪をなびかせて、透き通るような灰色の瞳で睨みつける小柄な少女。

 まるで天使か妖精かと見紛うような美しい顔に不機嫌さを湛えながら、ひたすら周囲を威嚇し続ける。


 そんなリタを、隊長ルトガーがたしなめた。


「リ、リタ嬢……お前の気持ちはわからんでもないが、もう少し言葉を選んでだな――」


「あ゛ぁ!? なんですの!?」


「い、いやいい。なんでもない……」


 リタの剣幕に恐れをなしたのか、ルトガーは何処か諦めたような顔をして口を閉じた。



 何処からどう見てもこの集団のリーダーは近衛騎士団副団長のルトガーにしか見えなかったが、同時に何処か違和感も拭えなかった。

 その証拠に彼は隊の代表として振る舞いながらも、背後の人物――リタの顔色を常に気にしているようにも見えたのだ。


 とは言うものの、それは本当に些細なことだったので、かなり気をつけていなければ簡単に見逃すようなものでしかなかったのだが。


 しかしさすがは一国の公王と言うべきか。

 それに目敏めざとく気付いたエンゲルベルトは、視界の端にリタを捉えながらルトガーに話しかけた。


「先のお主のげんもそうであるし、今その者も申したばかりだが、どうやらお前たちは我々を救いに来たのではないらしい。 ――なれば問う。いったい何をしにここまで来たのだ? ベルトラン国王のめいとは何なのだ?」


「はい、その疑問ももっともです。 ――時間もないゆえ単刀直入に申し上げますが、我々の使命は『公妃アビゲイル様及び公子ユーリウス様の保護』にございます」


「なに……!?」


「とは申しましても、その前に我が国を含めた周辺事情のご説明をさせていただく存じます。よろしいでしょうか?」


「……うむ、かまわぬ。申せ」



 その言葉とともにルトガーは、国王より預かってきた信書を手渡した。

 そしてそれを一読したエンゲルベルトは、まるで一言も聞き逃さぬようにルトガーの説明に耳を傾ける。


 それは周囲の重鎮たちも同様で、直前までリタに苦言を呈していたことさえすっかり忘れて、皆一様に真剣な面持ちを崩さない。

 そして話がオスカル・ムルシアを先頭とする西部軍の南下のくだりに至った途端、その場に歓喜の叫びが響き渡った。


「なんと!! ハサールが援軍を送ったと!?」


「おぉ!! やはり我々は見捨てられてなどいなかったのだ!!」


「ハサールさえ来てくれれば、アストゥリアなど恐るるに足りぬ!!」 


 直前までの緊迫した空気から一転、歓喜に湧き上がるファルハーレン公城。

 皆それぞれに喜びと安堵を表現しながら、中には感涙に咽び泣き、互いに抱き合う者まで出る始末だ。

 しかしそんな中、公王エンゲルベルトだけは渋面を崩すことなく、その胸中はいささか複雑だった。



 ハサールが援軍を送ってくる。

 その事実は、ハサールがアストゥリアと敵対する道を選んだに他ならない。

 もっともそれはファルハーレンとて同じであるが、ハサールについてはそれ以上に難しかった。


 なぜなら、現王妃マルゴットの出身はまさにそのアストゥリアであって、前皇帝の娘であり現皇帝の妹でもあるからだ。

 そのためハサールは、ファルハーレン以上にアストゥリアとの関係は深く、その事情を慮れば国王ベルトランの選択はまさに痛恨の極みだったと言わざるを得ない。


 愛する妻であり子どもたちの母親、そして国母でもある公妃マルゴットは、一夜にして敵国出身者となってしまった。

 生まれ故郷は敵国となり、実家の両親から兄弟姉妹に至るまで全てが敵国人と成り果てた挙げ句に、互いに殺し合いまでしなければならなくなったのだ。


 そのあまりと言えばあまりの現実に、本人の胸中は察するに余りある。

 そして妻にその現実を突き付けざるを得なかった国王ベルトランの想いは如何ばかりか。


 歓喜に湧く周囲を他所に、そこに思い至ったエンゲルベルトはとても素直に喜ぶ気にはなれず、ひたすらその顔を顰め続けた。

 それでも彼は淡々と口を開く。



「そうか、あいわかった。 ――それではベルトラン殿は、我が妻と息子を保護してくれると言うのだな?」


「はい。決して多いとは言えないこの人数で取る物も取り敢えず駆けつけたのも、全てはそれが目的です。 ――間違いなくここは戦場になるでしょう。その前に我々はお二方を連れてハサールまで脱出する所存です」


「ふぅ、そうか……それは本当に助かる。これで我らも後方の憂いなく、心置きなく戦えるというもの。 ――ん? 少し待て。今お主はここが戦場になると申したか? それにはなにか確証でもあるのか?」


 突如気付いたエンゲルベルトが、思わず疑問を口にする。


 その質問は当然だった。

 なぜなら、そもそもファルハーレンは、このままアストゥリア軍が素通りするものだと思っていたからだ。

 だから如何に不本意とはいえ、無駄に彼らを刺激しないためにこのまま城に閉じ籠もっているつもりだった。

 もっともエンゲルベルト個人としては、その選択に忸怩じくじたる思いを抱かざるを得なかったのだが。


 しかしルトガーの説明によれば、ここはすぐに戦場になると言う。

 それは如何なる事情によるものなのか、それが気になるのは当然だった。

 するとその疑問に、ルトガーが滔々と答えた。



「こちらへ向かう途中、アストゥリア軍を目撃しました。位置はここから北東方面です」


「なに、北東だと? しかし奴らはこの城の南側を通過するものだとばかり思っていたが……」


「お言葉ですが、敵兵はそれだけではないようです。我らの斥候によれば、殿下の仰るとおり南を通過する部隊も確認しております。しかしそれと同時に、北方面へと向かう部隊も目撃しているのです。 ――それは恐らく、現在南下しつつあるオスカル将軍を迎え撃ちに行ったのではないかと思われます」


 そう言いながらルトガーは、背後に佇む密偵スカウトを振り返る。

 すると彼は小さく頷いた。

 その様子を見つめながら、尚もエンゲルベルトは疑問を口にする。


「なに……? それはつまり、北からの援軍はそれを突破せぬ限りあり得ないということか?」


「有り体に言えばそういうことかと。南下中のオスカル軍は、待ち構えるアストゥリア軍を突破しない限りここへは到達できません。 ――故にこのまま籠城するのもよろしいでしょうが、最悪の場合、援軍の到着はないものとお考え下さい」



 その言葉に、再び周囲が騒然となった。

 直前までとは打って変わって、その声は絶望に染まり、己の不幸を呪うような声さえ聞こえてくる。

 そんな中、複数の叫びが駆け抜けた。


「それではこれまでと何も変わらぬではないか!!」


「ではなにか!? ハサールが負ければ、我らは北と南から挟撃されてしまうということなのか!?」


「それではいつまでこのまま籠城せねばならぬのだ!? ハサールにはさっさとアストゥリアを倒してもらわねば困るのだ!! なにより我らの命がかかっているのだからな!!」

 

 再び口々に勝手なことを叫び始めたファルハーレンの重鎮たち。

 聞けば聞くほどその言葉は自分勝手としか言いようがなく、あまりに酷いその有様に遂にエンゲルベルトが叫び出そうとする。


 すると、ある一人の声がその気勢を制してしまう。



「かぁー!! しっかしこの国は、何奴どいつ此奴こいつもしょうもねぇなぁ!! こりゃあ、殿下の苦労が偲ばれるってなもんだなぁ、おい!!」


 突如その場に響き渡る、一人の男の声。

 そのあまりに場違いな、ともすれば不敬とのそしりも免れない声に、全員の視線が集中する。

 するとそこに彼はいた。


 それは長めの金髪が美しい、スラリと背の高い男だった。

 まるで女性歌劇団に出てくる男役のように美しく整った顔と、服の上からでもわかる鍛え抜かれた体躯は、まさしく美丈夫を体現していた。


 そんな男であるにもかかわらず、何処かニヤニヤとした人を小馬鹿にするような顔でエンゲルベルトを見つめていた。

 そして矢庭やにわに口を開く。



「おっと、これは大変失礼いたしました。 ――私はハサール王国東部辺境候、ラングロワ侯爵家が嫡男、ラインハルト・ラングロワと申します。まずは此度こたびの災難に対し、謹んでお悔やみを申し上げます」


 突如口調を変えたラインハルトは、まさに慇懃無礼を絵に描いた態度で話し始める。

 その顔には未だニヤニヤとした笑みが張り付いたままで、それは何処か見る者を苛つかせるようなものだった。

 しかし直前の乱暴な一声は確実に周囲を黙らせることに成功しており、それは彼が意図して張り上げたのは間違いなかった。


 その彼に、エンゲルベルトが声をかける。


「ほう。お前があの・・有名な『ラングロワの放蕩息子』か。確かにな。これは噂に違わぬ破天荒ぶりの一端が見られたということか」


「ふふふ……畏れ入ります、殿下。先程の失礼な物言い、平にご容赦を」


 普通の者であれば、人を喰ったようなラインハルトの態度に機嫌を損ねたりするのだろうが、エンゲルベルトは不思議と何も感じていないらしい。

 その証拠に直前まで盛大に顰めていた顔には、ラインハルトと同質の笑みが浮かんでいた。


「まぁよい。しかしお前のような者までもこの隊に参加していたとは驚きだな。次期ハサール王国東部辺境候ともあろう者が、このような危険な作戦に従事して良いものなのか? ――よもや、ベルトラン殿の勅命か?」


「お言葉ですが違いますね、殿下。ここへは自分の意思で参加しました」


「……何故だ? このような生きて帰られないやもしれぬ危険な任務など、誰も参加したくなかろうに。 ――それは何だ? 義務感か? それとも虚栄心か? よもや正義感ではあるまいな」



 まるで伺うようなエンゲルベルトの言葉。

 それを聞いた途端、ラインハルトの広角が大きな弧を描く。

 彼がそんな顔をしていると、何処か中性的に見えた。


「そのどれも違いますね。私がこの隊に参加した理由――それは『面白そう』だったからですよ」


「……面白そう?」


「はい。言うなれば私の趣味とでも言いますか。 ――この世に蔓延る悪を、ばったばったと斬り伏せる。それに勝る楽しみはありません。まさに至福かと」


 そう言ってニヤリと笑うラインハルトに、釣られてエンゲルベルトも笑ってしまう。

 そして次の言葉を探していると、その前に再びラインハルトが口を開いた。



「それで、殿下。あなた様はこれからどうなさるおつもりなのです? まさかこのまま籠城を続けるなどと、世迷い言は申されないでしょうね」


「なに?」


「見て下さい、こいつを。 ――こんな小さな子供みたいな奴でさえ、ここまでやって来たのです。一触即発、まさに戦が始まろうかというこんな危険な所にね。 ――確かに陛下の勅命ではありますが、奴自身には何ら関係のないこと。 言わば赤の他人を救うために命を賭けてるんですよ。若い女の身空のくせして」


 そう言いながらラインハルトは、不本意そうな顔をするリタに指を突き付ける。

 すると彼女はも気に入らないとばかりに声を上げた。


「な、なんですの!? 断りもなく勝手に人を指差さないでくださいまし!! 失礼ですわね!!」


 じっとりと睨めるような目つきで見つめてくるリタ。

 その彼女に小さな笑みを向けたラインハルトは、再びエンゲルベルトに向き直る。



「それで再度お訊きいたしますが、殿下はこれからどうなさるおつもりなのです? 愛する奥方と公子殿下は我々が責任を持ってハサールに送り届けます。あとはこの城と城下の街、そして臣下と臣民が残りますが、まさかその全てを投げ捨てて自らの保身に走るおつもりではないでしょうね?」

 

「な、なにを!! 貴様ぁ!!」


「まぁもっとも、そうしたいお気持ちもわからなくもないですが。 ――この城に閉じ籠もってさえいれば、いずれはハサールの援軍が助けに来るでしょうし。それが一番楽だし、怖くない。 ――とは言え、場合によってはそれすらも難しくなるかも知れませんがね」


「ぐぬぬぬ……」


「まぁ、その時はその時、見たくないもの、考えたくないものには蓋をしていればよろしい。それに、どうせ死ぬのはハサール人なんだ。殿下を始めとするファルハーレンの方々には心を痛める必要は全くないかと」

 

 まるで「ふふん」と鼻で笑うようなラインハルトの話しぶりに、さすがのエンゲルベルトも激昂してしまう。

 その大柄な身体を震わせて、ここ数日で一番大きな声を張り上げた。


「貴様ぁ!! 言うに事欠いて、そこまで侮辱するか!! このファルハーレン公王エンゲルベルト・バルナバス・ファルハーレン、実の父にすらそこまで言われたことなどないわ!! ――よかろう、やってやろうではないか!! 望み通り、打って出てやる!! ――見ておれ、如何に弱小と侮られようとも、追い詰められたネズミの如く、アストゥリアの喉笛に見事噛み付いて見せよう!!!!」



 腰の剣に手をかけて、今にも斬りかかる勢いでラインハルトに詰め寄るエンゲルベルト。

 するとラインハルトはそんな公王になど一切構わず、その場で大声を響き渡らせた。


「聞いたか、おい、お歴々の皆様よぉ!! てめぇらが君主と仰ぐ公王殿下がこうも仰っているんだ、いまさらそこに否やはねぇよなぁ!? たとえそれがどんな無茶振りだったとしても、それに付き従うのが臣下の務めなんじゃねぇのかよ!? ――思い出してみろ。てめぇらの仕事はなんだ!?」


「な、何を言っている!!」


「すっかり忘れているようだから、この俺様が思い出させてやろうじゃねぇか!! ――それはなぁ、臣民を守ることなんだよ!? それ以上でも以下でもねぇ。てめぇらの存在意義なんざ、それしかねぇんだ。わかってんのか、あぁ!?」


「き……貴様ぁ……」 


「自慢じゃねぇが、我らが国王ベルトラン陛下は、娘の嫁ぎ先とは言えこんな弱小国の味方をすることを決めたんだ。そのためにあの・・アストゥリアと敵対する道を選んでな!! ――それに比べてお前らはどうだ!? 敬愛する君主が打って出ると言ってんのに、何やってやがる!! そこは競って前に出るところなんじゃねぇのかよ!? すっかり腐りきって、それすらも忘れたか!?」


「……」


「もう一度思い出せ、誰のために国を守るのかをな!! そしてそれを成すために、てめぇらが何をしなければいけないかもだ!! わかったか、このバカ野郎ども!!」


 

 今やまるで演説会場のようになった公城広間に、ラインハルトの声だけが響き渡っていた。そして誰もが神妙な顔をするだけで、決して反論する者はいなかった。


 その様子を見た公王エンゲルベルトは、思わず抜いた剣をそっと鞘に戻したのだった。

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