第232話 猪公の覚悟

「あぁ、アーデルハイトだ。わかっていると思うが、ここキルヒマン子爵家の一人娘だよ。 ――話によれば、好いた男のために全ての縁談を断っていると聞くぞ? お前はそれをどうするんだと訊いてんだよ!?」


 質問を投げられた途端、思わずジルは顔を背けてしまう。

 まるで表情を隠すかの如きその様は、明らかにこの話題を避けているようにしか見えなかった。



 ハサール王国東部辺境候を父に持つジルと、その参謀役を父に持つアーデルハイト。

 公私に渡って親交の深い父親同様彼らの付き合いもまた長く、始まりを遡るとその生まれに辿り着く。

 互いの父親が上司と部下であるうえに明確な身分差もある二人ではあるが、彼らは生まれた時から幼馴染同様に育ってきたのだ。

 

 とは言え、嬉々として家族ぐるみの付き合いを続けるアンペールに対して、キルヒマンは些か思うところがあったらしい。決して表に出すことはなかったが、その内心は複雑だった。

 何故なら、東部筆頭貴族家でありながら当時のアンペール家の評判は決して芳しいものではなく、その参謀役も同類と見られてしまっていたからだ。

 


 そんなふた家族の長子であるジルとアーデルハイト。

 身分差があるとは言え、誕生日が一ヶ月しか違わないこの二人の仲は決して悪くはなかった。

 今でこそ年齢相応に淑女として振る舞っているが、本来のアーデルハイトは威勢の良い姉御肌な性格をしている。

 そのため彼女は、幼少の頃から身体が大きく力も強い反面少々頭が残念なジルに、まるで姉のように振る舞ってきたのだ。


 ジルは剣技以外の全て――礼儀作法や一般教養、学問など、およそ貴族の子息女が身に着けるべき知識――でアーデルハイトよりもかなり劣っていた。

 それは彼の努力が足りなかった面も否定できないが、持って生まれた能力の差であるとも言えた。

 そのため、まるで出来の悪い弟を諭す姉のようなアーデルハイトをジルが煙たく思っていたのも事実だ。


 しかし口では文句を言いつつも、その実ジルは事あるごとにアーデルハイトを頼っていた。

 同年代の中ではかなり背が高く大人びているとは言え、線が細く華奢な少女でしかないアーデルハイトに、筋骨隆々の少年が背を丸めて追随する姿は、何処か滑稽でありつつも微笑みを誘う姿でもあったのだ。

  


 そんなアーデルハイトをこれまでジルは姉のようにしか見ていなかったのだが、例の決闘事件によってその想いに気づいてしまう。

 しかし時すでに遅く、直前に廃嫡されてしまったジルは今では一介の平民にすぎなくなっていた。


 下級貴族とは言え子爵家も立派な貴族だ。だから平民から夫を選ぶなど普通であればあり得ない。 

 確かに経済的な事情により有力商家から婿を迎え入れる場合もあるのだろうが、それだとて家同士の思惑が合致した結果であって、そこに個人の感情などは考慮されない。


 とどのつまり、すでに平民であるうえにその名に様々ないわくが付いて回るジルの場合、どう逆立ちしてもアーデルハイトと結ばれることはなかった。

 それが痛いほどわかっているジルは、これまでも散々アーデルハイトを説得してきた。


 時に冷たくあしらってみたり、懇懇と諭してみたり、忙しいからと追い返してみたりと、様々な態度で距離を置こうとしたのだ。

 しかしそれでもアーデルハイトはジルを訪ねるのをやめようとしなかったし、家に持ち込まれる縁談も断り続けていた。

 それが自分自身、牽いてはキルヒマン家を追い詰めているのをわかっていながら。


 

 辛く苦しく、居た堪れない表情を見られないように必死に顔を逸らすジル。

 しかしその猪のような大きな顔を隠しおおせるはずもなく、今や眉間に盛大にシワを寄せたまま晒してしまっている。

 そんな弟分を見つめながら、ラインハルトは再び口を開いた。


「わかっていると思うが、俺はまどろっこしいのが嫌いだ。だから単刀直入に訊くぞ。 ――お前はアーデルハイトをどう思っているんだ?」


「どうって……なにが……?」


「おい、この期に及んで誤魔化すんじゃねぇよ!! なにがって? そんなもん、わかってんだろ!? 言わせんなよ、面倒くせぇ。アーデルハイトが好きなのかと訊いてんだよ!! ――ここまで噛み砕いてやったんだ、いくら薄ら馬鹿のお前にもわかんだろぉが!! さっさと答えろよ!!」


「……」


 イラつく感情を隠すことさえ放棄して、まるで詰問するかのようなラインハルトに決してジルは視線を合わせようとしない。

 それどころか、盛大に顰められた表情を見られないように必死に顔を逸し続けている。

 アーデルハイトの想いは彼とても十分にわかっている。しかしそれに対する返事はひとつしかないのだ。



「あいつは俺を助けてくれた。人の女に横恋慕して、あまつさえ決闘まで申し込むような愚かで最低な男を助けてくれたんだ。しかも罪人の生き残りのレッテルまで貼られたこの俺に同情さえしてくれた……」


「……そんなことは訊いてねぇよ。訊かれたことにさっさと答えやがれ!!」


「……あぁ、わかったよ!! アーデルハイトが好きかだって!? そんなもの決まってる!! あぁ、好きだよ、好きに決まってるだろ!! あの性格と美貌であれだけの好意を向けられれば、誰だってほだされるに決まってる!! ――いや、違うな……俺は絆されてなんかいない。確かにあいつの想いに気づいたのはここ最近だが、思えばずっと昔から俺はあいつのことが――」


 突然感情を爆発させたジルは、まるで叫ぶような大声を出しながらラインハルトに詰め寄っていく。

 今やその顔に浮かぶ表情を隠すことなく、只ひたすらに己の感情の赴くままに叫び続けた。


「だがそれは絶対に俺の口からは言えんのだ!! 知っての通り、今や俺は一介の平民に過ぎん。だから幾らあいつが俺を好きだと言ってくれたところでその想いに応えてやることは出来ない!! それはあんたにだってわかるだろう!?」


「あぁ、確かにな」


「だからこのままでいいんだ!! 俺がアーデルハイトを好きだなんて、口が裂けても言えない。絶対にな!! もしも知られてしまえば、あいつを今以上に苦しめることになる。 ――だから今のままでいいんだ。そして、あいつが諦めるのを待ち続けるんだよ!!」


 苦しく叫ぶジルを、俯瞰で眺め続けるラインハルト。

 その顔には変わらず皮肉げな表情が浮かび、見ようによっては楽しんでいるようにすら見える。

 そんなラインハルトが不意に笑い声を上げた。



「ふ……ふふふ……ふはははは!! こりゃあいい!! たかが平民の分際で子爵家令嬢を想い続けるだなんて、大したタマだな、おい!! 昔から馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが、マジモンの大馬鹿だな、お前はよ!!」


「なっ……!!」


「だが、おもしれぇ。やっぱりお前はそうでなきゃな。確かに今のままじゃお前にもアーデルハイトにも未来はねぇ。 ――まぁ、お前はいいさ、お前はな。このままパン屋として生きていけばいいんだからな。しかしアーデルハイトはどうなる? 決して叶うことのない想いを諦めきれず、有力貴族からの縁談すら断り続けているあいつは? 最近では『キルヒマン子爵家の令嬢は、平民の男に焦がれている』なんて良からぬ噂が立ち始めていると聞くぞ?」


「そ、そんな……」


「なんだお前、変な顔しやがって……いいから聞けよ。 ――お前の言う通り、確かに今のままじゃ絶対にあいつと一緒になれんだろう。所詮は貴族令嬢と平民の許されざる恋だからな」


「くっ……」


「ふふんっ。そこで騎士見習いの話だ。コルネート伯爵の話じゃあ、立派に務めを果たした暁には正騎士への登用と同時にお前を養子に迎えてやってもいいってよ。 ――この意味は、いくら薄ら馬鹿のお前にもわかるだろう?」


「えっ……?」


 

 その言葉と同時に、意図せずジルは両目を見開いてしまう。

 如何に頭の残念なジルであっても、ラインハルトの言わんとすることくらいは察していた。

 たとえ養子であったとしても、再び爵位を手に入れることができればアーデルハイトの想いに応えられるかも知れない。今後の展望を鑑みても、残された道は最早もはやそれしかないだろう。


 ……しかしこんな疫病神のような自分と一緒になっても、彼女には苦労する未来しか見えない。

 それならいっそ……


 今や表情を隠すことさえ忘れて、盛大に思い悩むジル。

 まるで猪のように太く短い首を傾げながら必死に頭を回転させていると、ラインハルトは満足そうな笑みを浮かべた。



「しかしそれにはひとつ条件がある。それは先程言ったリタの幼馴染――カンデと一緒に騎士見習いとなること。そいつを守り抜いて一緒に正騎士に登用されることだ。 ――いいか、それには相当な困難が伴うぞ。当然わかっているよな?」


「……」


「知っての通り、カンデは生粋の平民だ。そんなヤツが騎士の世界に飛び込むんだからな、生半可な苦労で済むとは思えねぇ。それにお前もだ、ジル。お前のことは誰だって知っている。お前の不名誉な過去もな。 ――お前の経歴は奴らにとって恰好の材料になるだろう。カンデとともに、壮絶なイジメや嫌がらせの標的になるはずだ。時には命の危機に陥るかもしれん」


「……」


「それを生き抜け。カンデを守り抜け。そして二人ともが正騎士になってみせろ。 ――いいな? もしも途中で負けたり、諦めたり、カンデを守れなかった場合、この話は最初からなかったことになる。 ――忘れるな。これからの長い人生、お前は常に『元アンペール』『罪人の生き残り』として蔑まれることになるんだ。中には正面切って喧嘩を売ってくる輩もいるだろう。名誉を賭して戦わなければならない時も来るはずだ」


「……」


「だからこそ、全力でカンデを守ってみせろ。それさえ出来ないお前であれば、この先アーデルハイトも守り抜けないと知れ!!」


「うっ……」


「返事は!?」


「わ、わかりました!!!!」


 あまりの迫力に思わず返事をしてしまうジル。

 その顔を再び満足そうに眺めながら、ラインハルトは遂に破顔した。



「ふん、良い返事だ。それでこそ『猪公』だな。 ――お膳立てはしてやった。チャンスもやった。あとはお前の努力次第だ。 ……いいか? アーデルハイトの涙を見たくなければ、必ずや結果を出せ。騎士になれ。そして彼女を迎えに行ってやれ。わかったな!?」


「はい……」


 未だ釈然としない表情を浮かべながらも、それでいて何処か吹っ切れたようにも見えるジル。

 その瞳には今や固い決意のようなものが浮かんでいた。

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