第169話 一騎討ち

「ジル・アンペール様!! 次はわたくし、リタ・レンテリアがお相手いたしますわ!! お覚悟はよろしくて!?」


 まるで親の仇を見るような目で睨みつけるリタ。

 今ではすっかりトレードマークになった縦ロールを揺らしながら、細い眉を吊り上げ、ややたれぎみの灰色の瞳を鋭く細める。

 薄紅を引いたつやつやと輝く小さな口は、ギリギリと音が聞こえるほどに強く噛み締められていた。


 フレデリクを倒してからというもの、ジルはずっと呆けたままだ。

 まるで子供のように喜びはしゃぐ父親とは対象的に、ジルの茶色の瞳には何の感情も浮かんではいない。

 心配したアーデルハイトが何度声をかけてみても、全く聞こえていないかのように返事をせず、虚ろな瞳で血塗れのフレデリクを見つめるばかりだった。

  

 そんなジルだったが、まさに「ビシィッ!!」とばかりにリタに指を突き付けられると、その顔に再び表情が戻ってくる。

 顔のわりに小さな瞳に光が灯ると、どこか戸惑うような表情を浮かべた。



「や、やめろ……違う……お、俺のせいじゃない……俺は決してそんなつもりは……」


「あ゛!? なんですの? 何が『そんなつもり』ですの?」


 まるで意味がわからないとばかりに、胡乱な顔でリタが訊き返す。

 

「お、俺は、彼奴あいつを殺したくなんか――」


 その大柄な見た目に反して、聞き取れないほどの小さな声でボソボソと漏らすジル。

 あまりに小さなその声をリタが必死に聞き取ろうとしていると、突然広場に大きな声が響いた。


「リタ・レンテリア!! 協議の結果、貴女の主張は正当なものと認められた。よって、再戦を行うこととする!! 今から30分後に再開する故、それまでに準備を整えるように。もしも時間になっても姿を現さなければ、貴女の負けとなる。よろしいか!?」


 それはこの決闘の立会人だった。

 何か小さな紙の様な物を持って、彼は再び広場に戻っていたのだ。

 その声に振り向いたリタは、最早もはやジルの呟きから注意を逸らしていた。


「承知いたしました。わたくしごときの主張をお認めいただき、心より感謝いたします。 ――それでは準備を整えてまいります故、一度下がります」


 ゆっくりと慇懃いんぎんに、そして深々と頭を下げたリタは、最早もはやジルの顔には一瞥もくれることなく、クルリと踵を返して足早に歩き出したのだった。





「リ、リタ!! 一体どういうことなんだ!? お、お前が闘うだなんて――あまりに無茶すぎる!!」


「そ、そうよ!! あなたは女の子なんだから、決闘なんてできるわけないでしょう!? 正気なの!?」


 すたすたと控室に向かって歩くリタ。

 ガニ股なうえに大股なその歩き方は、貴族令嬢としては完全に失格だ。

 しかし怒り心頭の彼女には、今やそんなことはどうでもよかった。


 そんな貴族令嬢らしからぬ背中を、慌てた両親が追いかける。

 しかし何度説得しても、リタの返答は鰾膠にべもなかった。

 

「それじゃあ、このまま負けを認めろと言うの? 私にあんなクソッタレの猪野郎の嫁になれと? ――生まれてくる孫は、さぞ可愛らしいでしょうね」


 見るからに気の強そうな眉をさらに跳ね上げて、リタが答える。彼女にしては珍しく、その言葉には皮肉がこもっていた。

 しかしそんな言葉に怯むことなく、尚も二人は言い募る。


「闘うって……どうやって? あなたは剣なんて持ったことないでしょう?」


「そうだよ、リタ。そんな細腕でどうやって闘うっていうんだ? 武器の扱いなんて学んだこともないじゃないか」


 まるで根比べをするように、何度も説得しようとする両親。

 その言葉を聞きながら暫く歩き続けていたリタは、急に足を止めるとクルリと振り向く。そこには、怒りを通り越して妙に冷静になった娘がいた。


「父様、母様、大丈夫。心配いらないわ。そもそも私には、武器なんて必要ないから」


「えっ……?」


「私が本気で怒ったらどうなるか、父様も母様もわかっているでしょう?」


「……」


「その時も私は剣を振り回していた?」


「いや……」


「でしょう? だから大丈夫。一体誰に向かって喧嘩を売っているのか、あのブタ野郎どもに思い知らせてあげるわ!! むふぅー!!」


 凡そ貴族令嬢らしからぬ言葉を吐きながら、勢いよく鼻息を吐く。

 普段は完璧な貴族令嬢の仮面を被るリタだが、両親や弟などの前では素に戻る。

 その姿を見ていると、いくらすました顔をしていても彼女の根っこの部分は何も変っていないのだと今更ながらに思い知らされる。

 そんな彼女には、今や何を言っても無駄に思えてくる両親だった。




 それから30分後、リタは時間通りに現れた。

 足元からカツカツと音を立てながら会場に現れると、その姿を見た者たち(主に男)に小さなどよめきが広がる。


 リタは血塗れのドレスから、ぴっちりとした乗馬服に着替えていた。

 ドレス姿のままでは決闘は行えないので、動きやすい恰好としてリタはその服を選んだのだ。

 それは時々リタがユニ夫に跨って遠駆けをする時に着るものだった。


 胸元にゆったりとしたスカーフをあしらった真っ白なブラウスと、丈の短い濃紺のジャケット。

 そして思わず見る者(主に男)の目を引くぴっちりとした白い乗馬ズボンに、膝までのロングブーツ。

 普段のリタはゆったりとしたドレスしか着ないのだが、彼女がそんな恰好をするととても新鮮に見えた(主に男にとってだが)。


 身長153センチ、体重44キロという華奢(しかし巨乳)な身体のわりには、やや大き目の臀部としっかりとした太もも。

 そんな女性特有のラインを、ぴっちりとした白いズボンが余計に際立たせていた。


 もしもフレデリクがこの場にいたなら、きっとそこに目を釘付けにしていたに違いない。

 滅多に見られない婚約者のお尻と太もものラインに、きっと色々と捗ったことだろう。



 リタがあらかじめその服を持ってきていたということは、初めからそれを着るつもりがあったのだ。

 フレデリクではジルに勝てないと思った彼女は、最後には自分でけりを付けるつもりだったに違いない。


 多くの声援に後押しされながら、リタが王城広場へ進み出る。

 すると立会人が問いかけてきた。


「リタ・レンテリア。使用する武器は決まったか? 時間がない故、ここに用意のある中から選びたまえ。それ以外は認められないが、よろしいか?」


「えぇ、結構ですわ。それでは――」



 壁際に並べられた様々な武器にリタが視線を移していると、その横顔をジッとジルが見つめる。

 眉間にシワをよせたその顔を見る限り、彼はリタと闘うのが乗り気ではないようだ。

 もっともそれは当たり前と言えた。 

 見るからに細腕の、こんな華奢(しかし巨乳)な少女とこれから殺し合いをしなければならなのだ。

 如何に自分の方が有利だったとしても、普通の感性の持ち主であれば乗り気になるほうがおかしかった。



 そんなジルの背中を、父親のベネデット侯爵が勢いよく叩く。

 その顔には何処か残酷にも見える薄ら笑いが浮かんでいた。


「ジル!! あんな小生意気な娘など、二、三発平手打ちを叩きこんでやればおとなしくなるだろう。たかが伯爵令嬢の分際で不敬な奴だ!!」


「……」


「いいか、ジル。お前が勝てば、どのみちあの娘はお前のものになるのだ。この機会に身体に教え込んでやるがいい。そして二度と逆らおうなどと思わんようにしてやれ。女と子供は動物と同じだ。身体に教えなければわからんのだ」


「……はい、父上」


 父親の言葉におとなしく頷くジルだが、その顔にはやはり渋面が浮かんでいる。

 やはり彼は、どうしても乗り気ではないらしい。


 そんな二人を不安げに見つめるアーデルハイトは、相変わらず何も言えずにいた。



 

 リタが武器に視線を移している間に、ジルが広間の中央まで出てくる。

 そしておもむろに口を開いた。


「リタ嬢……本当にやるのか? お前は武器なんて持ったことがないだろう? 伯爵令嬢が格闘戦をするだなんて、およそ聞いたことがないぞ。大丈夫なのか?」


「ふんっ!! 貴方のような方に心配などされたくありませんわね。わたくしよりも、ご自身の心配をなさるべきだと愚考いたしますわ」


「リタ嬢……」


 まるで取り付く島もないとは、このことか。

 初めて会った時には、これほど愛らしい女性がいるのかと感動すら覚えたものだったが、今の彼女は憎悪のこもった瞳で睨みつけてくるだけだ。


 もしも勝てば自分の妻にするつもりだが、ここまで拗れてしまえばそれも難しいのではないかと思ってしまう。

 人の女を奪い取るというのは、所詮無理があるのかもしれない。

 今さらながらにそう思ってしまうジルだった。



 そんなリタに、再び立会人が問いかける。


「リタ・レンテリア。それで武器は決まったのか? 早く決めて貰わなければ――」


「武器なんて必要ありませんわ。この程度の男など素手で十分でしてよ」


「素手だと!?」


「なにぃ!!」


 事も無げ言い放たれたリタの言葉に、ジルと立会人が同時に驚きの言葉を吐いた。

 そして信じられない顔をする。


 そもそも貴族の決闘において素手で闘うなど聞いたことがなければ、もちろん前例だってない。

 確かに場末の酒場で行われる賭け拳闘では素手で殴り合いをするが、それとはまた別の話だろう。


 言い換えれば殺し合いとも言える決闘において、素手で殴り合うなどあり得ない。

 しかも相手は、明らかに小さな少女としか言えなかった。

 

 身長180センチ、体重110キロのジルが、153センチ44キロ(しかし巨乳)のリタに馬乗りになって殴りつける。

 それは最早もはや決闘とは言えないだろう。如何に細かいことは気にしないジルでも、あまりにそれははばからられた。

 

 驚いたままの立会人と、嫌そうな顔をするジル。

 そんな二人の顔を交互に見比べながら、それでもリタは言い募る。

 その愛らしい顔にたっぷりの自信を浮かべて。



「ならばこうしましょう、立会人様。もしもわたくしが一発でも殴られたなら、その時点で負けを認めましょう。如何いかが?」


「まぁ、貴女がそう言うのであれば、こちらは構わないが……本当にいいのか? 後悔するぞ?」


「さぁ、それはやってみなければわかりませんわ。とにかくわたくしは、この男の顔を思い切りぶん殴らなければ気が済みませんもの。 ――それで、ジル様は如何いかが?」


 その顔には未だに嫌そうな表情が浮かんでいるが、リタとの闘いに一発でケリがつくならそれでもいいと思ったのだろう。

 リタの問いかけに、渋々ジルは頷いた。 


 

 そんな二人を見ていた立会人は、ここに両者の合意が成立したと判断するとゴホンと一つ咳払いをして背筋を伸ばす。

 そして高々と宣言した。


「再戦の条件が整った。 ――使用武器はなし。素手での闘いとする!! ただし、ジル・アンペールの攻撃が一発でも有効と見なされた時点でリタ・レンテリアの負けとする!! その他の条件は先の一戦と同じ!! 異議がなければこの条件で始める!! 如何いかが!?」



 その宣言に会場内がどよめいた。

 それもそうだろう。この条件は余りにもリタに不利だからだ。


 拳でも蹴りでも、ジルの攻撃が一発でも有効と見なされればその時点でリタは負けだが、ジルにその制限はない。先の一戦同様に、戦闘不能に陥るか、自ら負けを認めるか、立会人に止められるか、そして死ぬか。

 そのいずれかの状態にならない限り、彼は負けないのだ。


 その条件は余りにも不公平過ぎた。

 しかし当事者であるリタ自らが挙げた条件なのだから、立会人としては否やはない。

 彼としてはその条件のもと、粛々とジャッジするだけだからだ。



 しかし会場内の皆はそう思わなかったようだ。

 皆怪訝な顔をしながら、口々に言い合っていた。


 そんな中、一人の声が響き渡る。


「一つ問いたい!! リタ嬢、その条件ではあまりにお主が不利だと思うが、本当にそれで良いのか!? なにかむにまれぬ事情でもあるのではないのか!?」


 それは国王ベルトランだった。

 あまりに不利な条件に、なにか事情でもあるのかと疑っているようだ。

 例えば裏で脅迫を受けているとか。

 

 しかしその懸念にリタは正面から否定した。

 それもいっそ清々しいくらいの笑顔と理由で。

 

「いいえ。なにもありませんわ。 ――ジル様があまりに弱すぎる故、ハンデを与えたにすぎませぬ。わたくしの婚約者にあれだけのことをされたのです。それを一瞬で終わらせたら面白くないでしょう?」


 薄紅が引かれた唇を弧の形にすると、にっこりとリタは微笑んだ。

 その顔だけを見ていると、彼女は完璧な淑女に見える。

 するとベルトランもニヤリと笑って言葉を返した。


「わかった。お主がそれでいいというのなら、それで構わない。ただし、己で言いだした事であるのだから、その結果には粛々と従うのだぞ」


「当然でございます、陛下。お言葉に感謝いたします」


 そう言うとリタは、乗馬服姿にもかかわらず優雅なカーテシーの真似事をした。

 彼女がそうすると、たとえドレス姿でなくとも実に美しかった。



 しかしその言葉に、遂にジルが切れた。

 公衆の面前で「弱すぎる」「ハンデ」だと馬鹿にされたのだ。しかもこんな小さな少女に。

 その言葉はあまりに彼のプライドを傷付けた。

 彼とても東部辺境侯として名高いアンペール家の跡継ぎなのだ。

 それなのに、衆人環視の前でそこまで馬鹿にされれば頭に来るのも当然だった。


 直前までの些か朴訥とした雰囲気をかなぐり捨てると、ジルは吠えた。


「リタ嬢!! そこまで言うのであれば、望み通りに殴り倒してくれる!! その結果、どのようなことになろうとも恨み言はなしだ!! いいな!!」


「その言葉、そっくり貴方様にお返しいたしますわ!! このハゲ!!」


「なにぃ!! ハゲだとぉー!!!!」


 顔を真っ赤に染めて怒りまくるジル。

 その彼に対して蔑むような視線を投げるリタ。

 そんな両者の間に立った立会人は、何やら複雑な顔をしながら小さな溜息を吐くと、二人に対して幾つかの注意事項を告げた。


「――以上、不明な点はあるか?」


「ありませんわ」


「ない!!」



 その言葉とともにゆっくりと両者の顔を見た立会人は、右手を大きく頭上に翳す。

 そして叫んだ。


「それでは構えて――はじめっ!!」


 その言葉の直後、まるで容赦なくジルが殴りかかる。

 憤怒の表情にまみれたおよそ三倍はあるのではないかと思われる大男が、小さく華奢(しかし巨乳)な少女に襲いかかったのだ。

 その光景は、誰もが目を逸らしたくなるものだった。


 そして、盛大に血を吐きながら地面を転がるリタの姿を誰もが想像した直後、その音は聞こえて来た。 


 ドカンッ!!

 バキンッ!!

 ゴロゴロ――


 その音に驚いた彼らが、逸らしていた目を正面に向けると、そこには――


 フルスイングで右拳を振り抜いたリタと、血を吐きながら盛大に地面を転がるジルがいた。

 ギリギリと音が聞こえそうなほどに歯を噛み締めるリタ。

 その彼女が顔を上げると、一言吠えた。


「ふんっ!! 口ほどにもないですわね!! 東のアンペールだか何だか知りませぬが、あまりに弱すぎでしてよっ!! いい加減にしませんと、本気でぶち殺しますわよ!!」


 鼻息も荒く吐き捨てるリタ。

 凡そ貴族令嬢らしからぬその言葉が、静まり返る王城広場に響き渡った。

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