第168話 思わぬ一手

「きゃー!! フレデリク!!」


「フレデリク!!!!」


「兄さま!!」


「ぬぉー!!」


 突然の光景に、騒然となる王城広場。

 あまりの衝撃に、その場の全員が一斉に立ち上がる。

 それはセコンドに付く家族のみならず、見届け人である国王ベルトランを始め、国の重鎮から観衆として来ている貴族たちまで、まさにその場の全員だった。

 そしてその視線が一斉にある場所に注がれる。

 

 そこには、大きな血だまりの中に倒れる一人の若者がいた。

 腹の部分から半ば切断されたその若者は最早もはやピクリとも動かずに、ただひたすらに石畳のうえに真っ赤な大輪の花を咲かせている。

 しかもその花はどんどん大きくなっていた。


「どいて、どいて!!」


「おい、しっかりしろ!!」


 慌てた四人の神術僧侶たちが、若者――フレデリク・ムルシアに駆け寄ってくる。

 そして急いで状況を確認し始めた。


「いいか、まずは血を止めろ!!」


「はいっ!!」


「君はここを、君はこっちだ!! 内臓はどうだ!?」


「だめです!! 完全に切断されています!! まずはこっちを修復すべきです!!」


「了解だ!! それでは、君と君は内臓を!! 君はこっちから頼む!!」


「はい!! しかし手が足りません!! せめてもう一人いなければ、間に合わなくなります!!」


「くそっ!! 四人がかりでも手が足りんのか!! どうする!?」



 まるで修羅場のようなその言葉。

 いや、実際その場は修羅場だった。

 何故なら、切断されたフレデリクの腹からは血液以外のものが漏れ出ていたからだ。


 それは内臓だった。 

 深々と突き刺されたレイピアを力任せに横薙ぎにされたせいで、彼の腹部からは盛大に内臓が漏れ出ていたのだ。

 その光景はまさに壮絶としか言えず、フレデリクが意識を失っているのがせめてもの救いだった。

 もしもこの光景に断末魔の悲鳴が響いていたなら、それこそ救いがなさ過ぎる。


 漏れ出した内臓を慎重に腹の中に戻しながら、同時に治癒魔法で傷を修復していく。

 それでも刻一刻とフレデリクの周りの血だまりは大きくなっていった。

 その様子を見ていると、神術僧侶が口にするように、どうやら四人だけでは手が足りないようだ。

 そして次第に僧侶たちに顔に焦りの色が濃くなったその時、突然一人の少女が飛び込んで来た。



「わ、わしも治癒魔法は使える!! どうか指示を頼む!!」


 それは特徴的な縦ロールが目を引く、輝くようなプラチナブロンドの髪と、恐ろしく整った顔が目を引く少女――リタだった。

 彼女は高価なドレスが血塗れになるのにも一切かまわず、大粒の涙を流しながら必死の形相で飛び込んできたのだ。


「君は――わ、わかった!! それじゃあ、君はここの傷を塞いでくれ!! いいか、可能な限り急ぐんだ!!」


「了解じゃ!! ええか、フレデリク!! いま助けてやるからの!! もう少しだけ辛抱するのじゃぞ!!」



 愛らしい見た目とはまるで似つかない、妙な口調の少女。

 神術僧侶たちは、その少女を知っていた。

 それはフレデリクの婚約者というのはもちろんだが、史上最年少で二級魔術師の免状を貰った女魔術師として、彼らはリタを知っていたのだ。


 治癒魔法に秀でる神術僧侶たちも、所謂いわゆる「魔力持ち」の者たちだ。

 たまたま彼らはその方面に適性が振れていたのでその道を歩んだが、元はと言えばリタと同じ魔術師の仲間なのだ。


 ただ専門が白魔術――治癒や治療、能力向上などのバフ――に特化しているだけで、豊富な魔力を駆使して魔術を行使するという部分においては、魔術師となんら変わらない。 

 そして魔術師を「魔力持ち」の一番のエリートとするならば、彼ら神術僧侶は二番手と言える。

 そのくらい魔術師と神術僧侶の差は少なく、彼らも全員が選ばれた者たちだった。


 そんな二番手に一番のエリートが教えを乞う。


「すまぬ、ここはどうやって血を止めるのじゃ!?」


「あぁ――ここはこうだ。こうして……こう」


「りょ、了解……もう大丈夫じゃ、フレデリク!! もう二度とあんなことは繰り返さんからな!! 絶対に助けちゃる、安心すれ!!」


 リタを含めて五人がかりで治癒魔法を唱え続ける。

 そして次第に傷が塞がっていく様を見つめながら、リタは十年前のある事件を思い出していた。




 腹を切り裂かれ、大量の血で地面に大輪の花を咲かせる。

 その光景は、あの時と同じだった。

 今でも忘れられない。それはフレデリクの祖父、バルタサール・ムルシアが殺された時だ。


 相手は有名な暗殺者集団「漆黒の腕」だった。

 出自の秘密を知るアニエス――リタを亡き者にしようと、第一王子セブリアンの命により襲いかかって来たのだ。その時、運悪くバルタサールもいた。

 

 生粋の武人であり、腕に覚えのある彼ではあったが、さすがにプロの暗殺者には敵わない。

 じわじわとまるで追い詰めるようにもてあそばれた挙句、半ば身体を切断される形で殺された。

 リタは必死に治癒魔法をかけたのだが、暗殺者に邪魔されたこともあり結局助けることは叶わなかった。

 

 その時リタは頼まれた。

 死に瀕し、最早もはや目も見えず、薄れゆく意識のバルタサールに託されたのだ。


『フレデリクを……頼む。あやつはああ見えて、意外と強い……しかし弱いところも多いのだ』 

『お主になら、可愛い……孫を任せられる……いいか、頼んだぞ』

『感謝する……『ブルゴーの英知』よ……』


 厳つく豪快な笑いの似合う大柄な容姿にもかかわらず、そのじつ思慮深い策略家だったバルタサール。

 まるで好々爺のように自分を可愛がってくれたバルタサール。


 その彼に最後に託されたのが、孫――フレデリクだった。



「しっかりせぇ!! ええか、わしは爺様と約束したのじゃ!! 夫婦めおとになって、お前を一生守ると誓ったのじゃ!! このままでは爺様に叱られてしまうじゃろ!! 絶対に死ぬな!! ええか、死ぬことはこのわしが許さぬ!!」


 白磁のように真っ白な頬を大粒の涙で濡らしながら、リタが吠える。

 今やその姿はいつもの伯爵令嬢ではなく、前世で200年以上に渡り生き続けて来た老魔術師そのものだった。

 

 意識のない婚約者に大声で呼びかけながら、それでも治癒魔法を唱え続ける。

 口で呪文を唱える素振りすら見えないのに、手元からは淡い光が放たれていた。

 それは紛れもなく無詠唱魔法だった。

 周りの神術僧侶に怪訝な顔をされることなど一切かまわず、彼女は治癒魔法を使い続けたのだ。


 そうしながらも、己の婚約者をこんな目に合わせた相手を睨みつける。

 すると遠くに、父親に肩を叩かれるジルの姿が見えた。




「よくやった、ジル!! お前の勝ちだ!! 不幸な事故にはなってしまったが、お前の勝ちに違いはない。そしてムルシア家の鼻を明かしたのだ。こんなに愉快な話はないぞ!! とにかくお手柄だジル、よくやった!!」


「は、はい……ありがとうございます、父上……」


 息子の勝利に、まるで子供のようにはしゃぐベネデット侯爵。

 満面の笑みで息子の背中を叩く彼は、死に瀕している相手側の子息のことなど全く眼中になかった。

 そして周りのお付きの者たちも、同様に浮かれていた。


 しかし当事者であるジルは少し違うようだ。

 まるで猪のように厳ついその顔から表情は消え、目は虚ろで口も半開きだ。

 そして、父親の言葉を何処か無感動に聞き流すその様は、催眠術から覚めた被験者のようにすら見えた。


 父と息子。

 対照的なこの二人を同時に睨みつけるリタ。

 これまで見たことがないほど深いシワを眉間に刻み、透き通るような灰色の瞳は鋭く細められ、その口はギリギリと音が聞こえるほどに強く噛み締められている。

 そうしながらも彼女は、婚約者に向かって必死に治癒魔法をかけ続けた。




 そんなリタに憐みの視線を向けながら、国王ベルトランが口を開く。

 その瞳は鋭く細められ、動き回る僧侶たちの姿を目で追っていた。


「遠目からではよくわからぬが……オスカルの息子はどうなのだ? かなり派手に血を流しているようだが……」


「はっ。見たところかなり危険な状態かと。腹の部分から半ば身体を切断されたのです。今は五人がかりで治療中ですが……」


「……そうか。ところでこれは、不幸な事故ということでよいのか? 見たところ、立会人が中止を告げた後に起こったように見えたが」


「はい。私にもそう見えました。 ――その点について、現在立会人たちが協議中です」


「では今暫く待とうではないか。ともかく今は、オスカルの息子を助けることに全力を尽くせ」


「はっ!!」



 ベルトランの言葉は別にして、この決闘の勝者は誰の目にも明らかだった。

 確かにフレデリクが切り裂かれたのは立会人の合図の後だったが、そもそもその直前で試合は止められていたのだ。


 つまり、ジルの勝ち、フレデリクの負けということだ。


 ――ルール上は。

 しかし、明らかな過剰攻撃ともとれるジルの行為を、立会人がどう判断するのか。今まさに彼らはそこを話し合っている。

  

 立会人が終了の判断をした時点で、フレデリクの負けを認めるべきか。

 その後の過剰攻撃を以てジルの勝ちを無効にするのか。

 なんとも微妙で慎重な判断が求められる。




「ふぅ……なんとか傷は塞がったな。少々出血は多かったが、とりあえず危機的な状況は脱した。あとはこのお方の体力と生への執念次第だろう」

 

「フレデリク……」


 依然大きな血だまりの中に倒れたままのフレデリク。

 一見したところ、以前とあまり状況は変わっていないように見える。

 しかし神殿僧侶が告げたように、五人がかりでの治癒魔法のおかげで、彼の傷は全て塞がっていた。

 こぼれ出ていた内臓も全て戻したし、半ば切断されかかっていた腹も元通りだ。


 それでもその傷は、薄皮一枚で塞がっているようにしか見えず、少しでも触れてしまえば再び血が噴き出しそうだった。

 そんな婚約者に縋りついたまま、未だにリタは涙を流し続けていた。

 

「あぁ、フレデリク……すまぬ、わしには何もしてやれなんだ。あんな男如き、最初に出会ったときに始末しておれば……お前がこんな目に会うこともなかったであろうに……」


「さぁ、リタ嬢。手をお放しください。心配なのはわかりますが、触れたりすればまた傷口が開いてしまうかもしれません。お気持ちは察しますが、お願いですからその手を――」 

 

「うぅぅ……フレデリクよぉ……」


 可愛らしい薄水色のドレスを真っ赤に染めたリタ。

 すでに乾き始めた一部分は、茶色へと変わりつつあった。

 そんな彼女を強引に引きはがすと、僧侶たちはフレデリクを運び去っていく。

 彼の家族は全員その後を付いて行ったので、この場に残ったのはリタとその両親だけになってしまった。


 本音を言えばリタも一緒について行きたかったが、胸を突き刺すような苦しさに必死に耐えながらこの場に残り続けた。

 どんなに辛く苦しくとも、リタにはこの決闘を最後まで見届ける義務があったからだ。




 今や負けを告げる相手もいないまま、それでも勝敗が告げられる。

 未だフレデリクの作った血だまりの見える王城広場に、五人の立会人が整列した。


「協議の結果を申し上げる!! 此度こたびの決闘を有効とする!! 勝者はジル・アンペール!!」


「わぁーっ!!!!」


「……」


 宣言と同時に会場の半分は歓声を上げ、そしてもう半分は沈黙する。 

 そして観覧席の王室関係者と国の重鎮たちは皆渋い顔をしていたし、特に国王ベルトランは、その裁定に多くの疑問を持っていた



 確かに結果だけを見ればジルの勝ちだろう。

 立会人に止められるか、戦闘不能になった時点でルール上は負けとなるのだから、そこに否やはない。

 だが、そこに至る経緯を思い返すと些か釈然としないものがある。


 いくらルールで禁じられていないとは言え、なにより名誉を重んじる貴族の決闘において、相手の足を踏みつけたり、腹を殴るなどの行為は思わず眉を顰めたくなるものだ。

 しかも倍近くも差がある両者の体重と体格を考慮すると、凡そ納得できるものではない。


 今では決闘行為自体が法で禁じられているので議論する価値さえないのだろうが、そんなことを認めてしまえば、体格に勝る者が圧倒的に有利になってしまうだろう。

 しかしそれは、すでに勝敗が決した今となっては無駄な議論だ。

 何やらしこりが残る結末ではあるが、立会人の裁定には従わねばならないのだから。



 次にフレデリク殺害未遂の件だ。

 未だ詳しい説明を受けていないが、どうやら彼らはその件を偶発的な事故として処理するつもりらしい。

 しかしこれはあくまでも個人の見解だが、どう見てもあれは故意に見えた。


 ジルが言う通り、実際に立会人の号令が聞こえなかった可能性はある。

 しかし、もっと遠く離れていた自分にさえその声は聞こえていたのだから、ジルにだけ聞こえなかったというのは如何にも不自然だ。

 

 もしも本当にそうであったとするならば、最早もはやそれは事故ではなく、過失になるだろう。

 通常の注意を払っていれば、それは十分に聞き取れたはずなのだから。


 それでも彼らは、それを事故にしたいらしい。

 あまりにその頑なな姿勢は、その裏に何かがあるのかと勘ぐってしまう。

 


 ……よもや、初めからそれが目的なのではあるまいな?

 同じ武家貴族のライバルである、ムルシア家次期当主を堂々と消すための――

 もしもそうであるならば、裏にはもっと多くの者たちが関与しているはずだが……





「お待ちくださいませ!! その決定は時期尚早!! 此度こたびの決闘は未だ終わってはおりませぬ!!」


 何気にモヤモヤしたままベルトランが観覧席から立ち上がろうとしていると、突然広場に声が響いた。

 ややもすれば美しいとも表現できるような、高く透き通ったその声は――リタだった。


 彼女はフレデリクが残していった血だまりの中で、大声で叫んでいたのだ。

 そして真っ赤に染まったドレスで仁王立ちになると、鋭くジルを睨みつける。


「立会人様!! 今一度『好誼こうぎ法』の条文をご再読くださいませ!! 第十二条第三項の五のただし書き――わたくしはその規定の援用を要求いたします!!」


「なに……!?」


 その叫びとともに互いの顔を見渡すと、立会人たちは後ろへ下がっていく。

 恐らく彼らは、その条文を確認しに行ったのだろう。

 怪訝な顔で見返すジルとセコンド連中の視線を受けながら、リタは「ビシィッ!!」と指を突き付ける。

 するとそれにベネデットが反論した。


「何を今さら!! 言い掛かりなど見苦しいぞ!! おとなしく立会人の裁定に従え!!」


 これから息子の嫁として迎えなければいけない少女に向かって、まるで嘲るような声を吐くベネデット。

 そんな父親と憤怒に染まるリタの顔を交互に見つめるが、結局ジルはその口を開くことはなかった。



「やかましいですわね、このバカちんが!! おとなしく待ちやがれ、ですわ!!」 


「バ、バカちん!?」


 憤怒で真っ赤に顔を染めながら、怒りの形相でアンペール家の面々を怒鳴りつけるリタ。

 そんな少女を見つめながら、国王ベルトランも叫ぶ。


「法務大臣!! リタ嬢の言う条文を確認せよ!! 急げ!!」


「はっ!! 少々お待ちを!!」


 国王の号令一下、法務大臣とその部下が駈け出すと、二分後に事務官を連れて戻ってくる。

 突然国王の御前に連れてこられた若い役人は、しどろもどろになりながらもリタの言う条文を読み上げた。



「お、恐れながら読み上げさせていただきますっ。 ――えぇと、第十二条第三項の五……前条第二項の三に挙げた条件でのみ、その勝敗を決する。 ――ただし、当事者となる女性がその裁定に異議がある場合、一度のみ再戦が認められる」

 

「なに……? 再戦――やり直しを認める……だと?」


「は、はいっ。確かにそう書かれております。 ――えぇと、さらに続きがあります」


「早く読め!!」


「は、はひっ!! えぇと――その場合は、当事者となる女性自らが争闘しなければならない。使用する武器は、その女性に選択権があるものとする。 ……い、以上ですっ」


「……」


 事務官の読み上げた条文を、ベルトランは何度も頭の中で繰り返す。

 しかし何度繰り返してみても、その意味は一つだった。

 すると彼は、掠れた声を絞り出す。


「それは……つまり……」





「この裁定に異議あり!! わたくしこと、ハサール王国レンテリア伯爵家リタ・レンテリアは、ハサール王国好誼こうぎ法第十二条第三項の五の規定により、この決闘の再戦を要求いたします!!」


 未だ戻らぬ立会者たちを待つことなく、おもむろにリタは叫んだ。

 少女から大人へとうつろう時期特有の甲高い声を張り上げると、彼女はその灰色の瞳でキッとジルを睨みつける。



「ジル・アンペール様!! 次はわたくし、リタ・レンテリアがお相手いたしますわ!! 覚悟はよろしくて!?」

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