第114話 思わぬ戦の影響
周辺諸国にその名を轟かす、ブルゴー王国の
カルデイア軍が国境を越えてから早半月、両軍は国境からハサール王国内に約三十キロ進んだところで互いに布陣したまま膠着状態になっていたのだ。
もちろん迎え撃つムルシア侯爵軍には、敵を全滅させるか後退させて追い返す以外に選択肢はない。
しかし時間とともに本国から続々と兵員が増強されるカルデイア軍の扱いに、彼らは少々戸惑っていたのだ。
隣り合うこの二国の歴史は小競り合いの歴史と言っても過言ではなく、それももう凡そ三百年以上にも渡る長いものだ。
これだけ長く争っていれば、
過去を振り返ってみても、「戦役」と名の付くほどの大きな衝突の原因は常にカルデイア大公国側にあった。
もちろんハサール側から行動を起こしたこともあったが、それは先に手を出されたことに対する報復を目的とするものばかりだ。
あくまでも自分たちは報復しているだけで、カルデイアに対する侵略行為が目的ではない。
それはハサール王国が近隣諸国に対して一貫して示している態度でもある。
そのせいもあり、侵略行為をやめないカルデイア大公国とそれに抗い続けるハサール王国という図式が、近隣諸国には出来上がっていたのだった。
常に相手が後手に回るのをいいことに、カルデイア大公国は常にハサール王国を挑発し続ける。
そんな調子で既に三百年。
すっかりこの両国は犬猿の仲になっていたのだった。
「それで、現状はどのようになっているのだ?」
「はっ。現在西国境から三十キロの地点にて両軍が睨み合いを続けています」
ここはハサール王国の首都アルガニルにある王城の一室。
今まさにこの部屋では、国王ベルトランを中心に主だった重鎮たちが顔を付け合わせているところだ。
そんな中、先ほどから連絡役の報告を聞くベルトランは、イラつく顔を隠そうともしていなかった。
「それはもう何度も聞いておる!! ――オスカルは一体何をやっておるのだ? カルデイアを追い返す、ヤツの仕事はその一点のみのはずだが?」
「お言葉ですが、陛下、それが人質を捕られておりまして…… 西の三番の砦なのですが、そこに逃げ込んだ約五十名のハサール兵が敵に囲まれたまま孤立してしまっているのです。もしも軍を前進させるのなら、砦に火を放って全員を焼き殺すと脅しをかけてきました」
「……それで、相手の要求は?」
「敵はオスカル軍を後退させろと言っています。そしてカラモルテまでの街道を空けろとも」
『カラモルテ』とは、ムルシア侯爵領の領都だ。
そこはムルシア一族が古くから住んできた都で、ムルシア侯爵家の屋敷があるところでもある。
オスカルが軍を展開している場所からは東へ約五十キロ離れているが、その間の街道を空けろとカルデイア軍が要求してきたのだ。
もちろんその目的はただ一つ、カラモルテの陥落だ。
連絡役がもたらす情報に、ベルトランの眉が跳ね上がる。
四十も半ばに差しかかる彼の眉間には隠しようのないシワが幾つも刻まれていたが、その一つがさらに強く影を作っていた。
未だかつてカルデイア側がここまで強く出てきたことはない。
これまでも幾度となく国境を脅かしていたが、ここまで深く領土に入り込まれたことなどなかったし、本気で領都を落とそうなどという気概を感じたこともなかった。
それが今の報告からは、
「なんだと!? 奴らは正気なのか? そんなことを許すわけがなかろう――なにを世迷い事を!!」
「それでは……その砦は見捨てますか? 五十名からの味方兵士がおりますが」
「いや、待て。早急に結論は出せん。未だ戦いは始まったばかりだ。この段階で見方を見殺しにでもしてみろ、今後の士気に影響してしまう」
「はい。まさしくムルシア公もそれと同じ意見でありました。 ――それで公からの要請なのですが、魔術師を数名派遣してほしいとのことです。それも攻撃魔法を専門にするか、広域殲滅に秀でた者を、と」
その言葉に、再びベルトランの眉が上がる。
そして怪訝な顔のまま話を続けた。
「何故にムルシア公が魔術師を? 確かヤツは魔術師を毛嫌いしていたと思うが? 戦争とは腕力でするものだ、などと如何にもヤツらしい言葉を吐いていたはずだ」
その言葉の通り、現ムルシア侯爵家当主オスカル・ムルシアは魔術師が好きではなかった。
隠れた策略家でもあった父親に似ず、極端な「脳筋」に育った彼は、まさに「腕力至上主義」ともとれる思想の持ち主として有名だ。
もちろんそれだけで軍を動かすことなどできるわけもなく、参謀や部下の進言も広く聞き入れる度量も併せ持つが、それでも基本的には力任せに近かった。
これまでも父親のバルタサール将軍の元で経験を積んできた彼だ。
しかし父親にして息子を「指揮力、統率力ともに申し分ないが、些か力任せすぎる」と評価するほどで、やはり基本が脳筋なのは如何ともし難かったのだ。
そんな彼の下には、亡きバルタサールの右腕だった歴戦の参謀がついている。
その他にも古参の部下たちも多く揃っており、新米将軍オスカルの経験不足を大いに補ってくれていた。
だから今回の魔術師の派遣要請は恐らくオスカル本人ではなく、参謀あたりから出されたものなのだろうと思われたのだった。
そんな裏事情が想像できたのだろう。
不意にベルトランは皮肉そうな笑みを浮かべると、宰相エッカールに声をかけた。
「オスカル将軍の要請に応じよ。魔術師協会に命じ、腕利きの者を選抜させるのだ。この事態だ、人数は何人でもかまわぬ。必要な人数を連れて行け――できれば明日中に出立できるよう計うのだ」
「かしこまりました」
その言葉に、エッカールが深く頷く。
彼とても緒戦の段階で兵の士気を下げるのは本意ではなかった。
そのためには、砦に取り残された味方兵をなんとかして救出しなければならないのだ。
しかしそれは正攻法では無理なので、何らかの計略を用いなければならないだろう。
正面からが無理であれば、背後、側面から近づける者――スカウト(密偵)やサッパー(工作員)を活用するしかないし、そのサポートには強力な魔術師が必要だ。
ハサール王国は、永らく国を挙げて「魔力持ち」の育成に力を注いできたので、他国に比べて有能な魔術師を多く抱えている。
それは国王ベルトランも自負するところだし、他国に自慢できるところでもあった。
もちろん何処かの国のように、百年以上に渡って宮廷魔術師を務めるような化け物級の魔術師はいなかったが、それでも全体的なレベルは決して低くはなかった。
それは未だに魔術師の地位が低いままのカルデイア大公国に対する大きな優位とも言える部分だ。
その証拠に、彼らが従軍魔術師を抱えているという話は今まで聞いたことはなかった。
いまこそ彼らを活用する時だろう。
そのために何十年にも渡って魔術師の育成に力を入れてきたのだから。
そしてその活躍次第によっては、今後の軍での魔術師の運用方法を見直す契機になるかもしれない。
「それでは、その人選は魔術師協会に一任いたします。明日の朝までに準備させ、昼には出立できるよう計らいます」
「うむ。この非常のおりだ、強制召集でもかまわぬ。魔術師協会に人選を命じよ」
「承知いたしました」
――――
朝のレンテリア家の屋敷では、いつものように家族全員で朝食を摂っていた。
目玉焼きとカリカリに焼かれたベーコンをリタが美味しそうに頬張っていると、その横ではセレスティノとフェルディナンドが何やら難しそうな顔をしていた。
「ムルシア領では両軍が膠着状態になっているそうだな」
「はい、そのようですね。なんでも人質を捕られたとか」
「ふむ。なんともカルデイアらしい卑怯なやり口だ。それにしても国境から随分と入り込んできているが、今回の落としどころは何処にするつもりなのだろうか。ここまで侵攻した以上、奴らも戻るに戻れないだろう」
優しく人の良いセレスティノにしては、珍しく眉間にシワを寄せている。
普通のハサール人がそうであるように、どうやら彼もカルデイア大公国が好きではないらしい。
その名前が出る度に渋い表情を隠すことはなかった。
そんな反応を見慣れているフェルディナンドは、お構いなしに話を続ける。
「落としどころをどうするか、ではなく、どうやら今回は本気らしいですよ。身の程も弁えずに、彼らはカラモルテまでの街道を空けろと伝えてきたそうじゃないですか」
「全く、なんてことだ。領都にはリタの婚約者もいるというのに――」
「父上。それ以上は……」
「あぁ……と、すまない。私としたことが。それにしても、これからどうなるのか……」
「はい。本当に心配ですね……」
男二人が戦の話をしている横では、女二人――イサベルとエメラルダが新しくできた菓子店の話に花を咲かせていた。
真面目で厳格、そして威圧感のあるイサベルがそんな話をするなど少し前までは考えられなかったが、今では嫁のエメラルダとそんな他愛のない話で盛り上がることも多かった。
これまでイサベルはこの屋敷の管理を一人でこなしてきたが、エメラルダがやって来てからは彼女に全て任せるようになった。
それからというもの、イサベルの態度は目に見えて柔らかくなったらしい。
それは専ら屋敷の使用人たちの感想ではあったが、家族であるフェルディナンドたちから見てもその言葉は正しく思えた。
もちろんそれはイサベルの肩から荷が一つ降りたからなのだろうが、実はもうひとつ大きな理由があったのだ。
それはリタの存在だった。
彼女がこの屋敷にやってきてからというもの、目に見えてイサベルの態度、雰囲気、表情は柔らかくなった。
それまでは屋敷の中でも気を抜かず、凛とした厳しい空気を醸していたが、今ではそんな姿は滅多に見せることはなくなっていた。
領地経営は長男夫婦に任せ、屋敷の管理は次男夫婦に任せたおかげで、自分自身は領主代行の仕事に専念できるようになった。
それが彼女の気持ちに余裕をもたらしたところに、可愛い孫娘との同居生活が始まったのだ。
今やイサベルにとって、リタの世話焼きは生きがいと言っても過言ではなかった。
様々な服飾店でリタのドレスを新調し、孫を飾り付け、屋敷で顔を合わせる度に抱きしめてキスをして、その様子に
それは最早彼女の日常になっていた。
リタも祖母にはとても良く懐いていて、彼女のほうからイサベルに寄っていくことも多かった。
そんな二人の仲睦まじい様子を見る度に、屋敷の使用人たちも微笑んで、なんとも幸せな気分になるのだった。
その日の午前中も、いつものようにロレンツォによる魔法の座学があるはずだったが、何故か予定の時間を過ぎても彼はやって来なかった。
真面目で時間に厳しいロレンツォはこれまで遅刻をしたことはなかったし、寮で集団生活をしているので朝寝坊の可能性も低い。
魔術師協会の寮からレンテリア家の屋敷までは歩くと十五分かかるので、その間に何かあったのだろうか。
馬車に轢かれたとか、暴漢に襲われたとか……
そんな話をしながら座学用の部屋でリタとジョゼットが心配していると、予定から三十分遅れてロレンツォが到着したのだった。
ここまで走って来たのだろう。
ゼェゼェと息を切らしながら部屋に入って来ると、挨拶も早々に彼は口を開いた。
「お、遅れて申し訳ありません。実は今朝早くに魔術師協会から連絡がありまして……はぁはぁ……打ち合わせをしているうちに時間を過ぎてしまいました……はぁはぁ……」
堪えきれずにロレンツォは息継ぎをする。
普段の運動不足のせいなのか、たった寮からリタの屋敷まで走っただけなのに、彼は盛大に息を切らしていたうえに顔色も青ざめているように見えた。
そんな若きエリート魔術師に、リタ専属メイドのジョゼットが声をかける。
彼女はロレンツォの様子に心配そうな顔をしつつも、同時に嬉しそうな顔もしていた。
「おはようございます、フィオレッティ先生。どうかされたのですか?」
「ロレンツォ。何かあったんか? しょんなに青い顔をしくさってからに……」
その顔色は息を切らしているのが原因ではないと瞬時に見破ったリタは、胡乱な顔をする。
それから弟子が息を整えるのを気長に待った。
「は、はい。――リタ様、今回の我が国とカルデイア大公国との軍事衝突の件はご存じですね?」
「うむ。ムルシア領で両軍が顔を
「そ、それが……僕もそれに参加することになりまして。今朝早くに命令書が出されたのです」
「むっ……」
「えぇ!! フィオレっティ先生が戦に行かれるのですか!? ど、どうして!?」
ロレンツォの一言に、ジョゼットが目を丸くする。
驚きのあまり口が開いてしまい、慌てて彼女は手で隠した。
「つまり、僕に召集がかかったということです。従軍魔術師として戦に参加しなければいけなくなりました」
ハサール王国魔術師協会所属の若き二級魔術師は、青い顔のまま声を絞り出した。
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