第87話 仁義なき幼女の戦い
「なぁ、お前、なんか赤ちゃんみたいな喋り方だな。もっとちゃんと話せよ、イライラするんだよ。何処か頭でもおかしいのか?」
初対面の七歳児に突然そう言われたリタは、驚きのあまり従兄のライネリオの顔を凝視する。
そしてどんな顔で何と返答すればいいのかを考えていると、再び彼は口を開いた。
「なんだよ、お前。俺の顔に何かついているのか? そうじゃないなら、いちいち俺の顔を見るなよ、気持ち悪いな」
まるで煽るようなその
しかしどうやらそれだけではないらしい。
その証拠に、ライネリオの顔にはリタを小馬鹿にするような薄笑いが満ちていたからだ。
そもそも単純に年齢、身体の大きさ、知識量などを考えても自分の方が圧倒的に有利なのは間違いないのに、ここで明確にリタにマウントを取ろうとする理由がわからない。
これはあれか? あれなのか?
この年代の子供に特有の、単なる示威行為なのか?
それとも、単純に彼が人よりも上にいないと気が済まない性格なのか?
考えにくいが、まさか他に目的があるのか?
いずれにしても――おのれぇ、許すまじ!!
などと思ってしまうリタだったが、無意識に「ぐぬぬっ」と奥歯を噛み締めながら、それでも必死に己を押さえつける。
あくまでも彼は客人なのだ……いや違う、従兄だった。
――つまりは家族の一員なのだ。
こんなつまらないことで一々腹を立ててもしょうがないだろう……
「えへへ……ごめんなしゃい。
怒りのあまり
瞬く間に宙に勢いよく飛び上がった
「リタ、リタ!! なんなの!? なんなの、こいつ!? 生意気、生意気!! あぁ、あたし、あったまきちゃう!!」
それはピピ美だった。
それまでずっとリタの胸元に隠れていた小さなピクシーが、あまりのライネリオの態度にたまりかねて飛び出してきたようだ。
顔を真っ赤にしてブンブンと辺りを飛び回りながら、小鳥の
その姿を見た瞬間、ライネリオはポカンと口を開けたまま動きを止めた。
そしてその目に焼き付けるようにピピ美の姿を凝視する。
「ななな、なんだ、こいつは!? と、鳥か!? 虫か!? 虫なのか!?」
「む、虫ですってぇ!? 虫とはなによ、虫とは!! 失礼しちゃうわね!! ぷんぷん!!」
思わずライネリオが素っ頓狂な声を上げると、それにピピ美が反論する。
ピクシーは妖精族の中でも愛らしい容姿で有名だ。
そんな彼女をして「虫」と言われれば、さすがに一言言いたくもなるだろう。
「ライネリオ、この子は虫ではなく妖精なのでしゅ。ピクシー族でしゅよ。
「子分なんかじゃなぁーい!! だから何度も違うって言ってるでしょ!! ぷんぷん!! もう、いい加減にしてよね!! あんたもあんたよ!! あたしは虫じゃないし!! 訂正しなさいよ、訂正!!」
人間の言葉を喋りながら目の前を飛び回る謎の生き物。
それをリタはピクシーだと言う。
そして彼女の子分だとも。
ピクシーと言えば、あれか?
森の奥に住んでいるという、滅多に見られないので有名な妖精族の一種のあれか?
そのくらいのことなら自分だって知っているぞ。
くそぅ……一体どうやって手に入れた……
あんなペットを飼っているなんて、リタのくせに生意気な……
ブンブンと羽音を立てて飛び回りながら、顔を真っ赤にして怒鳴り散らすピピ美。
その姿をお付きのメイドと護衛の騎士が驚きの顔で眺めていると、その横ではライネリオが悔しそうな顔をしていた。
唇を噛み締めて眉間にしわを寄せたその顔は、典型的な我が儘な子供のそれだった。
「な、なんだよ!! こんなの全然羨ましくなんてないからなっ!! お、お前の子分なんて小さすぎて何もできないだろ!? 俺の子分は俺を乗せて全速力で走れるんだからな!!」
「子分……? なんでしゅか?」
「う、馬だよ、馬!! 俺は五歳の誕生日に馬をプレゼントされたんだ。どうだ、羨ましいだろ!? 栗毛のリューク種の名馬で、とっても良く懐いているし、俺を乗せて全速力で走れるんだぞ!! こんな小さな虫なんて、なんの役にも立たないだろ!? ふふんっ!!」
「虫じゃなぁーいい!!」
「うぬぅ……」
自信満々に己の馬の自慢を始めたライネリオを前に、リタの眉間のシワが更に深くなる。
確かに相手は弱冠七歳の子供でしかない。
それに213歳の自分が本気でマウントを取るなど、これほど大人げないこともないだろう。
しかし絶対に許せぬ。
世界最強の魔術師と言われ、「ブルゴーの英知」とも謳われ、そして恐れられた自分が、こんなおねしょパンツもとれないようなガキにマウントを取られるなど、絶対に許せぬ!!
「う、馬なら、
興奮のあまり、次第に言葉遣いも怪しくなってくるリタ。
そんなことにも気付かないほど彼女は頭に来ていた。
ここで後れを取ることは両親――フェルディナンドとエメラルダの名折れになってしまう。
事は自分だけの問題ではないのだ!!
何故かそう思った彼女は、付いて来いとばかりにこの場の全員を裏庭に魔法練習場に連れて行ったのだった。
「どうじゃ!! こりがわちの馬じゃ!! よう見いや、おのれらがぁ!!」
移動先の魔法練習場に着くなりリタが連れて来たのは……ユニ夫だった。
彼女は練習場の建物の陰に隠れると、こっそりと
そして彼に跨ったまま全員の前に姿を現したのだった。
「ぶーっ!! ユ、ユニコーン!?」
突然現れたユニ夫の姿に、ライネリオよりも先に護衛の騎士が驚きの声を上げていた。
そのあまりの衝撃に、彼は思わずおかしな音を出してしまうほどだった。
ピピ美の時もそうだったが、どうやら彼はこの手の知識に造詣が深いらしい。
だから彼は目の前のユニ夫を指してしれっと馬だと紹介したリタに、とんでもないものを見るような目を向けていた。
「ブヒン、ブフン、ブフゥー!!」
そんなリタの紹介に、さすがのユニ夫も「馬じゃねぇし!!」などと突っ込みを入れていた。
しかしそんな彼の気持ちを知ってか知らずか、そんな事にはお構いなしにリタはライネリオの反応だけを注視していたのだ。
そんな彼は、明らかに馬じゃないのに馬だと紹介されたユニ夫にひたすら目を奪われていた。
染み一つ無い真っ白な体躯。
さわさわと風になびく真っ白な長い
まるでライオンのような尻尾に二つに割れた蹄。
そして額から延びる螺旋状に筋の入った一本の長いまっすぐな角。
そう、その馬のように見える生き物は、紛れもなく
その事実に気付いたライネリオは、その神々しいまでの美しい姿に思わず見惚れてしまいそうになる。
しかしそれは己の負けを認めるに等しいことに気付いた彼は、それでも言いがかりを付けようとした。
「そ、そんな馬に角なんか付けたって駄目だからな!! 絶対にそれは偽物だ。本物のユニコーンのわけがない!! おいお前、試しにあの角を引っ張ってみろ!! すぐに取れるはずだ!!」
「えぇ!? わ、私がですか!?」
ライネリオは連れて来ていたお付きのメイドを指差すと、そう命令を下す。
その指示に驚きと恐怖の入り混じったような表情をすると、彼女は若主人の顔を見返した。
その顔には慈悲を求める哀れな表情が広がり、それは彼女が本気で嫌がっているのがわかるものだった。
しかしライネリオは容赦がなかった。
それでも彼はメイドに無理強いをしようとすると、そんな姿を哀れに思ったのか、リタは些か優しく言葉をかけた。
「
「ブヒン、ブフフゥ、ブヒィー」
その言葉にユニ夫も勢いよく頷くと、メイドが触りやすいようにと、おとなしくその真っ白な頭を下げる。
そしてそのまま待ってくれた。
「そ、それでは、失礼します……」
そんなユニ夫の姿に少し安心したのか、おずおずとメイドの女性が手を伸ばす。
そしてその手がユニ夫の角に触ろうとした瞬間――
「ブフン!! ブヒン!! ブモゥォ!!」
物凄い勢いでユニ夫が後退る。
その姿は、全力でメイドが触るのを拒否しているようにしか見えなかった。
あれだけ直前まで大人しく触らせようとしていたというのに、一体何があったのだろうか。
そんな事をこの場の全員が思っていると、何となく言いづらそうにリタが口を開く。
その口調はまた元の淑女に戻っていた。
「申し訳ごじゃりましぇぬ。ユニコーンは
そんなリタの言葉が理解できないかのように、その場の全員の視線がメイドの少女に集まる。
しかし次の瞬間、思わず固まる少女の姿に何かを察した彼らは、さり気なく視線を外した。
そしてそれ以上言及しようとする者はいなかった。
ただ一人を除いては。
その一人とは、先ほどからライネリオの後を着いて来ているお付きの若い騎士だった。
彼はメイドの少女がユニコーンに触れられない理由を理解すると、空を見上げたまま必死に涙を堪えていたのだった。
「そ、そんな偽物になんて騙されないからな!! くそっ…… そ、そうだ、これならどうだ!? おいっ、カトリーヌを出せっ!!」
ユニ夫が本物のユニコーンかどうかをなんとなく
そう、これはもう二人にとっては「勝負」、いや「戦い」になっていた。
ここまで来たからには、どんな事でもいいから相手よりも優位なものを示さなければ終われない。
事はすでにそこまでエスカレートしていた。
そしてそこには、決して負けられない戦いがあったのだ。
次にライネリオが出して来たもの、それは「猫」だった。
彼はカゴに入れた飼い猫を今回の旅に連れてきており、今もそれをお付きのメイドに持たせていたのだ。
「見ろ、この猫を!! こいつは世界でも珍しい『メインクーン種』の猫なんだぞ!! どうだ、可愛いだろ!!」
「おぉ…… ぬこ、か……ぬこ……やっぱし、ぬこじゃのぉ……」
今までは事情があって飼えなかったが、実はリタは猫が大好きだった。
悔しすぎて絶対に彼女は認めようとはしなかったが、目の前に大きな猫を見せられて思わず感嘆の声を上げそうになる。
そしてそのあまりの猫の可愛らしさに、思わず口調が素に戻りそうになっていた。
そんな彼女の様子に気付いたライネリオは、すでに勝ち誇ったような顔をしていた。
両腕で抱えてもまだあまるほどの大きさの猫を、まるで見せびらかすようにして見せつける。
「見ろ、この大きさ!! まるで獅子かと思うようなこの大きさを!! どうだ、デカいだろ!? 可愛いだろ!? 珍しいだろ!? ふふふんっ!!」
得意満面の笑顔で、してやったりとばかりに勝ち誇るライネリオを前にして、リタは悔しそうに唇を噛み締めた。
あまりの口惜しさに、その愛らしいぽってりとした唇に血が滲んでいる。
「うぬぅ…… おのれぇ、わ、
もうすでに、リタの口調は滅茶苦茶だった。
しかしそんな細かいことを気にする者は誰もおらず、この場の誰もがリタの次の一手に注目していたのだ。
何故ならそれは、先ほどから彼女は皆の期待を裏切らない頑張りを見せていたからだ。
次に彼女は何を見せてくれるのか。
全員それしか考えていなかった。
ただ一人を除いては。
その一人とはもちろんライネリオだ。
実は彼は途中から何か嫌な予感がしてきていたのだが、ここまで来た以上今さら引っ込みがつかなくなっていた。
そしてなにより、明らかにか弱い四歳女児に負けを認めることなど、彼のプライドが絶対に許さなかったのだ。
しかし彼のその下手なプライドが、事態を更にエスカレートさせていく。
魔法実験場の陰から再びリタが姿を現す。
どうやら彼女は、約束通り「猫」を連れてきたようだ。
彼女の後をついて出てくる「猫」を見たロレンツォは、思わず叫びそうになっていた。
「な、ななな、何をやっているのですかリタ様!! さ、さすがにそれは、あまりにも大人げない……というか、正気ですか!? なんてものを――!!」
「じゃかましいわ!! 見りゅがええ!! こりが、わちの
そう叫ぶリタの後から出てきたのは体長三メートルはあるであろう巨大な「猫」だった。
いや、正確に言うとそれは「猫に似た何か」だった。
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