第43話 妻と子と命の恩人

 その後クルスとパウラの二人は、今回の襲撃事件の報告の為にギルド長のもとへ訪れていた。

 自身の判断ミスと決断の遅れの為に、書記官一名の死亡とギルド員二名の襲撃を許す結果となった彼は、二人に会った途端に頭を下げて謝罪した。


「今回はすまなかった。これは全て私のミスだ。フィオレには本当に申し訳ないことをしたと思っているし、お前たちにも謝って済むことではないことも十分に承知している。それを踏まえたうえで、今後の話をしたい」 


 ギルド長――ランベルトは目に見えるほどに憔悴し切っていた。

 クルスたちがここに来る前に、彼は亡くなったフィオレの夫や子供たちに謝罪に行っていたので、そこで彼らに相当責められたのは想像に難く無い。


 その証拠に、ランベルトの目の下にははっきりとわかるほどに濃い隈が出来ているし、いつもは声高に大声を上げる姿も今日は全く見られなかった。



 ブルゴー王国のギルド支部を通して勇者ケビンの警告が届いてからも、ギルドとしてはっきりとした動きは見せなかった。

 もちろんそれはギルド長であるランベルトの指示によるものだったが、結局のところ彼はアニエスの捜索やその居場所の秘匿がそれほど重要な案件だとは思っていなかったようだ。


 だから、アニエスの居場所を知る人間の中では唯一の非戦闘要員であるフィオレにしても一人しか護衛を付けなかったし、クルスとパウラに至ってはそれすらしなかった。

 それはやはりランベルトの怠慢だと責められても仕方のないものだったし、実際にフィオレが殺された結果、彼に対する風当たりは今後強くなることが予想された。



「それで、お前たちはこれからどうするんだ?」 


 全く覇気のない顔でランベルトが訊ねて来る。

 彼としてもクルスたちの今後の処遇を考えなければいけないのだろう。

 場合によっては暫く護衛を付けたり、遠くへ引っ越すというのであればその手伝いも吝かではなかった。


「あぁ。その件だが、パウラと話し合った結果、このまま今の家に住み続ける事にした」


「しかし……危険だろう。もうお前たちの顔も名前も住処も全部相手に知られているぞ」


「いや、たぶんもう奴らが来ることはないだろう。死んだフィオレには悪いが、アニエスの居場所は彼女の口からもう漏れているはずだ。だからいまさら俺たちのところにやって来る理由がない。――もっとも殺されたヤツの敵討ちだと言うのなら、話は別だろうがな」


「そうだな……魔女の居場所はフィオレが吐いたと考えるのが妥当だな。そうであれば、これ以上お前たちに構う理由はない、か。いや、そのとおりだ」


「あぁ。だから俺たちはこのまま今の家に住み続けるよ。あと半年もすれば赤ん坊も生まれるし、それまでに少しでも落ち着いた生活を取り戻したい」


「その代わりお願いがあるんだけど、もちろん聞いてくれるわよね? これからひと月でいいから、護衛を付けてほしいのよ。もちろん費用はそちら持ちでね」


 突然横からパウラが口を挟んで来る。

 すでにギルドを引退した彼女には二人の話に口を挟む権利はないのだが、そこはそれ、今回のギルドの手落ちの責任を取らせるつもりだった。

 彼女が言うには、向こう一ヵ月ギルドから護衛を派遣しろということだ。


 さすがに一ヵ月は無理だろうと踏んだパウラだったが、今回の彼の弱みに付け込む形で無理を押し通そうとする。

 するとそれほど間を置かずに、ランベルトはその太い首を縦に振ったのだった。




「仕方あるまい…… いいだろう、お前たちには一ヵ月間護衛を派遣しよう。昼夜二交代で二名体制でいいか?」


「あら、ありがとう。うん、十分、十分。なんだか催促したみたいで悪いわね」


「……あれが催促じゃなければ、なんだってんだよ…… 護衛の件は了解した。――その代わり俺からも頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」


「……なんだよ。なんか嫌な予感がするな」


 ギルド長の「お願い」と言う言葉にクルスが敏感に反応する。

 無精ひげの目立つ厳つい顔の片眉だけを器用に上げると、胡乱な顔で見返していた。


「いや、アニエスの件なんだが…… 殺し屋に居場所が知られた以上、それを本人に知らせてやるべきだと思うのだが。それをお前に頼みたい」


「……なんで俺が行かなきゃならねぇんだよ? 他にも手が空いている奴はいるだろう?」


「悪いがそうはいかない。アニエスの居場所を他の者には教えられない。だから居場所を知っていて彼女に会いに行けるのは、お前たちしかいないのだ」


「断る。行きたければあんたが行けばいいだろう? あんただって居場所を知ってるんだからな」


「クルス……」


 クルスの言葉に、パウラが複雑な顔をした。

 命の恩人であるアニエスに対し、彼は警告を伝えには行かないと言っているのだ。

 彼女は彼女なりに、クルスの返事に何か言いたいことがあるのだろう。



「……私が行けるわけないだろう? あそこまで一体何日かかると思ってるんだ。その間ギルドの仕事はどうするんだ?」


 器用に片方の口角だけを上げた皮肉そうな笑みを浮かべると、クルスは鼻息を吐いた。 


「俺が代わってやるよ。あんたは往復二十日間、頑張って来い。普段の運動不足の解消にもなるだろ」


「……皮肉はやめろ。それでどうするんだ? 行くのか、行かないのか?」


「行かねぇよ。そもそもあのばばあが暗殺者ごときに殺られるとは思えん。なにせ、百人からの相手を一瞬で皆殺しにしたこともあるって聞いたぞ」


「あぁ……『脛狩り街道』の話か。まぁ、あの話はかなり盛ってるという噂だがな。実際に見た人間はもういないのだから、好きに言えるだろう……って、そんな話はどうでもいい。――本当に行かないつもりか?」


「だから行かねぇって。身重の女房を置いて家を空けられねぇよ。俺がいない間に何かあったら、それこそ一生後悔しかねん。それにあのばばあなら、自分でなんとかできるだろ」


 そんな言葉を吐きながらクルスが最愛の妻を見つめると、パウラは小さな溜息を吐いた。

 一度彼がそんな顔をすると、最早もはや誰にもそれを変えられないのを彼女はよく知っているからだ。



 あんな小さな人形一つで、手練れの暗殺者四人を瞬殺したのだ。

 クルスが言う通り、例えアニエスが敵に襲われたとしても簡単に返り討ちにするのは目に見えている。

 しかし実際に助けに行くことができないにしても、危険が迫っていることぐらいは教えてあげたい。そうクルスが思っているのも事実だった。


 しかしそれはできない。

 ついさっき、あんなことがあったばかりなのだ。

 それを最愛の、しかも身重の妻を置いて二十日間も家を空けることなどできるはずもない。


 確かにアニエスは、クルスの命を二回も救ってくれた文字通りの「命の恩人」だ。

 しかしいまのクルスにはパウラとそのお腹の子以上に大切な存在はなかった。


 命の恩人にその危機を敢えて知らせないのは道理にもとる行為であるのは十分に承知しているが、自力で危機を回避できるアニエスと、自らが守ってやらなければならない大切な妻と子、この両方を天秤にかけた場合、後者を取るのは今のクルスには当然のことだったのだ。




 ――――




「へっくちんっ!! うぃー。 うむぅ、だれぞ、わちの噂でもしちょるのかのぅ……」


 薄明りの差し込む明け方の木の洞に、可愛らしいくしゃみの音が響く。

 昨夜は遅くまで起きていたリタは、まだ眠い眼を擦りながら包まっていた布から身体を起こした。


「目が覚めた? クシャミをして大丈夫? 昨夜は濡れてしまったから、風邪を引いていなければいいけれど」

 

 じゅるじゅると鼻水を啜る娘の姿に、一足先に起きていた母親のエメが声をかけてくる。

 その横には既に身支度を済ませたフェルも、エメ同様に心配そうな顔で視線を送っていた。

 そんな両親の姿に何となくホッとしたような思いを抱きながら、リタも立ち上がる。

 そしてエメお手製のうさぎのぬいぐるみを手に取ろうとした時、ふと何かに気が付いた。


 そう、リタが手に取ろうとしたぬいぐるみの上には、三匹のピクシーが涎を垂らして寝ほけていたのだ。

 しかも、ぐぅぐぅといびきまでかいて爆睡しており、その平和ボケした幼女のような姿を見た瞬間、リタはイラっとした。


 これから冬が訪れるというこの厳しい季節に家を追い出され、逃げ場所を探して森の中を彷徨う自分たちに比べると、こいつらはなんと平和なのか、と。

 しかもなんの悩みも無さそうなアホ面を晒して、ぐぅぐぅと眠りこけくさりおってからに――



「起きろー、あしゃだー、起床点呼、いち、にぃ、しゃん!! 返事は!?」


「なになに!? えっ、えっ!? なになに!?」


「きゃー!! なにぃ!?」


「ぐぅぐぅ……」


 突然のリタの叫び声を聞いた二匹のピクシーが、目を白黒させながら慌てて身体を起こした。そして起き抜けの頭では状況が飲み込めないらしく、小さな羽をバタバタと動かしながら右往左往し始める。


 甲高い悲鳴を上げながらオロオロとするその姿は何気に可愛らしく見えるのだが、本人たちにとっては生きた心地がしなかっただろう。

 なにせピクシーたちは臆病で有名だからだ。


 しかしそんなことにはお構いなしに、リタは朝っぱらから大声を出す。



「おまぁらいつまで寝とるがよ!! さっさと起きんね!!」


「はぁはぁはぁ…… びっくりしたよ、びっくりした……」


「はぁぁぁぁ…… やめてよ、やめて、驚かさないで。びっくりさせないで」


「ぐぅぐぅ……」


 リタの呼び声に二匹は咄嗟に起き上がったが、残りの一匹がなかなか手強かった。

 これだけリタが大声を出しているというのに、彼女は相変わらず大口を開けて涎を垂らし、挙げ句の果てに盛大にいびきまでかいている。



 それはあの「お喋りピクシー」だった。

 ピクシーにしては珍しく好奇心旺盛で、昨夜も一番最初に話しかけてきたのは彼女だった。

 しかも一番たくさんリンゴを食べたのも彼女だったし、まるで警戒心もなく熟睡し、リタが大声で呼んでも全く起きる気配すらない。


 これまでリタ――アニエスは多くのピクシーを見てきたが、ここまで屈託なく図太い神経の個体は見たことがないほどだ。


 きっと将来は大物になるに違いない。

 もしかしたら彼女は、将来の「女王ピクシー」候補かもしれなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る