第13話 大人の余裕
ケビンが謁見の間から出てくると、それを待っていたかのように一人の女性が駆け寄ってくる。
その姿を見つけた途端、それまで緊張に強張っていた彼の顔に柔和な笑みが広がった。
「ケビン様、父との謁見はいかがでしたか?」
「あぁ、エルミニア様。こんな時間にだめですよ、ご婦人はもうベッドに入る時間だ」
「まぁケビン様……そんな他人行儀な呼び方はおやめくださいと何度言えばわかるのです。
「ははは、婚約したとは言え、まだあなたとは結婚したわけではありませんから。結婚式が済めば好きに呼ばせていただきますよ」
『結婚式』という言葉に反応したエルミニアは、何を思ったのか頬を赤く上気させると甘えたように唇を尖らせる。
決してケビン以外には見せないその顔は、まるで小悪魔のように見えた。
「ふふふ…… 承知いたしました。それではご随意に」
ケビンと婚約者の第二王女エルミニアは、会う度に同じ会話をしている。
それは彼らにとってはただの会話ではなくスキンシップの一部だったからだ。
未だ婚約者同士でしかない彼らがまさか本当に相手の肌に触れるわけにもいかないので、会話を通してじゃれ合っているのだ。
「姫様、ケビン様の仰る通りです。そろそろお休みの時間ですので……」
「えぇ、エレン、わかっているわ。もうちょっとだけ、ね?」
姫の後ろに控える侍女が控えめに口を挟んだ。
その顔には
できることならこの二人をもう少し一緒にいさせてあげたいと彼女も思っているようだった。
それでも彼女は職務上言わなければならないことは言うつもりだ。
「しかしケビン様はこの後も公務がおありなんですよ」
「ありがとう、エレン。私ももう少しだけなら大丈夫だから、いま少しだけ目を瞑っていてくれないか?」
そんな主人思いの侍女の気持ちを察しながら、敢えてケビンもお願いをする。
これで悪いのは勇者と姫で、侍女に責任はないことになった。
「……承知いたしました。でも少しだけですよ?」
「エレン、ありがとう」
ケビンが礼を言うと、侍女は一歩後ろに下がった。
正式に侍女の許可が出たところで、エルミニアの表情が引き締まる。
気がつくとその顔には今までのような甘い表情は微塵も見えなくなっていた。
「それでアニエス様ですが、今後はどうなるのですか?」
「あぁ、国内の捜索は粗方済みましたから、あとは国外になりますね」
「そうですか…… それではこの先はギルド頼みになるのですか? さすがに我が国の捜索の手は他国までは伸ばせないでしょう?」
「そうですね。ブルゴー王国の名前では無理ですね。さすがに魔族や他種族に転生しているとは考えにくいですから、主に人族の国を探していこうかと。それらの国であればギルドの支部はありますから手は回せます」
「そうですか…… 言いにくいことを敢えて訊きますが、アニエス様が既に亡くなっている可能性はないのですか?」
ケビンにとってこれほど言われたくないことはないだろう。
それはケビンの親と言っても差し支えない人物が既に死んでいるのではないかと暗に言っているのだ。
しかし決して彼女はそれを言いたくて言っているのでないことを、その表情が物語っていた。
言い辛いことでも必要であれば口に出す、エルミニアとはそういう女性だった。
そんな彼女だからこそケビンは好きになったのだ。
「それは大丈夫です。私にはわかるのです。説明はしづらいのですが、ばば様が生きていることは間違いありません。証拠を示せと言われると困ってしまいますが、こればかりは私を信じていただくしかないでしょう」
「承知いたしました。……ごめんなさい、きっと気を悪くされたでしょう? あなたにとって母親のような方が亡くなっているかもしれないなんて、そんなことは他人に言われたくないでしょうから」
そう言いながらエルミニアはふっと視線を外す。
控えめながらも美女と謳われた側妃に瓜二つの彼女は、その容姿が女性として完璧に近いのは当たり前のことだった。
ただ母親よりも少々背が低いのだけが彼女の欠点と言われている程度だ。
しかしそれは外見のみを評価したものであって、彼女の性格や本来の性質を知る者は少ない。しかしそれを理解するケビンは、外見のみならずその内面も心の底から愛していた。
「ばば様は必ず探し出します。そしてあなたとの結婚の報告をするのです」
「そうですね。アニエス様は
「はい、姫。ばば様は必ずや見つけ出してみせます。このケビンの名にかけて」
ケビンはそう言い切ると、細身ではあるが鍛え抜かれた自身の胸を拳で叩く。
その様子を頬を染めながら眺めていたエルミニアは、次第にその透き通るような青い瞳を潤ませ始めた。
「ケビン様……」
「姫……」
向かい合ったケビンとエルミニアの身体が次第に近づいていく。
常識的に言って、婚約中とは言え未だ結婚前の男女がその身を近づけるのはご法度だ。
特にその片方が王女ともなれば、それは余計に避けるべきだろう。
「ごほんっ!! ――姫様、お時間です。ケビン様はまだお仕事が残っておられるのですよ。さぁ、お見送りを」
頬を染めて見つめ合う二人を
その声には若干の呆れが混じっているような気がした。
すっかり暗くなった王城の廊下に、第二王女付き侍女の小さな溜息が消えて行った。
――――
オルカホ村の幼児四人行方不明未遂事件は、翌日には村中に知れ渡っていた。
もっとも村人が三百人もいないとても小さな村なので、村中と言っても大したことでもないのだが。
それでも四人の幼児が山奥からオウルベアの卵を持ち帰ったのと、ピクシーの加護を受けて村まで送り届けられた話は村人を大層驚かせたのだ。
リタの家の裏山の奥にオウルベアのつがいが巣を作っていることを村人たちは知っていた。
しかしその魔獣はこちらから縄張りに侵入しない限り襲ってこないことも知っていたので、特に何もせずそのまま放置していたのだ。
近付かない限り襲って来ない魔物をわざわざこちらか出向いて駆除するなど、そんな危険で無駄なことは誰もしようとしなかったし、村人たちはリタの両親も当然それは知っていると思っていたからだ。
しかしフェルもエメも、まさかそんな凶暴な魔物が自宅の裏山に潜んでいるなど知らなかった。
もしも知っていれば、そんな場所の近くで子供たちを遊ばせるなんてするわけがないのだ。
普通の村人であれば当然知っているべきことを知らないのは、村人の中に誰もリタの両親に気を配る者がいない証拠だった。
そして今回の事件を切っ掛けにして、それは彼らも反省するところとなった。
もちろんフェルもエメも四年前にオルカホ村に住み着いた時には懸命に村に溶け込もうと努力したのだが、自分達とは明確に違う雰囲気を醸す二人に対して村人たちはなかなか心を開こうとはしなかった。
特に仲間外れにしているとか無視をしているということもないのだが、彼らはリタの両親に対して何処か余所余所しい態度をとり続けたし、必要最低限の付き合いしかしようとはしなかったのだ。
そして結局はそれを原因とするコミュニケーション不足により、今回の事件が起こったと言えた。
しかし今回の件で他の幼児の両親たちと打ち解けることが出来たフェルとエメは、この日を境に次第に村の中にも溶け込んでいくようになった。
「おはよー、ごじゃましゅ……」
いつもよりだいぶ遅い時間に目の覚めたリタが両親に挨拶に行くと、彼らはニコニコと笑いながら寝ぼけ眼の娘に挨拶を返した。
「おはよう、リタ。もう起きるのかい? 昨日はずっと森の中を彷徨っていたんだ。疲れているだろうからもう少し寝ていてもいいんだよ」
エメ譲りの美しい金色の髪が寝ぐせでクシャクシャになっている。
そんなリタの頭を愛おしそうに撫でながらフェルが話しかけた。
そして額にキスをすると、リタがくすぐったそうに身を捩る。
「ととしゃま、らいじょうぶ。もうちゅかれてないじょ」
「あら、そう? でも昨夜はぐっすり眠っていたわよ。多少の物音では起きなかったし」
エメもフェルの真似をしてリタのクシャクシャの頭を撫で回し、最後にほっぺにキスをする。
やっぱりリタはくすぐったそうに身を捩った。
「まぁ、元気なのは良いことだ。もう起きるのなら顔を洗っておいで。朝ご飯を一緒に食べよう」
どうやら両親はリタが起きるのを朝食を摂らずに待っていたようだ。
ふとリタが視線を向けると、テーブルの上に三人分の食器が用意されているのが見えた。
着替えと洗顔を終えたリタが食卓に着くと、食事前の祈りを両親と一緒に捧げる。
そしていつものように食事を始めた。
今朝の食事もいつもと同じ、堅パンと肉と野菜少なめの野菜スープだ。
毎日同じものを食べているのでとっくの昔に飽きてしまっていたが、リタは文句一つ言わずに黙って食べた。
自分は我慢強いのだ。
何故なら212歳の大人だからだ。
言ってもどうにもならない事に文句を垂れるほど自分は子供ではない。
毎度彼女は自分にそう言い聞かせていた。
リタがぼんやり考えていると、一緒に食事を摂りながらエメが話しかけて来る。
「ねぇ、リタ。昨日持ち帰ったオウルベアの卵なんだけど、あれどうしようか?」
その言葉にリタの眉が跳ね上がる。
そうだ、昨夜は苦労してオウルベアの大きな卵を持ち帰って来たのだ。
あれは両腕を回しても届かないほどの大きさがあり、持ち運ぶのにとても苦労した。
「おぉ――、オウルベアのたまご…… もちろん、はべる」
卵の話に突然色めき立った娘の様子が余程面白かったのか、フェルが食事を噴き出しそうになっていた。
「もちろん美味しく頂くつもりだけれど、元はと言えばみんなで獲ってきたのだから、四人で分けないといけないと思うのよ」
「ふむぅ…… でも……」
母親の言葉にリタは腕を組んで難色を示した。
本当のことを言うと、あの卵はリタが一人で獲って来たのだ。
あの後リタとイフリートがオウルベアの巣を強襲すると、そこにはメスのオウルベアがいた。
そして彼ら――主にイフリートだが――の姿を見て恐怖に慄いたメスが脱兎のごとく逃げ出すと、巣の中には大きな卵が一つ残されていたのだ。
それはオウルベアにとっては我が子そのものなのだが、それはリタの知ったことではない。
何故なら彼女の頭の中にはそれを美味しく食べることしかなかったからだ。
しかも彼女は、一抱えもあるような大きさの卵を独り占めしようとしていた。
どう考えてもリタ一人では食べ切れる大きさではないのに、誰かに分けるなどという崇高な考えは三歳児の頭の中にはなかったのだ。
「でもね、こんなに大きな卵なんだから、どうしたって食べ切れないわよ。それにすぐに傷んでしまうだろうから、やっぱり皆で分けるべきだと思うけれど」
「うむむぅ……」
口を尖らせて膨れっ面をするリタを見ていると、どうしても彼女はその卵を独り占めしたがっているようにしか見えない。
それに気付いたフェルが、横からエメの援護に入る。
「それに、ほら、自分のものを皆に分けてあげるのは、お前がいつも言っている『お姉ちゃんの余裕』というものだと思うよ。リタはもう赤ちゃんじゃないんだから、なんでも独り占めにするのは良くないんじゃないかな?」
「ぐぬぬぅ――」
そうだ、自分は212歳の大人なのだ。
なんでも独り占めしないと気が済まない幼児と一緒にされては困る。
これではまるで、自分の思い通りにならないからと言って地面をのたうち回る聞き分けのない幼児そのものではないか。
「わかった…… カンデとシーロとビビアナとわけりゅ……」
どうやらフェルの一言が効いたらしく、リタは大人しく両親に従った。
それでも彼女は、いつまでも未練たらたらの表情を崩すことはなかった。
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