残り28日


「今日は俺の過去を話すけど……いいか?」


「いいんじゃない。好きにすれば」


 あまり興味なさげに返答する花蓮。むしろ、軽く聞いて欲しかったので、そのほうが助かるまである。


「俺の親の話になるが……。あれはまだ小学生の頃になるか」


 記憶の端まで追いやった思い出をゆっくりと引っ張ってくる。……やはり忘れ去りたい思い出ばっかりだ。正直、記憶を消す薬とかこの世にあるのならば、喜んで飲むくらいに消し去りたい。でも、いつまでも過去から逃げていては何も始まらない。花蓮に話すことで、俺自身も少しは前に進める気がする。


「俺の父親は、俺が小さい頃から母親に暴力をしていた……いわゆるDVってやつだ。その原因は……分からない。俺が物心つくころから殴っていたのか、それとも突然始まったのか。そこは今となっては永遠に謎のまんまだよ。別に、知りたくもないが。でも暴力をする前兆は分かってた。仕事から帰ったあと、決まって父は酒を飲んでいた。毎回毎回、母はお酒を止めるが、それが一度も叶うことはなかった。そして缶が数個ほど空になると、怒鳴り声を上げ始め……荒れ狂い始める」


「……貴方には暴力をふるってたの?」


「まあな、母親が居ない時は俺が対象だったさ。酒を持ってこい、飯をもってこい、片付をしろ、何でも言うくせに、何をしても必ず暴力は行われた。きっと、何か殴る理由が欲しかったんだと思う」


 ピクッっと花蓮の片眉が上がる。しかしそれだけで、他に何か言うわけではなかった。俺のために、怒ってくれているのだろうか。


「それで、小学4年の夏、母親は父親に愛想尽かしてさ。別の男と真夜中に、どこかへ消えていった。『元気にね』って、人ごとのように、他人のように、出ていった」


「貴方を、つれていこうとしなかったのね」


 そう思うのは同然だろう。しかし、今となってはあの時の母の気持ちが理解できる。


「きっと、俺を連れて行くと、父を思い出してしまうからだと思う。もう、全てを忘れたくて、逃げ出したくて、消えたかったんだと。別にそれを恨むつもりはないし、批判する気もない。悪いのは母じゃなく、父なんだから」


 全て悪いのは父なのだ。ここで母を貶めることは、どこか違う気がした。世間からしたら最悪の母かもしれないが、あの時の母の感情を思うと、仕方ないと許せる自分がいた。


「それから俺も父親に耐えきれなくなり、一人で逃げ出した。初期資金は、母親が去り際に気持ち程度にお金をくれたから、それで頑張ってた。でもさすがに子供一人じゃこの社会では生きていられない。何とか耐え忍んでいたけれど、もうすぐ夏休みが終わるって頃に、路地裏で空腹と共に倒れてしまったんだ。そこからはもう途方に暮れて、もう全てがどうでもよくなって、『死んでもいいや』なんて思考放棄してた。そしたら――」


「景兄さんに会ったのね」


 誰もいない校舎を屋上から眺めながら、花蓮は静かに呟いた。


「そうだ。普通に考えたら俺に話しかけるのは警察くらいなものだけど、何故か景兄は俺に話しかけてきた。……そこで何て言われたと思う?」


 数秒間、花蓮は眉を潜めて考えていたが、熟考を諦めて率直な返事を出す。


「俺の家に来ないかとか、1人で何してんだ、とかしか思いつかないわ」


「普通そうさ。ただそんな言葉じゃ、あの頃の俺には何も響かなかった。全てが恨みの対象で、この世界の人だれも信じられなくなっていたから。でも景兄は俺に救いの手を差し伸ばしてくれた」


 昔の事だと朧げな苦しい記憶しかないが、この瞬間だけは今でも鮮明に覚えている。


「『1人で生きる術を教えてやる』って言ったんだよ。まさに、その時の俺が1番に

 求めていたモノで、藁にもすがる思いで景兄に付いていくことになるだが、今になっても後悔したことはない」


 あの人のおかげで今の俺がいると言っても過言ではない。そりゃ大変なことや苦しいことも沢山あったけど、あの人の元を去りたいとは一度も考えたことはない。


「そうなのね。やっと景兄さんと貴方の関係の謎が解けたわ。相当な恩人じゃない」


 ずっと引っかかっていた事が解け、どこかスッキリした様子だ。ここまで変に黙っていたことを申し訳なく思う。


「ありがと、そんな辛いことを話してくれて」


「これは前回の花蓮のお返しだ。お礼を言われるまでもないさ」


 花蓮だけに辛い過去を打ち明けさせて、そこまでして仲を深めたいと言っているのに、それに答えないのは友人としてどうかと思ったのだ。


「まあ、そんな誰にでもあるよな過去が俺にもあったわけよ。別に、自分だけ辛い過去を体験して特別だとか思っていないさ」

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