第35話-① 総督代理・柳井義久

 帝国暦五八八年三月三一日

 一九時〇〇分

 東部軍管区 ラインブリッジ星系

 首都星ロージントン

 アスファレス・セキュリティ ロージントン支社

 支社長室


「なに? イステール自治共和国で叛乱?」


 不穏なニュースが柳井に届いたのは、彼が事務仕事を済ませ、退勤しようとしていたときだった。


「はい、帝国標準時一八時四五分、イステール自治共和国政府から全市民にシェルターへの退避命令およびセンターポリスからの退去命令が出されたとか。汎人類共和国を名乗っているとか」


 ヴェルナー・ホルバイン課長の報告に、柳井は顔をしかめた。


「状況はそれだけしか分からんのか?」

「どうも現地で通信制限を行なっているようで、断片的にしか。ただ現地に所属不明の武装勢力が展開する様子や、治安維持軍が武装解除されている様子があちこちから報告されている模様です」


 ホルバインが支社長室のテレビを点けると、チャンネル8が臨時ニュースとしてイステール叛乱を報じていた。


「すぐにこちらまで影響はないと思いたいが、情報収集だけは続けてくれ」

「はっ。念のためエトロフⅡ以下護衛艦隊の発進準備を進めておきます」

「頼む。まあ出ることになるとは思いたくないが……」

「帝都の公爵殿下が何を言い出すか、ですか?」


 ホルバインの言葉に、柳井は再び顔を顰めた。メアリー・フォン・ギムレット公爵の手勢ともいえるアスファレス・セキュリティロージントン支社は、彼女の持つ人脈でも最もイステール自治共和国に近い場所にいた。



 二〇時二五分

 帝都ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 椿の間


 ライヒェンバッハ宮殿は帝国初代皇帝メリディアンⅠ世が、帝都に定められたウィーンに建造させた地球帝国皇帝の政務と私生活のための宮殿で、この宮殿が完成する前に死去したメリディアンⅠ世の腹心、アドルフ・ライヒェンバッハにその名は由来している。地上五階、地下三階の新帝政様式の宮殿は半径一万光年にも及ぶ領域を支配する地球帝国皇帝の居城としては小さく、ウィーン旧市街地に存在する歴史遺構と大差は無い。


 その一室、帝国の重要閣僚や高位の皇統貴族が会議に使う椿の間においてはイステール自治共和国叛乱についての対策を、病床に伏せっている皇帝に代って帝都を預かるマルティフローラ大公フレデリク、そして近衛軍司令長官のギムレット公爵メアリー列席の下協議されていた。


「現在までの状況をご報告いたします」


 帝国軍情報本部長のムスタディ大将の報告が始まり、一同は溜息を吐いた。情報本部ではアスファレス・セキュリティの柳井達よりよほど詳細な情報を掴んでいた。


 イステール自治共和国の星系自治省治安維持軍が武装解除、現地防衛軍が東部軍管区の指揮下を外れることを宣言。


 当地を中心とした宙域の開発を指揮していたミハイル・ラヴィノヴィチ・ルガツィン皇統伯爵による汎人類共和国建国の宣言と帝国からの離脱、対等な立場での各条約調印を要求しており、条件が受け入れられない場合は任務のため訪れていた特別徴税局局員を殺害する、と脅迫もしている。


 現地に展開している敵戦力はイステール防衛艦隊とルガツィン伯爵の私兵と思われるものを含めて戦艦二隻、巡洋艦四隻、駆逐艦二〇、陸戦要員三〇〇〇名、航空機五〇機と推定された。


 ここまでが情報本部が掴んでいる情報だった。


「これは帝権に対する叛乱に他なりません。即刻、鎮圧が必要になるかと」


 帝国軍統合参謀本部総長の富士宮上級大将は、ごく一般的な意見を切り出した。


「しかし、国税省特別徴税局の局員が人質に取られております。要求が受け入れられない場合、彼らの生命の保証がされないのでは? センターポリスの民間人の退避状況も未だ不明です」


 ムスタディ大将は、脂汗を流しながら縮こまっている国税大臣を不思議そうに眺めながら言った。


「ルガツィン伯爵は、東部辺境宙域有数の良家、まさかこのようなことをするとは」


 宮中儀式や皇統の管理や叙勲を執り行う宮内省のヴェロニーカ・アルチョモヴナ・ヴァルナフスカヤ大臣が、眉一つ動かすことなく言ったものだから、言葉だけが上滑りしているようにも見えた。彼女は彼女なりにこの事態を憂慮していたのだが、鉄面皮がこの際は裏目に出ている。


「内務省はなにしてたの? これだけの蜂起、事前に掴めていないなんておかしいわ」


 近衛艦隊司令長官のギムレット公爵は対面に座る内務大臣に視線を向けたが、常人なら萎縮する視線を受けても、内務省などと言う伏魔殿中の伏魔殿に住んでいる人間は涼しい顔をしていた。


「内務省としては、ルガツィン伯爵がこのような計画を企てていたという情報はありませんでした。寝耳に水、といったところです」


 内務大臣の藤田昌純は、部下からの報告書を一瞥して悪びれる様子もなかった。


「星系自治省では、治安維持艦隊の第三四、四八、一二九戦隊をイステール自治共和国に向かわせておりますが、現地に駐留する第三三一戦隊と交信が取れず、状況不明です。また、派遣した戦隊の到着は早くても明朝〇六〇〇になるものと思われます」


 フィオナ・ギデンズ星系自治大臣は持ち前の能面を発揮して動揺一つ見せないが、自分の任期中にこんな失態が起きてしまったことに不機嫌だった。


「現在イステール自治共和国付近で、第五管区交通機動艦隊第一二八戦隊が展開中。星系へ向かう民間船等の捕捉、臨検、退去を行なわせております」


 マーティン・ワインバーグ航路保安庁長官は平素と変わらない表情だった。航路保安庁はあくまで航路の安全確保が主任務で、ある意味叛乱などの鎮圧は管轄外なので気楽に構えていたからだ。


「それで、国税大臣。現地の特別徴税局から続報は無いのか。帝国軍の攻撃開始を待って欲しいと言ったのは、卿であろう」


 上座に収まるマルティフローラ大公フレデリクは、皇帝の代理人として臨席しており、会議の進行を促すために滝に打たれているかのように汗を流す国税大臣に発言を促した。本来このような軍事行動を議する場には出席しないせいで汗をかいているかと、大公は考えていた。


「そ、その、じつは……局長の永田より、人質救出オペレーションを実施すると、通信があり……現在通信封鎖され、状況が掴めない状況でして、軍による鎮圧行動は人質救出後まで待って頂きたく」


 この一言で、一気に椿の間にいる全員がざわめいた。実はこの一〇分ほど前に、国税省官房長以下政務官、事務次官が特別徴税局に対して現地からの退避命令を出したのだが、あっさり拒否されたという事実があった。そのことはこの場で言わない、言えるわけがないのが国税大臣の立場だった。結果として彼は自分と省の面子を守るためにも、永田の要請通りに攻撃延期を要請するしか無かった。


「特徴局が人質を奪還すれば、こちらへの脅迫は出来なくなる。連中は自分の軍事力だけで帝国と渡り合わなければならないから、こちらとしては好機ね。ナンバーズフリートが動かないなら、私が皇帝陛下に勅許を頂いて、制圧に動いてもいいのだけれど」


 ギムレット公爵は、若干嬉しそうな声音だった。彼女は実戦経験を積ませる意味でも、近衛軍が出動するには丁度良いと考えていた。帝都に居る皇統でも宮中席次でマルティフローラ大公に次ぐ彼女だが、当事者意識としてはやや薄く、この事態を面白がっているようにも見えた。


「近衛が出る幕でもあるまい。東部軍はすでに動いておるな?」


 大公が公爵を制した。これは当然のことである。近衛はあくまで皇帝を守るための部隊だからと言えば聞こえは良いが、政治的ライバルである公爵に功績をあげさせたくないと大公が考えているからだ。


「はっ。第一二艦隊より戦力を抽出し向かわせております。あと八時間もあれば到着するものと」

「敵戦力は我の戦力に比して少数。短時間で制圧可能でしょう」


 統合参謀本部長と国防大臣マリオ・ルキーノ・バリオーニの発言に、再び国税大臣がおずおずと挙手して発言を求めた。


「あ、その……永田から特別徴税局の全艦をイステールに向けるよう指示があったらしく、現在特別徴税局徴税艦も向かっております。これも一両日中には現地に到着するものと」

「シュタインマルク大臣! そういうことは早く連絡していただかないと万が一のことがあります。我が軍の艦隊が、特徴局を撃つことになってもよろしいのか!?」


 国税大臣の遅すぎる報告に参謀本部総長が激怒した。


「はぁ……暫時、近衛軍司令部に戻るわ。情勢に変化があれば教えてちょうだい」


 いまいち緊張感を欠いた会議に飽きたギムレット公爵は、近衛艦隊司令部へと戻っていった。



 二一時二九分

 近衛軍司令部

 司令長官執務室


「アリー、エラいことになったわ」

「そのようですね、殿下」


 既に執務室にはアレクサンドラ・ベイカー近衛少将が待機していた。アレクサンドラの愛称であるアリーと呼ぶのは、ギムレット公爵を除けばアスファレス・セキュリティの柳井義久くらいのものだった。


「ルガツィンめ。何を考えているんだか……」

「近衛の出動命令は出ますかね?」

「その必要は無いでしょう。グライフの第一二艦隊がもう動いているそうよ。あのコチコチ頭、案外目端が利くようね」

「まあ、アルバータでは動きが遅すぎて面目丸つぶれでしたからね」


 数年前に東部辺境アルバータ自治共和国で起きたのも、帝国からの分離独立を求める叛乱だったが、これは未遂どころかあらゆる公文書でその存在すら記録されていない事件だ。これを処理したのが、柳井である。


「義久の動きが早かったのよ。あれがなければとうの昔にアルバータは無人惑星になっていたかもね」


 俗に言われるアルバータ叛乱未遂事件では、柳井が外惑星軌道の軌道都市にある星系自治省司令部を即座に制圧し、辺境惑星連合侵攻艦隊を迎撃しつつ、首都星アヴェンチュラセンターポリスを解放。星系自治省の一部部隊の独断での叛乱を見抜き、自治政府、各省庁を巻き込んで叛乱自体がなかったことにする情報操作を実施しただけでなく、帝国軍第一二艦隊に出向いて攻撃中止を決断させた。


 これによりアヴェンチュラは叛乱行動の鎮圧のみを行ない、最小限の混乱で事件は終息した。それだけでなく、星系自治省、現地自治政府の不祥事諸共事件そのものが無かったことにされている。もし、柳井が動いていなければアルバータの叛乱勢力と帝国軍との間で大規模な戦闘が生起し、都市部を中心に大規模な犠牲が出たことは想像に難くない。


 老朽コルベット四隻と化石のような巡航戦艦一隻でこれを成し遂げた手腕をもって、公爵は柳井を自分の協力者として選ぶポイントの一つとしていた。


「どうされます? 義久に動きを探らせますか?」

「通信封鎖されてるし、艦隊を近づけると友軍からの誤射もあり得るわ。言わなくたって情報収集くらいしてるでしょ。一応、私信の形で柳井に帝国軍が動いていることを伝えておいて」

「はっ」



 二一時四九分

 東部軍管区 ラインブリッジ星系

 首都星ロージントン

 アスファレス・セキュリティ ロージントン支社

 支社長室

 

「近衛のアリー……ベイカー少将から報告だ。やはり帝国軍が鎮圧に動いているらしい」

「では、我々の出番は無さそうですな」


 柳井の言葉に、安堵した様子で笑みを浮かべたのは巡航戦艦ワリューネクル艦長のハイドリヒ課長だった。眠気覚ましのコーヒーを啜っている。


「少なくとも部長以外は、でしょうね」


 ホルバインも気楽な様子でコーヒーを飲んでいた。


「私は公爵殿下に何を言われるか戦々恐々としているよ。まったく嫌な役回りだ」


 柳井も渋面のままコーヒーを飲んだ。すでに三人とも支社所在時の定時である一八時を大幅に超えて勤務している。管理職になるとこのようなことはザラなのが、中小民間軍事企業の常だった。


「しかし、イステールで叛乱とは。そんな噂は聞いてませんがねえ……」


 ホルバインが不思議そうな顔で、イステール叛乱勃発と報じるニュースを見ていた。彼らのように東部辺境の勤務が長い民間軍事企業の社員は、様々な情報から辺境情勢を読み取ろうとしているのだが、イステールはこのような乱暴な独立運動が起きる土地ではなかったというのが、この場に居る三人の共通見解であり、それは帝国本国の認識とも大差なかった。


「部長、いや、男爵閣下はルガツィン伯爵のことはご存じないので?」

「一度だけ、東部軍管区主催のパーティで挨拶をしたがそれっきりだ。ややロマンチストの気がありそうではあったが……」


 皇統男爵ともなれば、各地で催される皇統主催の園遊会や祝宴に出席する機会が増える。東部軍管区の長であるホーエンツォレルン元帥は当代皇帝バルタザールⅢ世の弟であり、皇統公爵の位を持つ。その園遊会ともなれば断るわけにも行かないのが柳井の立場だった。


「しかし、そのロマンチストが決起しちまったわけです。さて、誰が裏で手を引いているのやら」


 茶化した様子のハイドリヒの言葉に、柳井は苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。

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