第35話-⑤ 総督代理・柳井義久


 東部軍管区

 マルセール星系

 第四惑星マルセールⅤ


 現在の柳井は、本来アスファレス・セキュリティという零細民間軍事企業の部長でしかないが、現在、いささか不思議な立場にいた。


 アスファレス・セキュリティロージントン支社支社長兼護衛艦隊司令官。

 皇統男爵。

 帝国近衛軍中将相当官。

 星系自治省特任高等開拓参事官。

 東部軍管区行政長特任監察官。

 

 これらの役職を全て兼職し、マルセール星系の第四惑星、現在のところ惑星首都センターポリス予定地に設けられた仮設宇宙港に降り立っていた。


 ここまで乗ってきた政庁所有の連絡艇のタラップを降りると、澄み切った風が柳井の頬を撫でた。


「さて、白々しいかも知れませんが、ようこそマルセールⅤへ。男爵閣下のご来訪、主任開拓官として嬉しく思います」


 総督代理となった柳井の補佐を務めるカミーユ・ロベール主任開拓官は元々この惑星の開拓に携わる官僚だった。ここまで常に随行してきたのに、態々柳井の前に回って仰々しくこうべを垂れた。


「ここが……」


 現在仮設宇宙港と呼ばれる場所は、ET&Tの長距離通信用アンテナと、航空管制用の各種レーダーと離着陸誘導施設に倉庫が設置された、だだっ広いコンクリートパネルの平地だった。将来的には宇宙港のターミナルビルなどが建つのだろうが、現在は開拓業者の出入りにのみ使用されるのだから、豪勢なターミナルなど無用だった。


「ま、開拓惑星なんてどこもこんなものですよ」

「話には聞いていたが、先の長い話だな」

「ま、立ち話もなんです。開拓事務所にご案内します。こちらへ」



 開拓事務所

 惑星開拓庁マルセールⅤ出張所 オフィス 


 帝国による太陽系外進出は、地球の衛星軌道、月や火星、木星の衛星エウロパなどに限られており、それもごく限られた閉鎖環境を構築するものだった。つまり、宇宙船を地表に降ろすようなもので、惑星上や衛星上で活動するには宇宙服がなくてはならないものだった。


 これが大きく変化したのはアレクサンデル・フォン・ギムレットが帝国暦一九年に実用化した惑星大気改造工場ともいうべき一連のシステムによってだ。このシステムは火星でテストされ、わずか一〇年で人類が生命維持装置なしで生存できるように火星の大気を変えることができた。


 さらに帝国暦二四年にはジャン=リュック・アンプルダンが人工磁気圏システムを開発。多数の衛星による磁場生成で惑星磁場の弱い惑星でも強い恒星風から大気層を保護することが可能になった。メリディアンⅠ世は在位中に火星の地球化改造テラフォーミングが完了した後、最初に火星の地表でヘルメットを外す人類という栄誉も自ら進んで得たのだが、これには宰相ライヒェンバッハをはじめ、様々な人物の反対があったが、メリディアンⅠ世の強い要望でこれは実現したと伝えられる。


 なお、ギムレットもアンプルダンも、元々月や火星で居住コロニーの設計を手がけていたミナ・ギムレット、ジョセフ・アンプルダンが帝国建国後に男爵に叙せられたことを始まりとして惑星開拓に従事する一族となっており、現在までそれは続いていて、ギムレット男爵家は公爵、アンプルダン男爵は伯爵まで爵位を昇っている。


 ちなみに、ギムレット侯爵家現当主のオスカー・フォン・パイ=スリーヴァ=バムブーク公爵は元惑星開拓庁長官、アンプルダン伯爵家オデット・ド・ピヴォワーヌ・アンプルダン伯爵は惑星開拓庁東部軍管区前開拓監査官という経歴を持ち、領邦領主を務めるまでに至っている。また、近衛軍司令長官メアリー・フォン・ギムレット公爵という変わり種も輩出した。


 閑話休題。ともかく、これでもまだ火星が精々で、太陽系内部すら人類は数年単位の時間を掛けなければ移動出来ていない。メリディアンⅠ世の時代から人類は超光速航法を求めていたが、それが実用化されるのは帝国暦五〇年代に入ってからだった。


 マティアスⅠ世の御代において実用化された超空間潜航技術は、人類の活動圏を太陽系の狭い領域から、一気に数百光年、数千光年単位にまで拡大した。超空間潜航技術は初めて人類が手にした超大統一理論に基づく技術であり、これと前後して実用化された対消滅反応炉技術と組み合わさり、重力制御、慣性制御も次々に実用化されたことにより、人類はより遠くへ、より早く到達することが可能となり、実用化された惑星開拓技術が存分に活用されることになったのである。


 などとそんな基礎知識を事前に叩き込んでおいた柳井だったが、開拓事務所でロベール開拓主任官から受ける説明は専門的なものが多かった。惑星開拓は地質学、火山学、気象学、天文学に人間工学、都市工学、経済学に農学など、関連する分野は枚挙に暇がない。


「いわば、惑星開拓は人類科学の究極の到達点とも言えます。ま、一〇〇〇年ほど昔なら神への冒涜だ、とか言われる類いのものですね」


 ロベール開拓主任官にしても、大学時代の専攻は地質学だったというが、開拓主任官を務める身として広範囲の分野の知識を身につけているようだった。


「この惑星の開拓は現在開拓の第四段階に入ったばかりです」


 帝国の惑星開拓は、いくつかの段階を踏んで行なわれる。


 第一段階は開拓する惑星の選定。二〇世紀末から人類は太陽系外惑星の発見を続けてきたが、超空間潜航技術の発展でそれまで発見されていたものよりも多くの惑星が見つかり、その中からさらに人類の植民に適したものを当初は望遠鏡により、超空間潜航が可能になった帝国暦五〇年代からは現地に行って調査することが一般的になった。


 大雑把な条件としては、形成から数十億年を経た安定したF型、G型、K型主系列星を母恒星とし、ハビタブルゾーン内の比較的地球とよく似た温度を保持できる惑星となっている。直径、質量も地球に近ければ近いほど望ましいが、多少の誤差は許容している。


 この段階で大気組成、惑星地表部の地学的調査、生命の有無、人類に有害なウイルスや細菌、毒素などが存在しないかを調べ、問題が無ければ第二段階に進む。


 なお、第一段階における生命の存在調査だが、現在まで生命を確認したことはない。仮に原始生命だったとしても、調査で発見された場合は開拓は即時停止し、その惑星への接近を含めて人類による干渉は一切禁じることが、惑星開拓法により定められている。


 第二段階は大気改造。前述の惑星大気改造システムを設置し、地球とほぼ同じ大気組成へと惑星大気を作り替えていく。酸素濃度の調整が主体だが、寒冷気候の惑星の場合は温室効果ガスの放出、人体に有害なガスなどが確認されている場合はこれらを除去する。


 これに伴い、衛星軌道上に集光ミラーを設置し、大気温の上昇などを行なう場合もある。また、惑星磁場の弱い惑星では磁気圏生成システムの展開も行なわれたり、大気温度が高くなりすぎる場合は、開拓惑星と母恒星の間、ラグランジュ1に巨大なシェードを置いて日照量を調整することも考慮する。


 惑星大気改造システムは海洋や地殻、必要ならば輸送してきた資材を用いて大気成分を調整する他、自己複製可能なナノマシンによる急速な大気改造を行ない、地球と同サイズの惑星でも、約一〇年から二〇年ほどで生命維持装置なしで人間が活動できる程度の環境に変化する。


 第三段階では惑星首都の候補地選定と造成工事。第一段階で調べられた地学的調査結果に基づき、地震や火山噴火などの影響を受けにくく、かつ長期的な都市開発を行なうに十分なスペースを持つ場所を選定する。大規模な土木工事は惑星環境の悪化を招くことも考えられるため、必要最低限の治水工事や造成に留める。


 この結果、帝国植民都市の大半は地形を利用した高低差に富み、河川などを有効活用した独特の景観を作り出している。


 これと並行して、惑星の緑化も開始される。遺伝子改造を施した樹木、草花を植えて都市緑化を進めると共に、大規模に植林して大気改造システムに頼らない酸素循環システムを構築する。こちらは都市建設完了後も継続して行なわれるので、長い年月が必要となり、帝国暦五八〇年代になっても、まだすべての工程が完了した開拓惑星は存在しない。環境さえ整えば、自然保護区という形で動物や昆虫も注意深く繁殖することになる。


第四にセンターポリスの各施設の建設、拡張。これと並行して工員やその生活基盤を支えるインフラ関係者などをはじめとして植民を行い、惑星を居住地として本格稼働させるための煩雑な業務が待っている。


「この原野がいずれ町になるというのは信じられないな」


 開拓事務所は、いずれ惑星首都に設置される行政庁となるべきものであり、現在この惑星に建設された人工物の中で最も高いものだ。もっとも、現在の完成部分は三階建ての基礎ブロックであり、開拓最終段階に至る頃までに四〇階から五〇階建ての高層ビルディングになる。


「本格的な居住惑星として動き出すには、まだ一〇年ほど必要でしょう」

「ここは開拓が始まって何年になるんだ?」

「今年で一一九年目に入ります。なんとか一二〇周年には植民を行えそうですね」


 多少の身の上話を挟んだあと、ロベール主任は本題を切り出した。


「皇帝陛下があなたをここに遣わされたのは、恐らく総督代理など口実に過ぎないと思うんです。あなたの人脈を広げるため、と拝察しております」

「人脈?」

「実は、この惑星の開拓責任者の皇統に、閣下を引き合わせよという宮内省からの内密のご指示を頂いております」

「ここにも皇統の方が?」

「ラザール・ルブルトン皇統子爵です。惑星開拓庁東部整備局、開拓部長。つまり私の本来の上司ですね。今、大気・水質改造プラントの視察に出ています。一五時には戻るとのことでしたので、待っていれば帰ってくるかと」

「いや、私から出向こう。惑星改造システムというのを、私も見たことがなかったし」


 皇統子爵ならば自分より宮中席次が上、などと一応柳井は理由も用意していたが、それよりも実際に動いている惑星改造システムなど見ることはほとんど無いだけに、好奇心が勝っていた。


「そうですか。ではご案内しましょう」



 大気・水質改造プラント〈オリヴェタンⅦ〉


「これが惑星改造プラント……」

「オリヴェタンⅫは、この惑星に設置されたプラントの七代目です」


 外から見たプラントは、沖合に浮かぶ小島という風情だったが、複合素材のパネルで覆われている外観は、周囲の自然とまったく調和していないだけに違和感だけが募る。開拓事務所のエアロダインの窓から、柳井は感慨深げにその姿を眺めていた。


「あそこに見えるのがセンターポリス防波堤です。堤体高は四五メートル、内部はこのあと高速鉄道の線路が設置される予定になっています」


 水平線に沿うように見えるのが防潮堤だと言われて、柳井は目を細めた。

 

 「ほとんどの設備は海面下にあります。上部はいずれ植樹を行ない、センターポリス沿岸の浮き小島になる予定です」


 大気・水質改造プラントであるオリヴェタンⅦは、海水を分解して酸素を生成して大気中に放出するだけでなく、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスを発生させ、惑星の気温上昇を行なう。また、海水の浄化を行ない、人体に有害な重金属元素などを取り除くのも役目というのがロベール主任の説明だった。


 元々マルセールⅤは、センターポリス予定地点の中緯度帯でさえケッペン気候区分における亜寒帯気候に属するとされていたため、当初から温暖化促進計画が行なわれていた。現在調整が終わった段階では、亜寒帯湿潤気候に類するものとなり、厳寒期の寒さは厳しいものの概ね温暖になっている。


 水質については既に地球と同レベルの成分だが、まだ外海は重金属元素の比率が高く、生身で入ることや、そのまま浸透膜式の浄水システムに投入することは禁じられているという。


 プラント本体の旧管理室からは、分厚い耐圧ガラスの向こうに広がる海を見ることができた。澄み切っていたが、地球のそれと異なり、生物らしい影は見えない。


「開拓惑星の海中なんてこんなものです。分子レベルの生命も存在していなかったからこそ、開拓しているわけでして」

「なるほど」

「失礼、柳井男爵でいらっしゃいますか?」


 背後から声を掛けられて、柳井は身構えた。


「驚かせてすいません。カミーユから話は聞いていました。ラザール・ルブルトン皇統子爵です、以後お見知りおきを」


 ルブルトン子爵は今年で五八歳。テクノクラートとしての経験豊富な開拓官僚だった。現場で働いているだけあってか若々しささえ感じる風体だった。


「突然の来訪申し訳ありません。柳井義久と申します」

「男爵のお噂は公爵殿下よりかねがね」


 挨拶しておいて、柳井はまたもこの人物が公爵の息の掛かった人物なのかと苦笑していたが、相手も同じような顔をしていたので思わず吹き出しそうになっていた。子爵のほうも同じだった。


「ここではなんです。昔の工員用食堂を今も使っています。そちらで話しましょう」


 工員用食堂というからさぞ殺風景なのだろうと思っていたが、それなりに内装は凝っていた。


「ここもいずれは民間に開放してレストランにするので、内装も整備しました。半世紀もすればほどよく年季が入って雰囲気もよくなるでしょう」


 とはいえまだ給仕も居らず、応急的に設置された自販機があるだけだった。子爵が差し出したコーヒーは、帝国中どこでも飲めると言われるR&T、レッスル&タイソンボトラーズ社のものだ。帝国北天軍管区にある帝国有数の飲料メーカーで『R&Tのロゴを見えないのは棺桶の中だけ』というジョークは何度か聞いたことがある。


「さて……柳井さん、あなたがここに来られた理由は大体分かっています」

「畏れ入ります……公爵殿下からお聞きになったので?」

「いえ、ただギムレット公が信任篤い男爵をここに遣わされたということは、皇統選挙のための集票工作ではないか、と」

「やはり、そう思われますか」


 柳井は自販機のコーヒーを飲んで溜息を吐いた。皇統爵位を与えられると、自動的に爵位に応じた帝国の内部情報というものが閲覧出来るようになる。子爵や男爵では機密部分には公的に触れることは出来ないものの、皇帝の体調などは定期的に報じられる。


「しかし、柳井閣下は皇帝陛下からの勅命でいらっしゃったのでは?」

「ロベール、当代皇帝が次代皇帝の選挙に関与してはならない、などとは誰も決めておらんのだよ」


 実際、ジブリールⅠ世の治世においては、次代皇帝になるクラウディア・フォン・パイ=スリーヴァ=バムブーク・ギムレットへの皇帝による水面下での支援があったと言われている。これは帝国内戦を経て疲弊した辺境宙域を立て直すためには、惑星開拓の知見が豊富なギムレット侯爵家が主導するのが良いと考えたジブリールⅠ世の深慮の結果だった。


「皇帝陛下は、恐らく皇統内の勢力を均衡させたいのでしょう。マルティフローラ大公率いる拡大派は、大公はもちろんコノフェール侯爵もまだ若い。対する維持派はパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵もヴィオーラ伯爵もお歳です。ピヴォワーヌ伯は能力も人気も相当ですが、こちらは領主となってからの年数が浅い」


 ルブルトン子爵の言葉に、柳井は頷きつつも首を捻った。


「私などでなんとかなるのですか?」

「アルバータの英雄、ピヴォワーヌを勝利に導いた天才軍師であるあなたならば、あるいは、と陛下はお考えなのでしょう。ギムレット公爵はもちろんあなたに期待しておいでです」

「畏れ多いことです。買いかぶりすぎですよ。ただの中年サラリーマンです」

「ははは、謙虚なことだ……しかし、柳井さん。これは真面目な話です。もし拡大派が次代皇帝を輩出すれば、間違いなく帝国は大遠征軍を組織し、賊徒討伐を行なうでしょう」

「そうですね。愚かなことです」

「ハッキリ言いますね、閣下」


 あまりに柳井が断言するもので、ロベール主任は唖然としていた。


「第二三四宙域は、その際の足がかりにされるでしょう。このマルセールⅤにしても、大兵站拠点を置く計画もあるとか」

「勿体ないものですね。人口制限法の枠目一杯植民すれば、かなり有力な惑星にできるでしょうに」


 人口制限法、正式には『惑星の自然保護および資源活用のための惑星居住人数の制限に関する法律』とされるもので、かつて地球で大規模な人口増加による自然破壊、資源の枯渇が問題になっていたため、同様の過ちを繰り返さないように、地球帝国の前身である地球連邦政府が採択した法律だった。


 しかし、連邦政府時代においては火星に対してのみ適用され、火星が無尽蔵に勢力拡大するのを防ぐためのものだった。帝国へと国体が変化し、太陽系外での惑星開拓の実現に目処が付いた段階で法改正を行ない、一惑星辺りの最大居住人口を一〇億人と定め、それ以上の増加が見込まれる場合は新たな可住惑星の開拓を行うか、コロニー群への人口分散を行うことと定めた。ただし、実際にはこの制限を大きく超える惑星も少なくはないが、資源消費や大気汚染などが基準を超えないように完全なコントロールを行うこととしている。


 また、領邦国家や自治共和国の人的資源の無秩序な増加と、それに伴う税収増加を制限する枷としても機能している。


 防水合成紙コップのコーヒーを啜ってから、子爵は話を続けた。


「まあ、どのみち私はギムレット公爵に票を入れるつもりでしたし、むしろあなたに皇統の知り合いを作らせる、というほうが目的のように思えますね」


 ルブルトンの推測は概ね正解で、これはギムレット公爵とヴァルナフスカヤ宮内大臣の進言を入れたバルタザールⅢ世による計らいだった。


「陛下のご深慮とは、畏れ多い……地球の極東などという田舎の出なもので、やんごとない皇統の世界というのは、どうにも慣れぬもので」

「皇統といっても、大層な爵位などついていますが子爵程度は帝国中にいますし、男爵などさらにその一〇倍はいるわけです。あまり鯱張しゃちほこばっているよりも、自然体のほうがいいものです。私だって、ギムレット公爵に拾われなければ平和に星系自治省の一官吏で人生を終えられたのでしょうが」


 そう言うと、ルブルトン子爵は少し遠い目をしていた。


「あなたもギムレット公爵に引きずり込まれたタチですか」

「いやあ、強引なものでしたがね。能力を買っていただけたというのなら悪い気はしませんよ」


 その後もいくつか実務的なことの議論や事務連絡を行なった後、柳井は再び開拓事務所に戻った。


「閣下のお部屋はこちらです。まあ宿舎の部屋なんで、どこも同じですが。狭くてすみません」


 一〇平米程度の広さの個室は、よく言えば実用的、悪く言えば殺風景だった。都市部にあるビジネスホテルといえば丁度良い。


「いや、狭いのには慣れているし、落ち着くから構わないよ」


 柳井は元々が軍人で、寝床の快適性というのは過度に要求しないタイプだ。しかも居住性という点では最悪のタランタル級重コルベットで一年以上穴蔵暮らしをしていた。むしろ開拓事務所の宿舎は快適すぎるとさえ言えた。



「また明日、九時から視察に出る」

「わかりました。私はオフィスにいると思いますので、閣下はどうぞ、ごゆっくり」



 翌朝

 開拓事務所 宿舎

 食堂


「おはようございます、閣下」

「ロベール主任。君も早起きなものだ。まだゆっくりしていればいいのに」

「早く来ないと、開拓業者の方々が押し寄せてくるので……ほら来た」


 作業着にヘルメット姿の作業員達がどっと流れ込んできて、食堂はすぐに満員御礼となっている。人数は一〇〇人に満たないだろうが、大半を建築ロボットが行なうのだから当然と言えた。


「まだこの中央官庁ブロックの工事中ですからこの程度で済みますが、居住区の建築が始まったら、この一〇倍は人が集まります」

「だろうな。まだコーヒーくらい飲んでいる余裕はあるだろう?」


 しばらくの間テレビのニュースを見ながら雑談を差し挟み、柳井は席を立った。ロベールもついてくる。


「ええ。そういえば今日以降のご予定はどうされます?」

「そうだな……細かい話はここではマズいな。どこか部屋を借りられるか?」

「総督代理のオフィスがあります。こちらへ」


 総督代理のオフィスとは言うものの、開拓事務所の空きオフィスの一角だ。


「……ルガツィン伯爵の死体があがったらしい」

「そうですか……私もあの方とは仕事で何度かお話ししましたが、まさか叛乱を企てるような方とは」


 柳井が叛乱勃発の時点から抱いていた違和感は、ロベール主任の言葉で確信に変わった。


「しかも、後頭部に銃痕がある。他殺の可能性が高い」

「他殺? 叛乱軍の連中でしょうか?」

「色々きな臭い案件だな。それと、センターポリスでの治安維持軍による戒厳令がようやく解除された。これでガーディナも一段落か……」

「では、そう慌てて戻られることもないのでは?」

「そうだな。行政府からも取り立てて急を要する連絡も無いし」

「では、今開拓の第一段階が進む惑星があるのですが、見に行ってみませんか?」


 開拓中の惑星は、一般臣民では立ち入りが禁止されている。願ってもないチャンスだと柳井は考えた。


「ほぅ、それは面白そうだ」

「ルブルトン子爵も定期的に視察に行かれるので、一緒に行ってみましょう」


 一〇時頃にはルブルトン子爵も開拓事務所で合流し、三人は政庁の連絡艇で開拓中の惑星、惑星ズベリニッジⅤへと向かう。


 道中、柳井とルブルトン子爵は帝国による惑星開拓方針を議論していた。


「全くもって不埒な妄想を開陳するならば、既にこの正面のFPU構成体は、帝国の敵とはなり得ない……いや、寝返った、と見ているのでは?」


 柳井の突拍子もない推測に、ルブルトン子爵は首を傾げた。


「そうですか? 失礼ながら、柳井さんは去年、連中とは戦われたはずでは?」

「先頃、東部軍管区情報部のデータを閲覧させてもらいました。敵侵攻艦隊の主力は、東部軍管区に接しては居ますがピヴォワーヌ伯国に最も近い主義派……彼らの姿はなく、革新連盟、汎人類共和国といった普段の常連の姿ばかりだった。彼らの中でも、現状の対帝国闘争路線は一致していない、というのが私の分析です」


 帝国の版図は太陽系から半径一万光年程度の領域に広がるが、それより外には辺境惑星連合を自称する賊徒が支配する領域となっている。


 辺境惑星連合はFPUとも略され、これらは多数のセクトに分かれており、地球帝国建国後、その意に沿わない共和主義者や無政府主義者、単なる反社会的組織からホコリを被った共産主義者、宗教右派など構成要員は多岐にわたる。


 革新連盟は現在の辺境惑星連合の主流派閥の一つ。領内で大規模な惑星規模災害の発生が確認されており、近年大きく勢力を落とした。


 汎人類共和国は辺境惑星連合の中では最大規模の人類生存圏を保持する。技術力においても、帝国から鹵獲した艦艇や兵器のリバースエンジニアリング、工作員による情報収集、また帝国からの裏取引による技術供与などもあり、独自の兵器開発も行っている。


 第一インターステラー連合。これは諸惑星共同体、ユーノドス連合の二つが合併し誕生。帝国私略船団による調査では、比較的安定した統治下にあると報告されている。対帝国の政治姿勢としては中庸とされている。


 「解放と自治」調印派。単に調印派とも呼ばれ、かつては辺境惑星連合でも最大派閥であったが、帝国歴四五〇年頃から弱体化。


 革命的抵抗者連合体正統派。革抵連、もしくは正統派と呼ばれている。「解放と自治」とは帝国暦四五〇年頃に分派したとされる。対帝国最強硬派の一つで、武装船舶による帝国辺境での海賊行為はもちろん、工作員による辺境星系の分離独立工作なども行う。彼らの統治下にある惑星の数は一〇個程度とされるいが、経済状況については低水準。これは軍事費が彼らの経済規模に比して過大であることが原因とされている。


 連邦議会オテロ・ゴッドリッチ・カリーリ主義派。単に主義派とも呼ばれ、インマ・オテロ、ジェフリー・ゴッドリッチ、コンシリア・カリーリの三名により立ち上げられた旧地球連邦由来の辺境惑星連合の一分派。現在の帝国議会、および帝国皇帝による統治下にある地球帝国を、地球等の正当な統治機構として認めず、即刻退陣することを要求している。ただし、近年融和路線を探っているとも言われており、活動は小康状態。


 リハエ同盟。地球の一地方の古語で解放を意味する言葉を旗印にした諸惑星連合体。帝国内部にいくつかの協力組織を持つ。帝国内における薬物、違法武器売買だけでなく、違法通貨パラディアム・バンクの運営にも関与しているとされる。一方で星間戦争を行なうような大規模な艦隊などは保有しない方針らしく、戦場で見かけることは希。


「なるほど。しかし結局遠路はるばる遠征してくる主戦派の連中がいる限り、状況は大差ないのでは?」

「彼らの弱点は正面装備の数でも質でもなく、後方兵站態勢の不足にあります。この前のラ・ブルジェオン沖会戦でも、後方支援部隊への攻撃は多大な効果を発揮しましたが、そもそも敵の輸送能力に限りがあった。これを絶つのは容易いことです」


 第二三四宙域はピヴォワーヌ伯国と領域を接している。この正面にいる辺境惑星連合は主に調印派と主義派、第一インターステラー連合で、積極的に攻撃をしてくる傾向は薄い。


 帝国外縁部への攻撃の八割は革抵連、汎人類共和国、革新連盟により行なわれている。彼らは主に西部軍管区と接する領域に集中しているにもかかわらず、東部軍管区方面まで艦隊を回航してでも侵攻してくる。


「ふむ。長駆帝国領外縁を回って戦争を継続するのは辛い、と?」

「今後数年……五年、一〇年の単位でこの宙域に対しての攻撃はないでしょう。それに、主義派などを切り崩してこちらに……帝国に引き入れられれば、連中が作った帝国領を囲む鎖の一角を断ち切ることになる。」


 これは柳井がギムレット公爵に開陳した対辺境惑星連合戦略の一つだった。


「東部が安全圏になるというわけです。彼らのテーゼがどの程度信仰に近いものになっているかはわかりませんが、少なくとも主義派においてはお題目以上の存在ではないとみています。十分懐柔の可能性はあるかと」

「信仰、ですか?彼らは新興宗教団体とでも?」

「便宜的にそう言ったまでだ。ある絶対目標を信じて疑わず、それに与しない、信じない者を排除し、敵対する者を打ち倒すことを聖戦とするなら、それはもはや宗教といっても過言ではない」


 ロベール主任の疑問に、柳井は苦笑いをしながら応えた。


「彼らはそれを革命と言っていますが、なるほど確かに宗教。我々が彼らの行動原理を理解しづらい遠因ですか」

「なるほど……」


 ルブルトン子爵とロベール主任が納得したところで、さらに柳井は続ける。


「非主戦派のFPU構成体を切り崩せば、労少なくして辺境宙域を掌中に納められる。自治共和国は帝国と対等な立場にある独立国です。同じようにFPU構成体に帝国の友邦としての一定の内政自治権を与えて組み込めば、帝国軍数十万将兵を宇宙の塵とすることもない」


 ここまでの柳井の説明に頷いたルブルトン子爵が頷いた。


「なるほど。それがあなたが……いや、ギムレット公爵が皇帝の座についた後の戦略、ということで?」

「ご推察恐れ入ります。皇統貴族も煎じ詰めれば帝国領内において商業活動を行い、その結果として資産を形成する者。現状以上に軍備増強を行えば、その分経済活動に従事する帝国臣民の数が減る。それは回り回って我々皇統貴族の食い扶持を減らすことにもなる……いかがでしょう」


 帝国の経済は成長を続けている。これは主な戦闘が東部辺境でのみ行なわれているからで、他の宙域は安定を享受していてこそ実現できるものだった。


 数時間の超空間潜航を続けたあと、連絡艇は惑星ズベリニッジⅤの衛星軌道上に浮上した。


「これがズベリニッジⅤ……」


 やや茶色がかった荒野が広がる眼下の惑星は、まだ人類が生存できるほどの環境を揃えては居なかった。


「今は大気改造の段階ですね。二酸化炭素過多の大気ですので」

「これがものになる頃には、我々はこの世に居ないでしょう」


 ルブルトン子爵もロベール主任も、眼下の惑星を見て誇らしげに笑っていた。柳井はそれを見て、惑星開拓という人類の科学技術の到達点の最前線で働く彼らを羨ましく思っていた。


 一時間ほど衛星軌道上に滞在した連絡艇は、マルセールⅤでルブルトン子爵を降ろした後、再びイステール自治共和国首都星ガーディナへと帰還した。

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