第32話 男爵・柳井義久〈後〉


 帝国暦五八六年一月一日 一八時〇一分

 帝都ウィーン ライヒェンバッハ宮殿

 アマリリスの間


 一二月二九日に仕事を終えた私は、そのままロージントンから高速船で帝都に向かい、しばらく帰っていなかった低軌道リングの自宅に戻り、礼服を持って帝都へ降りねばならなかった。


 ラ・ブルジェオン沖会戦と記録された戦いの後、ギムレット公爵殿下に気軽に渡された皇統男爵位への叙爵を、正式に受けるためだった。貴族といえど皇統典範をはじめとする法律によりその地位が認められているのだから、帝国政府の承認を得なければいけない。皇帝と皇統公爵の口約束だけでは叙爵できないわけだ。


 帝都宮殿とも呼び習わされる地球帝国皇帝の居城は、しかし領土の広大さに比べればささやかで、帝都旧市街とも呼ばれるドナウ川西岸地区に偉容を誇るかつてのオーストリア帝国の遺産と比較しても、延べ床面積でも敷地面積でも一回りは小さい。内装にしても、過剰な装飾はほどこされていない。


 とはいえ、私にとって落ち着かない場所であることに変わりはない。座っている椅子だけでなく、室内に飾られている花瓶だけでも、私の普段のスーツならグロスで買うことができるだろう。


「卿は帝国の領邦たるピヴォワーヌ伯国の防衛軍参謀総長として、同国防衛に少なからぬ貢献を果たした。地球帝国皇帝バルタザールⅢ世の名において、卿に皇統男爵の位を与えるものである――畏れ多くも、陛下に代わりまして、典礼長官である私が、謹んで代読いたしました」


 ピヴォワーヌ伯国でいささか乱暴に命じられた皇統男爵位について、改めて正式な形で、私は叙爵された。今叙爵に関わる勅書を読み上げたのは、宮内省典礼庁のノンナ・ナシノフスカヤ長官だ。


「畏れ多くも皇帝陛下より、過分なる位を頂きましたることは、我が人生最大の喜びとなりましょう。皇統の末席に並ぶことを喜びとし、帝国の弥栄に貢献することを誓約いたします」


 アマリリスの間は皇統男爵や帝国貴族号の叙爵に用いられる部屋だ。資料映像などは見たことがあるし、実際に先ほどの台詞はそれらを見て二時間ほど前に暗記したものだが、帝国貴族と違い、皇統男爵ごときでも典礼庁幹部や帝都にいる皇統貴族が幾人かこの場に並んでいる。暇なのだろうか。暇なのかもしれない。年始早々にご苦労なことだ。


 典礼長官自らが、私の礼装――帝国軍時代に作っていた燕尾服――に皇統男爵であることを示す勲章をつけるのも、皇統侯爵にもなると皇帝陛下の手によりつけられるらしい。位が上がることがないだろうし、上がりたいとも思わないが、そうなったときの自分の立場を思いやると気が重い。第一、そのときの皇帝がバルタザールⅢ世陛下だとは限らない。


「皇統に、新たな血が注がれた。ご一同、歓呼を持って讃えられよ!」


 歓声と拍手に迎えられ、私は礼式通り、参列者に向きなおり深々と頭を下げることになった。



 一八時四五分

 向日葵の間


 私の叙爵式が終わると、今度は宮殿で一番広い祝賀行事などで用いられる広大な向日葵の間に移動し、新年祝賀会が催された。帝国皇統貴族とその関係者のみが参列するもので、本来なら陛下もご出席されるものだが、体調不良から途中で顔を見せる程度というのが、宮内大臣の説明だった。


「おお、君が今日叙爵されたという、えー……」

「柳井義久と申します。フリザンテーマ公爵殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」


 ひとまず、会場内で一番爵位の高いフリザンテーマ公国領主、アレクサンドル・フリザンテーマ・ロストフ公爵に挨拶を済ませることにした。


「様になっているようだな。君が皇統らしく、帝国に貢献してくれることを楽しみにしているよ」

「ありがとうございます。皇統男爵の爵位に恥じぬよう邁進いたします。至らぬ点などあるかもしれませんが、帝国第二の領邦たる殿下のお知恵をお貸しいただくこともありましょう。その際は、よしなに」

「覚えておこう」


 多分に儀礼的な言葉を交わした次は、やはり儀礼的になるだろうアブダラ・ムスタファ・ヴィシーニャ・アル=ムバラク侯爵、ヴィシーニャ候国領主への挨拶に向かった。


「あなたが今日叙爵されたという、柳井男爵ですか。活躍を楽しみにしていますよ」


 フリザンテーマ公爵と違い、ことさら事務的な言葉をかけられたが、ヴィシーニャ侯は誰に対してもこのような調子と聞いている。それに木っ端のような皇統男爵に皇統侯爵が気を遣わねばならない法もない。こちらからも事務的に言葉を返しておいた。


「柳井殿、この度は叙爵、お祝い申し上げる」

「これは……パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵殿下。まことに恐縮です」


 オスカー・フォン・パイ=スリーヴァ=バムブーク・ギムレット侯爵はメアリー・フォン・ギムレット公爵の祖父にあたる。パイ=スリーヴァ=バムブーク候国領主として、安定した経営をされており、その手腕は領邦領主でも一二を争うと名高い。新年の祝宴と皇帝陛下への挨拶のために帝都に訪れていたのだという。あちらから声をかけてくるとは思わなかった。


「メアリーが卿を大分高く評価しているようでな。これからも何かと力添えを頼みますぞ」

「ありがたいお言葉を頂き恐懼に耐えません。浅学非才の身ではありますが、帝国の功臣たる公爵殿下のお力になりましょう」

 

 侯爵殿下から言われては、私は畏まるより他ない。


「ふふ、期待しておるよ……ところで柳井殿。当然とは思うが、このような場には慣れておらぬご様子だが、あまり肩肘張らずとも良い。どうせ新年の饗宴、今ならば多少の無礼も許されるであろう」

「は、お気遣いいただきありがとうございます」

「まあ、卿ならば問題無さそうではあるが……せっかく来られたのだ。楽しまれるとよい」

「はっ」


 そのまま侯爵は、他の皇統達の元へ赴いた。私も一通りの皇統に挨拶を済ませていったが、ようやく一息ついた私の肩を叩く人がいた。


「やあ、我が参謀総長。壮健そうでなによりだ」


 我が参謀総長などとは畏れ入る。肩を叩いたのはピヴォワーヌ伯爵オデット殿下だった。


「伯爵殿下、お久しぶりです。無事のお顔を拝見できて嬉しく思います。帝都に戻られていましたか」

「先程着いたところだ。君の叙爵式には間に合わなくてな。しかしなんだな、君は軍服などより、スーツや燕尾服のほうが似合うな。幾分男が上がったではないか」


 私の服装を褒めると共に、婉曲だが軍服が似合わないと言っているのだろうと解釈したのは、ひがみすぎだろうか。伯爵殿下もピヴォワーヌ伯爵として十分な格式のあるローブデコルテ姿だった。スーツもよく似合うし、軍服も着こなすだろうが、女性らしさが出る姿も中々艶やかだった。


「お褒めにあずかり恐縮です……やはり軍服は似合わないと、閣下も思われていたのですか?」

「うむ。アリーもメアリーも言っていたぞ」

「さようで……」


 やや落ち込む私に気にするでない、と慰めた伯爵は、シャンパングラスを傾け、一口飲んでから会場を見渡した。


「皇統男爵は、現在一一三四人。ここにいるのは精々一〇〇人少しだが、多くは帝国軍や領邦軍、企業経営者や官公庁、開拓惑星の長官や局長クラスだ。君は異例といってもいい」

「存じております。ただのサラリーマンにこのような位は身に余るものです」

「それだけ君の能力を、メアリーが買っているということだ。前にも言ったが、メアリーと私のに、これからも協力してくれたまえ」


 事業というには野心の込められすぎた内容を聞かされていた私はそれとなく周囲を見渡した。


「はっ……それはもちろんですが……そういえば公爵殿下はまだ来られない様子ですが」

「彼女なら、陛下のご政務室だろう。彼女が君を推薦したのだから、君の叙爵の完了を報告するのも彼女の役目でね。まったく、格式というのは迂遠なものだ」

「迂遠でも維持するのは伝統に他なりませんから」

「それもそうだ。伝統とは意地でもある。意地も張れぬようなものは伝統とは言わんのだ」

「マルティフローラ大公、フレデリク・フォン・ノルトハウゼン殿下、入られます」


 侍従の声と共に向日葵の間の扉が開かれ、燕尾服姿の青年が入ってきた。彼こそ、現在皇帝以外の皇統では最高位にあるマルティフローラ大公だ。多くの者が彼の力添えを得て事業を為し利益を得ている。だからこそ彼の回りにはあっという間に人だかりが出来て、新参男爵程度では近寄ることすら出来ない。


「柳井、油断しているだろう? 大公はこちらへ向かっているぞ」


 私の考えを読んだように、伯爵は私に注意を喚起した。確かに、人垣ごとこちらに進んできている。


「卿が本日男爵に叙されたという、柳井男爵か?」

「はっ、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません大公殿下。柳井義久でございます。無能些細の身ではありますが、皇統として恥じぬよう、帝国の弥栄を実現するために邁進いたします。至らぬ点等ございますが、ご指導いただければ幸いでございます」

「卿のことはメアリーからよく聞いている。なかなかの逸材とな。いずれ爵位があがることもあるかもしれん。卿の活躍に期待する」


 極めて儀礼的ながら、しかし男爵程度の者には過分なお言葉を頂戴してから数分、侍従が再び来訪者の名を告げた。


「近衛軍司令長官、メアリー・フォン・ギムレット皇統公爵元帥、入られます」

「義久。楽しんでいるかしら?」


 相変わらず、特注の深紅のマントを靡かせた近衛軍将官服が、軍靴の音を響かせながらこちらに歩いてきた。


「殿下、お久しゅうございます。この度の叙爵は、殿下のお力添えあってのこと。身に余る光栄に打ち震えております。今後とも、殿下のお力になることをお約束いたしましょう」


 周囲の目が、跪いた私に向いたのを見て、ややぎこちなく公爵殿下は頷いた。


「よろしく頼むわ」


 周囲がまた近場の者との談話に夢中になり始めると、公爵殿下が私を軽く睨み付ける。


「ワザとやったわね?」

「これが作法だと伺っておりましたので」

「まったく……普段やってご覧なさい、いびってやるんだから」

「帝国皇統随一の美女達を侍らせるとは、男爵閣下もまだまだお若いですな」

「コノフェール侯爵殿下、お初にお目に掛ります。ご挨拶が遅れまして失礼を」

「いや、私も先ほど来たところでな。君の噂はかねがね聞いているよ」


 コノフェール侯爵、フィリベール・ド・コノフェール・ラングロワは領主ではピヴォワーヌ伯に次いで若く、皇統会議参列者ではギムレット公爵、ピヴォワーヌ伯爵に次いで三番目に若い。能力としては一市民の目線から見れば平々凡々、フリザンテーマ公爵の腰巾着というイメージだった。実際のところ、彼はトイレにでも出ていたのか、私が挨拶回りをしているころにはここにいなかった。トイレでばったり遭遇して挨拶するよりはよほどマシだ。


「東部が仕事場ですので、西部の侯爵殿下にも噂が届いているとは、汗顔の至りです」

「コノフェール侯、少し無礼ではなくて? 侍らせているのではなくて、ピヴォワーヌ伯と男爵を侍らせているのよ」

「これは失礼を」

「まったく、君の花になったつもりはないのだが」


 コノフェール侯爵はしばらくピヴォワーヌ伯とギムレット公と話した後、別の皇統への挨拶のためその場を離れた。


「全く。先代のコノフェール候はもう少し賢かったのに、あのボンボンときたら」

「君もオスカー候がいるからよかったのだよ。ボンボンが悪いわけではないさ」

「伯爵もお父上からの相続でございましょう?」

「まったくだ。メリディアン陛下はかつて皇統とは血統にあらずといったのに、今や伯爵以上の皇統貴族は曾祖父母の代以前からの貴族が占めている」

「まあ、優秀な人物が多いのは認めるわ。ただ皇帝としてならどうかしら」


 やや不穏なことをギムレット公が言ったのを諫める方がいいか考えている間に、典礼長官が向日葵の間に入ってきた。


「ご歓談の皆様、まもなく陛下がご入来あそばされます。お迎えの準備をお願いいたします」


 典礼長官が言うと、それまでバラバラと歓談していた貴族達が、最寄りのテーブルについて向日葵の間の入口に向く。私や公爵殿下達も、部屋の隅のテーブルにつく。


「皇帝陛下、ご入来」


 扉が開くと同時に、杖をついた皇帝陛下が入室する。同時に皆が最敬礼を取るのに合わせ、舞台の袖に控えていた皇宮警察音楽隊が帝国第二国歌、皇帝賛歌の演奏に入る。


 ゆっくりとした足取りで足を進める陛下は、皇帝讃歌が三ループはしたところで、ようやく玉座にたどり着いた。


「皆、座るがよい。余も座したままで話をさせてもらう」


 陛下が壇上の玉座に座ると、我々臣下皇統一同も頭を上げ着席する。


「今年も、無事新年を迎えられたことを、卿らと先帝の皆様に感謝する。今年も帝国の平和と民の平穏と健康を祈念するものである」


 そういえば、新年の皇帝陛下というと一月一日の庭園で行なわれる参賀のときくらいしか見たことがなかった。肉声を生で聞くのは初めての経験だった。


「陛下のお言葉を実現するため、我ら、帝国の弥栄のために尽くすことを、新年のご挨拶に代えまして、臣下一同に成り代わり、申し上げます」


 立ち上がって陛下に言葉を返したのは、、フレデリク・フリードリヒ・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン大公。現在のところ次代皇帝は大公であるというのが、世間一般の評判だ。


「マルティフローラ大公、卿の誓約は余にとってもまことに心強いものだ。本来ならば余も酒を片手に卿らと語らいたいところであるが、何分歳には勝てぬものだ。卿らは宴を続けているがよい、いくつか申しておくことがあるのでな」


 歩いて部屋に入ってきたのは見栄だったのだろう。少し咳き込んだ陛下は、侍従長の押す車椅子に座りかえた。テーブルごとに回っていくつもりなのだろう。


「夏の園遊会のときよりも、お身体が弱られたか」

「ええ。先ほども、今日はお言葉だけ宮内大臣に伝えられたら宜しいのにと申し上げたのだけれどね」


 伯爵殿下と公爵殿下は、雑談に入った。私達のテーブルは部屋の一番端の末席。陛下が仮に回られるとしても、随分後になるだろうから、ということだろう。


「ほら、あなたももう少し飲みなさい。毎年余らせてあとから処理が大変だと皇宮の連中が愚痴ってるわ」

「は、それでは……」


 皇統のパーティとはいえ、それほど華美というわけではない。味は上々だが、金さえ出せば旧市街地にもこのくらいの店はあるだろう。皇統貴族と帝国貴族制度は、溜め込んだ資産を吐き出させたり監視する枷であり、特権ではないというのが分かるものだ。


「フリザンテーマ公、またお酒が過ぎたのかしら。足下がフラフラしてるわ」

「あのご老体も毎度のことだが、付き合わされるヴィシーニャ公には同情するな」


 フリザンテーマ公国領主のアレクサンドル・フリザンテーマ・ロストフは、ヴィシーニャ公国領主アブダラ・ムスタファ・ヴィシーニャ・アル=ムバラクがそれとなく支えていなければあらぬ方向に流れていきそうだった。


「酒癖の悪い男は嫌いよ」

「ふふふ、君が強すぎるのさ、メアリー」


 公爵も凄いペースでシャンパンを手酌で飲んでいるが、伯爵は同じようなペースで淡々とグラッパを空けている。うわばみというのはこういうのを言うのだろう。口に出すのは憚られたが。


「あらあら、そう言っていると男が寄りつかなくなるわよ。メアリー」


 近場のテーブルから席を移してきたのは、上品な老婆だった。顔に刻まれた皺は歳を示すよりも、思慮深さを見たものに感じさせた。


「あらナタリー様。義久、ヴィオーラ伯爵よ」

「ご挨拶が遅れまして……この度皇統男爵を授かりました柳井と申します。伯爵殿下におかれましては――」

「ああ、いいのよ。今日は無礼講なのだから楽にしてちょうだいな。私は陛下のあとに入ったのよ。まあ遅刻もレディの嗜みかしらね」


 ナタリー・アレクシア・ヴィオーラ・ウォルシュー伯爵は八〇代後半というには若々しい貴婦人然とした方だった。表情豊かで声もはっきりしているのがそう感じさせるのだろう。


「メアリー、あなたにこういう趣味があったとは知らなかった」


 私をまじまじと見たヴィオーラ伯は公爵殿下に冗談めかして言った。ヴィオーラ伯にかかると、あのギムレット公も孫娘のような扱いだ。


「ご冗談を。私が男漁りしたさに宮殿などにくるものですか」

「それもそうね。あなたに釣り合う男なんて、あなたのクローンを男にでもしないといけないわ。それにしても、海賊姿も様になっていたけれど、やはり近衛の軍服はいいものね。あなたのために誂えたようだわ」


 ぎょっとする私に、対面に居るピヴォワーヌ伯がウィンクをした。どうやら皇統、特に領主クラスの間では、公爵殿下の海賊稼業は常識だったらしい。


「二年前に辺境であなたと会ったときよりも痩せたかしら? 近衛の軍務のほうが海賊より忙しい?」

「そうかもしれません」

「オデットもお久しぶり。お父様は残念だったわね。葬儀にも出られず不義理なことをしたものだわ」

「道楽三昧の方でしたので、愛娘を放置した報いです。どうぞお構いなく」

「あなたも厳しいこと……そろそろご準備なさい、陛下がいらっしゃるわ」


 グラスを置いたヴィオーラ伯に合わせ、殿下達も姿勢を正して立ち上がる。


「座ったままで悪いが許せ。余の体力は卿らの幾許もないものでな」


 初めて手が届く距離で見た地球帝国皇帝の姿は、資料映像や報道で見る歳の割に高い身長が、座っているために感じられないため、思った以上に小さく感じた。病床に伏せることが多く、痩せ細っていることも関係するのだろう。


「なにをおっしゃる陛下。私よりも五つもお若いのに弱気なこと。それが皇帝のお言葉とは、耳を疑いましたわ」

「これはこれは、ヴィオーラ伯は手厳しい。卿の謹言を受けたのは幾度目か」


 さすがの私もこれには面食らった。さすが皇統でも最年長となると、陛下に対して冗談も思いのままか、と。

 陛下は二、三ヴィオーラ伯と言葉を交わすと、今度はピヴォワーヌ伯に向く。


「去年は卿の領国に随分負担を掛けた。余の言葉では領民の不満を収めるには足らぬかも知れぬが、伯国の開拓により経済発展を遂げることを祈っておる……おっと、開発については余より卿のほうが専門家だったか」

「いえ、陛下のお言葉かたじけのうございます。領主に封じていただいたことの御恩は、必ずやピヴォワーヌ伯国の発展によりお返しできると確信しております」

「うむ、できれば余がそれを見届けられる内に頼む」


 続いて陛下はギムレット公爵に向いた。


「近衛司令長官閣下と呼ばれるのも、慣れたころかな、メアリーよ」

「はっ、近衛の再建も予定通り進めております。近日中には陛下の剣と盾としての役割を、十分果たすに足るものとなりましょう」

「うむ。余が不甲斐ないばかりに、奸臣に食い荒らされた近衛の栄光は、卿の双肩に委ねられている、よろしく頼むぞ」

「御意」


 公爵殿下がここまで畏まるとは、やはり皇帝陛下の威光というのは染みついているものだと感心していると、そのまま部屋を出るかと思われた殿下が、車椅子を私の方に向けた。それも侍従長が退室を促したのを制して。


「今日、卿が男爵になったと聞いた。柳井と申したな」

 

 帝国北部方言の訛りがきつい陛下の声は、しかしどこか温かみがあるものに感じた。


「ははっ。柳井義久と申します、陛下」

「メアリーから話は聞いておる。卿の右胸に余が伯爵位の勲章を下げてやる日も、そう遠くないやもしれぬ、と」

「畏れ多いお言葉、恐懼に耐えません」

「まあ、この通りの老いぼれではある。その日が早く来ることを祈っている。ところで卿は歴代の皇帝で、偉大な皇帝をあげるとするなら、誰をあげるかな? 余のことではないぞ。余は歴代皇帝などに並べられるものではないからな」


 突然の下問に、私は戸惑った。果たしてどう答えるべきか。バルタザールⅢ世陛下の手前、同じカイザーリング家のバルタザールⅡ世陛下を推すべきか、しかしそのような見え透いた追従ついしょうを求められている気がしないのは、痩せ衰えたように見える陛下の目が、興味深げに輝くのを見ていれば分かる。


 そして、私は口に出すべき歴代皇帝の名を決めた。この間一秒以下だったろう。


「ジブリールⅠ世です」

「ほう……ジブリールⅠ世と。理由は?」

「ジブリールⅠ世の先帝、エドワードⅠ世のあとを急遽引き継ぎ、賊徒共の戦いの後に傷ついた帝国領の再建に尽力されたお方。また財務省の分割や国税省の設置、軍管区制度の根本的な整備などを行い、現在までに至る帝国の体制を固められたお方ですから」

「ふむ。帝国中興の祖も、そこまで言われれば満足であろう。うむ、よい。これからも、帝国のために働いてくれることを楽しみにしておる。壮健であれ。卿はまだ若いのだからな」

「お言葉賜り恐縮でございます」


 陛下は侍従長を促し、そのまま退室された。


「あなたよかったわね。陛下があのように声を掛けられるのは珍しい事よ。北部訛りが気になるからと、あまり長々と話す方ではないのだけれど」


 ヴィオーラ伯に言われて、私は冷や汗が流れた。


「そうでしたか……」

「ふふ、実のところ特権のない皇統貴族にとって、栄誉というものはかなりの価値があってね。見てご覧なさい、フリザンテーマ公や コノフェール候がこちらを見ているわ」

 

 手にした扇で口元を隠したヴィオーラ伯だが、目元の皺で満面の笑みなのが分かる。なるほど、このお方も中々いい性格をしておられる。


「……厄介なことにならねばいいのですが」

「殴り合いでもしてみる? 確か二〇年くらい前、おじいさまと先代のフリザンテーマ公が殴りあったのが、宮廷正史では最後かしら」


 ギムレット公爵はそう放言するが、そんなものまで残っているのかと、私は首を振った。


「滅相もない。皇統を殴りつけたなんて宮廷史に書かれるのは願い下げです」

「そうか。君は軍師としてはなかなかだが、勇者としてはいかほどか気になっていたのだが」

「殿下……」


 ピヴォワーヌ伯の言葉に私は思わず情けない声を出してしまった。それなりに軍務についていたころは鍛えていたが、殴り合いなんて新米少尉の頃以来だ。間抜けな様を宮廷史に残されるわけにはいかない。


 その後は特に変わったことはなく、少々の儀礼的な挨拶を私が済ませた程度で、祝宴会はだらだらと続いていた。


「ふふ、若い方は元気でいいわね。さて、私はそろそろお暇しようかしら。メアリー、たまには近衛でもつれてヴィオーラにいらっしゃい、オデットもね。今度のワインはなかなかの出来だと、うちの農政長官から聞いているわ」

「ありがたいことです。近衛全軍でおしかけます」

「是非とも」

「柳井男爵。あなたもお仕事でヴィオーラに寄られたら、顔くらい見せて欲しいわ。亡くなった旦那には負けるけど、あなたも中々いい男だもの」

「ありがたきお言葉。恐縮です」


 ヴィオーラ伯は足取りも軽く、向日葵の間を出ていかれた。


「さて……我らもそろそろ引き上げるとするか。柳井、宿は手配しているのか?」

「低軌道リングに家がありますので、そちらに戻るつもりでしたが」


 ピヴォワーヌ伯の言葉に、私は懐中時計を開いてみた。二四時間運行の軌道エレベーターと低軌道リングのリニアラインを使えば、日付が変わる頃にはしばらく留守にしていた自宅に戻ることができる。


「なによ、私の別荘に泊まって行きなさいな。ここじゃ話せないこともあるのだから」

「はい?」

「そもそも叙爵したばかりの皇統を、燕尾服着せてほろ酔いで乗り合いエレベータで送り返すなんて皇統の沽券に関わるわ」


 本気でそんなことを考えているのかはさておき、ここまで公爵殿下に言われては、断る術を知らない私としてはどうこうするより他ない。

 

「では、お言葉に甘えましょう」

「大蛇の棲む穴蔵に入るような顔だぞ、我が参謀総長殿」


 私の顔を見たピヴォワーヌ伯が冗談めかして言ったのを、私は今度こそ本気で否定しなければならなくなった。


「ご冗談を……!」

「下手なこと言ったら噛みついてやるんだから」


 こちらも冗談めかして口を開いて見せた公爵殿下の口には、本当に鋭い毒牙が生えているように、私には見えていた。



 ラインツァー・ティアー・ガルテン

 ギムレット公爵邸


 近衛司令長官の官舎は別にあるが、そちらは現在公爵が公的な仕事をするための場としており、帝都での生活の大半は、帝都北西部に広がる丘陵地に構えた邸宅で済ませているそうだ。


 この地は昔からオーストリア皇帝の狩猟場として用いられた経緯があり、、現在は一般臣民の憩いの場として用いられている区域の他、皇統貴族の領主と、帝都に長期滞在を要すると認められた者のみが居を構えることができる。ピヴォワーヌ伯爵邸は、領主が長期にわたり領地から離れられない現状、建設は随分後になると言うことだった。


 そこで、公爵殿下は伯爵と私を、私邸へ招いたというわけである。


「陛下の弱りようからして、あと五年というところかしら」

 

 もちろん、現代医学を用いれば、陛下のお体は随分若々しいものになるだろう。内臓機能も代替臓器があるが、どちらかというと加齢から来る筋力の弱まりが、陛下の衰弱の原因のように見えた。人工筋肉も義手・義足用の高性能なものがあるが、全身置き換えるような手術は医学史上、まだ行なわれたことはないとされている。


「まあ、陛下も今年で八〇歳を超えられた。無理な延命など望まれぬだろう」

「でしょうね。あと五、六年というのが皇宮医療団の内密な結論らしいわ」

「そうか……」


 このような話は、いくら小声とはいえ宮殿で話す類いの者ではない。いくら公爵殿下とはいえ、その程度は弁えていたからこそ、こうして私邸で話すことにしたのだろう。


「まあ、それまでに色々準備は出来るでしょう。情勢がどう転ぶかはわからないけど」

「問題は、下級貴族の趨勢だな。長いものには巻かれたいのが本心だ」


 ワイングラスを回しながら、ピヴォワーヌ伯が言う。それも当然だと私も頷いた。


「幾人かと話してみましたが、やはり大公殿下の支持が強いでしょう。当然のこととは思いますが」

「我々はまだ弱小勢力。でも五年もあれば塗り替える。あなたにも手伝って貰うわよ、義久」

「……私に何をせよと?」

「東部軍管区には、皇統男爵が六〇〇人ほどいるわ。ほとんどは東部軍と直轄領の官吏だけど、尚更あなたのほうが、接点を持ちやすい」

「それはそうですが……」

「もちろん全員と友好を保てとか、懐柔しろなんて言わない。その中の何割かでも、こちらに引き込めるのかが重要。私やオデットの方でも手を打つけど、所詮近衛の司令長官と領主様。下級貴族同士の方が話は通じやすいわ」

「そうでしょうが……まあ、この身はすでに殿下へ捧げた身。いかようにも役立ちましょう。いくつか確認しておきたいことがあります」

「どうぞ」

「まず、私の発言はそれすなわち公爵殿下の意思である、とお認めくださいますか」


 いちいち確認など取っていられないことはギムレット公も分かっているはずだ。これは一も二もなく同意するだろう。


「いいでしょう」

「また、後の公爵殿下の事業に関し、私が信頼できると感じた者には話してよろしいですか?」

「あなたを信用していないわけじゃないけど、せめて私にも値踏みさせてほしいわ」


 これも当然だった。さすがに計画の全てをつまびらかにする人間は、ギムレット公自身が選ぶべきだ。


「わかりました、それが妥当でしょう。事前に確認を取ります。それと、何を持って、公爵殿下は自らの旗印の下に集うように要請するか、です。殿下の敬称を改めることになる場合、何を持って、殿下は臣下に報いるおつもりか」


 ここがもっとも肝心だった。金で釣れば人数だけは集まるが、質は落ちるし裏切られることも考えられる。ギムレット公の差し出す条件に賛同し、精神的、軍事的、政治的、そして財政的支援を確約する人間でなければならない。


「当面の帝国領の安定、辺境惑星連合への侵攻の凍結、辺境部の整理と投資。能力に相応しい地位と名誉」

「ふむ……」

「あら、ご不満?」

「いえ、どこかで見たような案でしたので」


 私が以前送ったレポートの内容を引き写したような構想に、私はやや唖然とした。


「そうでしょうね。私はあなたの提言を概ね認めている」

「それは……また思い切ったことを」

「今の帝国の国情を思えば最善でしょう。それで? 過不足あれば盛るなり削るなりするけど?」

「ようは、大公殿下につけばどうなるかを思い知らせればいいだけのことです。そこはお任せください。私の論理の骨子は、追って提出いたします」

「ええ。でも急ぐ事はないわ。まだ時間はあるはずだもの。それに、そんなに短期間に懐柔できるとも思えない。あなた個人と、懐柔される側の信用関係というものもあるでしょうから」

「ごもっともです。できるだけ好かれるようにいたしましょう」

「皇統同士の交流なんて迂遠なものよ。でも、基本は同じ人間よ。頼んだわ……堅い話は抜きにして、もう一本空けましょう。この前ナタリー様からいただいたワインがあったはずよ」


 さて、私の赴くべき先はいかなるものか。今はまだ分からないが、巻き込まれた以上は、身分相応の働きをして、相応の報酬をもらい、細く長く生きられるように努めるとしよう。


 そんなことを、差し出されたワイングラスを見て考えていた。



<アスファレス・セキュリティ業務日誌 第一部 完>

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