第31話 男爵・柳井義久〈前〉

 帝国暦五八五年 一二月二八日 一一時〇四分

 東部軍管区三九〇宙域

 巡洋艦エトロフⅡ ブリッジ


 ピヴォワーヌ伯国防衛任務を終えた我々は、再び日常を取り戻していた。もっともその日常というのは、一般人から見れば非日常の最たる場所、戦場への帰還だったのだが。ピヴォワーヌ伯国防衛戦は長く続く辺境惑星連合の侵攻のごく初期段階の作戦の一つでしかなかった。


 私自身が完全にピヴォワーヌ伯国防衛軍参謀総長の任を解かれたのはつい先週のことで、それまでは戦死者の防衛軍葬、各種祝賀会、叙任式、さらにはピヴォワーヌ伯国や辺境のテレビ局やら出版社からの取材など、大小様々な残務処理をしていた。それらが終わってホッとしたというのが本心だ。私には、そんな仰々しい扱いをされる資格などないのだから。


『高速物体接近。方位一八五、仰角四五、敵質量弾と判定。数一二。相対速度秒速四・九キロメートル。直撃コース。射線上に味方艦艇多数』

かじそのまま。対砲撃防御、防御幕展開」


 エトロフⅡの戦闘支援システムは、前のエトロフのものに比べて丁寧だし細かいことをいってくれる。しかし、艦長の艦長のホルバインの命令は常と変わらず、落ち着いていた。


『敵艦、距離六〇〇〇』

「敵侵攻艦隊本隊は追い払ったものの、相変わらずゴロツキ共のちようりようは止まないか」


 辺境宙域での船団護衛中、所属不明の艦艇から攻撃を受けている我々は、普段通りに迎撃戦を展開していた。


「出自が帝国の外にあるか、中にあるかはともかく、海賊に成りそうな連中なんてごまんといますよ。やれやれですね」


 うんざりした様子の通信士のカネモトは、すっかり砲雷士と航海士と通信士の兼務も慣れたもの。しかし、この状態を長引かすわけにはいかないので、早く人員補充をしなければ。


「倒産した民間軍事企業のざん、辺境の分離独立主義者、愉快犯に義賊気取り。なんとまあ、厄介なものだ」


 指折り数えて見せたホルバインの表情は、この程度の雑魚は取るに足らないとばかりに気楽そうだった。さすがに鍛えすぎたか、敵襲にも動じないのはさすがだが、些か緊張感に欠ける。


「だからこそ、俺達のような仕事が存続できるわけだ。ありがたいやら何やらだな」


 対空迎撃は、基本的に自動対応。ニスカネンの仕事といえばホルバインやカネモトに相づちを打つつことだった。彼ら三人の雑談は、いつにもまして気楽な雰囲気を漂わせている。


 無理もない、先月は彼我戦力差一〇〇対一のような戦場に身を投じていたのだ。今、我々に向けて砲撃をしているのは、満足な装備も揃られないチンピラ共。敵を侮るのは良くないと思いつつ、なんとも気の引き締まらないのは仕方のないことだろう。


「それより男爵閣下、迎撃のほうはどうします? 気楽そうにコーヒーなんて飲んじゃってまあ……」


 ホルバインに促され、口を付けかけていたティーカップを指揮卓に戻す。


「冷めてはくないからな。シムシル、アライド、クナシリを差し向けろ」

「了解しました、閣下」


 先のピヴォワーヌ伯国防衛戦において、シムシル以下護衛艦は多数の損傷を受けた。幸い、近衛艦隊からの損害賠償により、三隻共に中古とは言え帝国正規軍で使われる艦隊型駆逐艦のH・U・ルーデル級に更新できた。ガンボルトやブラウン、パン辺りは嫌がるだろうが、当面は完熟のためにも動き回ってもらわねばなるまい。


「ワリューネクル、エトロフは現状維持。敵質量弾の迎撃に集中……閣下はやめてくれないかホルバイン」

「いえいえ、やんごとなき皇統貴族のお方ですし、なあニスカネン」

「部長が皇統男爵であらせられるのは事実ですからね。カネモトも気をつけろよ」

「閣下のご機嫌を損ねては一大事ですからね」


 相変わらず、ホルバインとニスカネン、カネモトは私のことをちやして閣下と呼んでくる。そう思うなら、多少は閣下らしい待遇でないと割に合わない。


「……君達三人は、私に恨みでもあるのか、いやまあ私にも心当たりはあるが」


 何せこの数年、彼らにはいろいろ無茶を強いてきた。時には私がサンドバッグにならねばならないだろうなどと露とも思わないが。


「まあ、このくらいの嫌がらせくらいなんともないでしょう」

「部長のストレス耐性の強さは、この前の現場でもよく見させてもらいましたから」

 

 ホルバインとニスカネンは一つも悪びれる様子もない。大袈裟に溜息をついてみて、せめてもの抗議の姿勢を見せたところで効果はないだろう。


「まったく、私は帝国の弥栄のために粉骨砕身の思いだったのに、これが我が部下かと思うと涙が出てくる」


 ごとを交わしているうちに、敵艦は沈められるか逃げ去り、船団は再び超空間潜行を開始した。



 一九時〇四分

 司令官執務室


 戦闘も一段落し、敵襲もない超空間潜行中は艦内も靜かだ。私は自室で書類整理をしながら、ウイスキーを飲もうと戸棚から引っ張り出したときだった。


『ホルバインです、今よろしいですか?』

「鍵なんてかけてないさ。入れ」

「不用心ですなぁ、男爵閣下。暗殺でもされたらどうするんです」


 鍵などかけたところで、艦長であるホルバインにはマスターキーも預けてある。その気になれば、寝ている私を永眠させることもやすいだろう。精々不興など買わないようにしなければ。


「皇統男爵程度で暗殺されるなら、今頃帝都は血の海だよ」


 皇統男爵だけで、帝国には一〇〇〇人ほどいる。傍系まで含めれば、一番数が多い皇統だ。その大半は、一般市民と変わらぬ生活をしているというが、私もその列に加わってしまったわけだ。


「おや、仕事もせずウイスキーとは、良いご身分で」

ざかしいことをいうな。大方これが目当てでここに来たんだろうに。ちょうどいい、付き合え」


 いつも通り、というか彼用のショットグラスまで用意してしまった私も、随分とおひとしなものだ。作り付けの戸棚からグラスを取り出すと、同じ量だけウイスキーを注ぐ。グリポーバル参謀に手土産にと持たされたラ・ブルジェオン産のウイスキーは、いつもの安ウイスキーにない深いモルトの味わいがあった。


「聞きましたか、クリモフ指導将校のこと」

「ああ、中佐に昇進だそうだ。帝国軍としても、クリモフ指導将校が早期に警告してくれたおかげで、ピヴォワーヌ伯国防衛の任務に間に合った、ということにしておきたいのだろう」


 結局、伯国防衛軍司令部に辿り着いた第一二艦隊司令長官、ハリソン・グライフ提督は、ギムレット公爵からのキツい叱責を受けたが、一応来たということでおとがめ無しとなったらしい。しかし、フロイライン・ローテンブルクからの報告では、さらに興味深い事実が明らかになっていた。


「グライフ提督自身は、早期にピヴォワーヌ伯国へ布陣するつもりだったらしい。問題は出撃を止めていたのが、国防省ということだ」

「ホーエンツォレルン元帥でなく、さらにその上の差し金で?」

「さあな。我々には分からない」


 東部軍管区と中央の連携が悪いのは今に始まったことではない。東部軍は現地判断を優先させる傾向があるのだが、これが気にくわないのだろうというのが私の見解だ。公爵殿下の見解も、真相が分かると私と同一だったので、恐らく軍事関係者の認識として一般的なものだ。

 そして、国防省がいくらお役所仕事とはいえ、第一二艦隊の動きを制限するほど強い指示を出せるとは思えない。誰かやんごとない階級のお方が絡んでいるのは間違いなかった。


「それにしても、今期の業績は、過去数期分を足しても追いつかないでしょうね」


 机に放り出していた書類を一瞥したホルバインが、感慨深げにいう。


「ああ。君の夢だった護衛部隊の収益部署化は、ここで果たされたわけだ」

「まだまだ。第三艦隊辺りを吸収合併して、第一、第二戦略部の後背を脅かすくらいはやりたいですよ」


 第一、第二艦隊は帝国辺境での大規模案件を請け負い、第三艦隊はより小規模で、本国や領邦に近い宙域での案件に投入される。それが我が社の長年にわたる職掌ではあるが、護衛艦隊が規模を拡大した今、第三艦隊はその存在意義が薄れつつある。確かに吸収合併するなら今のうちだろう。


「君も貪欲だな、ホルバイン」


 そういえば、数年前私と彼が初めて出会ったアルバータ星系での任務中、彼はそんなことを口にしていた。あのとき私と彼が膝を突き合わせながら話し合っていたのは、この部屋の半分もない、艦体構造の隙間と呼ぶにふさわしい部屋だった。それが今や、皇室クルーザー並の装備を持つ巡洋艦に代わり、二人して優雅にくつろぎながら酒が飲める。


「ええ、それはもう。部長にはそのためにも、さらに出世してもらわねば」

「私にネーグリ専務やギュンター専務を追い落とせというのか?」


 艦隊司令長官、参謀本部長の二人は今年で就任一〇年目。そろそろ後身に席を譲る頃合いだろうなどと考えつつ、本社の椅子でふんぞり返る自分というのは、あまりしっくりこない。


「ははは、部長なら穏当に済ませてくれる者と信じていますよ」

「やれやれ……中途採用から一〇年、拾ってもらった恩は十分返した。私の出世は君達の生活の安定にもつながる。ロージントン支社を預かったからには、もう少し欲を出すべきか」


 帝国軍を追い出され、本国の軌道エレベータ技師か輸送船の乗組員にでもなろうかと思っていた私を拾ってくれたのは、当時のアルテナ課長だった。今や彼女も私も部長となり、この会社にしては重責を担っている。いずれ彼女もさらに高位の役職に着くときがくるだろう。


「まあ、それも我々が辺境の奥地で戦死しなければの話だ。お互いの武運に期待するとしよう」

「悪運ならば自信はありますがね」

「それもそうだな」


 お互いに空にして見せたグラスにウイスキーを注ぐと、益体もない雑談をしばらく続けた。私と彼、そしてロージントン支社の面々の戦いはまだまだ続くのだろうが、今はとりあえず、手にしたグラスの中身をあおることだけ考えておけばいいのだ、と自分に言い聞かせていた。


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