第30話 決戦!ラ・ブルジェオン沖会戦〈3〉

 二一時四八分


「アリー、我が軍の残存艦艇数は」

「戦闘母艦二、重戦艦四。それと軽戦艦、巡航戦艦併せて四、巡洋艦一八、駆逐艦が二〇」

「大半はアスファレス・セキュリティ艦隊のものか……損傷艦は」

「中破艦で戦列を維持できてるのは巡洋艦が四、戦艦三、駆逐艦二」

「では、中破した巡洋艦と駆逐艦から乗員を直ちに退艦させろ。火器は全て自動応戦、最大加速で敵艦隊に突っ込ませろ」

「特攻!?」

「くれぐれも、乗員は全て降ろすように厳命しておけ。急いでくれ、敵がこちらを特攻もいとわないと思わせられれば、まだ時間が稼げる。くれぐれも敵に悟られるな」


 帝国で使用される戦闘艦艇は、万が一に備えて艦橋などの主要区画を切り離し、救命艇になる機能が付与されているが、いささか目立ちすぎる。そこで私は、内火艇などを用いて、敵が気づく可能性を最小限に抑え、退艦作業を進めさせた。


「無人艦の前進開始と同時に、全艦第三防衛ラインまで出るぞ。敵に艦隊特攻と思わせておいて、その後急速反転、離脱する。提督、よろしいですね」

「了解した」


 提督が苦々しい顔なのも当然で、修理すれば再び防衛軍艦隊の艦艇として十分使えるものを、私は一度きりのミサイル代わりに使おうとしていた。しかし、修理にしろ何にしろ、この戦闘で負けてしまっては意味がない。


「総員離艦を確認。無人艦、突撃開始しました」

「全艦動きを合わせろ。前に出すぎるなよ」


 グリポーバル参謀の報告に合わせ、ピヴォワーヌ伯国防衛艦隊とアスファレス・セキュリティ艦隊が残る最後の戦力で、総攻撃をかけるように見せかけた擬態を行った。


「無人艦、最大加速に入ります……敵艦隊、距離を詰めてきません! 後退していきます」

「かかったな。全艦反転一八〇度、急速離脱!」

「無人艦、敵艦隊に突入!」

「自爆コード送信!」


 対消滅反応炉や誘導弾などを誘爆させたところで、先ほどの燃料廠の自爆とは規模が違う。しかし、敵にしてみれば、突然艦艇による特攻をしてきたという事実が、なお恐ろしいだろう。


「第四防衛ラインまで後退後、再び反転。長距離攻撃を続行する」


 私はこのとき、他の艦長達が我先にと特攻を具申してくるのではないかと気が気ではなかったが、さすがそれほどの突撃バカはこの艦隊に残っていなかった。そう、たとえ実施しても、勝ち目などないのだということを、誰しもが感じ取っていたのだから。



 二二時〇〇分


「艦長、敵艦隊、静止軌道にまで達しました」

「敵艦隊より全周波で降伏勧告です。映像付きです」

『我々は、辺境惑星連合統合突撃艦隊、教導委員のニコラス・ホンレイです。我々は帝国と呼称される人類を不当に統治している政体からの解放を目的として、当該星系へ侵攻した。我々は無駄な殺戮を望まない。願わくば、現在の戦闘を中止し、投降してもらいたい。無駄死にはするな……特攻など、何の益がある』


 辺境訛りの帝国公用語の通信を聞いて、情けをかけられた。まあそれもそうだろう。一撃で勝負は決まるが、徹底的にたたつぶしたあとでは、残る地上の人間の心情が複雑なものになる。しかし、敵が思いとどまった理由が先ほどの無人艦による偽装特攻だったことは、私の判断を一部正当化するものだった。


『諸君らは勇敢に戦った。しかし、現時刻をもっても、帝国軍は救援に来ない。これがどういうことを意味するのか、お分かりのはずだ。諸君らは見捨てられたのだ』


 時間稼ぎはいくらでもしてみせるが、現実的にはこれで終いだ。


「政庁の伯爵閣下へ通信を――」


 降伏受諾の進言をしようとした瞬間、開きっぱなしの通信回線に新たな回線が割り込んだノイズが入った。


『誰が見捨てたですって!? 勝手なこと言わないでちょうだい!』

「今のはなんだ?」


 明らかに声質の違う、不服そうな女性の声が全周波で流れている降伏勧告に割り込んだ。あまりの高出力に、かなりノイズが入っている。


「超空間通信の強制介入です。いったいどこから……」

「新たに浮上する艦艇多数……識別信号は、友軍! 友軍です!」

「バカな!? 今更!?」


 エマール提督が叫ぶ傍ら、私は識別信号の表示を見て驚いていた。


「間違いない! 近衛艦隊だ!」


 帝国皇帝直轄、帝国皇帝がいくところ近衛艦隊あり。有事には皇帝の身辺警護だけでなく、敵艦隊の討伐も行う、文字通り皇帝の盾であり剣である。


『待たせたわねピヴォワーヌ伯国の諸君! これだけの戦力差をよく支えてくれた! 遅くなったことはびましょう!』

「旗艦の識別信号を確認。近衛艦隊総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナ。随伴艦もいっしょね。近衛基幹艦隊がお出ましとは……その後方に、ジュピター級重火力プラットフォームが六!」


 慌てて近場のコンソールにとりついたベイカーの声に、さらにブリッジの困惑と歓喜、安堵の声が飛び交う。報告のあった艦艇は、全て近衛艦隊の所属艦で間違いない。それも旗艦は今年就役したばかりの最新鋭艦。随伴艦も旗艦と同じで近衛総司令官直属の虎の子だ。


 それに加えて重火力プラットフォーム――軌道都市に大火力の要塞砲をはじめ、多数の火器を据え付けた移動火力拠点――というのも信じがたい。


「各方面軍の重火力プラットフォームを全て動かしたのか……」


 これだけでも大層なものだが、全周波数で発せられた映像通信、さらには浮上してきた近衛艦から出力された巨大な立体映像に映る深紅の軍服を見て、ぜんとした。


『辺境惑星連合の諸君らに告げる。私は近衛軍司令長官、メアリー・フォン・ギムレット! 以後お見知りおきを。このメアリーが来たからには、好きにはさせない! これまでのろうぜきの数々、全て清算していただくわ!』


 あのギムレット公爵が自ら出陣。しかしこれは、私の予想のはんちゆうだった。海賊のときからして、実用性よりも見栄えに重点を置いた服装と艦の塗装をしていた彼女が、この程度のことをしないわけがなかった。彼女は皇帝の代理人としてここに来たのなら、そのくらいの演出はしても当然だ。


「エカテリーナより退避命令! 重荷電粒子砲です!」

「射線上の全部隊は退避!」


 ブリッジがにわかに騒がしくなり、ジャンヌ・ダルクも残った推進器をふかして回避運動に入る。その鼻先をかすめるように、重火力プラットフォームと近衛艦隊の戦艦から重荷電粒子砲が発射された。


 同じ名前の武器でも、あちらは帝国正規軍仕様の超大口径砲だから火力が二桁は違う。漆黒の宇宙をでたような光が走り、あとに残るのは全ての物質が揮発し、クリアになった空間だけだ。


『辺境惑星連合の艦隊ものに告げる。神聖不可侵なる帝国領土を侵犯した諸君らを、我々は次の一撃でこの宇宙から完全に消滅させることは容易たやすい。


 しかしながら、畏れ多くも皇帝陛下より、撤退するならば見逃すようにとの勅命を賜っている。諸君らが尻尾を巻いて逃げるというなら、私は皇帝陛下とギムレット公爵の名に誓って追撃はしない。


 我々は皇帝陛下のこころに従い、寛大な心で見逃す。我々は、諸君らの勇気とそうめいさを、拍手をもってたたえるだろう。


 皇帝陛下の恩恵に浴する光栄を噛みしめ、帰路へつくことを勧める。直ちに帝国領内より退去せよ。これは最後の警告である。


 それとも、我が艦隊の砲火の前に、一兵残らず抵抗し撃ち果てるか……二者択一。直ちに決断せよ』


 大仰な身振り手振りに尊大な口調、最大限の敬意に見せかけた嘲笑。敵にしてみればたまったものではないだろう挑発的な言葉だが、深い痛手を負った敵にとっては不幸中の幸い、渡りに船といったところだろう。


 さすがの辺境惑星連合も、重火力プラットフォームが六基も投入されるのは予測できなかっただろうし、すでに第二射の用意が調っていることも、観測機器を見ていれば分かるだろう。密集隊形が裏目に出たわけだ。


「敵艦隊に重力波反応、超空間潜行に入る模様です。方角は帝国領外方向」

「寄り道せずにちゃんと帰ってくれたか……提督、全艦に周辺警戒させつつ、最終防衛線まで後退しましょう。損傷艦は直ちに浮きドックへ。脱出艇、救命ポッドの捜索、回収も並行して行うよう、各艦に打電」

『さすが元辺境の大海賊。かんろくが違いますね』


 開きっぱなしのエトロフⅡの回線の音声は、私のインカムにしか流れていない。しかし、思わず私は周りを見渡した。一応、ギムレット公爵が元海賊、ブラッディ・メアリーであるというのは公式記録として存在していないのだから。


「迂闊なことをいうなよホルバイン……何はともあれこれでゲームセットだ。君達も一度こちらに戻ってきてくれ」


 公式記録では、全ての艦艇が戦闘態勢を解除し、脱出者などの救助が終わったのは一一月二七日二三時三九分。ピヴォワーヌ伯国建国史上、初の戦争はこうして幕を閉じた。



 帝国暦五八五年 一一月二八日  〇七時三四分

 ラ・ブルジェオン国立宇宙港


 私を含めた将兵は、諸々の処理を済ませ、各々その場で崩れ落ちるようにして眠ってしまっていた。結局艦隊首脳部が惑星地表に降り立ったのは戦闘終了から約八時間後。ジャンヌ・ダルクは損傷がひどく、応急処置が終わるまで大気圏再突入は難しいので、エトロフⅡ――あの激戦のさなか、かすり傷一つない――でラ・ブルジェオン宇宙港に降り立った。


「エマール、柳井!」


 この早朝だというのに、宇宙港に出迎えに出てくれた閣僚や市民達の列から、伯爵が駆け寄ってくる。まさかこちらもそれを待つわけにいかず、小走りでそちらの方向へと駆け出す。


「皆、よくやってくれた。本当にご苦労だった」

「艦隊に甚大な出してしまい、お詫びの言葉もございません。現地指揮官である私一人の首で済むものならば、いかようにでも」


 私が歩み出るよりも先に、エマール提督が頭を垂れた。本来であれば作戦を立てた私が責任を負うべきなのだが、彼もまた、一軍の将としての役割を知ったのだろう。


「軍隊とはそういうものだ……エマールを責めるつもりはない。責任というなら、エマールではなく私が負うものだ。よく戦線を支えてくれた」


 広い駐機場を、続々と走ってくる閣僚達の姿は、どことなく牧歌的だった。せめてカートくらい出せば良いものを。続いて辿り着いたのは電動車椅子のモーターをうならせながら飛び込んできた防衛軍司令長官閣下だ。私の手を握り、司令長官は深く頭を下げる。


「アスファレス・セキュリティにも大分損害が出たと聞く。このてんは我が国の誇りに賭けても行わせてもらおう」

「我々は近衛艦隊にこの星系への増援を依頼されたものです。請求書はそちらへ回しますのでご安心ください」


 私の言い草に、司令長官閣下は目を丸くし、伯爵閣下も苦笑いを浮かべていた。後ろでグリポーバル参謀が笑いをころしているのが分かる。


「柳井、もうこちらに来ていたの」


 突然、帝都で聞いたような声がして、私が振り返ると同時に、周りにいた軍人や閣僚達が一斉にひざまずき、遅れて気づいた遠くの市民達もそれに習う。


「公爵殿下!」


 最後に私が跪こうとするが、メアリー・フォン・ギムレット公爵はそれを手で制した。


「楽にするがよい。この困難な局面を、ピヴォワーヌ伯国が乗り切ってくれたことを、私は皇帝陛下に代わり、皆に礼をいいたい。ありがとう。これからも帝国の良き友邦として、共に繁栄していこうではないか!」


 帝都で見たざっくばらんな話し方はなりを潜め、皇統貴族らしい言葉を発する姿は、やはりこの方が、帝国皇統に連なるということを再認識させられた。マイクもないのに、一〇キロメートル先でも聞こえそうな声に歓声が応える。


「祝勝会の手土産くらいは持ってこなきゃと思ったんだけど。まだ早かったようね」


 手にしたシャンパンボトルを掲げて見せた公爵に、さすがの私も唖然とする。よく見れば、エトロフⅡの傍らに、一人乗りの小型シャトルが駐機している。皇統公爵ともあろうものが、いかに友邦領内とはいえ護衛機も付けずに、単身でシャトルを操縦してここまで来ているのだ。やはり海賊をやっていただけのことはあるというべきか。


「伯爵、それに柳井とベイカーに話がある。どこか部屋を借りられるかしら? ああ、あなたのエトロフⅡでいいか」


 何を言い出すのだ、と思ったが、元の持ち主にいわれたのでは仕方がない。私は公爵と伯爵を連れて、髑髏どくろこそないものの、海賊船時代と変わらぬ深紅のエトロフⅡへと向かった。



 〇七時四六分

 巡洋艦エトロフⅡ 格納庫


「捧げー銃っ!」


 どこから私が伯爵と公爵を連れてくるのか聞き及んだのか、エトロフⅡの格納庫には、艦内手空き総員が儀礼装を着用したじよう兵として待機していた。格納庫の人間用ハッチから指揮官訓示に使う演台までは赤い絨毯が敷かれ、ホルバインに至っては、どこから取り出してきたのか儀礼用サーベルまで装備して万全の構えだ。いつの間にこんな演技まで部下達が習得していたのかと、私は伯爵達に悟られないようにしつつ驚いていた。さらには、どこから湧いて出たのかフル装備の軍楽隊が栄誉礼など演奏し始めた。エトロフⅡには軍楽隊の乗り込みなどないはずだが、どこから湧いて出たのか。


「さすが、整備も訓練もきちんとしているようね、柳井」

「はっ、光栄の極み。それにこの艦は殿下より賜りましたものですので、疎かにはいたしません」

「よくいうわね」


 私の言葉に一瞬憮ぜんとした公爵だったが、見事な答礼を返して閲兵を終えた。続いて艦内に入ると、当然のように公爵は旧船長室、現在の貴賓室へと足を向けた。


 〇八時一〇分

 貴賓室


「ここもそのままか。あなたが使ってもいいのに」

「私には過ぎたる部屋です」


 私は本来なら侍従武官クラスの、ホルバインは平参謀クラスの使う部屋を自室として使っていた。この艦を接収した時点で、調度品類もまとめて我が社の管理下に入ったが、グラス一つで私のスーツであれば一〇着分にもなりそうなものがゴロゴロしている。そんな部屋はさすが落ち着かない。


「確かに義久には豪華すぎるわね」

「アリーは柳井に手厳しいわね。そういえば、あなた達は同期だったか」


 もしかすると、ベイカーがここにされたのは公爵の差し回しだったのではないだろうか。でなければ、数十人はいるはずの近衛の准将の中で、彼女がピヴォワーヌ伯国に派遣されるとは思えない。


「アリーには私の主席副官として、いろいろ手伝ってもらってたのよ。聞いてなかった?」

「あれ、義久、知らなかったの?」

「初耳です」


 思えば、この二人の性格には共通する点も多い。公爵を見たときに感じたデジャヴは、ベイカーを見ていたからだろう。


「オデット、見てこれ私が海賊時代に使ってた銃。こんなものまでそのままにしていたのね」

「メアリー、お前はまたこういう趣味のものを……昔から変わらんな」


 メアリー・フォン・ギムレットがブラッディ・メアリーだったと知るのは限られた人間。そういう題目だったはずだが、伯爵と公爵の会話を聞いていると、その限られた人間というのは存外に多いらしい。


「伯爵は私の義理の姉に当たる。私が海賊になって、何故帝国軍正規品の補給を受け続けていたか、分からないあなたではないでしょう」


 皇統の血統図も、非公開部分まで含めた完全版をフロイライン・ローテンブルクからの資料と共にもらっていたのに、その部分を失念していたのは、私もヤキが回ったといわざるを得ない。


「……伯爵が手伝っておられたのですか」

「これは帝国中央も知っていることだ。でなければ陛下が皇室ヨットを提供するはずがあるまい」


 誰がこのエトロフⅡ、いやブラッディ・メアリー号や、海賊の武器を支給していたかは今更追求しても詮無いことではあるが、まさかここにその主犯がいるというのは、灯台下暗しとはよくいったものだ。


「辺境には東部軍以外の押さえが必要。東部軍が変な気を起こしても掣肘せいちゅうできる力が必要。そのための工作活動として、私は辺境で海賊をやっていた……といったら、信じてもらえるかしら?」

「私のような者には到底想像できないことです」

「で、昔話はこのくらいで。柳井、あなたは何か報告すべきことがあるんでしょ?」


 公爵殿下は千里眼と地獄耳の持ち主らしい。私は懐に収めていた合成紙を取り出すと、机の上に置く。


「フロイライン・ローテンブルクから、気になる報告が入りました。どうやら帝国中枢部に、このような怪文書が出回っているようです」


 二度目のフロイライン・ローテンブルクからの電話は、ごく短いものだったと同時に、ある一通の怪文書のデータが送られてきたのだった。怪文書をいちべつした公爵は、ベイカーにその紙を渡す。ベイカーは苦虫をかみつぶしたような顔でその文章を読み上げた。


「ピヴォワーヌ伯国は、帝権のさんだつたくらみ辺境惑星連合と手を結んでいる。わざわざあのような辺境に領地を置いたのは、そのためである……帝国軍は賊徒がピヴォワーヌ伯国に揃ってから、両者を討つべきである」

「ほう。誰かは知らぬが、過激な発言だ」

「帝権のさんだつ? ほう抜かすなって話よ」


 口調こそ不機嫌そうな伯爵と公爵だが、揃って表情は笑みを……この場合、すごみのある、という接頭語がつくものを浮かべていた。それにしてもこの二人、立ち居振る舞いだけなら爵位が逆でも不思議ではない。二人とも公爵というのもありだろう。


「私が虚偽を申している、ということも考えられますが」

「それをしてあなたに何の利があるというの?」


 ぴしゃりとはねつけられたのは公爵からの信頼の証でもあるのだが、こうもあっさり信じられると、情報元のソースもきちんと問いたださなかった自分の迂闊さを呪いたくなった。


「東部方面軍の動きが妙に遅いのもうなずけます。彼らはここに、首謀者と共犯者が揃うまで待っていた」


 ベイカーの言葉に私もうなずく。アルバータのときと同じだ。東部方面軍は、明らかに何らかの意図を持って動きを遅らせている。その証拠というにはあまりにも貧弱なコピー紙を、私は見つめていた。


「東部軍はむしろ出撃を早めたかったのに、中央から何らかの圧力があった、というわけか。誰が企んだことかは分からぬが、自作自演なのではないか?」


 帝国中央政府、あるいはその上位にある者でなければ、これだけのことはできない。つまり怪文書の制作者とこれを鵜呑みにして東部軍を締め付けたのは同一人物ではないかと、伯爵は推測しているようだ。


「オデットを敵視するような阿呆といえば……まあ、それは置いとくとして、セコい真似をしてくれるわ」


 公爵が不満げに合成紙を放ると同時に、ブリッジからの通信が入った。


「私だ。どうした?」

『部長、お取り込み中のところ失礼します。軌道上のワリューネクルから打電、第一衛星軌道に帝国軍第一二艦隊の基幹艦隊が浮上しました』


 ホルバインの声は一切ぶれず、慌てることなく、気楽な様子だった。基幹艦隊ということは、それだけで戦艦二〇隻を抱える文字通りの第一二艦隊の主力だ。今頃第一衛星軌道の辺りには盛大に浮上に伴う励起光が輝いていることだろう。もう一二時間ほど早く来てくれれば、我々が苦労することはなかった。いや、事態はより複雑化していたかもしれない。


「第一二艦隊のグライフも、形式上司令部へ詫びに来るでしょう。適当にいびってやるんだから。アリー、ここの通信設備借りて、グライフに地上へ出頭するように命令しておいてちょうだい」

「はっ!」


 皇統から直々に叱責を受けるというのは、控えめにいってもかなりの重い処置ではあるのだが、殿下はそう思っておらず、本気でいびるだけで済ませるつもりかもしれない。ベイカーが退室したあと、私は残った二人の皇統から、何が告げられるのか注視していた。


「で、伯爵、結論を聞こうかしら」

「彼の能力に異存はない」

「それは良かった」

「……どういう意味です?」

「あなた、帝国軍に戻らない? 最初は兵站本部出身と聞いていたからどんな事務屋かと思っていたけれど、実戦指揮もできるなら話は別。あなたも知っているでしょう? 帝国軍から民間にヘッドハンティングされていく軍人がいるように、民間から帝国軍に引き抜かれる人材も多いことを」


 まさかこの台詞せりふを聞くことになるとは思わなかった。しかし、仮にも帝国軍重鎮といる立場にいる皇統からとは思わなかったが。


「畏れ多いことです。私の経歴をご覧になられたのでしょう? こんな男が今更帝国軍に戻るなんて、ゾッとしませんね」


 私は叛乱軍の鎮圧任務に就いた際、当時副長を務めていた乗艦の艦長命令に背いた。その件で帝国軍を追われることになったのだ。別に誰に対しても反抗心を抱くわけではないが、そういった素質を持つ者を、上意下達が厳命される帝国軍に戻すのは、あまり得策ではないだろう。そもそも、私は一介の事務屋でしかない。


「あなたがその気なら、今すぐ近衛中将くらいにはしてあげられたのだけれど。近衛は豊富な実戦経験を持つ人間が喉から手が出るくらい欲しいの」


 破格の待遇だ。私の最終階級は少佐。普通に務めていれば、今頃中佐くらいにはなっていただろうが、兵站本部でそこより上に上がるとなれば政治力が必要になる。帝国軍の実戦部隊にいたとしても、戦功があれば良いというわけでもない。


「私にはアスファレス・セキュリティの護衛艦隊を社の優良部門に仕立て上げるという、部下との約束があります」


 私がエトロフに着任したとき、エトロフ艦長のエドガー・ホルバインは、彼はそういって私に夢を語ってくれた。私は彼の決意を無駄にするわけにはいかなかった。


「義理堅いわね……まあ、それもいいでしょう。ただ、私と伯爵との仲を知られた以上、ここで話を終わらせるのは中途半端も良いところ。あなたに私達の計画を教えてあげましょう」

「よろしいのですか?」

「あなたが義理堅いのは十分分かった。ならその義理堅さ、私達に向けてもらえるわよね?」

「……伺いましょう」


 どんなろくでもない考えを聞かされるのかと、妙な汗が流れる。


「私達は皇帝の座を狙っている」


 前置きも何もない帝国皇統からの言葉に、私は唖然として伯爵と公爵を見やる。その反応を楽しんでいるかのように、二人は悠然と笑みを浮かべている。


「……皇帝陛下を暗殺なさると仰るので?」


 口を開いたあとで、あまりにも迂闊な発言ではなかったかと後悔した。バルタザール・フォン・カイザーリングのあとを継ぐのはフレデリク・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン大公殿下というのが大勢だ。武闘派だが、それなりにそうめいで若い大公殿下のご尊顔を想像した私は、そのときの帝都の混乱を想像していた。


「もちろん、平和裏にことを運ぶつもりよ。たとえもう一人そういう人間がいても、向こうから帝位を譲るように仕向ける」

「何年かけるおつもりで?」

「一〇年経ったって、私と伯爵は四〇代、あなたも五〇そこそこ。もうろくしてるようなとしじゃないでしょう?」


 過激さが売りの公爵殿下とはいえ、案外現実的なことを言うモノだと私は心の中だけで感心した。しかし、だからこそ一介の会社員に過ぎない私をどうするつもりか気になった。


「で、私になにができると仰せです」

「今はまだ分からない。でも、帝都で話したでしょう? 私には手駒が欲しい、と」

「……私の一存では決められませんね。私は一介の会社員に過ぎません」


 私は宇宙を自由に飛び回る海賊ではないし、まして帝権を脅かす反動勢力ではない。帝国政府と臣民の信認を受けて営業する帝国民間軍事企業の人間なのだ。


「構わないわ。あなたがどう動くかじゃなくて、私がどう使うかですもの……まあ、拒否権なんてないわ。私達の話を聞いたのなら、ただで帰すわけにはいかないもの」


 美人に殺されるのであれば悪くないなどと思うのは、生死を賭けた決戦のあとだからだろう、感覚がしているのを自覚した。ただ、本気で殺すとは思えない。


「仰るとおりで。土産も無しに帰るほど、無欲にはなれませんね」

「いいでしょう。ではあなたにふさわしい報償を」


 公爵殿下はそういうと立ち上がり、軍服のポケットからきらびやかな装飾の施された勲章を取りだした。


「柳井義久、あなたはピヴォワーヌ伯国防衛の任に際して、多くの武勲を上げました。その功績により、ピヴォワーヌ伯国名誉元帥の称号を贈ると同時に帝国皇統男爵の位を、帝国皇帝に成り代わり、メアリー・フォン・ギムレットの名において遣わす」


 自分で言い出しておいて妙なものだが、これほどまでにあっさりと爵位を受け取ることになるとは思わなかった。


「……タダ、というわけではございませんでしょう?」

「理解が早くて助かるわ。あなたの会社には、今後もいろいろ頼むことになるでしょう。ま、その辺りを理解してくれていれば十分よ。皇統男爵の地位は、あなたの行動の自由を広げてくれる。好きなように使いなさい」


 そういってほほんだ公爵殿下だが、私にはこの皇統男爵の地位が行動の自由を広げるものではなく、彼女からめられた首輪だと理解していた。

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