大学編 第58話


 水無瀬つばめのことを語ろう。

 

 彼女は子供の頃、物心つく前に母を亡くす。彼女の父親はそんな亡き妻を悼み喪に服すことなくさっさと後妻をもらってしまった。後妻の女性は先妻の子であるつばめの事を直接的な体罰はしなかったが育て関わることを放棄し存在を無視した、そして実の父はと言えば後妻と似たような態度を彼女に対してとっていたのだ。そして程無く後妻との間には腹違いの弟が生まれたがその子は姉とはほとんど関わりなく過ごしている。

 水無瀬つばめは父からの愛情を受けることなく放置された、彼女を専ら育ててくれたのは執事の真木と父の屋敷の女中だった。この執事がいなかったらきっと水無瀬つばめは今とはもっと違う人格になっていただろう。


 そんな彼女だったがある時、転機が訪れた。その時の水無瀬の家の当主、滅多に行くことのない祖父のお屋敷に真木に連れられ訪れた日だ。それまでは彼女の立場は部屋の隅に置かれた置物の様な存在だった。


 お屋敷の玄関には物凄く大きな絵が飾られている。有名な絵師が描いた高価なものらしい。つばめ以外の訪問者みんなが当主に気に入られようと大袈裟に褒める絵だったが彼女はおかしいなと思い、普段は会話することもない祖父が珍しく彼女に話し掛けてきたときにこっそりと


 「お祖父様。何でこの前、飾っていた絵と違うのを飾っているのですか?」


 と尋ねたら、祖父は目を見開き、その後に面白そうに笑ったのだ。


 「なぁ、つばめよ。この前の絵とどう違う?」


 「どうって、全然違いますわ」


 「……そうか、それじゃどっちが好きだ?」


 「そうですね。以前、飾られていた絵の方が好きです」


 「……そうか、わかるか」


 どうやら祖父は本物の絵と贋作の絵を日ごとに取り替えては来客が何と言うかを面白がっていたようだ。もしくは贋作を見て気づくか水無瀬家の人達の観察眼を測っていたのかもしれない。


 そんな会話をしてから祖父はつばめを事あるごとに呼び、彼女を傍らに置いた。時には幾つもの焼き物を並べて彼女を試すように尋ねるのだ。


 「なぁ、つばめよ。この壺はどう思う?それともこっちが良く見えるか?一番良く見えるのはどれだ?」


 「どれって、先程からお祖父様が手にしているお茶が入っている湯呑みが一番ですわ」


 「ははは、正解だ」


 「でも、こっちの器もきちんと使っていたら負けないぐらい味が出ると思います」


 「……そうか。それじゃ、これも大事にするかな」


 そんな感じで始めは試されたりしていたが、しばらくしてからは彼女の受け答えがお気に召したのか一流の料理人が作る食事、一流の芸を持つ職人など、その道の一流と言われる人々のいる場にも連れていかれた。彼女は学校の勉強も運動も優秀だったので


 「本当につばめは大したもんだ」


 そう言って祖父は彼女の頭を撫でたのだ。


 そのうちに、祖父の事業の方にも連れていかれることになる。勿論、大人の会話に加わることは無いが、部屋の隅で祖父と話す彼らを観察して、その場を離れたら祖父は必ず彼女に尋ねるのだ。


 「つばめ、さっきの男はどう思う?」


 「……お祖父様に対して何か疚しいところがあるのではないでしょうか?」


 「……そうか、やはりな」


 案の定、その時に見た男性は横領をしていたことが調査で判明した。どうやら彼女には物の価値だけでなく人を見る目も備わっていたようだ。


 そして彼女は突然、祖父に


 「つばめ、海外の学校で学んでくるか?」


 と聞かれたので


 「身の回りの事を真木さんにお願いできるなら」


 と答えて留学をさせてもらうことになった。

 

 祖父は彼女に随分と期待していたようで海外に行って見識を深めることを望んだ。


 そうして海外から戻ってきた水無瀬つばめは祖父から当主の後継者になることが一族内にて発表された。勿論、中には反対する者もいたが、当主である祖父の鶴の一声に逆らえる者は無かった。


 もし、赤の他人が彼女の伝記を書くことがあるとしたら、きっとここが水無瀬つばめの人生で最高潮に達していた時だったと記されていただろう。

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