第18話 天国の噂話

 広大で乾いた砂漠に一夜にして突如出現した大河がある

 その大河を遡ると、地平線まで続く草花の平原が広がっている

 それは放牧した家畜がどれだけ草を食べてもなくらない永遠の草原であり

 永遠の草原の向こうには、世にも美しい女神を崇める神殿があるらしい


 一族の集まりのテントで披露された、あまりにも現実離れした噂話を遊牧民達は呵々と大笑して一蹴しました。

 誰もが妄想する、どこにでもよくある類の願望を反映した話だったからです。


 ところが「そういえば」とある男が聞きつけてきた「ラジーの砂鷹すなたかの一族が今年は娘を4人も嫁に出した」という噂に態度を改め、親交を深めるための集まりは俄に真剣味を増しました。


 ラジーの砂鷹の一族は、オスマの蜘蛛蠍くもさそりの一族と遠い親戚関係でしたので、娘を一度に4人も嫁に出せるほどの財産を持っていないことは十分にわかっていたからです。


「砂漠で財宝でも見つけたか」


 広大な砂漠のどこかに、かつて世界を制した大帝国の墓所があり、そこには一族が十代に

 わたって贅沢をしても使いきれないほどの黄金が眠っている、という。

 少年は知恵と勇気を働かせて、浚われた美女を悪神から助けだし、ついでに財宝も手に入れて幸せに贅沢に暮らす。

 古老達が部族の子供達に語り聞かせる物語の中でも定番で人気の筋立てです。


「まさかな」


 フッと皮肉めいて笑う男達の笑顔には陰があります。

 砂蠍の男達は厳しい砂漠で生き抜いてきた現実主義者達です。

 夢や希望では痩せた家畜や妻子を養うことができないのですから。


「いや、嫁入りの財産は金銀でなく多くの羊と絨毯で支払ったとか。どの羊も見事に肥えた良い毛並みだったそうだ。絨毯も輝くばかりに織りの素晴らしい代物だったと聞いている」


「羊か。秘密のオアシスでも見つけたか」


 大昔の墓所で財宝を見つけた、などという与太話よりも余程に現実的な話です。


 オアシスというのは、砂漠の地下水が地層の影響などで地表にわき出ている箇所のことで、いわば砂漠という大海に浮かぶ稀少な補給地帯であり、その場所の情報は遊牧民にとって黄金にも勝る財産にもなります。


 とはいえ、地下水は枯れることもあれば地震等の影響で方向が変わることもあり多くのオアシスは数年から数十年しか持続しません。


 ラジーの砂鷹の一族は、その新しいオアシスを見つけたのではないか、というのがオスマの蜘蛛蠍一族の推測です。


「うまくやったな」


「全くだ。くそっ」


 男達は黙って乳酒をあおります。

 そのうちに酒精が回ったのか、一族の中でも粗暴な若い男が言い出しました。


「なあ。俺たちだって、奴らの幸運にあやかったっていいじゃないか」


「おい・・・よせよ」


 常識のある年かさの男が制止します。


 砂漠は生きるのに厳しい環境です。

 争いに割くだけの余分な資源はありません。

 気に入らないからと戦いをしかければ、一族揃って共倒れになりかねないのです。


「なに。争って家畜を奪おうというのじゃない。ただこっそり跡をつけて、オアシスの場所を俺たちにも教えてもらおう、というのさ。奴らが放牧しない時期に羊を少しばかり肥えさせてやるのは問題にならんだろう?」


 意外に口がまわる男の提案に、部族の男達の心は動きます。


 たしかに。奴らが幸運にも得た財産を少しだけ分けてもらうだけだ。

 それならば神もお許しになるだろう。


 そんな勝手な理屈をつけて、うまくやっている連中のおこぼれを狙うことを決めたのです。


 数日後、蜘蛛蠍の一族は砂鷹の一族を跡をつけるため砂漠へと臨み ーーーー 誰一人として帰っては来ませんでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 最近のあたし達は、とても堕落しています。


 羊飼いさん達からもらった厚手の絨毯を敷いて床に座ることを覚えてしまってからは、どうして冷たい石の床に直接座っていられたのか思い出すこともできません。


 厚手の大きな絨毯というものは普通は洗濯がとても大変なのですが大丈夫、あたし達には土地神様がいます!


「お願いします」


「理解シタ」


 絨毯に向かって土地神様が六本の指先からシューッと熱い蒸気を吹きかけると、みるみるうちに汚れも小さな虫も落ちていくのです。

 土地神様には同じ要領で桶に入れた服の洗濯も手伝っていただけます!

 おかげでいつも清潔で快適なのです!


 ご飯も美味しい。服も住処も綺麗で快適。

 これで文句を言ったら神罰が当たります。


「あのう、聖女様」


「なんですか、リリア?」


「少し不思議に思うことがあるんですけど」


「不思議に思ったり疑問を持つことは良いことです。少し食べ終わるまで待って下さい」


 聖女様も、あたしに負けずおとらず堕落していると思います。


 今も間食として、薄いパンにハムとソーセージを挟んでとろりと蒸したチーズで閉じた「罪のサンドイッチ」を両手で支えながら幸せそうに食べているのですから!


「さて。それでリリアの疑問とは何ですか?」


 しっかり最後まで食べきって紅茶まで淹れてからキリリと眼鏡を光らせていますが、聖女様、お鼻の先にチーズがついてます。

 面白いので、指摘するのはもう少し後にしましょう。


「ええとですね、羊飼いの人が毎回のように舟で来るのが不思議なんですけど」


 羊飼いの人達は、約束して以来ときどき舟に羊を満載してやって来ます。

 一度では足りずに何往復もしているようです。

 帰りも同じです。

 羊達は歩けるのだから、砂漠を歩かせてきた方が早いし楽なのでは?


「なるほど。リリアの疑問はもっともです。直接に羊飼いさんに聞いたわけではありませんが、2つの可能性があると考えています」


 聖女様はキラリと眼鏡にお鼻のチーズを反射させながら人差し指を立てました。


「一つは秘密の保持ですね。羊を連れ歩くと足跡が残ります。この場所の秘密を守ることは彼らの利益にも適います。リリアが銃で脅しつけた影響もあるでしょうね」


「あ、あれは脅したんじゃありません。交渉です!交渉の技術です!」


 不本意な言われようなので強く訂正を求めます!


 聖女様はとりあわずに、二本目の指を立てました。中指です。


「二つ目は地形、もしくは危険の回避ですね。ここに来るまでに谷や崖があるのかもしれませんし、危険な生き物が多くいる場所があるのかもしれません。このあたりが草原になったのですから、砂漠の生き物が周辺に押し出されて危険地帯になっている可能性はあります」


「なるほど。じゃあ羊飼いさん達の他に人が来ないのは・・・」


「案外、陸のルートを来る人達は全滅しているのかもしれませんね」


 言い終えると、聖女様は王都から持ち出した文献を読む作業に戻ります。


「リリア、紅茶をもう一杯いただけますか?」


「はい、聖女様!」


 今日も神殿は平和です。

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