第62話 事故物件の幽霊 ③

賀茂を介して、殺人事件の調査資料を手に入れた。


資料を見る限り、真犯人を匂わせる内容は見当たらない。


早川の現行犯逮捕で、早々に事件解決と考えた大阪府警は、状況証拠と早川の供述だけで十分と考えたのだろう。

 

資料と一緒に貰った犯行現場や周辺に集まった野次馬を写した写真を正人は、机の上に並べ始めた。


アパートから連れて来た鮎川は、美玖が居ないと話は出来ないが、自由に動け回れるようになった。


彼女は、フワフワと漂うように事務所の中で過ごしていた。


「鮎川さん、ここに来て写真を見てくれ。該当する人物が居たら教えて欲しい」

 

鮎川は、正人の後ろから覗き込むように写真を眺めた。


「当時、現場に集まって来た野次馬の写真だ。もし、犯人が写っていたら指さしてくれよ」


「ねえ、正人。この事件で使用された包丁は何処で手に入れたのかしら?」


「資料では、台所の包丁を使用したと書いてあったが、おかしな所でもあったか」


「だって、この部屋には包丁が三本もあった事になるわよ。犯行に使われた包丁と、台所にあった包丁が二本。一人暮らしで料理をすると考えても、包丁が三本もあるなんておかしくない?」


「そう言われれば、そうだな。じゃあ、犯行に使われた包丁は、犯人が持って来た事になるよな。そうなのか、鮎川さん」と、正人は後ろを振り返った。

 

鮎川は口を開いて話し始めたが、声が出ていない事を思い出して、首を縦に振った。


「警察は、包丁の出所を調べていない。随分とずさんな捜査だったのだな。」


「もしかしたら、アパートと周辺に設置されていた防犯カメラなども、調べていないかも知れないわね」


「あり得るよな。ちゃんと捜査していたら、真犯人は見つかっていたのかもな」

 

正人と茜の二人が調査資料に目を通していると、慌てた様子の鮎川が、写真を指さして何か話しだした。


「どうした、この写真に写る男が犯人なのか?」

 

鮎川は、うんうんと首を縦に振った。

 

犯人が写っている写真を手に取った正人は、「こいつが真犯人として、どうやって探し出すか? それに、証拠が無いのに立証出来るのか?」

 

正人は、机に肘をついて手に顎をのせ考え込んでしまった。


白いブラウスに赤紫色の細いリボンを結ぶ制服姿の美玖は、事務所のドアを開けると、スカートの両端を摘み少し上げる。


彼女は、黒のストッキングに包まれる細い足を見せた。


「見て見て、私の制服姿、可愛いでしょ。って、誰も居ないじゃない。長老や四郎君の姿もないし」

 

事務所には、両手で湯呑を持つ茜しか居ない。


茜は、お茶を啜りながら冷ややかな視線を美玖に送った。


「正人は、長老と四郎を連れて出かけたわよ。隼人君と桜は、まだ来ていないし」


「えーっ、せっかく来たのに。あなたは、可愛いと思ってくれているんだ」と、美玖の制服姿を見た鮎川は、にこやかに頷いていた。


「まさぴょんは、何処に行ったの?」


「刑務所に面会に行ったわ。服役している早川に会いにね」


「じゃあ、帰ろうかな。ここに居ても暇だし」


「もう少ししたら隼人君と桜が来ると思うけど」


「二人が来るなら、もう少し居ようかな」


「正人のあだ名は、何とかならないの? ずっと呼び続けているけど」


「だって、小さい頃に遊んでくれた正人が、蛙の真似をして自分で言っていたのよ」


「美玖が付けたあだ名じゃないんだ。知らなかった」


「正人が、ピョンピョン跳ねながら、『まさぴょんだよ』て私を笑わせてくれた」


「自分で付けたのなら、しょうがないわね」


「みんな、集まった?」と、赤色の大きなトートバッグを肩から下げた桜が事務所に入って来ると、美玖は有無を言わさず桜に抱き付いた。


「お姉さま、制服姿の私を愛おしく思わない」と、唇を尖らせた美玖は、強引に桜にキスしようと迫った。

 

桜は、左手で顔を近づける美玖を押しのける、「もう、何なのよ!」

 

遅れて事務所に入ってきた隼人は、何も見ていない振りをして自分の席に座った。

 

彼は、また乱痴気騒ぎが始まると思い大きなため息をついた。


加古川刑務所の面会室でアクリル板越しに正人は、刑務官に連れてこられた早川を見つめていた。


短髪の早川は、やつれた顔をしているが、目鼻立ちがハッキリとした男性で中々のイケメンだ。


初めて会う正人を見て、困惑している様子だった。


「あのー、間違いじゃないですか? 僕は、あなたを知らない」


「間違いじゃない。俺は、鬼塚と言います」と、早川に見える様に名刺をアクリル板に貼り付けた。


「国際機関の方ですか? 弁護士でも無いあなたが、僕に何の用ですか」


「口で説明しても信じてもらえないと思うが、鮎川さんから君は犯人じゃないと聞いてね。それを確かめに来た」


「明美が? 死んだ彼女が、どうやってあなたに話をするのですか?」


「彼女は、幽霊となって犯行現場の部屋に居てね」


「きつい冗談ですね。洒落にならないですよ」


「やっぱり、信じないよな」

 

正人がパチンと指を鳴らすと、煙の中から四郎が現れて話をする彼らの真ん中で座った。


「初めまして、僕は四郎だよ。犯人じゃないのに、刑務所に入れられて気の毒だね」


「ちょっと、待ってください。いたちが喋っている」


「彼は、てんの四郎。妖怪だよ」


「妖怪ですか? マジックか何かでしょ」


「信じられないかも知れないが、この世には、幽霊に妖怪、悪魔だって存在しているのだよ。君の後ろに居るのは、俺の仲間で長老と言う猫又だよ」

 

正人が指さす先を振り返って見ると、猫又の姿になった長老が、早川の顔を大きな舌で舐めた。


「う、うわー! ば、化け物が出た」、早川は椅子から転げ落ちた。


「落ち着けよ。信じないと思って、仲間の妖怪を連れて来た。君を襲ったりしないから大丈夫だ」


「ほ、本当ですか? 何が起こっているのか、信じられない」、早川は床に転がるパイプ椅子を元の位置に戻して座り直した。


「率直に言うよ、鮎川さんは、君が犯人じゃないと言っているが、本当か?」


「今更ですが、僕は彼女を殺していません」


「なら、どうして自白した?」


「耐えられなかったんです。厳しい取り調べに、あの時は、彼女を失って自暴自棄になっていたし。でも、最初は犯人じゃないと否定したんですよ」


「自白を強要されたのか。犯人と思われる男を写真で見つけたんだが、見てくれるか」と、正人は取り出した写真をアクリル板に貼り付けた。

 

早川は、暫く黙って写真を眺めていたが、目を見開いて写真を食い入るように見つめる。彼は、二年前の事件のあった日の記憶を蘇らせて行く。


「あっ、もしかして、この男ですか?」と、早川は写真の右端に写る男を指さした。


「そうだが、知っているのか?」


「名前は知りませんが、事件当日に彼女のアパートの正面入り口で、すれ違いざまにぶつかった男です。鼻の横にある大きなホクロを覚えています」


「警察には、話したのか?」


「もちろん、話しましたよ。でも、信じて貰えなくて。嘘をつくより早く自供して楽になれと、何度も執拗に迫られました」


「この男の身元は、知っているのか?」


「残念ですが、知らない人です」


「やっぱり、知らないか」


「僕は、どうなるのですか? 真犯人を捕まえてくれるのですか」


「そうしたいが、二年も経っていると、証拠が無いから難しいな。期待されると困るけど、最善を尽くすよ」

 

アクリル板に手を当てた早川は、「明美に、ずっと信じてくれて、ありがとうと伝えてください」


「分かった、ちゃんと伝えておくよ」

 

正人が席を立つと、四郎と長老は煙に包まれて消えた。早川は、正人が面会室を出るまで、ずっと頭を下げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る