第46話 別れ

 その日信繁は、父昌幸の法要をしたいと寺の住職に頼み村人達も

呼んで、盛大な法事を執り行った。

 その後場所を移し、徳米の勧めで母屋を借りて宴を開いた。


 信繁達が九度山に着いて間も無く、徳米は近隣の村々の名主達と

共に、紀伊藩の城代に呼ばれ、信繁達の監視を厳命された。

 城代は名主達が裏切らぬ様その妻子や家族を人質として紀伊の城

下へと集め軟禁した。

 これを事前予見した徳米は桐の替え玉を用意し、その女を城代に

差し出し、娘は病で死んだと届け出た。

 桐はこれに意を唱え、最後まで反対したが、「阿久理を守る為」

と徳米に説得され、信繁の護衛の忍び達と共に密かに村を出て寺に

避難した。

 “灯台下暗し”自分の妻子がまさか信繁の元に居るとは、紀伊の手

の者達も思わないだろうと、徳米は考え桐と我が子を信繁達に預け

た。

 その方が、村に残るよりも生き延びる可能性が高いと、己の運命

を悟っていた徳米の決断だった。


 宴もたけなわにはいる頃、桐は男子の格好をさせた阿久理を伴い

密かに納屋で徳米と落ち会った。

「お前様‥‥‥」

 阿久理を抱き上げ頬擦りする夫を見つめ、桐は優しく善良なこの

男を欺きながら、妻を演じていた己の業の深さを恥じ、今更ながら

に徳米に対し申し訳ない気持ちが込み上げた。

「桐、お前は、いや、貴方は私には過ぎて女房だった。貴方が広め

た真田紐のお陰で、どんなにこの村の暮らしが救われた事か‥‥‥

改めて礼を申します」

 徳米が改まって頭を下げる。

「お前様、何をおっしゃいます。世話になったのは私の方です。他

所者の私を貴方様がこの村に受け入れてくださったお陰で、こうし

て娘まで授かり幸せな日々を–––––」

「桐様」

 徳米は態度を改め、阿久理を降ろすと膝を突く。

「お前様!辞めて下さい。その様な他人行儀な」

 驚いた桐が、徳米に縋り付きその手を上げさせようとする。

「貴方の気持ちが私にない事は最初から分かっておりました。そ

れでも、私は‥‥‥」

 徳米は歳を重ねても尚美しい目の前の愛しい女を見つめ、そっ

と目を伏せた。

「徳米様‥‥‥」

 桐は徳米の言葉を否定出来ず、掛ける言葉が見つからず途方に

くれた。

「娘を、阿久理をよろしくお願いします」

 徳米は阿久理を桐の手に預ける。

 何時もと違う父母の様子に、阿久理が不安そうに父の袂を掴み

問いかける。

父様ととさま、父様は一緒に行かないの?」

 徳米は微笑みながら、娘の頭を撫でて穏やかに答える。

「父様は、ご用があるからね。後から追いつくから先に母様かかさまと行き

なさい」

 徳米は桐を促し厩へと案内する。

「農耕馬は脚はさほど速くは無いが、丈夫で我慢強い。子供達や荷

を運ぶ手助けに連れて行きなさい」

 村にとっても労働の助けとなる貴重な馬を、惜しげもなく徳米は

桐に与えた。

「気を付けてな」

 阿久理を馬の背に乗せ、手綱を桐に手渡しながら徳米が言葉を掛ける。

 涙を堪えて桐が踵を返し手綱を引いて歩き出す。

『涙を流してはならない。そんな資格はこの私には無いのだ』

 桐は心の中で何度も徳米に詫びながら、信繁達と合流するべく夜

道を進んだ。


 一方信繁達は、酔い潰れて居間に転がる村の客人達を避けて外に

出ると、旅用の草鞋に履き替え、足音を忍ばせてて母屋を後にする。

「信繁様」

 村の女達と子供達が数名道の先に待ち構え、ヒヤリとした一行だ

ったが、女達の一人が進み出て笹で包んだ握り飯を差し出した。

「お前達‥‥‥」

「私らの気持ちです。こんなもんしか用意出来ませんが、どうぞ」

 貴重な白米を惜しげも無く握った沢山の笹の握り飯を見て、信繁

達は受け取るべきか迷ったが、せっかくの好意をありがたく受け取

った。

「かたじけない。ありがたく頂こう」

 女達の後ろに居る子供達はお梅の元に来て、一番大柄な男子が竹

籠を差し出した。

「お梅様、これ」

 竹籠の中には数個の木通が入っていた。

「其方達、何処でこれを‥‥」

 お梅が驚いて子供達の顔を見回す。

「お梅様みたいに危ない事はしていないよ」

 子供達がそう言って笑う。

 お梅も一緒に笑いながら、竹籠を受け取り一人々の顔を見ながら

礼を言う。

「草太、甚哉、小助、雪、花、箕助、小六、サキ––––– みんな、あ

りがとう」

 子供達は涙ぐみながらお梅との別れを惜しみ、母親達と共に一行

の姿が見えなくなるまで、じっと佇み見送った。

 母屋で寝たフリをしていた男達もいつの間にかその輪に加わり、

十年以上の月日を苦楽を共にした信繁達を陰ながら見送った。


「皆、ご苦労だった。後の事は私が全て責を負う。お前達は何も知

らぬ存ぜぬと、ご城代に述べてくれ」

 徳米が最後に姿を見せて、村人達に伝える。

「徳米さん、あんたが居なくなったら儂らどうしたら」

 年嵩の男が不安げに名主の徳米に声を掛ける。

 皆覚悟を決めて信繁達に協力をしたが、この事が領主に知れれば

只では済まない事を今更ながらに恐れ慄き、彼等は暗澹たる思いで俯く。

「我等が作る米が無ければ、殿様も困る筈だ。だから皆を無闇に処

罰する事まではしないだろう」

 しかし、徳米は新たな藩主となった長晟の冷酷さを知らなかった。

 この後信繁達を故意に逃した罪人として徳米他、村の主だった男

達は弁明も赦されず、その場で打ち首となった。

 また、人質として城下に囚われていた名主の家族達も、連座させ

られ見せしめの如く処刑された。

 この出来事は紀伊藩が治める他の村々にも禍根を残し、やがて紀

伊藩を窮地に立たせる事態へと展開して行く。


 数ヶ月後、紀伊の村々が呼応し大規模な一揆が起こった。





 

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