第38話 再会

 正就は距離を取りながら苦無を投じ、才蔵を山奥へと誘い込む。

才蔵は正就を追って道無き道を辿り森の奥へたどり着いた。

まずい、手足の感覚が無くなってきた‥‥』

 先の伊賀の襲撃者達との戦いで、体のあちこちに傷を負った才蔵

の体力は既に限界を超えている。

 しかしこの襲撃を先導したであろうこの頭目らしき男を、このま

ま生きて帰す訳にはいかない。

 いつの間にか雨が上がり、夕陽が雲間から覗いていた。

「だいぶ血を流し過ぎたのでは無いか?顔色が悪いぞ」

 正就がニヤリと笑いながら、夕陽を背に再び刀を構える。

 確かに横腹と右脚に受けた傷から、じわじわと今も血が滲み出て

いる。止血をしなければ、拙い事は才蔵も分かっているが、今そん

な事をしている暇は無い。

『これ以上長引けばこちらが危うい。ここで勝負を賭ける!』

 才蔵は朦朧とする意識を何とか奮い立たせ、二本の刀を掲げる。

 先に動いたのは正就だった。苦無を投じ、一方の刀を封じて才蔵

二つ刀の攻撃を阻止するつもりだった。

 だが才蔵は苦無を躱す事なく、それを左肩に受けながら二刀を繰

り出す。

「ごふっっ」

 正就が血を吹き出し、膝を突く。

 才蔵は片手で正就の太刀を跳ね上げ、もう一方をその胸に突き刺した。

 自分の勝利を確信していた正就が、信じられないとばかりに才蔵

を見上げる。

「お前に一つ尋ねたい事がある。二十年前上田の合戦にお前は加わ

っていたか?」

 才蔵は正就を見下ろし、その首元に小刀を突きつけながら問いかける。

 正就は訝しむ様に目をすがめ、僅かに首を振る。

「では、左手の甲に三本線の傷を持った男を知らぬか?」

 正就が僅かに目を見開く。

「知っておるのか?そいつは何処に居る!」

 正就の首に刃を当て、才蔵が迫る。

「‥‥知って、いても‥‥お前に、話す‥‥‥義理は、ない‥‥‥」

 才蔵の右目が赤く輝き、正就の目を捉える。

 「‥‥‥今は駿府、の家康様、の‥‥元に、名‥‥は、冬獅郎とうしろう

 肺に血が巡り出したのか、次第に呼吸が苦しげになる正就を見据

え、才蔵は首元の刀に力を込めた。

「良いだろう、今楽にしてやる」

 才蔵は留めを刺すと、ふらつく足で山道を探して草むらへと分け入った。

『まだこんな所で死ぬ訳にはいかない。梅乃を嬲り殺した男共を一

人残らずぶち殺すまでは–––––』

 自身で腹と脚の血止めを施し、才蔵は信繁達に合流する為再び立

ち上がり歩き出した。



 その後信繁達は九度山に戻り、しばらくの間村の外れにある山寺

に身を寄せた。

 護衛を務めた藩士達は深手を追った二名の者を残し、紀伊の城下

に戻って行った。

 藩士達からの報告を家臣から聞いた長晟は、さして興味の無い様

子で「大義である」とだけ告げ、それ以上は何も指示を出さず遊興

へと出向いた。

 命がけで任務を遂行した藩士達五名は、長晟から労いの言葉さえ

掛けられる事も無く、再び其々の元のお役目所に戻された。

「こんな事ならば、我等も九度山に残れば良かったかの」

 藩士の一人がポツリと呟いた。

 


「藤次郎殿、その様な事は私共がやりますので、どうか」

 お美代が井戸の側で土の付いた野菜を洗う藤次郎から、野菜の入

った桶を取り上げようとする。

「いや、力仕事は佐助や仁左衛門殿がやってしまうのでな。せめて

この位は手伝わせ貰わねば、穀潰しもいい所であろう」

「左肩の傷がまだ癒えていないのに無理はいけません」

 お美代が藤次郎から藁の束子たわしを取り上げ、頬を膨らませて睨む。

 藤次郎はその顔を愛らしく感じ、胸がときめいてしまうのを気取

られぬよう、軽く咳払いをして誤魔化し慌てて立ち上がる。


「なかなか、お似合いではありませんか」

 薪を母屋に運び入れながら、佐助が薪を束ねる仁左衛門にさりげ

なく同意を求める。

 仁左衛門は仏頂面で薪を再びカチ割り出す。

「仁左衛門様、もう薪は十分だと‥‥」

 一心不乱に薪を割る仁左衛門を、呆れ顔で見る佐助は肩を竦めて

薪を背負った。


 寺の本堂で信繁は座禅を組んで、静かに瞑想していた。

 庭の木に止まった蝉が夏の終わりを惜しむかの様に鳴いている。

 わざと床を軋ませ、男が本堂に入って来る。

「才蔵、傷の具合はもう良いのか?」

 瞑目したまま、信繁が側に腰を下ろす才蔵に声を掛ける。

 一月程前の伊賀の忍びとのとの死闘で重症を追った才蔵は、自力

で信繁達の元に辿り着いたが、そのまま意識を失い慎之介達仲間に

よって村へと運ばれてた。

 出血が酷く一時は危険な状態に陥った才蔵だったが、桐の懸命な

治療と看護により一命を取り留め、その後は驚異的な速さで回復し、

一月もしない内に歩けるまでに回復した。

「はい、桐様のお陰で命拾いをしました」

 才蔵は神妙な顔で信繁に答える。

「こうしてお前と二人で話すのは二十年ぶりかの」

 信繁が照れ臭そうに笑う。

 その顔にかつて見た少年の頃の信繁の面影を認め、才蔵は目を

瞬いた。

『笑った顔は子供の頃と変わらんなぁ』

 才蔵は感慨深い想いで信繁の白髪と皺を刻む顔を眺める。

「兄上からお前の事はたまに手紙で教えて貰っていたが、お前

よく行方を眩ましておったそうじゃな」

 才蔵は僅かに眉を顰め、むっつりと黙り込む。

「‥‥まだ梅乃のかたきを探しておるのか?」

 答えるのを拒む様に才蔵は顔を背ける。

 信繁はそんな才蔵を見つめ、ポツリと溢す。

「儂はお前が少し羨ましい」

 才蔵は意外な言葉に信繁の方に向き直る。

「私から見れば、信繁様の方が余程恵まれておりましょう。

真田家に生まれ、信幸様共々大事に育てられた。流れ者の

くノ一の腹から生まれた私とは雲泥の違い」

「儂が羨ましいと言ったのは、家柄や武士のしがらみが無いお前

は自分の思うままに生きる事が出来るという事。梅乃が死

んだ時、儂はその死を悼む間も無く秀吉様の元に行かねば

ならなかった」

 信繁は僅かに悔やむ様に言葉を紡ぐ。

「儂が梅乃を妻に望まねば、死なずに済んだかも知れぬ」

 その瞬間、才蔵が信繁の襟元を掴み上げ、憤怒の形相で

睨み付ける。

「あんたは、梅乃を娶った事を後悔しているのか?それじ

ゃ梅乃が浮かばれないだろ!梅乃はあんたの嫁になれてそ

りゃあ幸せそうだった。子供を授かった時の嬉しそうな顔

今でもはっきり覚えている。それを、それを–––––」

 信繁は才蔵に襟元を締め上げられながら、そっと才蔵の

頬に触れた。

「才蔵、もう梅乃の復讐に囚われ己を損なう様な事はしな

いでくれ、頼む。お前が復讐を諦めぬ限り、桐もまた己の

罪悪感に苛まれ続ける」

 才蔵ははっとして信繁から手を離し、その場にへたり込む。

「桐様のせいでは無いと以前お伝え申した」

 信繁は同意する様に頷き更に言葉を重ねる。

「九度山に流罪が決まった時、桐から仔細を聞いた。儂も

あれは不幸な偶然が重なった事と思っておる。しかし桐は

未だに梅乃の死に責を感じておるのだ」

「お梅様を手放したのも、その事が原因ですね」

「‥‥あの子も不憫な生まれ方をした。あの痣さえ無けれ

ば–––––」

 信繁は彼方を見つめ、かつての上田での日々を思い起こし

ていた。




 

 

 

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