第27話 幼馴染

 お梅が部屋に居ないと、様子を見に行ったお春が慌てて桐の元

に駆け込んで来た。

 お春と桐の幼い子供達は侍女二人を伴い、村の近くにある温泉

を引いた共同浴場に、村の世話役を務める女達の案内で出払って

いたので、母屋には他に人気が無かった。

 とりあえず二人で家の中をくまなく探すが、何処にも見当たら

ない。

「外に出たのでしょうか?」

 桐が半信半疑に呟くと、お春は直ぐに外へと飛び出した。

「お梅、お梅ー」

 お春が娘の名を呼びながら、辺りを見回す。

『やはり、このお方のほうが私よりお梅の母にふさわしい–––––』

 娘を懸命に探すお春を見ながら、桐は自分の選択は間違いでは

なかったと改めて思い知った。

 念のため納屋を探しに行った桐は、中に入った瞬間男の手で口

元を抑えられ、身動きを封じられた。

 もしや真田家を襲った者達の残党か––––と冷や汗を浮かべた桐

だったが、後ろから掛けられた声に目を見開いた。

「桐様、お静かに。才蔵です」

 桐が大人しくなったのを確かめ、才蔵は手を離した。

 ゆっくりと桐が振り返り、才蔵の顔を見上げる。

「才蔵‥‥」

「十二年振りですね。最後にお姿を見たのは、桐様が身重の身体

で佐助と共に九度山に旅立つのを見送った日––––」

「見送ってくれたのか」

 桐が驚きを滲ませる。

「あのまま、信幸様の庇護を受け、上田で暮らす事も出来たでしょ

うに敢えて苦労を承知で九度山に向かう桐様を、馬鹿なお人だと思

いました」

「お梅は信繁様から授かった子、信幸様の元で育てる意思は毛頭あ

りませんでした」

「それ程迄に深い思いを抱く我が子を、何故お春様に託してしまわ

れたのですか?」

 桐の顔が強張る。

其方そなたには関係無い事です」

 顔を背け素気無く答える桐に苛立った才蔵は、桐の身体を納屋の

壁に押しつけて言った。

「あの子が梅乃と同じ形の痣を持っているから、あんたはあの子を

梅乃の生まれ変わりとでも思ったのですか?」

「やめて!」

 桐が叫びながら、耳を塞ぎその場にうずくまる。

「私の罪が一生許されない事は己が良く分かっています。人の心を

読める其方には私の浅ましい心は、手にとる様にわかるであろう」

 才蔵は白髪が混じる桐の頭を上から見下ろし、自分と同じ様に

幼馴染の娘の死を二十年以上背負い続けている女を哀れに思った。

 そして、もっと早くに桐に会いに来なかった事を深く後悔した。

「桐様、俺は先程お梅様に会いました」

 はっと顔を上げ桐が才蔵に取りすがる。

「まさか、あの子に何も言っておらぬな?」

 才蔵は苦笑すると、そっと桐を引き離して言った。

「お梅様は梅乃とは似ても似つかぬ別人です。それから‥‥‥梅乃

の死は、桐様とは関係ありません。仮にあったとしても、梅乃が姉

の様に慕っていた桐様を恨む筈がありますまい」

 桐は繁々と才蔵の顔を見つめる。

「才蔵、其方は、其方は私を憎んでいたのでは無いのか?」

 才蔵は静かに首を横に振ると、小さく呟いた。

「俺が憎むのは、梅乃を救えなかった己自身です。人の心を読めても

鳥の目を借りて千里の彼方を見通せても、大切な幼馴染の娘一人救え

なかった‥‥‥その怒りを貴方と信繁様に向ける事で俺は、俺は、自

分の苦しみや悲しみ、憎しみから逃れようとしたのです」

「才蔵、其方、梅乃を‥‥」

 桐は自分と同じ様に報われない恋心を、死んだ娘に抱いていた才蔵

に掛ける言葉が見つからず、只々涙を流した。

「桐様も信繁様も、もう梅乃の死に囚われず、どうかご自身の幸せの

為に生きてください。梅乃もそれを願っておりましょう」

 才蔵はそのまま、納屋を出ると瞬く間に山林に消えた。

 後を追って納屋の外に出た桐は、しばらくその場に佇み、才蔵の消

えた彼方を見つめていた。



 紀伊藩主、浅野幸長が九度山の襲撃を知ったのは、襲撃から二日後

の事だった。数日前から高熱で床に伏していた彼は、報告を遅らせた

家臣達に激怒し、直ぐに信繁達の安否を確かめるべく、早馬の使者を

徳米の村に遣わした。

 一家の無事を知った幸長は、一時的な措置として、城下に信繁達を

向かえ入れる事を決め、輿こしと馬を用意して迎えの一行を村へ繰り出した。

 数十名からなる武装した浅野家の侍達が村へ来た時、村人達は戦で

も起きるのかと、不安な面持ちで家の中から様子を見ていたが、大将

の男が信繁の前に跪き、丁重に挨拶する様子を見て、胸を撫で下ろした。


 住処を失った信繁達は浅野家の申し出を受け、直ぐに紀伊の城下へ

と出立する事となった。その際信繁は仁左衛門と加代親子に村に残る

事を進めたが、仁左衛門達は最後まで信繁達に付き従う意思を伝えた。


 襲撃から五日目の朝、信繁達は浅野家の用意した輿に、幼い大八と

菖蒲を載せ、二頭の馬には信繁がお梅を伴い乗馬し、もう一頭は大助

とお春が騎乗し、佐助が手綱を引いて先導した。


 お梅は見送りに出ている村人達の中に佇む桐の姿を、何度も振り返

りながら目に留めた。桐と二人きりで話す事も叶わず、結局真の母の

真意を確かめる術をお梅は失った。

『もう会うことが無いかもしれない‥‥‥』

 お梅は幼い娘を抱き上げ自分達を見送る桐の姿を、複雑な思いを抱

きながら、信繁の肩越しに見つめ続けた。

「村を離れるのが寂しいか?」

 お梅の様子を見ていた信繁が優しく語りかける。

 お梅は信繁に向き直り、強く首を横に振る。

「いいえ、むしろこれから向かう紀伊の城下町がどんな所なのか、少

し楽しみです」

 好奇心旺盛な瞳を向ける娘に信繁は笑みを漏らす。しかし虜囚の身

である自分達が、果たして新たな場所でどの様な扱いを受ける事にな

るか未だ分からない彼は、戦に向かうかのごとき心持ちを隠してお梅を

見守る。

「父上、お梅は初めてこの様な立派な馬に乗りました。今度は自分で

も乗れる様になってみたいです!」

「そうじゃな、馬を貸して頂けるかどうか浅野家の藩主殿に聞いてみよう」

「やったー」

 お梅が馬上ではしゃいだ声を上げる。

 隣の馬上のお春がお梅を嗜める。

「これ、遊びに行くのでは無いのですよ!」

 お梅がしゅんと肩を竦める。

「でも、私も自分で馬に乗りたいです。武将の子として馬にも乗れ

ない様では、恥ずかしいですから」

 大助が珍しくお春に強く要望する。

 普段あまり我を通すことが無い大助が、はっきりとものを言う姿

に信繁は我が子の成長を喜ばしく感じた。


 信繁達の一行を高い木の枝に足を掛けた男達二人が、人知れず見送

っていた。

「おい、信繁様に会わなくてよかったのか?」

 男の一人、慎之介が片目を髪で隠した男に尋ねた。

「ああ、いいんだ」

 風が男の髪をかき上げる––––– 露わになったもう片方の目は赤い色

をしている。

『信繁様、どうかご無事で–––––』

 才蔵は幼き日に我が主人と心に決めたかつての幼馴染の行先を案じ

ながら、九度山を後にした。



 


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