「絶対な」

 朱里がゆっくりと目を開けると、周りには何も無い真っ白な空間が広がっていた。

 上も下もない空間は、明るいとはいえ恐怖を感じる。


 手を前に伸ばしても何も掴めず、歩こうと足を前に出すが進んでいるのかも分からない。白い箱の中に閉じ込められているようだった。浮遊感もあり、胃の中の物がせり上がってくる気持ち悪さがあった。


「ここは──」

「どこだろうと言いたいのかい?」


 いきなり鈴を転がすような声が後ろから聞こえ、彼女は勢いよく振り向く。そこには儚く、今にも消えてしまいそうな少年、カクリが無表情で立っていた。だが、その頭とおしりには狐のような耳と尻尾が生えているのが見え、朱里は思わず二度見する。


「かっ、可愛い!!」


 カクリの姿を確認した数秒後、真っ白な空間に歓喜の声が響き渡った。彼女の声と言葉に驚いたカクリは言葉を失い、大きな目をもっと開き彼女を見返す。そのような事を言われるとは微塵も思っていなかったため、ぱちぱちと数回瞬きし返答に困っている。


「……何を言っている?」

「あ! ごっ、ごめんなさい! つい……」


 咄嗟に出てしまった言葉に恥ずかしくなり、彼女は顔を林檎のように真っ赤にし、頭を下げ謝罪した。その後、照れ隠しに赤くなった顔を冷ましながら周りを見回し問いかける。


「えっと、ここは?」

「……ここは君の記憶の中だよ。あちらを見てご覧」


 言われるがまま彼女は、カクリが指差す方へと顔を向ける。その先には、見慣れた光景が広がっていた。


「あれ、あそこって美術室?」


 指された方には、いつも放課後通っていた美術室が映し出されている。そこには窓側に一人で、つまらなそうに絵を描いている朱里の姿があった。


「うわぁ。顔に出すぎじゃん。私……」


 頭を下げ、両手で顔を隠す。その様子を見上げているカクリは表情を変えず、匣を開けるためのヒントを与えた。


「自分が気になるのはいいのだけれど、他に見るものがあるんじゃないのかい」

「え? 見るもの?」


 カクリの言葉に再度見回すと、楽しそうに話をしている江梨花と青夏の姿に目を止める。

 江梨花は楽し気に微笑みながら青夏と話している。だが、青夏は彼女の言葉全てを聞き流し、キャンバスに色を足し続けている。

 傍らに参考資料として写真が一枚置かれており、その写真には学校の屋上が映されていた。


 その姿を目の当たりにし、心細そうな目を浮かべ朱里はその二人を眺めている。胸が痛み、右手を自分の胸辺りに持っていき強く服を掴んでいた。今にも泣き出しそうな顔で二人を見続けていると、口から言葉が零れ落ちる。


「…………お似合いだなぁ」


 零れ落ちた言葉にカクリは呆れ気味に景色を見ながら、抑揚のない声で言う。


「それはどうなのだろうか」

「え」

「私からしたら、あれは楽しそうには見えないがね。君は、あの女の本心に触れたのではなかったのかい? それでお似合いとは、面白い事を考えるものだ」

「本心……」


 カクリの言葉に目線を青夏と江梨花の二人に戻す。数秒間見続けた後、美術室の出来事を思い出し、弱々しく見つめていた目には力が入り、怒りの声を出す。


「そうだ、江梨花先輩は青夏先輩を遊びとしか考えてないじゃん。そんな気持ちで青夏先輩の隣にいるなんて、絶対許せない」


 怒りの籠った瞳を目の前に広がっている光景に向け、両手の指先が白くなるくらい強く握り体を震わせてた。


「思い出したようだね。それで、君はどうしたいんだい?」

「……部長に言いたい。そんな事をしたらダメだって。そして伝えたい、私の気持ちを。……でもダメなの。言おうとすると、何かが心の中で蓋をして出させてくれない。いつも、途中で止まってしまって何も言えない」


 胸に手を当て俯く。先程の怒りの表情から、眉を下げ悲しげな表情になる。何も出来ない自分を悲観していた。


 彼女の足元には、水滴が何粒か落ちる。怒りや悲しみ、不甲斐ないという、何にぶつければいいのか分からない感情が溢れ出てしまった。


「なにも出来ないくせに、ほんと。自分が嫌だ……」


 手で涙を拭うが次から次へと溢れ出てきて止まらない。その時、先程まで淡々とした口調だったカクリが少し優しく話しかけた。


「その想い、出せるようにしてあげる」

「えっ? でも、どうやって……」

「君はここに来た意味を分かっているかい?」

「意味?」


 カクリの言葉をオウム返しのように、そのまま繰り返す。


「君は自分の意思ももちろんあるが、我々が君を小屋まで呼んだみたいなものなのだよ」

「えっ。でも、私は誰にも……」

「君は今、蓋がしているようにと言ったのかね?」


 朱里の質問を無視し逆に質問を返す。その事に戸惑いつつも彼女はその質問に小さく頷いた。


「そうなのだね。だったら、その蓋をが取り除こう」


 カクリの言葉が理解出来ず、彼女はなんの反応も見せない。


「改めて聞かせてもらうよ。君は、自分の気持ちを表に出したいかね?」


 初めてカクリは朱里と目を合わせる。その瞳は真っ黒で闇が広がっているような瞳だが、その中にはしっかりとした決意と、少しの優しさが含まれているように見える。

 そんな瞳に見つめられ、朱里は眉を上げ力強く頷いた。

 

「お願いします。私、これ以上自分に負けたくない!」

「そうかい。なら、こちらも君の想いに応えよう」


 その言葉と同時に、カクリは右手の中指と親指でパチンという破裂音を鳴らした。すると、いきなり周りの光景が崩れ落ち真っ暗な空間に変貌してしまう。


 カクリもいつの間にか姿を消しており、朱里は突然の事に驚きを隠せず周りを忙しなく見回している。

 明るい空間からいきなり真っ暗な闇へと落とされ、恐怖で体が強張る。


「なっ、どうなって……」


 身を縮こませてしまった彼女の背後に、淡く光る人の形のような影が現れた。そして、影は前に手を伸ばし、彼女の背中に触れる。


 背中を触れられた感触に肩をビクと震わせ恐怖で目を見開いたが、すぐにその目は優しいものへと変わった。手から伝わる温もりに安心し、体を拘束していた物が取り除かれた。


『後は、お前次第だ』


 温和な言葉を聞きそのまま彼女は目を閉じる。口元には笑みが浮かんでいた。


 ☆


「ん、ん〜……」


 朱里は重い瞼を無理やり開けた。


 周りを見回すと、最初に居た小屋の中で眠っていた事に気づく。ソファーの上で寝ていたため、体などは痛くない。


 困惑しながらソファーに座り直していると、微笑みながら木製の椅子に座っている明人の姿が目に入る。


 彼の姿を見つけると、目を見張り固まったがすぐに自身の姿を見て、林檎のように顔を赤くし乱れた髪や服を急いで直し始めた。


 その様子を彼は優しげに目を細め見つめる。


「元気そうで良かったです」

「あっ、ありがとうございます……」


 恥ずかしさで声が小さく、顔は先程よりは落ち着いたがそれでもまだ赤いままか細くお礼を言った。その事に明人は始終微笑みを崩さない。


 朱里が落ち着きを取り戻した時、胸にあった蓋のような物が取り除かれたのを感じ、そっと胸に手を置いた。目はすごく優しく、口元には安堵の笑みを浮かべている。


「あっ、あの!」

「はい」

「ありがとうございました!」


 今度ははっきりとした声で、テーブルに頭がつきそうなほど深々と頭を下げお礼を口にした。


「これが私のやるべき事なので、お気になさらず」


 優しい言葉と、彼の相手を安心させるような笑顔は本当に綺麗で、彼女は顔を高揚させる。


「あっ、あの。お代は……」

「それならもう頂きました」

「え? でも忘れている事なんて何も……」


 首を傾げている朱里に、彼は笑顔を絶やさず見続けていた。さすがにその目線に耐えられず、早々と立ち上がりドアへと向かう。


「あの!! お世話になりました!!」

「また、何かあればいつでも来てください」

「はい!!」


 そして、小屋の外へ行き林を出ようと走り出す。たが、林の途中でいきなり立ち止まり後ろを振り向くと、小屋があったはずの場所は跡形もなく無くなっていた。まるで、神隠しにでもあったかのように。







「まぁ、もう来る事はないと思いますが……」


 明人は不敵な笑みを浮かべ、誰にも聞こえないような声を零した――……









「……あれ、私。一体何をしてたんだっけ……」


 朱里からは先程の小屋に居た時の記憶が無くなっており、思い出そうとしても意味はなかった。


 ☆


 小屋の中、明人は小瓶を片手にソファーに寝っ転がっていた。


「おぉ。あいつは綺麗な記憶を持ってんなぁ〜」

「なんであんな事を言ったんだい?」


 明人が頂いた記憶は”小屋にいた時”と”相手を縛り付けたい”と思っていた時の記憶の欠片だ。

 それは二つの小瓶に入っており、それぞれ綺麗に輝いている。


「別に、あいつはまた来そうな感じだったからな。まぁ、記憶は貰ったし来る事は無いけどよ」


 喉で笑いながら言う彼はご機嫌で、素直に質問に答えている。その様子にカクリはゲンナリとした顔を浮かべ、ため息を吐いた。


「さてと、どうせあいつは来るだろうし準備でもしとっかな」

「……来るのかい?」

「あぁ、絶対な」


 その時の何かを企んでいるような笑みを浮かべた彼に対し、カクリは再度。長いため息を吐いた。

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