vs " Z "(6)

『で、作戦だが――』


 先ほどの休憩時間に行った、カノンとの作戦会議。

 わずか1分ほどしか時間を取れなかったが、大まかな方針は共有できた。

 なぜなら、なにかを新しく考える必要がなかったからだ。

 俺たちがズールと真っ向から相対して勝利するために必要な作戦は、既に見えている。


『――近づいて、たまに攻撃を仕掛けながら、とにかくひたすら

 攻撃については別に当てなくていいし、なんならしなくてもいい』

『えっ……それで、いいの?』

『ああ。……あいつの身体は、たぶん、もう……ボロボロだから』 


 あの時は、ズールがこれほどまでに出血しているとは思わなかった。

 だが、たとえそうでなくとも、その作戦に変わりはなかっただろう。


『あいつの身体は、あいつの全力の狩りに耐えられない。

 こっちがのらりくらりしている間は、あいつも負担を抑えられる。

 さっきまで俺としていたような追いかけっこなら、あと1,2時間は保つかもしれない。

 でも……俺たちが喰い殺せる位置まで近づいて、攻撃を仕掛けるなら、話は別だ。

 あいつは全力で応戦して、あの巨体を存分に振り回して、こちらを狩りに来るだろう。

 そうなれば、遠からず、あいつの四肢は、潰れる』


 あいつの弱点。負荷のかかる四肢や、熱を十分に放出できない身体。

 だが、いまや弱点はそれだけではなくなった。

 夥しい失血もまた、あいつの狩りにタイムリミットを設ける。

 どれくらい長い間、狩りを続けられるかわからないが――

 あの流血では、恐らく30分と保たないだろう。


『問題は、あいつが潰れる前に俺たちが捕まらないかってことだが――』

『フーガくんみたいに避けるのは……ちょっと自信ない、かも』


 カノンは身体の使い方が上手いから、いざとなったら動けるとは思う。

 だが、振るわれる前脚や喰いついてくる顎の軌道を読んであらかじめ躱しておくみたいなことは、まだちょっと難しいかもしれない。


『基本的には、俺があいつの正面に、カノンが背面に回るような形で行こう。

 その形なら、あいつがカノンの方に飛び掛かるまで一拍ある。

 後ろ足が縮んだときと、身体を旋回させようとしたときだけ注意してくれ。

 どちらにせよ、そのときは後ろに大きく退がればいい。

 そのままカノンを追おうとしたときは、今度は俺が背面からあいつの気を惹く。

 俺を無視することは、たぶんないと思うけど――その時は、全力で避けてくれ。

 とにかくそうして、ひたすらあいつの四肢に負荷を掛け続ける。

 それが、大まかな方針だ』

『……わかった』


 あいつとの相対を制するには、その過程が必要だ。

 全力のあいつとやりあって勝とうなどと思うべきではない。

 そもそも出力がちがうのだ。戦術の工夫なしで勝てる相手ではない。


『最後まで、そうする?』

『……いや、隙を見て、一つやって欲しいことがある。

 かなり危険だが、成功すれば、俺たちが耐える時間が大きく減る。

 俺も狙うけど、背面に回るカノンの方が狙いやすい』

『んっ。だいじょうぶ。……なにを、やればいい?』

『それは――』


 その相談をし終えた時点で、空き地の方から咆哮が聞こえてきたため、作戦会議は終わった。

 うまくいくかはわからないが――やるしかない。


 手負いの巨獣と正面から相対して、生き延びる。

 のらりくらりと逃げ続けるのではなく、勝利する。

 そのためには――俺もカノンも、いくつかの死線を越える必要がある。

 だけど、それは必要なことなんだ。

 あいつも、全力で生きようとしているのだから。

 こちらも、命を賭けるしかない。

 そうしないと、俺たちは負けるだろう。

 あいつの放つ命の熱さに焼かれ、燃え尽きるだろう。


 だから――ここからは、全力だ。

 この命を賭けて、戦おう。



 *────



 目の前に立つ、どす黒い赤に汚れた獣。

 身体を穿っていた鉄杭の1本が抜け、残る1本の鉄杭の先から、どくどくと血が滴る。

 その命は、どう見てももう、長くはない。

 たとえ俺たちを仕留め、俺たちの死肉を喰らっても、こいつの命に先はない。

 だが、それでも――


  ――……ゥゥ、ルルルァッ!!


 こいつはまだ、諦めていない。

 こいつはまだ、生きている。

 まばゆいほどに、生き足掻いている。


 最高だよ、お前は。

 俺たちも、お前も、まだ生きているんだ。

 せいぜい死ぬまで、生き足掻いてやろうぜッ!!


「――行くぞ、ズールッ!!」


 利き手に逆手にナイフを引っ提げ、裂帛の喊声とともに、正面からズールに向かって吶喊する。

 目を失ったお前には見えていないだろうが。

 聞いているだろう、なにかが風を裂いて迫る音を。

 地面を踏みしめながら、なにかが近づいてくる音を。

 感じるだろう、地を疾駆して近づいてくる、巨大な質量を。

 嗅ぎ取れるだろう、俺の緊張の汗の匂いを。

 だから――わかるだろう。

 俺がお前に向けている殺気を。


 俺はいまから、お前を――殺すぞッ!!


  ――……ゥゥ、ガルルルァッ!! 

              ――ズダンッ!!


 目の前の巨獣が、まるで爆竹のように爆ぜ――るように、後ろに下がる。

 その場に舞い上がる、爆ぜ散った土。

 跳躍の瞬間が、目で追えないほど速い。

 明らかに、先ほどまでとは速度が――身軽さがちがうッ!!

 後ろに後退するように跳ねた獣の、宙にある後ろ足が――縮んで。


「――ぃいッ!?」


 おぞましい気配の高まりに、思わず左に身体を跳ね――


  ――……ウルルルァアアアアアアッ!!


 横断歩道を渡っているときに、赤信号を無視した車が、横からフルスロットルで突っ込んできた。

 そんな経験はないが、もし体験したら、それはたぶん、こんな感じだろう。

 俺の右正面から、白い塊が、目で追えないほどの速さでかっ飛――


「――ぅぉぉぉおおおおあッ!?」


 一瞬の時間をおいて、左に跳ね退いた俺の身体と、その巨体が交錯する。


  ――ガォンッ!!  ……ズダァンッ!!


 大気の削り取られる爆音。遅れて聞こえてくる着地音。

 ねじるように右に旋回、音の方向へと身体を向け変えながら――叫ぶ。


「ズールゥゥゥッ!!! こっちだっ、ぞッ!!」


 地面の土を、前方に向かって思い切り蹴りつける。

 散弾のように弾け飛んだ土は、既にこちらを向いているズールの巨体を捉えることことはない。

 飛び散る土を丸ごと躱すように、その巨体を真横に跳ねさせ――その間にもやはり、その後ろ脚は、縮められている。

 制御された姿勢は宙でまったく崩れず、着地し――


  ――……ルルガァアアアアアアッ!!


 再び真横、左に跳ね退ける。


「――ぐぎ……ッ!!」


 その直後、俺のいた空間を打ちつける大質量。

 交錯の刹那、一瞬だけスローになった視界に――緋色が舞う。

 飛び散る血を、まるで飛行機雲コントレイルのように宙に残しながら、跳ねる巨体。

 それを目で追い掛けながら、急制動に絡まりそうになる足を制御し、強引に身体を獣の方に向ける。

 そこには、向こう側を向いたまま前肢から着地し、しかしその身を向こう側に放り投げるようにぶん回し、こちらを向いて着地した、獣の姿がある。

 前に投げ出された前脚の先は、地面をがっちりと掴んでおり。

 着地したばかりの後ろ足は、ばねのようにたわんでおり。

 振り回された重心は、獣の身体の後方、後ろ脚の上に載っており。

 その姿勢はもう――


  ――……ゥゥ、ガルルルァッ!!


「――ッ!!」


 これが、こいつの本気か。

 身体を縛る重石が半分になり、死の淵に立ち。

 先ほどの追いかけっこから、二段飛ばしで跳ね上がったギア。


 これは、あまりにも――速過ぎる。間断無さすぎる。

 不味い。この飛び掛かりは無理やり躱せても、その後の態勢が――


「――っ、ずーるっ!!!」


  ――……ッ!!


 それは、まったくの意識外からの異音。

 飛び掛かる寸前、地を離れようとしていたズールの身体が硬直する。

 俺もまた、弾かれる様にそちらを見る。

 そこには――戦場に突如発生した、異音の正体。

 メガホンのように口に手をあてたカノンの姿。


(……さんきゅー、カノンッ!!)


 最高のタイミングだった。

 あいつのこちらへの跳躍は急制動により中途半端にキャンセルされ、前方に重心が移り、後ろ脚からは力が抜けている。

 あいつはいま、急には動けないッ!!


 利き手からナイフを持ち替え、太股の外側に手をやる。

 そのまま身体をひねり、手のうちに挟み込んだ石杭を――


「――ぃょぃしょぉッ!!」


 ――先ほどと同じように全力で、目の前に【投擲】する。


  ビュンっ!!

    ――……ガァッ!!


 この状況でも、俺がなにかを投げたことを正しく察知したのか。

 その身を跳ねさせ、躱そうとするが――前に傾いていたその巨体は、わずかに起き上がるのみ。

 その場から離れることはできていない。

 重心が前に傾いている今のお前に、これを躱す術はないッ!

 そして、今度の狙いは、おまえの――右前脚ッ!!


  ――ガキィィィィンッ!!


 硬質な音が、獣の足元から響く。

 それは、石杭が獣の皮膚を貫いた音ではない。

 それは、石杭が獣の爪に弾かれた音でもない。

 それは――


  ――……ゥゥ、ルルルァッ!!


 これまでずっと、獣の右前脚に半端に刺さっていた、錆び付いた細い鉄の杭。

 俺の投擲した石杭が、それに横からぶち当たった音。

 硬いもの同士がぶつかって、しかしどちらも砕けることはない。

 だが、ほぼ垂直に刺さっていた鉄杭は、水平方向に揺さぶられ。

 そして――周囲の肉を抉るようにして、獣の右前脚から抜け落ちる。

 獣の右前脚の先から、赤い血が、溢れ出してくる。


 血の滴り始めた前脚で、しかしその獣は、がっしりと地を踏みしめる。

 いちいちひっかかって邪魔だった棘が抜けてありがたいと言わんばかりに。

 これまでとなんら変わりなく、獣の巨体を支える。

 だが――


「――この一手は響くぞッ、ズールッ!!」


  ――……ゥゥ、ルルルァッ!!


 爆ぜるように飛び掛かってくる巨体を、再び躱す。

 姿勢を下げ、地面との接地を保ち、隙を減らす。

 先ほどはこいつの瞬発力についていけなかった。

 跳躍の瞬間を見てからでは、もう遅いのだ。

 ならば、その瞬発力に間に合うような立ち回りに変えるまで。


「まだまだ――」


 ファーストヒットは、こちらが貰った。

 だが、殺し合いは、まだまだ始まったばかりだ。

 相手の底は見えないまま。

 既についていけないまま。

 相手のギアはまだ上がる。


「――まだまだ、これからだッ!!」


 お前の命が尽きるか、俺たちの命が尽きるまで。

 この戦いは、終わらない!

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