ハーフタイム(1)
ズールを倒木の下に閉じ込め、わずかに確保した休憩時間。
ズールの正体についてカノンと交わした考察をまとめながら、仮想端末を展開する。
その右上ある4桁の数字は、" 00 : 32 " 。
耐久目標まで、あと1時間半。
謎は深まるばかりだが、ある程度の考察も検証は重なった。
そもそも、検証の余裕もなくなってきている。
そろそろ、今後の方針を決めねばならない。
つまり、これから俺たちがやるべきことについて。
「やるべき、こと?」
「ああ、カノン。
ここからは……あいつが、得体のしれない化け物じゃなくて。
どうやら生きているらしい、まともな生き物であると仮定して、考えよう」
「……うん」
ここまで俺は、ズールのことを、得体のしれない化け物だと考えて立ち回ってきた。
だから、つかず離れず、その正体を見極めるために、観察と検証に徹底してきた。
だが、あいつがまともな生き物だと仮定したならば、少々事情が変わる。
「……どうする? カノン」
「どうする……って?」
カノンに、確認しておかなければならないことがある。
結果的にそうなるのと、自ら選んでそうするのとでは、得るものがちがう。
背負うべきものの質が――ちがう。
「あいつのギアはたぶん、まだ上がる。
あいつが生きているというのなら、なおさらだ。
飢えているだろう、苛立っているだろう、必死になるだろう。
だから、これからどんどん、あいつの動きは苛烈になる。
このままのらりくらりと躱し続けるのは、かなり厳しい。
だが、それもできなくはない、かもしれない。
あいつは、大きなハンデを背負っているから」
「……うん」
あいつの挙動は、やはりどこか鈍い。
胴体を穿つ2本の鉄杭という、重石の故か。
それとも、アミーという獣の規格を外れてしまった、その巨体ゆえか。
だから隙を作って休憩時間を作ることができれば、あと1時間半の間、回避し続けることはできなくもない、かもしれない。
「だから、俺たちは選ばないといけない。
あと1時間半、逃げ続けるか。
それとも――あいつと、殺し合うか」
「――っ」
「無力化、なんて生易しいことは、たぶんできない。
野生の獣であるあいつが、俺たちを追わなくなったとき。
それはあいつの手足が壊れて狩りを続けられなくなった時だ。
あるいはあいつが、体力を使い果たして潰れる時だ。
どちらにせよ、いずれ死ぬだろうな。
あいつは、まともなアミーじゃないから。
なにか喰えないと、飢えて死ぬ」
「……。」
むごい話をしていると思う。
ゲームの中でそんなことは気にしたくないと、思うかもしれない。
だが――そこに見出してしまった命と相対するならば、その覚悟がなくてはならない。
その覚悟をせずに、相手を死なせてしまうと、トラウマになる。
仕方がなかった、あいつが勝手に死んだだけだ、自分はわるくない、と。
所詮仮想現実だ、気にしても仕方がない、気にする方がおかしいんだ、と。
自分すらも騙しきれていない、そんな欺瞞の毒の海に沈むことになる。
それでも……人は、その毒の海に沈むことを、選ぶ権利がある。
「あいつが生きているというのなら、あいつはたぶん、辛い目にあってきている。
身体を鉄杭で穿たれて、鎖で拘束されて、この場所に打ち棄てられて。
眼球を失って、飢え渇いたまま、ここまで生きてきたのかもしれない。
俺たちが相対しているのは、そういう存在だ。
そういう――命なんだ。この
「……。」
「だから――あの獣を哀れに思うなら、その手をあいつの血で汚さないことを選んでもいい。
あいつを直接傷つけるのを避けて、自滅を待ってもいい。
なんなら俺たちの身体を、あいつの餌としてくれてやるのもいい。
あいつの飢えを、あいつの傷を、一時的に癒してやれるかもしれない。
それが……独善であったとしても、自分のやりたいようにやっていいんだ。
だって、この世界はゲームの世界なんだから」
「……。」
偽善、とは、言わない。
なにが善かなんて俺にはわからないのだから、なにが偽善なのかもわかるはずがない。
だから、俺はカノンに問わなくてはならない。
「どうする? ……カノン」
彼女が、なにを選ぶのか。
此度の冒険に、どのような結末を望むのか。
なにせこのゲームは、
選びたいのに選べない選択肢など、存在しない。
グッドエンドもバッドエンドも、メリーバッドエンドもお望み通りだ。
だが同様に、選ばないで与えられる結末もまた存在しない。
自分の選択を、その選択の結果を、誰のせいにすることもできない。
それぞれのプレイヤーによって選ばれた、大小無数の選択肢。
その選択の結果によって、この世界の歴史は紡がれる。
この世界の辿る趨勢のすべては、そこに生きる命も含め、プレイヤーの手に委ねられている。
俺たちは、この星の生き物を殺してもいいし、殺さなくてもいい。
俺たちは、殺してもいいし、殺されてもいい。
どちらも等しく、この世界で許されている選択だ。
その選択に優劣などない。すべてが等価だ。
そして、かつてのカノンは。
許されている、2つの選択肢の中で。
殺されることを、好んで選んでいた。
その理由は、命を奪うことへの忌避。
――では、なかった。
「カノンは――どうしたい?」
「……。」
彼女は、考え込むように、じっと黙り込む。
俺が問いが、額面通りの意味でなく、もっと深層の――カノンの衝動に根差した問いだと、伝わったのかもしれない。
俺もまた、じっと、彼女の答えを待つ。
周囲に音は、まだ、ない。
獣の忍び寄る、足音も。
「……フーガくん、言ったよね」
「うん?」
「2時ごろまで、モンターナさんを待つ、こと。
それまで、この場所で、がんばること。
それが『モンターナを含めた俺たち3人の生存と生還の最善策』だ、って。」
「……ああ」
本当に――よく、聞いてくれている。
俺の意図を、汲んでくれている。
「それが、フーガくんの考える、最善なんだよね?
わたしも、モンターナさんも、フーガくんも、生きて帰ることが」
「……。……その最善は、俺の独善だぞ?」
「でも、モンターナさんも、たぶん、そう考える……よね」
「……まぁ、モンターナも、俺たちに死んで欲しいとは思ってないだろうな」
彼はこの冒険に、ワンダラーとしての俺たちを誘った。
そして彼のいうワンダラーという存在は、死に慣れていても容易な死を選ばない存在だ。
ならば当然、彼は俺たちに期待しているだろう。
フーガは生きているだろう、と。
カノンも死んでいないだろう、と。
そう期待して、必死でこの状況の解決策を探しているだろう。
俺はそう信じているから、いま必死で足掻いていられるのだ。
「モンターナさんは、わたしも、冒険に誘ってくれたから。
わたしのことを、ワンダラーって、言ってくれたから。
だから――だいじょうぶ。
わたしも、がんばる。
二人の期待に、応えたい、から」
強い意志の籠もった目でそう言うカノンが、なんだか誇らしくて、愛おしくて。
思わず、素手の右手で、その頭を抱くように撫でる。
「んっ……ぁ……」
「カノンはいい女だなぁ」
「えっ……えっ?」
前にカノンは自分のことを、4年前と変わらないと評したけれど。
カノンも、立派な大人になった。
自分だけではなく、俺やモンターナのことも、きちんと見えている。
そういう思考ができること自体が、彼女の成長の証だと思う。
(――だけど)
その答えは、俺が真実、望んでいたものではなかった。
もっと別の、彼女に言って欲しい言葉があった。
俺やモンターナがいなくとも、彼女を突き動かして欲しい理由があった。
だが、それで当然なのだ。
彼女はまだ、その答えを得る機会を、得ていないのだから。
俺はまだ、その機会を、彼女に与えられていない。
だが今回、彼女がそのような選択を選んでくれたおかげで、その機会を得ることができそうだ。
彼女の黒髪を撫でるように手櫛で漉きながら、胸中で一つの決意をする。
どくりと、震えるような鼓動が一つ、胸の奥底で鳴る。
「……。」
「フーガ、くん……?」
4年前の失敗。
4年分の後悔。
それを清算する機会が、図らずもいま、得られようとしている。
ずっと望んでいた機会が、目の前に転がり込んできた。
このゲームを始めて、カノンと再会してから、ずっと待っていたもの。
カノンと二人でテレポバグでもして、二人一緒に死にかけるようなことにでもならないと、得られないと思っていたもの。
このゲームが続く限り、4年でも10年でも、気長に待とうと思っていたもの。
その機会が、こうも早くやってくるとは。
こうも早く、というか……
(……あれって、昨夜というか……今朝のことだよなぁ)
彼女が破綻を見せたときから。
彼女が変わるのを待つと言ったときから、まだ24時間も経っていない。
示し合わせたような機会だが、少々の不安もある。
彼女の心の中には……まだ整理しきれていない部分が残っているかもしれない。
これからどうするべきか、とか。
これからどうしていきたいか、とか。
そういう思考が、ぐるぐると渦巻いているかもしれない。
もしそうならば、もう少し心の整理の時間を置きたいところだが――
この絶好の機会が、次にいつ得られるかはわからない。
それまでに、彼女が再び不安に陥らないとも限らない。
ならば、やるべきは、今だ。
見せるべきは、今なんだ。
「――カノン。カノンも……一緒にやる?」
彼女の頭を撫で抱いたまま、その頭に顎を載せて、問いかける。
なにをやるのかは、言わなくても伝わるだろう。
「……うん。見てるだけは、いや、だから。
邪魔になるなら、見てるだけにする、けど」
「そんなことはない。……んじゃ、一緒にやろうか。
ただし、いっこだけわがまま言っていい?」
「んっ」
カノンの肩に手を置いて、その瞳を覗き込む。
前髪の向こうにある、吸い込まれそうな漆黒の瞳に、金色の光が映る。
「死にそうになったとき、死なばもろとも、と思わないでくれ。
それと、俺を助けようとして、自分の命を使わないでくれ。
もう駄目だと思ったら、そこで下がってくれ」
「……んっ。わかった」
「そのあとは、俺を見ていてくれ。
俺が死ぬその瞬間まで、目を離さずに、俺を見ていてくれ」
「……。」
「俺が死んだら、そのあとは――好きにしていい。
その時点で、俺の最善策は破綻しているからな。
俺とモンターナのことは気にせず、カノンの好きなようにしてくれ」
「……死なない、よね?」
不安に瞳を揺らしてこちらを見るカノンを引き寄せて、その頭をぐりぐりと強めに撫でる。
「ぅ……んっ……」
「言ったろ?――ワンダラー、舐めんなよ?」
「……うんっ!!」
それは、先ほどもしたやり取りで。
……もしかして、先ほどの言葉は彼女なりの誘いだったのだろうか。
相変わらず恐ろしい女だ。
手玉に取られているのだとしても、悪い気はしない。
そうして、ひと段落つき。
お互い表情を引き締め、
「んじゃ、あいつと真っ向から戦ううえでの作戦だが――」
具体的な相談をしようとした、
――その時だ。
――……ゥゥ、ァオオオオォォォォ――――ンッ!!!
森の向こう側から。
天に響き渡るような。
森を引き裂くような。
地を揺るがすような。
遠吠えが――聞こえる。
「――ッ!!」
「……ひっ」
それは、臓腑を押し潰すような重圧。
それは、肝胆寒からしめるような殺気。
それは、脳を縛り付けるような――哀切。
生命の、絶叫が、響き渡る。
「――なんッ、……だ……?」
「フーガくん、こわ、い……ッ」
カノンの肩が、カタカタと震えている。
俺の膝も、ぷるぷると震えている。
――恐怖?
いや、ちがう。
これは――危機だ。
その咆哮に込められているのは、危機感。
自分の生命が、潰えようとしているときに、放たれる音。
手のひらに掬った水が、指の隙間から零れ落ちるのを、止められないように。
命の漏出が止まらないときに、生命が奏でる破滅の旋律。
これは――それだ。
ズールは――死にかけている。
「……すまん、カノン。
あいつになにがあったか知らんが……いきなりトップスピードかもしれん」
「……。」
「たぶん、カノンのことを庇っている余裕はない。
カノンが危なくなっても、直接は助けられないし、助けない。
それでも、なんとか生き残ってくれ」
「……んっ」
「で、作戦だが――」
わずか1分ほどの作戦会議のあと、再びの咆哮を聞いた俺たちは、覚悟を決めて、空き地へと駆けだす。
その獣と、三度相対するために。
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