亀裂の中の

 わたしを背中に載せたフーガくんは、

 この亀裂の中にあるという、横穴へと降りていく。

 ……わたしには、なにも見えない。


  トン トン


「けっこう、角度、ある?」

「斜面というより、岩でできた段差を降りてく感じだな。

 そこそこ高低差もあるから、念のため後ろ向きで行くぞ。

 落ちたらやばいから、しっかり掴まってろよ?」

「う、うんっ」


 ……フーガくんは、そういうけれど。

 わたしには、かれがなにをしているのか、ほとんど見えない。


  トン トン


 ただ、かれのあしが、うしろに向かって伸ばされて。

 そのあと、わたしのからだが、下に引かれたのを感じる。

 いま、ちょっとだけ、下に降りたみたい。


「フーガくんも、見えてない、んだよね?」

「音で確認してる」


 わたしには、なにも見えない。

 感じられるのは、かれの背中だけ。

 それと、かれのブーツがなにかを叩く、とん、とん、という音。

 くらやみのなかを、わたしのからだがうしろむきに動いていく。

 まっくらなところをうしろ向きに進む、ジェットコースターみたい。


「カノン、たぶんなにも見えんだろうが……怖くはないか?」

「んっ。ちょっと、どきどき、する」

「……それ、スリルを楽しんでるだけだよな?」


 でも、このどきどきは。

 ジェットコースターに乗っているときのどきどきなのか。

 フーガくんの熱を感じているどきどきなのか。

 よくわからない。


「これ、迷ったら、迷子になる?」

「そうだな。ま、最悪……緊急エスケープ機能使えばいいぞ。

 死に戻っても、いま俺たち、なにも持ってないしな」


 でも、フーガくんは、そうする気はないんだよね。

 たぶん、なにがあっても。


「よくわかってらっしゃる」


 知ってるよ。

 知ってるの。

 フーガくんが、わたしのことをわかってくれているほどには、わかっていないかもしれないけど。

 わたしも、フーガくんのこと、たくさん知ってる。



 *────



 フーガくんの背中に乗って、なにも見えないくらやみの中を、うしろ向き、下向きに降りていく。

 段差を降りるたびにちょっぴり浮き上がるからだを、かれの背に押し付けること、10回ほど。


「……よし、これで降り切った」

「んっ。どのくらい、降りた?」

「5mくらいかな。ここからは平らだし、起伏もない横道だ」


 けっこう降りたみたいだ。

 なにも見えないし、どこから降りてきたのかもわからない。

 フーガくんと逸れたら、たぶん、わたしはここから出られないだろう。


「……あれ?」


 そういえば、なんだか。

 フーガくんの肩の向こうにある岩肌が、ちょっとだけ、見えるような。

 わたしの目が、暗闇に慣れてきた?

 でも、わたしはいま、夜目をつけていない。

 それなのに、こんな岩壁の亀裂の真ん中の、しかも下の方に、明かりが届くだろうか。

 それにセドナはいま、真夜中だし、雨が降っている。

 外から明かりが差し込んでいるということも、ない。

 じゃあ、この明かりはなに?


「気づいたか」

「なにか、光ってる?」

「ああ」


 フーガくんが、目の前の岩肌に手をかざした……らしい。

 わたしには、フーガくんの手のひらのかたちをした、影だけが見える。

 かれの手に隠されて、その部分だけがかげになる。

 それは、その向こうにある壁が、仄かに光っているということ。


「このあたりには、……苔、みたいなものが生えているんだ」

「光る、苔……」


 あ、それなら、わたしも知っているかも。


「ヒカリゴケ、っていう植物?」

「おっ、よく知ってるな、カノン。

 でも、惜しい。ヒカリゴケは、自分で発光はできないんだ。

 レンズ状細胞っていう、光を反射する細胞を持っているだけでな。

 明るいところから暗がりにあるヒカリゴケを覗き込んだときだけ、その光を反射して、光って見える。

 だから、今回は別の理由」

「……そっか、ここ、光がない、もんね」


 じゃあ、目の前の壁が光ってる、のは。

 なんで、だろう。


「カノン。ここから先の話、この場所の話は。

 ……俺の推測が、いっぱい混じってくる。

 まだ、はっきりとは断言できないんだ。

 まだ分析装置にも掛けてないし、検証も考察時間も足りてないし。

 それを踏まえたうえで、聞いて欲しい」

「んっ、ふふっ」

「ん、どした?」

「きょーじゅみたいだな、って」


 きょーじゅも、フーガくんも。

 いっぱい調べて、いろんなことを考えて。

 でも、かんたんには口に出さない。

 じぶんのことばを、たいせつにしている。


「誉め言葉……だよな、うん。俺よりりんねるの方がスペック上だし」

「いいよ、聞かせて?」


 フーガくんのはなしが聞きたい。

 あっていても、まちがっていても。

 かれのことばなら、納得できるとおもう。


「……よし、じゃあまずは、うしろを見てもらおうかな」

「うし、ろ?」


 フーガくんが、振り向く。

 その背に載せられたわたしも、いっしょに振り向く。

 その先に、あったものは。


「……っ!」

「夜目なくても、見えるだろ?」

「うんっ。きれいな……海の色……」


 仄か、海色に輝く、光の通路。

 それはまるで、深い海の底に作られた円筒の回廊のよう。

 フーガくんの背よりも、もう少しだけ高い。

 わたしとフーガくんが並んでも歩けるくらいの広さ。

 そして、その丸い通路にくりぬかれた岩肌は、

 頭上も、地面も。

 右の壁も、左の壁も。

 なにか、仄かに光り輝くもので覆われている。


 その光は、深い海の色。

 青の、どう、くつ――


「――あ、れ?」


 いま、

 なに、か。

 なにかを。

 思い出し、

 かけた、ような。


「カノン。実は、この先は――ちょっと、あぶないんだ。

 もしかすると、結果的に、死ぬかも」

「――っ」


 わたしは、この青を、

 知っている、ような。


「でも……どうしても、見てもらいたいものがある。

 カノンと、いま、一緒に見たいものがあるんだ。

 だから……ちょっとだけ、ついてきてくれるか?」

「……んっ!」


 今まで以上に、かれの首元にしがみつく。

 かれと一緒なら、どこへだって行ける。



 *────



「で、さっきの質問に対する推測だけど。

 この洞窟に生えている苔……らしき植物には、たぶん発光バクテリアが共生しているんだ」


 それは、先ほどのわたしの問いに対する答え。

 どうして、このあたりは、光っているのか。

 ヒカリゴケでは、なかったみたいだけど。


「光る、微生物?」

「……そのような理解で、いまは問題ない」


 フーガくんが、仄かに輝く光の通路を進んでいく。

 わたしにも、周囲の景色がわかる。

 きっと、海底に作られたガラスの通路を通ったら、こんな風に見えるんじゃないかな。

 わたしたちに届いても、その輪郭しか浮かび上がらせないほどの。

 やわらかな、弱弱しい、蒼い光。


「……でも、発光バクテリアっていうのはさ。

 あんまり、陸地の上には存在しないんだ」

「そうなの?」

「うん。そのほとんどが、海の中にいる。

 海にそのまま漂ってたり、海の生き物にくっついてたりする」

「……蛍とかは、ちがう?」

「蛍は……、……発光バクテリア、じゃなかったと思う。

 光を放つ化学物質を作り出す、っていう点では、同じだと思うけど」

「まだ、よく、わからないんだけど。

 フーガくんは、どうして、この苔が光ってるのが

 ……その、発光バクテリアが原因だって、考えてるの?」


 ふつう、逆なんじゃないかな。

 海の中にしか、発光バクテリアがいないのなら。

 海から遠く離れた、ここに生える苔が、それによって光るなんて考えない。

 フーガくんは、どうしてそれのおかげだと、思うんだろう。


「……そりゃ、そこは気になるよな。

 ごめん、ちょっと……、……頭の中では、いろいろ考えてはいるんだけど。

 まだ、筋道立てて話せるほどまとまってなくて……」

「んっ、ゆっくりで、いいよ。

 いまじゃなくても、だいじょうぶだし」


 きっと、フーガくんの頭の中では、もう、ぜんぶつながっているんだろう。

 でも、それはきっと、まっすぐ話すのが難しいことなんだと思う。

 この世界の、さかなのはなしをしてくれた時のように。

 わたしにわかりやすく、伝えようとしてくれている。


「……わるいな、カノン。

 いまは、結論だけ話させてくれ。

 このあたりの苔……らしき植物には、たぶん、

 遠い昔に海からやってきた、発光バクテリアが、今でも棲んでるんだ」

「海から、やってきた?」

「ああ。白い結晶混じりの玄武岩から、岩塩が採れただろ?

 だから、このあたりは、かつて海だった。

 それが、火山活動でせりあがって、高地になった。

 そのとき、いろんなものが、この高地に取り残されたんだ。

 ここに生きる発光バクテリアたちもそうだし、

 ……きっとその他にも、たくさんのものが」


 フーガくんは、仄かな光を放つ、岩肌を撫でる。

 その手つきは、どこかやさしげで。

 その声は、なにかを、なつかしんでいるようで。

 わたしもまた、なにかを、思い出しそうになる。


「……進もうか、カノン。そんなに深くないしな」


 ただ、回したうでに、きゅっと力を込める。



 *────



 ゆっくりと歩く、かれの背に揺られ、進んだ先。

 すこしだけ開けた、空洞のような場所に突き当たる。

 そこに、あったのは――


「着いたぞ、カノン」

「ぁ――」


 地面に広がる、海色に光る苔のじゅうたん。

 周囲の岩肌も、仄かな輝きを放って。

 それはまるで夜に咲いた、海色の光の花園のような。

 深い海の底に作られた、光のドームのような。


「きれ、い……」

「カノンに、この場所を見せたかった。

 それが、ここに来た理由の一つ。

 まだ誰にも見せたことのない……というか俺もさっき発見したばかりの、秘密の場所。

 モンターナにも、いまのところは教えるつもりはないかな」


 こんなに、きれいで。

 こんなに、しずかで。

 こんなに、くらくて。

 こんなに、ふかくて。


 フーガくんと、わたししか知らない、場所。

 わたしと、フーガくんしかいない、場所。


「カノン、降ろすぞ」

「……んっ」


 フーガくんが、わたしの腰を、海色の光のじゅうたんの上に降ろしてくれる。

 ふわふわしていて、ちょっとだけ湿っていて、でも、冷たくはなくて。

 よく見えないけど、たぶん、フーガくんの言っていた、苔が広がっているのだろう。

 岩肌の上に腰をつけているような気は、ぜんぜんしない。


「……カノン、いったん手を離してもらって、いい?

 ここなら、俺から離れても、俺の輪郭くらいは見えるだろうし」

「……うん」


 かれの影のかたちは見える。

 かれの首に回していた手を離す。

 わたしのむねやおなかを温めてくれていた、かれの背中が離れてしまう。

 ……ちょっとだけ、はなしたくない。


 かれの影が、わたしの横に回り込む。

 わたしの横に、腰を下ろしてくれる。

 かれの肩を、わたしの肩に触れさせてくれる。

 いつか、高台の上でそうしてくれたように。

 ちゃんとここにいると、伝えてくれる。


「地面、硬くないだろ?」

「うん、やわらかくて、気持ちいい」

「苔……らしき植物には悪いけど、おかげさまでな」


 お尻をついて、ひざを伸ばして、両手をうしろにつきだす。

 からだの力が抜ける。

 なんだか、ちょっと、ねむくなっちゃいそう。


「……ね、フーガくん」

「ん」

「もう一つ、は?」


 わたしをここに、連れてきてくれた理由。

 かれとふたりで、この仄かなくらやみの中で。

 一緒にいるだけで、わたしはしあわせを感じられるけれど。

 かれには、まだ、理由があるみたいだ。

 わたしを、ここに連れてきた理由が。


 それに――まだ、ぜんぜん、あぶなくない。

 死ぬかも、と、かれが言うほどの、危険に出逢っていない。


「……カノン、そのまま寝転がってみ?」

「えっ」


 隣に座るかれが、その身を後ろに横たえた気配を感じる。

 わたしも、釣られるようにして、かれの隣に、仰向けに横になる。

 そうして、


「――っ!」


 それを見た。


 そして、わたしは、思い出した。



 *────



 それは。


 その青い輝きは。


 かつて、見たことがあるもの。


 わたしとフーガくんの、


 記憶の一頁を成すもの。


 天井に咲く。


 海色の結晶花。


 それは、


 その花の名は。



 *────



「――なぁ、カノン」


「変わらないものって、あるよな」

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