信じていたもの

「カノン。 ――ちょっと、寄り道していい?」


 暗い亀裂の中見上げる、かれの顔は、よく見えない。

 疲れていて、でもあたたかくて。

 あたまにもやが掛かったようで。

 かれの言っていることばの意味も、よくわからない。

 でも、聞こえてきたことばに込められた、かれの意志はわかる。

 きっと、かれはなにか、大切なことをしようとしている。

 だから、その意味を問うまでもない。


「……んっ。いいよ。このまま、歩いて、いい?」

「いや、俺が背負っていく」

「でも、……さすがに、あぶないよ?」


 この亀裂の中の道は、たしかにほとんどまっすぐだったけど。

 かれがわたしを背負って歩いても、問題ないほどの高さもあったけれど。

 そこは、なにも見えない、まっくらやみ。

 それに、途中で一度、折れ曲がっていたし。

 足を蹴躓く程度には、地面にでこぼこもあるのだ。

 わたしが足を切ったのも、たぶんどこかのでこぼこに引っ掛けてだと思う。


「いや、大丈夫。……覚えてるから」


 ……なにを?

 このまっくらな、亀裂の中の道を?

 たった一度、ここまで来ただけで、覚えてしまったのだろうか。

 やはりかれは、どこか、おかしいのではないだろうか。

 わたしとは、ちがう意味で。


「……というわけで、背負わせてもらっていい?」

「……わたしが背負われる方、なんだよね?」

「うん、まぁ」


 なんで背負わせてもらうなんだろう。

 わたしが背負ってもらう方なのに。

 だめだ、いまは、こまかいことがかんがえられない。


「……ま、まぁ細かいとこは気にしなくていいから。いいか?」

「うん」


 かれの提案にうなずく。

 かれがあぶないのは、だめだけど。

 かれのことを信じよう。

 それに、そうすれば、わたしはまた、かれの身体に触れられる。


 ふれたい。

 さわりたい。

 かんじたい。


「じゃあ、……おねがい、します」

「お、おう。お願いされる」


 かれがせなかを向けてくれる。

 その大きなせなかに、からだを預ける。

 かれの首元に手を回し、腰の上あたりを太股で挟んで、全身で抱き着く。

 かれのうなじに、顔を寄せる。


 いいのかな。

 いいんだよね。

 かれが、いいって言ってくれたから。


「……よし。行こうか。立つぞ?」

「あっ……コート、わたしが、持って、る?」


 かれの手は、濡れたコートで塞がっている。

 手はあいていたほうが、いいんじゃないかな。


「……んー、カノンの身体を支える必要がありそうなら、持っててもらおうかな。

 ちょっと立ってみるぞ」


 かれが、ゆっくりと立ち上がる。

 しがみついているわたしを揺らさないように、静かにゆっくりと。

 少しだけ前に傾けられたかれの背に、身体を載せる。

 力を抜いて、かれと一体になったように、重心を預ける。


「……これで、どう、かな?」

「……おっけーです。これなら支えなくても大丈夫そう。

 でも、腕がつらくなったら、早めに言ってくれよ?」

「んっ、わかった」


 たぶん、だいじょうぶだ。

 かれが、少し前寄りに身体を傾けてくれるおかげで、ほとんど力は必要ない。

 わたしはただ、かれの背中の上に乗っているようなもの。


「……重く、ない?」

「むしろ軽すぎるんだが。……いや、運搬のおかげかな」


 そうして、かれはゆっくりと歩き出した。

 かれの歩みとともに身体を揺する、小さな振動。

 かれの身体を振り回さないように、ぎゅっと、かれの身体に抱き着く。

 あたたかくて、広い、大きなせなか。


「あったかい、ね」

「……それは、よかった」



 *────



 わたしには、なにも見えない暗闇の中を。

 かれはゆっくりと歩き始める。

 その遅々とした歩みに、しかし迷いはなく。

 まるですべてが、見えているかのよう。


「フーガくん、見え、てる?」

「あんまり」


 それはそうだろう。

 深夜の、洞窟の中。

 夜目をつけていようが、なかろうが。

 この暗闇を、見通せるはずがないのだ。


「……。」

「……フーガ、くん?」


 かれが、なにかを言おうとしているような気配を感じる。

 口では説明できないけど。そんな気がする。


「……カノン、わるい。

 実は、カノンに黙ってたことがあるんだ」


 言うタイミングもなかったけど、と続ける、かれの言葉。

 それを聞いたわたしは、疑問に思う。

 わからないから、聞いてみる。


「どうして、あやまる、の?」

「えっ?」

「わたしだって、いっぱい、フーガくんに黙ってること、あるよ?」

「……。いや……」


 いっぱい、いっぱいある。

 フーガくんに言ってないこと。

 フーガくんに言えないこと。

 バレてしまっていいこともあるけれど。

 ぜったいにバレたくないこともある。


「……カノン、実はな。昨日の夜……というか、ついさっきだな。

 俺、この亀裂を調べに来てたんだ」

「……。」

「カノンと一緒に、この亀裂の奥を覗き込んだとき、カノンは言ったよな。

 『なにも見えなかった』って。

 夜目があっても、なにも見えなかったって」

「……うん」

「でも、どうしても気になってな。本当にそうなのか、疑った。

 だから、さっき、カノンがダイブアウトしているときに、ひとりで調べに来たんだ」


 そうだったのか。

 ……やっぱり、かれは、すごい。


「だから、知ってる、の?」

「ああ、この亀裂の中の構造については、かなり詳しく。

 ……そのせいで、戻るのが、遅くなっちまった」


 かれの、責めるような声音。

 たぶん、かれは悔やんでいる。

 もっと早く戻るべきだったと。

 そうすれば、わたしがこわれることはなかったのだと。

 でもその後悔の仕方はまちがっていると思う。

 フーガくんにしては、珍しい。

 それに、後悔すること自体も、まちがっている。


「フーガくん、ありがとね」

「……えっ」

「フーガくんが、わたしのことを、疑ってくれたから。

 自分で考えて、この亀裂のことを、調べてくれたから。

 だから。――わかったんだよね」

「――っ!!」


 わたしには、さっぱりわからないけれど。

 かれのなかでは、なにかがつながっていた。

 だからかれは、いま、ここにいる。


「わたし、フーガくんに、うそを、ついたの。

 だから、ぜったいに、来ないと思った、の。

 来られなくしたのは、わたしだった、の。

 でも――フーガくんは、来てくれた、よね」

「それ、は――」

「だから、フーガくんの、おかげなの。

 フーガくんがこの亀裂を調べずに、早く戻っていても。

 いつか、わたしは、ここに来た、から。

 今日はよくても、明日、来たかもしれないし。

 明後日、来たかも、しれなかったし。」

「……。」

「だから、フーガくんのした、ことは、正しかった、よ。

 そして、わたしにあやまる、必要なんて、ない。

 フーガくんは、わたしのことを、たくさん、わかってくれているって、ことだから。」


 いつも。いつだって。

 かれは、わたしのことをわかってくれる。

 わたしのちっぽけなうそすら、みぬいてくれる。

 だから、かれはすごいんだ。

 わたしのことを、わたしよりも、わかってくれるから。


 だから、かれは、この場所に来ることができた。

 越えられるはずのない。いくつもの壁を乗り越えて。


「……ねぇ、フーガくん」

「……ん」

「どうして、ここが、わかったの?」


 かれがここに来ることはあり得なかった。

 わたしを見つけ出すことはあり得なかった。

 それなのに、かれはわたしを見つけ出した。

 それが、奇跡や偶然でないというのなら。

 かれのあたまのなかは、どうなっているのだろう。


「……勘。……って言いたいんだけどなぁ」


 勘、で、果たして。

 ここに、来られるだろうか。

 かれは、たしかに寝たはずなのに。

 わたしがここに来たことを、知らないはずなのに。

 どうして。

 すべてが終わった、あとですらなく。

 わたしが来た、そのすぐあとに。

 わたしを探して当てることができたんだろう。

 かれは、わたしのすべてを透かし見ることができるのだろうか。

 それは、ちょっとだけ、恥ずかしい。


「まぁ、おいおい話す。けっこう、いろいろ考えたから。

 ……あ、でも、一つだけ、言っておくことがある」

「んっ、なに?」


 フーガくんの背中に、力が入る。

 ちょっと緊張して、る?


「カノンの姿を見っけたとき、めっっっっちゃ、安心したんだからなっ!」


 小さく震える、かれのせなか。

 それはもしかして、緊張ではなくて。


「だから――此処にいてくれて、ありがとう。カノン。

 俺は、カノンを信じてたぞ」

「――っ」


 そう、か。

 かれは、わたしのぜんぶを、信じてくれていた。

 だから、かれは此処に来ることができたんだ。


 どろどろも。わたしの嘘も。

 見えないそれらを、信じていないと、ここに来ることはできない。

 いま、わたしがここにいること。

 いまのわたしが、ここまで来てしまうということ。

 それをまちがいなく信じていないと、まっすぐここには来られはしない。


 わたしは、信じられていたのか。

 かれの信じる、わたしでいられたのか。


「フーガくん」

「ん?」

「おかしい、よ?」

「なにがっ!?」


 やっぱり、おかしい。

 かれは、ふだん、いったいなにをかんがえているんだろう。

 どこまで、見えているんだろう。

 この亀裂のことは、あれから一度も言わなかったのに。

 かれのメッセージにも、答えなかったのに。

 かれの部屋の明かりは、たしかに落ちたのに。


「……いつか、教えて?」

「うーん、蓋然性が一番高かっただけだから、運がよかったとしか……」

「んっ、ふふっ」


 ねぇ、フーガくん。

 わたしは、思うの。

 きっと、フーガくんしか、いまこの場所には、来られなかったんだよ。

 フーガくんだけが、わたしをとめられるんだよ。

 わたしのことを、世界で一番知ってくれている、フーガくんだから。


「フーガくん」

「……なんだ?」

「……ありがとぅ……」


 かれの熱い首筋に頬を寄せる。

 なんどでも伝えたい。

 なんどでも。なんどでも。

 伝えても、伝えても、伝えきれない。

 いったい幾つの感謝をささげたら、このしあわせを得られるのだろう。


「……こちらこそ」


 それきり、会話が途絶える。

 でも、ちゃんと想いは伝わっている。


 わたしの押し付けた身体からは、

 きっと、わたしの鼓動が伝わっているはず。

 とくん、とくんと脈を打つ。


 いのちの、鼓動と。

 しあわせの、音色が。



 *────



「……このあたり、かな」

「んぅ?」


 フーガくんの背に揺られ、亀裂の中の暗闇を……どれくらい進んだだろうか。

 足を擦るような、ゆっくりとしたフーガくんの歩み。

 ここまで5分くらいかな。

 それとも、もっと?


 かれの熱に触れていると、時間の感覚がわからなる。

 かれを想うだけで、わからなくなってしまうのに。

 触れている今はもう、めちゃくちゃだ。


「ここ、どのあたり?」

「拠点側から、だいたい……6割くらい入ったとこかな。

 だから、まだ半分も進んでない」

「ゆっくりだった、もんね」

「カノンもいるしな。ここまで10分くらいか。まぁまぁのペースだな。

 50mを10分ってどうかと思うけど、見えない中ならこんなもんだろ」


 フーガくんは、そういうけれど。

 たぶん、わたしを背負っているからだと思う。

 わたしを揺らさないように、慎重に進んでいるのだと。

 たぶんフーガくんだけなら、一分もかからなかっただろう。


「このあたりに、なにか、あるの?」

「実はこのあたりに、下の方に向かって落ち込んでる横穴がある」

「えっ……ぜんぜん、きづかなかった」

「危なかったな。ふつうに人が落ちられる大きさと角度だぞ」


 もしも、わたしが足を踏み外していたら。

 そのときは、今度こそ、かれに見つけて貰えなかったかもしれない。


「……まあ、カノンがこっちにいないことは先に確認しておいたから、その心配はしてなかったけど」


 見つけて貰えていたようだ。

 むしろ、わたしはどこに行ったら、かれに見つからなかったのだろう。

 ……一番見つけられそうになかったのが、この亀裂の先だったのに。


「……このさき、続いてる?」

「そこそこ続いてるぞ。道のり30mくらいかな。

 幅も途中から広がって、この亀裂の横幅よりでかくなる」

「そんなに」


 それはもう、亀裂と言うか……洞穴だろう。

 あ、フーガくん、さっき横穴って言ったよね。


「……寄り道って、ここ?」

「そうだ。……カノンは、こっちに向かった可能性もあるなと思ったんだけど」


 ……どういう、こと?


「このさきに、なにか、ある、の?」

「ああ。カノンに見せたいものが……2つある。

 ところで。……カノン、眠くはないか?」


 実は、よくわからない。

 あたたかくて、ふわふわしていて。

 ねむいような、ねむくないような。

 もうずっと、ゆめのなかにいるみたい。


 でも、もしも眠いと言ったら。

 たぶん、フーガくんは。

 寄り道を、やめてしまうだろう。

 このまま、拠点に戻ろうとするだろう。

 今日はもう、おわりになってしまうだろう。

 それは、いやだ。

 まだ、フーガくんと一緒にいたい。

 もっと、フーガくんに触れていたい。


「……ん、ねむく、ないよ」

「そっか。……じゃあ、このまま行くか。

 ちょっと降りてくことになるから、今まで以上に、しっかり掴まっててくれ。

 俺もここからは、コートもここに置いて、両手を使ってくから」

「……。……っ! うんっ!」


 かれが苦しくなったらいけないと思って、少し緩めていた腕の力を再び強める。

 今までよりも、つよく。

 今までよりも、ぎゅっと。

 わたしのからだを、かれのせなかに押し付ける。

 かれの来ている服が、ちょっとだけ邪魔だけど。

 かれの体温を、感じられる。

 きもち、いい。


「……びぃ、くーる」

「……んぅ?」

「なんでもない。よし、行くぞ」


 暗闇のなか、フーガくんの背に乗ったわたしは。

 まっすぐに続いていた道を逸れて、緩やかに下方へと向かう。


 この先に、いったいなにがあるんだろう。

 フーガくんは、いったいなにを見せてくれるんだろう。


 わくわくと、どきどきで、震える胸を、

 ぎゅっと、かれの背中に託して。


 下へ。下へ。



 くらやみのなかを、降りていく。

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