楔(1)

 光の消えた窓。


 わたしは、それを、じっと見ていた。


 いつものように。


 ――そして、わたしは動き出す。



 *────



 暗闇の中。


 フルダイブシステムデバイス・トランセンダを起動する。


『利用者のバイタルデータに乱れがあります。

 現在、フルダイブシステムを利用することはできません。』


 再起動。


『利用者のバイタルデータに乱れがあります。

 現在、フルダイブシステムを利用することはできません。』


 再起動。


『利用者のバイタルデータに乱れがあります。

 現在、フルダイブシステムを利用することは――』


 ……。



 *────



 光の消えた窓を、もう一度見る。

 そこに明かりは、ない。

 かれは、眠りについたのだろう。

 もう、午前3時を回った。

 それまでずっと、あの部屋の明かりは点いていた。

 かれは今日も仕事があるはずなのに。

 わたしのことを想って。

 メッセージの通り、きっちり午前3時まで。

 かれの部屋の明かりはついていた。


 あいたい。


 ――あいたかった。


 姿を見たかった。

 声を聴きたかった。

 熱に触れたかった。


 でも。


 ――いまは、あえない。


 なんて言えばいいの。

 なにを、言えるの。

 どんな顔をして、あえばいいの。


 せっかく、かれが、教えてくれたのに。


 飲み水の作り方も。服の作り方も。

 はじめてのイベントのことも。林の中の岩のことも。

 あの星の時間のことも。実績のことも。

 いろんな植物のこと。いろんな石のこと。

 セドナの南の岩の壁のこと。セドナの真ん中の平野のこと。

 セドナを流れる川のこと。セドナにある森のこと。

 木の切り方。石の割り方。

 くさびの作り方。石斧の作り方。

 椅子の作り方。テーブルの作り方。

 うけの作り方。魚の捕り方。

 サインのこと。結び方のこと。

 あの星のさかなのこと。あの星のいきもののこと。


 あの世界での、楽しみ方を。

 あの世界での、過ごし方を。

 いっぱい、いっぱい、おしえてもらったのに。

 ぜんぶ、ぜんぶ覚えてるのに。


 手を引いてもらったのに。

 手を繋いでもらったのに。

 手を握ってもらったのに。

 頭を撫でてもらったのに。


 なんで。

 なんで。

 フーガくんが、いないだけ、で。


 なんで、できなくなっちゃうの。

 なんて、とまらなくなっちゃうの。

 なんで、わたしは、こんななの。

 なんで、わたしは――


「……っうっ――――」


 ……はきたい


 ――けど、もうはけない。


 あついなにかが、のどをやくだけ。


 もう、なにものこってないよ。

 わたしはからっぽだから。

 だから、もうだいじょうぶだよ。

 わたしは、だいじょうぶなの。



『フルダイブシステム・トランセンダへようこそ。

 本日のご予定は、いかが致しましょう。』



 おねがいします


 わたしをあの世界に送ってください


 わたしがこわれてしまうまえに


 わたしをこわしてしまうまえに



 フーガくんのいない あの世界へ




 *────



  ザァァァァアアアア――――



(……いない、よね)



 外殻に打ち付ける雨音が響く、脱出ポッドの中。

 そこに、人影はない。

 フーガくんは、いない。

 わたしはそれを確認して、この世界に来た。

 わたしは、かれの部屋の明かりが消えるのを待っていた。

 わたしは、かれがいなくなるのを待っていたのだ。


 ……。


 どうし、て。

 どうしてわたしは、そんなことをしたの。

 そんなことをしたら。

 とまらなくなってしまう。

 わたしをとめるものがなくなってしまう。

 とまっていられなくなってしまう。


 とまらない。

 とまらない。

 かれを想えば、とまってくれるはずのそれは。

 かれの不在とともに、どろどろとあふれだす。

 とまって。

 とまってよ。

 どうして、とまってくれないの。

 ずっと、とまってくれていたのに。

 かれの部屋の明かりを見ているだけで、よかったのに。


(……。)


 脱出ポッドの中。

 少し前まで、フーガくんがいた場所。

 かれの残滓を感じられるような気がする。

 なにか、なにかが欲しい。

 なんでもいい。

 わたしをとめるなにかがほしい。


 フーガくんの椅子。

 すがりつけば、まだかれの体温が残っている。

 ――ような気がする。


 フーガくんのコート。

 顔をうずめれば、まだかれの匂いが残っている。

 ――ような気がする。


 フーガくんが使ったおはし。

 口に含めば、まだかれの味が残っている。

 ――ような気がする。


「ぅ、ううぅ、ぅぅぅぅううう――――」


 だめだ。

 だめだ。

 たりない。

 うまらない。

 こんなのでは、とまらない。

 もう、想うだけでは、とまらない。

 わたしは、それを不足に感じてしまう。

 わたしは、それ以上を知っているから。


 左手を包んでくれた、おおきな手。

 頭を撫でてくれた、やさしい手つき。

 わたしの妄想でも、幻覚でもない。

 あの、たしかな熱。


 左手が、冷たい。

 頭が、さみしい。

 空気が、冷たい。


 かれが与えてくれたあたたかさの分だけ、その空白が押し寄せる。

 満ち足りることを知ってしまったから。

 さいわいを知ってしまったから。

 とまらない。

 とまってくれない。

 どろどろとわきあがる衝動が、わたしを駆り立てる。


(……っ、……)


 思わず首元に手をやる。

 そこにあるものを確かめる。

 かれが、わたしのためにつくってくれた、黒いケープ。

 きっと似合うと言ってくれた、わたしのための装い。

 いつもわたしを、あたためてくれていたもの。

 いつもわたしを、ひきとめてくれていたもの。

 わたしをとめる、わたしのためのくさび。


 それにふれれば、いつでもわたしはとまることができた。

 このどろどろを、ふりはらうことができた。


 でも、


 いまはもう、そのあたたかさでさえ、たりない。

 あのしあわせなねつには、ぜんぜんとどかない。


(っうぶっ――――)


 ……なんて。


 ――なんて、卑しい。


 チュニックにケープに、ズボンにコート。

 この世界で過ごした、しあわせな時間。

 かたちのあるもの。

 かたちのないもの。

 こんなにもたくさんのものを、かれはくれたのに。


 それでもまだ、足りないのか。

 それでもまだ、欲しがるのか。

 それでもまだ、抑えきれないのか。



 ――そうだ。


 ――おまえは、あのときから


 ――なにも、変わっていない。


 ――おまえはまだ、どうしようもなく


 ――ワンダラーなんだろう。



 ――それが、なんだろう?



 *────



 ケープを、外す。

 チュニックを、脱ぐ。

 ズボンも、脱ぐ。

 レザーグローブを、外す。

 レザーブーツも、脱ぐ。


 わたしをつなぎとめる、すべてのくさびを外す。

 もう、とまらない。

 とめられない。

 とまらないなら、せめて。

 そのくさびを、失くしたくない。

 フーガくんがわたしにくれたくさびを。


 フーガくんがつくってくれたもの。

 わたしを包んでくれていたもの。

 わたしをとめてくれていたもの。

 それらを失うわけにはいかない。

 フーガくんがくれた、それらを失くしたら。

 もう二度と、フーガくんの顔をみられなくなる。

 わたしはもう、わたしですらなくなってしまう。


 だから。

 どうか、ここで、待っていて欲しい。

 ちゃんと戻ってくるから。

 このどろどろを、落としてくるから。


 すぐにまたわきあがるだろうけれど。

 あしたから、またがんばって、がまんするから。

 フーガくんがいないときでも、とまってみせるから。

 そうしたらまた、わたしをつないで。

 わたしを、とめて。


 いまは。

 いまだけは。

 このどろどろを、落とさせてほしい。


 あした、フーガくんに、あやまりたいから。

 あしたから、また、フーガくんといっしょにいたいから。

 ふーがくんに、あいたいから。

 そうだ、あいたい。

 あいたい。

 あいたい。

 あいたい。

 あいたいから。

 いまのままでは、あえないから。

 だからいくんだ。

 いっていいんだ。

 そうしなければ、ならないんだ。



 このどろどろを、おとさないと。



 *────



 なにも持っていないことを確認して。

 失うものはなにもないのを確認して。

 技能スロットも、すべて空白にして。

 オプション設定も、念入りに確かめて。


 脱出ポッドのハッチを開く。




  ザァァァァアアアア――――




 現実は深夜。セドナも深夜。

 天候は大雨。すべてを流し去ってくれる。

 誰にも、見られることはない。

 その行き先を、知るものはない。


 だって、その場所のことは。

 わたしだけが、知っている。



 フーガくんは、こない。


 フーガくんがくれたケープも、ない。


 わたしをとめるものは、


 もう、なにもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る