教授(1)

 フルダイブのVRゲームである『ワンダリング・ワンダラーズ!!』の世界の中で、眠ることは可能であるのか。


 結論から言えば、可能であるようだ。

 寝るとか、気絶するとか、意識不明になるとか。

 そういった場合でも、プレイヤーに対する強制ダイブアウト処理や死に戻り処理は行われない。


 となると、やはり気になるのは現実への影響だが……。

 それらの問題については、当然いくつかの解答が用意されていた。

 俺がフルダイブVRゲームに詳しくなかっただけで、既に無数の先達のゲームが、このあたりの問題に関してある程度の下地を整えていったらしい。


 まず、ゲーム内の睡眠は現実の身体的にはどう影響するのかという話だが、ゲームで眠るのと現実で眠るのは、脳のはたらき的にはまったく同じ状態であるらしい。

 ゲーム内で眠っているとき、現実の身体の脳は、現実で眠っているときとまったく同じように休息を取っている。

 ようはゲーム内で眠っているときは、現実でも眠っているということだ。

 ということは、だ。

 ゲーム内で6時間寝て、そのままゲーム側で起きたとしても、現実ではちゃんと6時間分寝たことになっているということだ。

 こっちで寝落ちしても安心だな!


 次に現実で寝過ごす可能性があるという話だが、これについては完全な自己責任。

 フルダイブシステムデバイスにめざまし機能でもセットしておけばいい話だろう。


 次にゲーム内で意識を失うことについてなにか問題はないのかという話だが、これは現実で眠っているときとまったく同じ状態だ。

 意識が覚醒していないだけの状態で、脳内では記憶の統合と処理を繰り返す。

 この世界で眠っているときに見る夢と、現実で眠っているときの夢は、完全に同一のもの。

 ただしこちらの世界にいるときは、俺たちの脳はこちらのアバターの生体情報を統合処理しているから、こちらの世界の夢を見やすいと思う。

 ゆえにゲーム内で眠ったり気絶したりしているときでも、現実側の身体に刺激を与えれば通常どおりに起きることができる。

 やはりフルダイブシステムの目覚まし時計をセットしておけばいい。


 またすべてのフルダイブシステムには、現実の身体側からデバイスの使用者を強制的に覚醒させる機構が義務付けられている。

 昔のサイエンス・フィクションのように、ゲーム内に意識が閉じ込められるといったようなことは、ゲーム側ではなくフルダイブシステム・デバイス側の仕様上決して起こりえない。

 起こりえないようになっている、はずである。

 それでも、まぁ……その手の事故は、得てして起こってしまう可能性を残すものだが。

 少なくともこのゲームでは起こらないだろう。


 またこのゲームでは、オプションから、ゲーム内で意識を失ってしまった場合の処理について、プレイヤーそれぞれが定めることができる。

 たとえば、拠点外で一定時間以上意識不明が続くと、死に戻り扱いで拠点に戻される、とか。

 毎日決まった時間に、強制的にダイブアウト処理を行うとか。

 これらは余命タイマー、もとい緊急脱出予定機能の亜種のような機能だと言える。

 これさえ定めておけば、ゲーム内で眠ってしまったがために、現実で寝坊すると言ったことは起こらないようになっている。

 起こらないというか、ちゃんと起こらないように設定できる、というか。

 つまりはゲーム側ではちゃんとケアするから、あとはそれぞれで対応してね、ということだ。


 ということで、ヘッドマウントディスプレイ方式であった前作とは違い、フルダイブとなった今作では、この世界の中で惰眠を貪ることができるようだ。

 セドナの避暑地レベルがさらに上昇したな。

 ハンモックに揺られてうつらうつらすることもできるぞ。


 ちなみにこのゲームのアバターには、睡眠が必要ない。排泄がないのと同じだ。

 プレイヤーがダイブアウトしている間に身体を休めているとでも思っておこう。

 アバターを操るプレイヤー自身は普通に眠くなるので、不眠不休の超人というわけでもないしな。



 *────



「……っ、うっ、んぅ……」

「おっ、カノン。いよいよ、りんねるが起きそうだぞ」

「……だいじょうぶ、かな?」


 セドナ川を流れてきた白衣の人物を引き上げたあと。

 セドナ川の川沿いの草地で、恐らくは俺たちの探し人であるりんねるであろうその人物が自然に目覚めるのを待っていた。

 待つこと……だいたい30分くらいだろうか。

 どうやらようやく、目覚めるようだ。

 カノンとともに仰向けに寝転がっていたその人物の方へ座ったまま這い寄り、その目覚めを覗き込む。

 呼吸が少し乱れ、閉じられた瞼もひくひくと動いている。


「おーい、起きろー」

「きょーじゅ、起きてっ」


 まだ確定したわけではないが。

 たとえば目の前の人物が、前作のりんねるの出で立ちを参考にしてアバターを作り上げたである可能性はある。

 俺たちとりんねるは面識があるから、起きればわかると思うのだが……。

 俺たちの声掛けにもいまだ目を閉じたまま、まるで寝言のようにむにゃむにゃと。


「ん……ぅ、堪忍やぁ――あと、5時間……」

「欲張りすぎだろ」


 ――ぺしっ


 その返事は、どう考えてももう起きてんだろ。

 寝ている人物の額に軽くチョップを落とす。

 重力に任せるよりも弱い、フレンチチョップだ。

 誰かに触れられたのならさすがに飛び起きるだろうと思ったのだが、……予想に反してその反応は鈍い。

 触れた俺の手のひらの熱を味わうかのようにゆっくりと、細く目を開き、こちらを見る。

 熱に浮かされたようなその瞳の色は、まるで深い森の奥地のような、深緑の色。


「……懐かしい顔やなぁ」

「……よう、りんねる」


 声変りを迎える前の少年のような、少し高く軽い声。

 声を発しなれていないのか、それとも喉が乾いているのか。

 その声はどこか、細く掠れている。

 ちょっと西寄りに訛った口調。

 どこか幼さを残す童顔が、困ったように下がった眦で、俺を見る。

 そうしてなにかを納得したのか、再びゆっくりと、瞼を閉じる。


「あぁ――懐かしい、夢やなぁ」

「どうやら刺激が足りないようだ。

 カノンもお見舞いして差し上げろ」

「い、いや。叩くのは、ちょっと……。あの、きょーじゅ、起きてっ」


 カノンが遠慮がちにりんねるの肩を揺する。


「……んっ、その、舌っ足らずな、ウィスパーボイスも……。

 これは、いわゆる明晰夢的な……」

「ちゃうねん」


 ――ぺしん


 先ほどよりもやや強めに、小さな額にチョップを落とす。

 いまだ眠り足りないというわけではないらしいし、もうさっさと起こしてしまおう。


「……ちゃう言うても、えらい昔のことやし……。

 あれ、でも……なんや、違和感が……」


 そう言うやいなや、ふいにガバっと身体を起こし、目を見開いてこちら――俺を見る。

 急な動作にびっくりして硬直している俺に――俺の全身に目を落とし、愕然と呟く。


「フーガはんが、服、着とる……ッ!

 ……つまりこれは、うちの夢や、ない……ッ!?」

「なんでやねんッ!」


 そこかよ。

 まずそこなのかよ。

 もっといろいろあるだろ、知己との再会の感慨みたいな奴がさぁ!

 思わず付け焼刃の西訛りでツッコんじまったじゃねぇか。


 目の前にあるものの意味を理解しかねるかのように頭に手をやりながら、確かめるようにこちらに問いかける。


「……フーガはん、か?」

「おう、おはよう、りんねる。カノンもいるぞ」

「あの、きょーじゅ。……久しぶり、だね?」

「なんやなんや、ほんに懐かしい顔ぶれで……あれ?」


 そこでりんねるは、首を左右に振り、周囲の地形を確認し。

 自分の身体、身にまとう装備を確認し。

 やがて首をこてんと横に倒し、掠れた声で、ぽつりとつぶやく。


「……なんで、うちはこんなとこに?」

「こっちの台詞なんだよ……」


 思わず額に手のひらを当てる。

 この分だと、話を進めるのに相当時間がかかりそうだ。

 まずはりんねるの意識をはっきりさせるのが先決だろう。

 革袋の中に入れていた携行水を取り出し、りんねるに押し付ける。


「喉が渇いてるっぽいし、まず飲め、そして落ち着け。ゆっくりでいいから」

「気遣いおおきに。せやかて、うちにも一応備えくらい――」


 細い腰に巻かれたポシェットに手を伸ばすりんねる。

 そのまま硬直するりんねる。


「――あ? ……あ、あー」


 なにかを思い出したかのように呻くりんねる。

 一度水に吸って潰れたポシェットは、平たい。

 たぶんその中にはなにも入っていないことだろう。


「りんねる。あんたはそこの川をどんぶらこっこと流れてきたわけだが。

 ……なにか思い出したか?

 思い出すのはゆっくりでいいから、まずは水を飲め」


 川の方を示しながら、りんねるの手のひらのなかに、開封した携行水を滑り込ませる。

 りんねるがいったいどういう状況で流されてきたのかはわからないが……。

 りんねるの身体は、恐らくは軽度の疲労状態と、軽い脱水症状の気がある。


 まずは水を飲んで休ませよう。

 わずかに逡巡していたりんねるは、強引な仕草に根負けしたのか、俺の手から水を受け取る。


「……ちょっち、貰っても、ええか?」

「水は豊富にあるし、気にせずグイっといけ。

 そこの川の水を直飲みするよりはマシだろ」

「せっ、せやなー……」


 俺の言葉に、なぜか乾いた笑いを零すりんねる。

 あれ、なんかちょっと、オチが見えた気がするぞ?


「事後承諾になって悪いけど、りんねるに水分けてあげてもよかったか、カノン?」

「んっ! 水は、困ってないし、ね」


 カノンが承諾してくれてよかった。

 いや、この状況で彼女が否というわけがないというのは分かっているけれど。

 それでもカノンから分けて貰っている水だしな。

 すれ違い防止のための確認作業って大事よね。


 りんねるは、携行水のパックをちゅーちゅーと吸いながら、なにやら考えを整理しているようだ。

 この状況に至るまでの自分の記憶と、「この世界で知っている顔に出会う」ということの意味を考えているのだろう。

 りんねるは、こんな見た目をしておいて、恐ろしいほど頭の回転がいい。

 わずかばかりの携行水を飲み終わるころには、きっと俺たちが説明することがなにもなくなるほどに、この状況について理解していることだろう。



 *────



「……っし、だいたいわかったでっ!

 フーガはん、カノンはん。おおきにっ!」


 どうやら考えをまとめ終えたようで、りんねるが一つ息を吐きこちらに向き直る。

 りんねるから空になった携行水のパックを受け取る。

 ちゃんと水は飲んでくれたようだ。


「おう。――じゃあ、あらためて。久しぶりだな、りんねる」

「久しぶり、きょーじゅっ」

「……その名前、そのあだ名で呼ばれるのも久しぶりやなぁ……。

 なんかこう、感慨深いものが……」


 そう言って、少し嬉しそうに、気恥ずかしそうにはにかむ。

 この世界で知り合いに会うということは、つまりはそういうこと。

 現実での付き合いがない限り、旧友との4年ぶりの再会であるということだ。


「4年ぶり、かぁ。二人とも見た目変わらんなぁ、……当たり前やけど」

「アバター・データを引き継いでるから、変わらんのはその通りだな。

 りんねるも、そのアバター、引き継いだんだな」

「せやで。このアバター、気に入っとったし」


『犬』から『犬2』へのアバターデータの引継ぎは、たぶん前作プレイヤーへのサプライズ的な演出だったのだろうけれど。

 こうして旧友と再会する場合にも、とても役に立ってくれている。

 かつて見慣れた人とゲームの中で再会できるというのは、こうでもしなければ得難い経験だ。

 中身が同じ人間でも、アバターがちがえば、再会できるかどうかはもうわからなくなる。


「りんねるは、なんでまたこの地形座標に?」

「そりゃあもう、名前の一本釣りやで。

 セドナっちゅー名前には、そこそこ思い入れもあったしな。

 一時期、しばらく滞在しとった拠点やし。

 もしかしたら、うちと同じような理由でここ選ぶ知り合いもおるかなおもてな」


 セドナという名前に惹かれるプレイヤー。

 そのほとんどは、前作『犬』をプレイしていたものだろう。

 その名前に思い入れがあるもの、旧友との再会を期待するもの。

 そういったプレイヤーが、ここセドナには多く降りてきているのかもしれない。

 少なくともモンターナとりんねるはそのようだ。


「実際、ここまで逢った三人中二人は前作プレイヤーだったし。

 案外そういう期待をしているプレイヤーは多いんじゃないか」

「うちから見たら、今いっきに二人増えたで。

 ……なんや、ほんなら二人も――」


 そこでりんねるは一度黙り、俺とカノンをしげしげと眺める。

 やがてなにかに納得したのか、うん、と一人頷きをうつ。

 そしてにやりと、童顔に似合わない下卑た笑みを浮かべ、こちらに問う。


「――どっちが誘ったん?」

「えっ、……あっ、あのっ」

「……俺とカノンが、たまたまセドナで合流したとは考えないのか?」


 りんねるのその問いかけには、少し飛躍がある。

 旧作プレイヤーは、セドナという名前に惹かれ、この着陸地点で再会することがある。

 ここまでは、そういう話の流れだったはずだ。

 俺とカノンも、このセドナに着陸してから合流したと考えるのが普通だろう。

 実際その通りなのだし。


「……いちいち細かいとこ突っ込むのは野暮やから言わんけど。

 強いて言うならあれや。さっきじぶん、カノンはんに言うてたやろ。

 『うちに水分けたってもええか』って。

 なんでじぶんは、カノンはんにそんなこと聞く必要あったん?」

「――っ」

「あと、コートがお揃いやし?

 さっきのカマかけたとき、カノンはん、ちょっと照れとったし?

 それに――」

「ぁ、ぁぅ……」


 いかん、カノンに飛び火している上に、このまま根掘り葉掘りあることないこと聞かれそうだ。

 早めに白旗を上げておいたほうが良いなこれは。

 相変わらず、観察力もあれば頭の回転も速い。


「あー、降参。降参だ、りんねる。相変わらず頭くるくるだなあんたは」

「あはは、それほどでも――待って。それ、褒めてないんちゃう?」

「褒めてる褒めてる。頭の回転が早いって意味だし」

「ぜったいちゃうやろっ」


 こちらを小さく小突くフリをするりんねる。

 そして、相変わらずノリがいい。

 打てば響くような反応を返してくれる。

 でも、この人が……あのマキノさんの、先輩……?


「……で、結局どっちが?」

「その話題はもういいだろ。あんまりつつくと、ネットマナーに抵触するぞ?」

「……っと、せやな。うちとしたことが、ちょっとテンション上がってもうたわ」


 照れを隠すように、くしくしと前髪を弄るりんねる。


「……そういや、りんねるのツレだっていうプレイヤーにあったぞ。

 りんねるに連れられてきたって言ってたけど」

「ほんまにっ! なんて名前やった? あと、見た目はどんなん?」

「マキノさん、だって。けっこう年上の、男の人」

「……、か。うんうん。なるほどなるほど。

 流石に本名でプレイするなとは言うといたけど、らしいやな。

 たぶんそれ、うちが連れてきた……その見た目ならおっさんでええか、おっさんやで。

 なんや、うちの知り合いがもうじぶんの知り合いって、世間は狭いなぁ」


 おっさん……。

 いや、これはカノンから、マキノさんの容姿を聞いての呼び方か。

 マキノさんの中の人を指しての呼称とは限らない……よな。

 なんかやけに呼びなれているような気がするけど。そこは触れないようにしよう。


「……で、マキノ、なんぞ言うとった?」

「連れて来られたはいいけど、きょーじゅに連絡つかないって。

 それで、もしわたしたちが出会えたらマキノさんにも伝えるって、約束してた、の」

「そもそも、この世界に連れて来ておいて音信不通になるりんねるが悪いのでは?」

「あはは、あのおっさんならたぶん大丈夫やろおもてな。

 たまには気ぃ抜いたらええんちゃうかとおもて、敢えて放っておいたんよ。

 うちと一緒におると、抜ける気も抜けんやろしな」


 ……先ほどちょっと触れかけたからか、りんねるもネットマナーについてはかなり意識しているようだな。

 マキノさんがどういう人なのかとか、りんねるとマキノさんの関係などは、意識して語らないようにしているようだ。


「なかなか堅物カタブツやったんとちゃう?」

「ううん、わたしたちにも、丁寧で、礼儀正しかった、よ」


 中の人の個人情報を漏らしたり、余計な詮索をしたりしないというのは、不特定多数の人間が形成する共同体においては重要なことだ。

 俺たちも、マキノさんから聞いたりんねるの人となりについては、黙して語らない方が――


「それを世間は堅物いうんやで」

「ううん。マキノさん、きょーじゅのことも……あ。

 そういえば……きょーじゅって、女の人だったんだ、ね?」


  ――ピシリ


 りんねるの表情が、固まる。



 カノンさぁん!?

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