川に筌を仕掛けよう
「……よし、では――本日も元気に出発!」
「うんっ」
さぁ、今日も今日とてカノンと共に、この星の探索へ出かけよう。
今日の目的地は、セドナ中央部の平野部だ。
目的は、りんねる探しと食料探し。
まずはここ、カノンの脱出ポッドから東へ向かい、セドナ川方面に向かう。
既に何度か通った道だ。マップを見ずとも、迷うようなことはないだろう。
「コートの着心地はどうだ、カノン?」
「んっ、いい感じ、だと思う。……フーガくんは、どう?」
「いい感じじゃないか? 風も防げそうだし」
しかし……レザーベストの上にレザーコートってどうなんだろう。
この世界にはまだ姿見がないから、自分のファッションが果たしてありなのかなしなのか、いまいち実感がない。
仮想端末から確認できるのは、あくまで生身の
着ている服装を反映してくれたりはしない。
「雨もある程度防いでくれるといいんだけどな」
「少しくらいなら、濡れちゃっても、いいかも?」
「……確かに、洗浄室がある以上、服が濡れるのはいいのか。
身体が冷えて体調が悪化するのは問題だけど」
即洗浄・即乾燥が可能な洗浄室がある以上、濡れ鼠になることのデメリットは俺たちの体調不良だけだ。
あんまり深く気にしなくてもいいのかもしれない。
朝の静けさを二人分の足音で乱しつつ、カオリマツの樹林を東へ歩く。
いつかは裸足で歩いた道のりだが、靴さえあれば歩きやすい道だ。
あらためて、このあたりは過ごしやすい地形だと思う。
セドナに着陸したプレイヤーはみな、多かれ少なかれそのような感想を抱くのではなかろうか。
やっぱり初期開始地点に選ばれるような地形はぬるい、と。
フフフ、そんな彼らがセドナの真実に気づくのはいつになるだろうな……。
……俺は教えてやらんぞ。
彼らの驚き体験の機会を奪いたくはないからな。
*────
珍しい曇り空の下、東へ歩くこと15分ほど。
さしたる時間も掛からずに、セドナ川に突き当たる。
このあたりが、俺が最初に墜ちた場所。
ここから少し南に行けばモンターナの拠点があり、更に南下すればセドナ川の果てがある。
しかし今日は、ここから北へ向かう。
りんねる探しと、食料探しを兼ねて。
「さて、カノン。早速だが、ここに一つ
「んっ。場所は、ここで良いの?」
「正直、仕掛ける場所としてどこがいいかっていうのはまだわからんからな。
それなら、拠点からいちばん近いこのあたりに仕掛けて、それで捕れれば最善だろ?
あんまり遠いところだと、安定供給できても手間がかかるし」
ここから南には、セドナ川の果てがある。
つまり、このあたりでは魚が下流から遡上してくることはないということだ。
だから、果てに近いこのあたりの川の中に、魚……あるいはなんらかの水棲生物が存在するか、というのは、よくわからない。
渓流の魚だって滝上にも普通に生息しているのだから、このあたりにも魚がいていいとは思うのだが。
「……ということで、カノン。ちょっと仕掛けてくるから待っててくれ」
「わたしは行かなくて、いい?」
「俺は潜水つけてきたからな。
それに、今日は曇りで服の乾きも遅いだろうし、濡れないに越したことないぞ?」
「……んっ。わかった。じゃあ、フーガくんの服、持ってるね」
「悪いな。頼む……あ、俺を待ってる間、もしよかったら、手ごろな大きさの石を探しておいてくれないか?
このあと使うかもしれないから」
「んっ」
カノンを待たせるのもあれだ。さくさく行こう。
手早くコートを脱ぎ、レザーベストとズボンも脱ぎ、ブーツとグローブも外す。
そうして、久しぶりにインナースーツのみの出で立ちに。
前作で散々していた格好だ。カノンには遠慮するまでもないだろう。
……他のプレイヤーの前ではやや躊躇われるが。
ボディラインが見えるからハラスメント行為だ、なんて言われたら返す言葉もない。
筌の1つと石の楔だけを持ち、川の土手を降りていく。
「じゃ、行ってくるよ」
「気をつけて、ね」
手を振ることで返事とし、初日ぶりにセドナ川へと入る。
*────
ちゃぷ ちゃぷん――
裸足の足にまとわりつく水は、少しこそばゆい。
今日のセドナ川の水は……ひやりと冷たい。
初日に墜落したときは水温など気にしていられなかったが、あの時よりも冷たいと思う。
まだ明け方だからだろう。それともセドナが曇りだから?
だが、現実の山奥の渓流のそれに比べれば断然温かい。
ここがセドナ川の下流域だからだろう。
流れてくる間に周囲から熱を奪って温まっているのだ。
土手から降りて2、3m進めば、すぐに足がつかなくなる。
やはり深い。そのまま潜る。
水中で目を開き、水底の方を見れば、視界の先はぼやけてよく見えない。
だが――その視界のぼやけは、心なしか現実のそれよりも少ない気がする。
また、水中の暗さも多少はマシになっている気がする。
恐らくは潜水技能が利いているのだろう。
まだ覚え立てだし、恐らくは気休め程度だが。
緩やかな水流をかき分け、水底へと向かう。
すると、このセドナ川の水底の様子が明らかになる。
(これは――砂、か?)
土手や樹林では見なかった白く細かい砂が、水底に沈殿している。
藻や水草のような植物も多く生えている。
これならば、魚の期待も――
(――お?)
ふと、視界の端を、なにか細長いものが横切った。
そちらを見れば、なにか細長い影が、緩やかな水流に抗うようにしてその場にとどまっている。
つまり、それは泳いでいるということだ。
となると、魚類である可能性が高い。
あの魚が採れるかどうかはわからないが、この場所に仕掛けてみる価値はありそうだ。
この水底の水流は緩やかで、水底には砂地。
付近には大きな石などは見当たらない。
となれば……
*────
「――っぷはぁっ! っはぁ……」
筌を水底に設置し、土手に這い上がる。
右手には、石の楔はまだ持ったまま。
「フーガくん、どうだった?」
「仕掛けてきたよ。水底が砂地だったから、そこに沈めてきた。
……で、だ。水流が緩やかだから要らないとは思うけど、一応流されないように、筌につながってるこの紐をこの土手に括りつけておきたい。
カノン、手ごろな石はあった?」
「これで、どうかな」
カノンが拾ってきてくれたのは、5cmほどの大きさの、恐らくは花崗岩質の荒い岩塊。
「ありがと。土手に楔を打つのに、石が欲しかったんだ。
深めに刺して、あとはそこに紐を
「もやい?」
「もやい結びってやつ。船とかを港に繋留しておくときに使う結び方。
ロープの先端でわっかを作る感じだな。
……今回の楔の形状だと、楔自体に結び付けるというよりは、楔に引っ掛けるような形になっちゃうな。
本当は楔に穴を開けてあるといいんだけど」
これ以外の用途も考えていたから、これは仕方ない。
今回は引っかける部分のわっかを小さくして、余った紐を巻きつけて楔に固定する。
「……はやくて、見えなかった」
「折角だからカノンも覚えてみる?
ネクタイ結ぶよりは間違いなく簡単だし、使い道も地味にあるぞ」
「やってみる」
慣れると3秒も掛からず結べるお手軽ロープワーク。
引っ張れば引っ張るほど結び目が締まるような構造になっているため、垂直方向には尋常じゃなく強い。
アウトドアキャンプなどでも使える、覚えているとけっこう便利な結び方だ。
聞いたところによれば、消防の現場でも使われることがあるらしい。
この紐が流されることがあるとしたら、それは結び目が解けるときではなく、紐自体が千切れる時だろう。
カノンの前で一度ほどいて、今度はゆっくりと結びつける。
「……ちょっと、難しい、かも」
「太いロープとかでやったほうが、結び目の形……というか結びの理屈を覚えやすいからな。
続きは拠点に戻ってからやろうか」
「うんっ」
ともあれ、無事に筌の設置と繋留はできた。
あとは無事に魚、あるいは食える水棲生物が掛かってくれることを祈るばかりだ。
「よっし、じゃあこのまま上流に向かいつつ、よさげな地形があったら残りも仕掛けていこう」
「んっ。……あ、フーガくんの服、はい」
「ありがと、カノン。でも、今着ても、どうせすぐ濡れちゃうか」
「さむくない?」
「寒くはないな。そっちは大丈夫だ。
……しゃーなし、足が乾き次第、ブーツだけ履くようにするか」
インナースーツにブーツのみという、なかなか変態度の高い格好となるが、別にいいや。
川沿いだし、一般プレイヤーに見られても一定の理解は得られるだろう。
「じゃ、このまま北へ向かおうか」
「んっ」
カノンと共に、セドナ川沿いを遡上する。
ここから先は、行ったことのない方面だ。
なにか面白いものは見つかるかな?
*────
「そういえば、さっき川底を見たんだけど、砂地だったぞ。
川の環境的には、やっぱり下流域っぽいかんじ」
「深そうだった、よね?」
「中心部の水深はたぶん3mちょいはある。
魚らしき影もいたぞ。採れるといいな」
「魚らしき、って?」
「……いやほら、クラムボンとか」
「かぷかぷ」
クラムボンってなんだよ。
それは食べられる存在なのか。
でもクラムボンが存在するなら蟹もいるよな。
クラムボンの唯一の観測者が水底の蟹なんだからな。
他愛のない雑談を続けながら、セドナ川沿いの道を北へ向かって歩く。
俺とカノンが歩いているのは、川の西側、つまり俺たちの拠点側だ。
向こう岸に渡るには、川幅10mほどのセドナ川を渡る必要がある。
俺だけなら泳いで渡ればいいが、カノンが居るからな。
モンターナのように無理やり橋を作りでもしない限り、向こう岸に渡るのは地味に難しい。
りんねるらしき人物の目撃情報があったのは「セドナ川下流域湾曲部付近」。
これが川の西側であるのか東側であるのかはわからない。
モンターナが直に目撃したのなら、東側になると思うのだが……もしモンターナ自身が目撃したのなら、もっと具体的な情報を寄越してくれると思うんだよな。
そもそもモンターナはりんねると面識があるはずだし、「白衣の人物」なんてぼかす必要がない。
それらの情報から考えると、モンターナ自身も他の誰かからその「白衣の人物」の目撃情報を得たのだろう。
その目撃者が、果たして川の西側に拠点を構える人物なのか、それとも東側に構える人物なのかはわからない。
要するに……りんねるらしき人物が目撃された「セドナ川下流域湾曲部付近」というのが、川の西側を指すのか、それとも東側なのかはわからないということだ。
わからない以上は、無理して川の向こう岸に渡らなくてもいいだろう。
一度渡ってしまったら、こちらに戻ってくるためにもう一度川に入らねばならなくなる。
避けられる手間は避けるとしよう。
「このあたりは他のプレイヤーの拠点がほとんどないな。
川沿いには初期配置されないようになってるのかな?」
「モンターナさんのは、あとから動かしたんだよね」
「ああ、モンターナは調べたいものの近くを転々とするからな。
あのときはたぶん……南にある柱状節理の岩壁を調べていたんじゃないか?」
増水や鉄砲水の可能性を考えると、川沿いに拠点を構えるのはどうしても不安を覚える。
この川が、大雨のあとや雨季にどのように姿を変えるのかがまだ判明していない以上、心配し過ぎということはないと思う。
あるいは脱出ポッドの着陸地点決定シーケンスでは、そうした川の増水可能性などを考慮に入れたうえで着陸地点を決定してくれていたのかもしれない。
……そういえば、俺の本来の着陸場所ってどこだったんだろうな。
もはや二度と知る由はないが、もしかして俺の着陸地点候補地として永遠に確保されたままなのだろうか。
それはなんかもったいないな。誰か使ってやってくれ。
川の西側に広がる、カオリマツの樹林帯。
川の東側に広がる、いまだ名を知らぬ広葉樹の樹林帯。
その2つの樹林帯を区切るように流れるセドナ川。
川沿いを北へ10分ほど歩いてみても、このあたりの光景はあまり替わり映えがしない。
あまりカノンの拠点から離れてしまうと、魚が取れても実用性が薄い。
このあたりでもう1つ、筌を仕掛けてみ――
「ん」
「どうした、カノン?」
「なんだろ、あれ。樹に、傷がついてる」
カノンの視線の先には、川沿いに生える1本のカオリマツ。
その幹の部分が、なにか細いもので抉られたように傷ついている。
……獣がつけた傷、らしくはないな。
近寄って確認してみれば、それは幹を真横に走る1本の切り傷。
その傷からは少量の樹液が滲みだしており、既にすっかり乾いてしまっている。
この傷がつけられたのは、かなり前のことだろう。
「なにかで、切りつけた、跡?」
「たぶん他のプレイヤーが、かな。……しかし、なんの傷だ、これ?
斧というには浅すぎるし、石で目印をつけたにしてはやけにまっすぐだし、深いし」
さらに観察してみれば、傷跡まわりの幹の樹皮はほとんど潰れずに切られている。
相当鋭いものを勢いよく横薙ぎしないと、こうはならないだろう。
「……わからん。たぶんサインの類ではないとは思うんだけど」
「サイン?」
「ほら、山登りとかでも、分岐している登山道の片方に樹を倒してあったり、木にマーキングテープが巻いてあったりすることがあるだろ?
それと同じように、アウトドア活動をする人の中には、ほかの人に向けて、この場所は危険だとか、この先になにかがあるとか示すためのサインを残すことがあるんだよ」
つまりこの傷が、他のプレイヤーが意図的につけたなにかの目印である可能性はある。
……と、この傷を見たときには思ったんだが。
「誰かがこの木になにかしらの意図があって傷をつけたと考えると、そういう可能性もあるかなと思ったんだが……それにしては位置が低すぎるし、こんなサインは見たことがない。
だからたぶん、なにか意味があるわけではないんじゃないかと思う」
「……ぜんぜん、そんな可能性、考えてなかった、かも」
「……ぶっちゃけて言うとな。
仮に誰かがこの傷に、なにかの意図を込めたんだとしても、それを見たカノンに意図が伝わっていない時点で、このサインは役割を果たしていないんだ。
もしこれがサインだとしたら、言っちゃ悪いけどつけ方が下手だってことだ。
だから気にするだけ無駄だな」
ついでに言えば、サインは自然を傷つけずに残すのが好ましい。
土砂崩れの影響などでその道の先へ進ませたくない場合などは、やむを得ず木を倒して道を塞いだりすることもあるが、基本的にはマーキングテープで作ったわっかなどの着脱可能なものであるほうが良い。
……ゲームの中でなにを言っているのかという話だが。
そうしたサインを残すような人物は、おそらくアウトドア活動に精通しているはずだし、精通している人はゲームのなかであっても安易に自然を傷つけようとは思わないだろう。
たとえマーキングテープなどがないにせよ、落ちている木の枝や石を組み合わせてサインを残す方法もあるにはあるのだ。
……そっちは、サインの意味を知ってる人にしか気づけないだろうけど。
ごちゃごちゃ言ったが要するに、この傷にはたぶん意図的なものではない。
恐らくは他のプレイヤーがなにかを試みて、それに失敗した痕跡だろう。
モンターナのように樹を切り倒して橋を掛けようとした、というのが現状のもっともらしい推理だな。
たとえば剣で切りつけて、木を切り倒そうとした、とか。
……まさか、ね。
「ま、せっかくつけられた傷だ。目印として活用させてもらおうか。
このあたりにもう一つ筌を仕掛けてくるよ」
「んっ。目印があれば、引き上げるときも、探しやすいね」
誰につけられた何の傷かはわからないが。
カオリマツよ、俺はお前の傷を無駄にはしない、ぞっ。
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