セドナの南の

 自称冒険家・モンターナと別れ、仮称セドナ川に沿って南へと向かう。

 セドナ川は時折小さな蛇行を繰り返しながら、セドナをおおよそまっすぐ南へと向かって流れ続けている。

 川の周囲まで押し寄せる樹々が視界を遮る。

 行く手にはまだ、蛇行する川と樹林しか見えない。


 仮想端末を展開、セドナのマップを見る。

 モンターナの拠点以南に、他のプレイヤーの拠点を示す光点はない。

 この先ほんの2、30分ほど歩けば、セドナの衛星写真の外側に辿り着きそうだ。

 そもそもカノンの拠点がセドナの中でもだいぶ南寄りだからな。

 そしてゲーム開始時点から与えられているセドナのマップの外側は、いわば未開域。

 なにがあるかは、行ってみなければわからない。


 それにしても――


「モンターナさん、石材の話、してたん、だよね?」

「ああ、石材にはアテがあるって言ってたよな」


 突然始まったモンターナ劇場に面食らってしまったが、元はと言えば、石材の調達先には心当たりがある、という話だったはずだ。

 そこからあの劇場が始まったのだから、当然俺たちが向かう先には石材が調達できるようななにかしらの地形が存在するとみていいだろう。


「それで、神秘?」

「あの人が『雑誌の創刊号の特集記事にする』って断言するくらいだ。

 ただの岩山とか、鉱山とかではないと思うが……」

「すご、そう」

「想像もつかんな」


 だが、ただの岩山、ただの鉱山でなければ、そうした地形である可能性はある。

 つまりすごい岩山とか、すごい鉱山とかである可能性だ。

 なにせ石材だ。そりゃあ山や岩場が妥当だろう。



 *────



 セドナ川に沿って、セドナ南中央地域を南下し続ける。

 植物に覆われた川沿いの道はぬかるんでいるわけでもなく、ふかふかしておりひたすらに歩きやすい。

 でもこのあたり、雨が降ったらすぐに冠水しそうだな……。

 ここまで緑に覆われているのも、ある程度の頻度で川の水が川沿いにあふれ出しているからなのではないか。



  ――ピチチチチチチ



「――んおっ!?」

「ん、わっ!?」


 ふと、頭上で甲高い音が響く。

 驚いて見上げれば、なにか小さな青いものが、樹林の枝から空へと去っていった。


「……カノン、見えた?」

「ん、鳥、っぽかった?」

「状況的には、……現実的には鳥だよな」

「鳥じゃない、としたら?」

「……虫とか、無機生命体とか」


 なにせ現実の地球とは違う進化の道筋をシミュレートされた惑星だ。

 今のところ特に正気度が下がるような物体には――セドナに限れば――出くわしてないが、なにが来ても驚かんぞ。


「注意だけしとこう。モンターナの言ってた『神秘』とやらが生き物関連である可能性もある」

「おっきな鳥の巣、とか?」

「おお、ありそうだなそれ」


 それにしても。

 時折生き物の気配こそあるが、なかなか正面切って対峙する機会に恵まれないな。

 正面から出くわしてなんとかなるかと言われれば微妙だが、一度くらいは異星の生命体と触れ合いたいような気はする。

 もふもふしていればなおよい。



 *────



 セドナ川に沿って、セドナ南中央地域を南下し続ける。

 モンターナと別れて、そろそろ二十と数分ほど。

 そろそろ視界さえ通ればセドナのマップの端が目視出来てもいい頃合いだ。


「カノン、疲れてない?」

「ん、ぜんぜん。……【旅歩き】の効果も、ある?」

「まあ、この程度では実感できんよな」


 2、3時間歩かないと実感できないかもしれない。

 人間の持久力はすさまじいからな。

 親族を探して三千里とか移動できちゃうからな。


「……お?」


 ふと、前方を閉ざしていた樹林の向こうに、開けた空間が見える。

 あのあたりで、樹林が終わっているのだ。


 かすかな期待と共にそちらへと歩を進めていると、ふいに足元の感触が変わる。

 数歩前あたりから、川沿いを覆っていた植物が薄くなり、その下の地表の色が見えている。


「……いや、これ土じゃない、のか」


 足元にしゃがみ込み、目を凝らしてみれば、なにやら地表が硬い岩石質になっている。

 手で触れてみれば、土の沈み込むような感触はなく、ただ硬い岩盤の感触だけが返ってくる。

 それは、きめ細かい真っ黒な岩。


「……」


 撫でてみれば、ざらざらと硬い手ごたえ。

 革のブーツの爪先でつつけば、コンコン、と硬質な音を返す。

 このあたりから、明らかに地質が変わっているのだ。


(……いや?)


 思い返してみれば、これまで俺たちはセドナ川沿いの平たい場所を歩いてきたなかで、一度たりとも土というものを目にしなかった。

 俺が墜落したあたりなど、土手状になってはいたし、恐らくは岩石質ではない土くれも存在したのだろうが、……それらはいずれも植物に覆われていて、その色は見えなかった。

 その色は、果たして何色だったんだ?

 白灰色、茶色、それとも黒褐色?


「フーガ、くん?」


 こちらを訝しむカノンに対して、特に返せるような答えもない。

 だが、なんだろう。

 なにか。

 なにかに、気づきかけているような気がする。


「……ん、もうちょい進んでみよう」

「そう、だね? ……樹林も、ここで抜けるみたい」


 そうして俺たちは遂に、セドナ川の両脇を隈なく覆っていた樹林を抜けた。

 セドナのマップの、南の外側。

 そこに、見えるのは――



 *────



「お、おお……?」

「なんか、すごい、地形」


 黒灰色の岩壁がんぺきが、樹林を抜けた俺たちの目の前に、突如としてその姿を現す。


 高さは……10m、いや、15mはある。

 見上げるような、威圧感のある岩壁。


 それは無数の角柱を、縦に、横に、立体的に敷き詰めたようにしてつくられた、蛇腹状の岩壁。

 隣合う角柱は、四角柱であったり、五角柱であったり、六角柱であったりと不揃いだ。

 だが、その縦に連なる角柱は恐ろしいほどの正確さで、すべて同じ多角形に揃っている。

 もしも竹の節目のような亀裂がなかったのならば、それはまるで、地表から空まで一本に延びる岩の柱のようであっただろう。

 そんな柱状の岩が、隙間なく隣合い、まるで蛇腹のように波打つ壁を構成しているのだ。

 岩の柱の一つ一つの横幅は、およそ50cmから1mほど。

 亀裂を挟んで縦に連なり岩の柱を構成する一つ一つの角柱――竹に例えれば節間――の高さは30cmほどのものから、3mを超えそうなほどまでさまざま。

 そんな無数の幾何学的立体からなる、黒い岩壁。

 そんな黒い城壁が、このセドナを、ここで完全に遮断している。


 その構成組織は、岩壁の地表から、俺たちの足元まで伸びている。

 30mほど向こう側に聳えたつ岩壁までの地表の形状、それは、あの岩壁を成す角柱と同じ。


「六角形? 五角形?」

「ああ、歪だが――なんだ、これ。……どこかで――」


 六角形、四角形、五角形。

 地表に描かれた、無数の多角形を無秩序かつ隙間なく敷き詰めたような、幾何学的な文様。

 その色もまた、すべてひとしく黒灰色。

 岩壁の色と。

 そして、植物の覆いの下に見えた、岩石質の地面の色と同じ。


「このあたり一帯は、全部、この岩石なのか」


 あの岩壁も、そこまでの地表も。

 ここまで歩いてきた川沿いの地面も。

 すべて、この黒灰色のざらざらした岩石で構成されている。


「これ、なんだろ?」


 しゃがみ込み、地面を埋め尽くす幾何学図形に触れるカノンに問われる。

 喉元まで出かかっているような気がするのに、その答えに辿り着けない。


 これか。これなのか。

 これが自然の神秘、か。

 モンターナが見せたかったのは。

 自然の中に突如として現れた、この幾何学的な世界なのか?


「……あ?」


 あれ?


 なんか、おかしいぞ。


 目の前にあるのは、形状はどうあれ、岩壁なんだよな。

 その岩壁に向かって、このセドナ川は流れているんだよな。

 川の流れる先にあるその岩壁の一か所には、岩壁をまっすぐ縦に引き裂く亀裂が走っている。

 亀裂は内部で蛇行しており、その先を見通すことはできない。

 その亀裂を通って、セドナ川はこの岩壁の向こう側に流れて行っている。



 それって、どういうことだ?

 この岩壁の向こうには、いったい何がある?



 モンターナの言葉が頭をよぎる。


『今日のような、遠くまで晴れ渡る快晴の日に見て欲しいからな。』


 なにを?



 モンターナの言葉が頭をよぎる。


『できれば、高いところがいい。』


 なぜ?



 モンターナは、俺たちに、なにを見せようとしている?



 *────



 意を決して、カノンに声を掛ける。


「カノン。――あの岩壁、登るぞ」

「えっ、……あの、さすがに無理、かも」


 岩壁は完全に垂直だが、岩の柱に水平に走る節目のおかげで、たぶん攀じ登ろうと思えば登ることはできるだろう。

 楔を使うまでもない。【登攀】の使いどころというやつだ。

 ……だが、そんなことをする必要はないのではないか。


「大丈夫だ、攀じ登るわけじゃない。

 ……たぶん、どこかからふつうに歩いて登れるはずだ。

 正面右上の方を見ろ。縦に連なる角柱の下の方が、崩れてなくなってるだろ?

 目の前の岩の柱の一本一本は、亀裂で分断された無数の角柱が縦に連なって出来ているんだ。

 ということは、逆もあるはずだ。

 上の方の角柱が崩れるか、あるいは最初からそのように形成されて。

 まるで階段のようになっている場所が」


 そうだ、だんだん思い出してきた。

 こういう地形は、現実にも存在する。

 たしか、柱状――なんとかいった、特別な地形的要因で現れる岩石構造。

 記憶の中にあるイメージ映像の中に、まるで階段のように、六角柱が岩壁に向けて連なっている光景がある。

 あれはたしか、国内のどこか、幾何学的な岩石からなる岩壁に空いた、洞窟の――


(……玄武洞)


 そうだ、思い出した。

 目の前にあるこの岩石は、その洞窟の名と、その独特の形状を合わせて、こう呼ばれていたはずだ。


 ――柱状玄武岩、すなわち柱状節理、と。


 それは、いったいどういう要因で形成されるのだった?

 それがここにあるとは、いったいどういうことだ?

 この地は、いったいなんなんだ?


「あっ、フーガくん、あのあたり、登れそう、かも」


 カノンが指さしたのは、ここから目視できるほどの近さ、岩壁に沿って少しだけ右手側に進んだ先にある、崩れた岩場。

 カノンと共に、そちらへ向かう。


 そこには、人間の足の裏よりも二回りほど大きい岩の柱が、地面から岩壁に向かって、徐々にその高さを上げるようにして地面から生え揃っている。

 それはまさに、幾何学的に計算し尽くされた天然の階段。

 完全な平面状のその上面は、すべてが同じ大きさの、正六角形に揃っている。

 まるで誰かが丁寧に寸法を測ってその形に切り出し、岩壁の傍に並べて積み上げたかのように。


 これを、自然が作り出したのか。

 この、幾何学的な構造物を。

 なんの意志もなく?


「カノン、先に行く。俺の重さで崩れないなら、たぶん大丈夫だと思う」

「あっ……あの、フーガ、くん。……気を付けて、ね?」


 自分の声が硬くなっているのを自覚する。

 耳がぼうっとする。

 ここが、いったいなんなのか。

 この向こうにあるのが、なんなのか。

 心臓がどくどくと脈を打つ。

 はやく、この期待を、確信に替えさせてくれ。


 カノンの心配の声に一つ手を振り、自然が作り出した六角柱の階段に足を掛ける。

 まったく崩れる気配はない。

 まるで数百、数千年前からそうであったかのように。


 一つ、また一つと足を掛け、岩壁の上方へと向かう。

 攀じ登っているのではない。

 俺はただ、自然の階段に足を掛けているだけだ。

 時に岩壁に向かってまっすぐ、時に斜めに向かって。

 斜度は決して60度を超えることはない。

 この階段は、この岩壁を登るために、最初からここに用意されたのだと。

 そう思わずにはいられないほどの、自然の造形美。

 15mを超える岩壁。

 それを慎重に登るのに、二分も必要ない。


 そして、俺はとうとう、その岩壁の上に、その身を――


(……。)


「カノンっ!! ここまでは大丈夫だっ!!

 グローブとブーツの滑り止めを上手くつかって、なんとか登ってこいっ!!」

「うっ、うんっ!!」


 15mほど下方にいるカノンに向けて。

 いつもより、少しだけ口調が荒くなる。


 俺はまだ、見ない。

 この岩壁の上にあるものを。

 この岩壁の向こう側にあるものを。


 それは。きっと。

 一人で見るよりも。

 二人で見たほうが、きっと輝きが大きい。

 少なくとも、モンターナはそう考えた。

 だから彼は、俺たちに、この神秘を見ることを薦めた。

 だから彼は、この世界でも『カレドの小片集』を書き続ける。


「カノン、行けそうかっ!?」

「んっ、ぜんぜん、へいきっ!!」


 岩壁を半分ほど登ったカノンから、力強い返事が返ってくる。

 プレイヤーのアバターの身体能力は、基本的に全員同じ。

 全員が、概ね現実準拠の枠内に収まる。

 小柄なカノンもまた、概ね俺と同じような身体性能を有している。

 だが、それはあくまで物理的性能の話だ。

 高いところが怖い。

 暗いところが怖い。

 そうした精神的な弱さを、アバターは決して補ってくれない。

 だから、4階建てのビルほどの高さのこの岩壁を、迷いなく登って来られるカノンは、やはりのだ。


 怖い、とか。

 危ない、とか。

 もし、崩れたら、とか。

 もし、落ちたら、とか。

 そういうリミッターが、ない。

 俺と同じで。

 ワンダラーだから。

 その、リミッターが、――


 そんなことを考えていたからだろうか。

 岩壁をここまで登ってきたカノンに向けて、思わず――手を伸ばす。


「あと一息」

「……うっ、うんっ!!」


 あともう一歩と力強く階段に足を掛け、カノンが俺の手を取る。

 薄手の革のグローブ越しに、カノンの手のひらの感触が伝わる。

 少しだけ汗ばんでいて、少しだけ温かい。


「お疲れ、カノン」

「……あっ、えと。……あっ――」


 流石に手を握ったままだと危ない。

 カノンの身体が安定したのを見て、その手を離す。

 あと数段、この石の階段を登れば、そこはもう岩壁の上だ。

 より万全を期すなら、俺が先に岩壁の上に登って、周囲の安全を確かめたいところだが――


「さ、一緒に見てやろうぜ。この向こうに、なにがあるのか」

「うん……っ!!」


 カノンとともに、岩壁の上へと続く最後の階段を登る。



 ――たぶん。

 きっとモンターナも、俺たちと同じように、この石の階段を登って、ここからそれを見た。

 彼の『カレドの小片集カレドリアン・シャーズ』に刻まれるべき、はじまりの神秘を。



 黒い岩壁に閉ざされた、その向こう側にあるもの。

 セドナ川の流れゆく先。

 はじまりの未開地。



 その正体を、今こそ見せてもらおうじゃないか!

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