森の底 09

「よし。いくつか試してみよう」

「試す?」

「そうだ。まず、この光がない場所で、あの合言葉を言ってみよう」


 ラトスは、王女が消えたという場所を指差す。

 メリーは少し間を置き、うなずいた。


「俺は周囲を警戒しておく。メリーさんは、前と同じようにして、合言葉を言うんだ」

「私だけ、ですか?」


 不安そうな顔で、彼女はラトスの顔をのぞいた。


「どんな手品で王女様が消えたのかわからない。誘拐の可能性もある以上、出来るだけ警戒しないとな」


 ラトスは彼女の顔を見ず、沼とその周りの森に目を向けた。

 人の気配は、まだ無い。


「わかりました」

「ああ、頼む」


 メリーはしゃがみ込み、真っ黒い土に顔を近付けた。

 その様子を確認すると、ラトスは森の中をにらみつけた。そっと、腰の短剣に手をかける。


 もし誘拐犯がひそんでいても、大人数ではないはずだ。これだけ感覚を研ぎ澄ませて警戒していても、人の気配は感じない。息を殺してひそんでいたとしても、多くて三人ほどだろう。それぐらいなら、ラトス一人でも制圧できる自信があった。


「……≪パル・ファクト≫!」


 ラトスが最大に警戒している中、後ろでメリーが叫んだ。

 どこの国の言葉なのかもわからない、変な合言葉だとラトスは思った。占い師は「古語」だと言っていたが、本当にそうなのだろうか?


 メリーが叫んだ合言葉は、広場にひびきわたると、やがて深い森へ吸い込まれるように消えていった。少し間を置いて、森の中にゆるやかな風がすべり込む。草木がわずかにゆれて、ざわめいた。


 ひとしきり風が流れると、森は静かになった。



 何も起こらない。


「何も……起こらないですね」

「そのようだな」

「……なんか」

「なんだ?」

「ちょっと恥ずかしい、ですね」


 メリーの言葉を背中に受け、ラトスはふり返る。しゃがみ込んでいるメリーは、左右に瞳を泳がせていて、落ち着かないようだった。最大級に緊張したうえで、意味もよく分からない合言葉を叫び、周囲が静まり返ったのだ。確かにいい気分はしないだろう。


「まあ、何も起こらない気はしていた」

「……え!?」


 メリーは目と口を大きく開いて、ラトスの顔を見た。その視線を感じて、ラトスはメリーから顔をそむけた。彼女は跳ねるようにして立ちあがる。


「じゃあ、どうしてやらせたんですか!」


 メリーは顔を紅潮させて、わめいた。

 ラトスは気にしないようにして、足元と周囲を見わたした。


 一か月前に王女が消えた後、メリーは気が動転したもののその場で何度か合言葉を言っていたらしい。いや、むしろさっきのように叫んでいただろう。


 だが、メリーは残された。


 もし本当に、王女が誘拐されたのだと仮定する。そうなると、エイスの城下街で出会ったあの占い師の男は、誘拐犯の一人である可能性が高い。となれば、王女とメリーを誘導した時と同じように、自分たちもここに誘導されたことになる。

 もし一夜に誘拐する人数が、王女の時のように「限り」があったとしても、おそらく今夜、ここに来たのは自分たちだけのはずだ。森の中でこの沼が見えはじめたころから、ラトスは十分に警戒してここへ足を踏み入れた。誘拐されるなら、今夜最初の犠牲者になれるはずだった。

 しかし、何も起きはしなかった。


「向こうに、いくつか光が強い場所がある。そこでもう一度やってみよう」

「え。あ、ちょっと!?」


 メリーは紅潮した顔のまま、ラトスが指差した方向を見た。

 確かにその指の先には、二、三箇所ほど光が強そうな場所があった。ラトスが足早に歩きだすと、メリーは少し悔しそうな顔をして彼の後を追った。

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