第7話御岩木山に棲む牛飼儀助の訪問を受けしこと!

 今朝早朝の出来事なり。

 ある年寄りの訪問を受けたる。

 その前に昨日、昼間、御岩木山を車で一周したことを告げておきたし。途中、道に迷い、あたかも泉鏡歌の「高野聖」が如き体験をしたり。細く薄暗い山道、車の中とは打ち震えて運転を続けたり。うっそうと茂る木々の葉から無数のヒルがフロントグラスに落ちきし、それを大蜘蛛まで追い求めてフロントグラスを這い回る。フロントグラスはヒルの血にて、青く染めぬ。かくのような妄想を抱かせる場所なり。

 宇宙からの電波を受けしナビゲーションの指示で動ける吾が何故、このような道に迷い入りしか不明なり。何者か神秘的で霊的な力がナビゲーションに働いたせいなりなり。霊的な力は人のみに影響を与えるものにあらす。また動植物も含む森羅万象万物に影響を与えるものなり。また明らかに人間以外にも霊的な力を有する生物もおれり。

 御岩木山より戻りて後は、疲れて図書館に行かず、早く休むことにしたり。

 ところで、吾が今、宮沢賢治や中原中也が似合いそうな頂上がとんがり、左右の少しとんがる、あたかも山高帽のように御岩木山が見える弘前市の東部の銭湯の駐車場の車を止め居を定め、図書館に通い現地視察を続けるのは神通力をすなわち霊的な力を蓄え得るは口寄せの準備なり。今回、口寄せしたき人物は笹森儀助なる幕末に生を受け、明治期に活躍した人物なり。

 弘前市長を務める行政官であり、未開の地でありし南西諸島を探検したる探検家であり、御岩木山で維新で失業した武士のために牧場を開きし開拓者なり、その上に学校を建てた教育者なり。そして百年も経た吾が人生にも少なからず影響を及ぼしたる人物なり。

 実は期せずして昨夕、正確には今朝、彼の訪問を受けたるようなり

 今、思うに、昨日昼間に道に迷い泉鏡歌が伝えし「高野聖」のような不気味な体験をしたりることは、明らかに予兆なりし。

 笹森儀助なる人物の訪問を受けし、昨夕、あるいは今朝、早朝の模様を正確に伝えんとするものなり。 気候は秋の気配なり。肌寒さを感ずれば銭湯が閉まり、人の気配がなくなりし頃には、いつものようなイオンにて買い求めし芋焼酎を数合、頂き、すでに寝入りたり。

 はてさて、時間は不明なり。

 車の周囲に人の気配を感じぬ。あたかも車の周囲を観察し、車中をのぞき込み、ノックをする気配なり。しかして固き気配にあらず。あたかも空気が振動するがごときなり。すでに二度、深夜に警察官の職務質問を受けた身なれば、その相違にすぐに気付く。また会談作家の同業者より聞きし体験談とも異なる雰囲気なり。参考までに、異界との交信という意味で、その体験談なるものを書いておく。その男も車で全国を旅する者なれば、日も暮れ、かなり時間も経ちし頃、一時の休憩を取らんと整備された近代的な公園を見つけ、その駐車場にて仮眠をしたりと言う。ところが深夜になりて激しく、車を揺する者ありて、慌てて車を走らせ、煌々と明かりを照らす近くの終日営業のコンビニに駆け込みたり。事情を店員に話すに店員は笑いながら、「あそこは墓地ですよ」と、こともなげに平然と答えたりと聞く。実は、その話を聞きしおりに彼より異界の住む者の害を防ぐための結界をはることを教えて頂いたのである。それより以降、吾は寝る前には、その結界を車の周囲に張り巡らすことにしおり。吾が、今朝方、体験したることと彼がは明らかに異なりしが、昨夜、巡らしし結界の効果は明らかなり。

 吾は静かに、柔らかき声をかけたり。

「どなたかな」

「御岩木山に住みにし牛飼いにそうろう」

「はたまた、その牛飼いが、何故にこの夜更けに、吾を訪問せしか」

「懐かしさのあまりに」と御岩木山に住むいう牛飼いは応えぬ。

「どこかでお会いしたりか」

「いやいやお会いしたことはあらじ。ただお主の生まれし島に縁深きものなり。懐かしさを感じたり」と応えたり。

 この期に及び、この老人の正体に気付かぬわけはなし。追い求めし、笹森儀助なる人物は弘前の在府町という町の生まれなれど、四十代の頃に御岩木山の麓に乳牛を飼育したる事業を開始したり。これは職を失いし武士のための事業なりと告げたとおりなるが、五十代ちかくに探検家として千島列島探検や南西諸島体験、そして奄美大島の島司という行政官を務めたり。奄美大島の島司を務めしおりは、丁度、日清戦争の頃なり。

 御岩木山の牛飼いなりという自己紹介を聞き及び、歓び確認したり。

「もしや笹森儀助様にあらずや」と。

「否、左様な人物にあらず。ただの牛飼いにすぎず」と彼は強く否定せり。

 それ以上の押し問答も無駄なり。吾の疑いが晴れた訳にはあらず。とりあえず、最低限のことを確認をせんと思う。

「吾に害なす意思はなきや」

「汝に害なす意思あらば、昨日の昼間に御岩木山に道に迷いしおりに、害を与えし」と、牛飼いは応えり。

 しからばと意を決し、車の扉を開けると結界を解きたり。

 冷たき一陣の風がさっと車の中に吹き込みたり。

 御岩木山のよう帽子を被りし男が立ちおれり。吾は上から下へと視線を移し、観察したり。

 黒いコウモリ傘をさし、麻の裃の和服を身につけ、白い帯を締め。首から団扇をぶら下げる男た立てり。まだ老人にはあらず。四十歳か五十歳代に見える人物なり。吾よりも若かりしことも明らかなり。格好から明らかに笹森儀助なり。その独特な姿は彼が南西諸島を探検したおりの姿なり。 ただし太ももから下の足はなし。明らかかに黄泉の国の存在なり。 吾は思わず声を出し、尋ねたり。

「吾が逢いたしと願いたる笹森儀助なりしが、汝はその人物にあらずや」と、思わず、さらに確認したり。

「さにあらず。我は御岩木山の牛飼いなり。なれど一時期、汝の故郷の島に住んだことがある故に懐かしのあまり訪ね来た次第なり」

 これ以上の押し子どもの押し問答になるゆえ、その人物の言い分に逆らわぬことにしたり。

 彼は言いたり。

「御岩木山より歩き来たりしものなれば、喉が渇きし」と。

「あいにくお茶など気の利いたものは持たず。されば水で薄めた焼酎はいかがかと問う」と牛飼いは喜びたり。とりあえず焼酎を差し出し、お湯を沸かさんと考えたり。

 ところが彼は25度もある一気に焼酎を飲み干しぬ。

 底なしか、あるいは内臓から漏れ出しているのではないかと思い、思わず牛飼い足下をのぞき見るに、その気配はまったくなし。

「芋焼酎は久しぶりに味わいたり」と彼は喜びたり。

 何杯も飲み干したる後に、「出来れば島焼酎はなかりしか」と注文せり。

「あいにくと手持ちになし」と応えしが、内心で島焼酎は高価がなるが故に買うことを控えたりと呟やきたり。

 底なしの様子に焼酎が底を突くのではと案じたりが、とりあえず乾いた喉を潤し、落ち着きたる様子に吾は安堵し、彼には椅子を用意し、吾はクーラーボックスに腰を下ろしたり。

 彼が笹森儀助なる人物だと確信したるが、身分を明かしたくないことも理解し、彼を御岩木山に住む牛飼いと認めて話を進めたり。

「翁はいつ頃、島におりしや」

「明治二十七年の頃から、4年間、島におりし。その前に半年間かけ、南西諸島を旅し書を書き、明治天皇に奉らん」

「日清戦争のころなりたりか」と吾は指摘する。

「その頃なり」と他人事のように言い抜けり。

「その頃の南西諸島の人々の生活はいかに」

「極貧なり。汝の生まれたりし島も維新後三十年ちかくが過ぎようとするに、旧習から離れることもできず哀れなり。海は目の前にありたりが、船なく漁をすることもできず苦労しおり。台湾にも近い宮古島周辺住民は人頭税なる酷税も残り、哀れなり。琉球貴族は未だ中国帰属への夢を捨てず、島民の生活改善を変える意欲もなし」

 吾には彼のこれらの言葉、今の南西諸島を表する言葉に聞こえたり。

「して、今の南西諸島の様子は如何」と彼は膝を押し出し、聞きたり。

「まだ、すべて改善したりとは言えず」と吾は言葉を濁したり。

「何故、翁は南西諸島に住にしか」

「同郷の陸(くが)羯南の勧めなり」と彼は応えたり。

「日清戦争に備えてなり政府の魂胆なりか」と膝を乗り出し、本質的なことを尋ねたり。

「それは知らぬ。ただ、宜しくと言われたることのみ」と彼は応えたり。

 目の前の魂魄は笹森儀助の魂魄なりしと思いしが、明らかにできぬ事情がありたりき様子なり。追求することは無理なり。ただ質問の方向を変えて試みることにしたり。

「翁の仕事は何か」

「探検家の端くれなり」 と彼は応えたり。

「探検家のみか」と更に質問する。

「民情を把握し、また清国につけ入れられないために明治政府からの期待を一身に受けて、派遣されたものにあらずや」。

「難しきことなり」

「翁は南西諸島を去りし後に、日露戦争直前のことなりが、老骨にむち打ち朝鮮半島やロシアを旅することなきや」

「単なる旅好きの道楽に過ぎず。日露戦争までは、まだ五年の歳月がありし頃なり」と吾は言葉を続け、さらに、「後世の者、翁を変人と言えり。他人の言葉に耳を貸さぬ頑固者と言えり」とたたみ込みたり。吾は彼の心中に踏み込みたり。

「酷寒のシベリアの地で騙されるごとく連れ去られし日本人女子が春を売る商売を従事していることを目撃して後、憤りと疑問を感じ、これまでの努力は無駄なりしと思い知りしのではなきにしか」と吾は指摘したり。

 ロシアで目撃した日本人婦人の惨状には、彼は応えず無言なり。

「同郷の陸(くが)の助言ありしと言えども吾は自由なり。他人とも同ぜず、徒党も組まず、自由に生きしものなり。それを貫きたるが故の後世の評価なり」と彼は言い訳をせず。

「大きな功績を残せし人生を羨ましく感ずる」と吾は自己の人生と比較し、彼の生き様を賛嘆せり。

「我が立派な人生を歩んだとは思わず。ただ我が生きし時代は不完全にて人に恵まれしことは助かりたり。汝が生きし時代はよき時代なり」と彼は吾を慰めたり。

「さにあらず吾には力もなく無駄に年老いたる。望ましき生き方をしたとは言えじ」と告白せりたり。吾が脳裏に浮かびし光景は福島原発の一号機の水素爆発の瞬間なり。

 牛飼いは痛飲したり。

 一升はありし芋焼酎は、すでに半分も残らず。

 夜が明けるまでの時も知らず、二人で議論を続けたるが、直前に、「ところで」と御岩木山の牛飼いが吾に問きたる。

「我は汝の言う笹森儀助とは異なる単なる牛飼いなれど、汝は何故にさほどまでに笹森儀助なる人物を逢いたいと思いしや」

「お礼を伝えたし」

「それは良き心構えなり。して何の功績に対するお礼なりや」

「まず吾が生まれたる近き村に西郷南州記念に残せしこと。これこそ大きな功績なり。吾らが誇りなり。さらに島民生活向上のための数々の施策を提言せしことなり」

 彼が封建政治時代から奄美大島に続きし独特な家人制度という債務奴隷の撤廃に力を尽くしことを知れり。債務奴隷あるいは経済奴隷とも言われるものなり。薩摩藩の政策である黒糖搾取政策に疲弊しきった島民の間で金の貸し借りがあり、借りた者は借金返済が終わるまで貸した者の奴隷になるというものである。黒糖収入増収のために薩摩藩は奄美大島に様々な政策で搾取したるが、その搾取政策のために日常生活に困窮せる者も多く。借財せし段階において借財せし者は借り主の家人と呼ばれる奴隷となり、家人間の間に生まれたる子どもは家人という身分を受け継ぐ悪習なり。この家人奴隷制度は奄美大島独特のものなれど、長く島の支配体制の基幹となりたるがごとく思えり。

 人々を苦しめ、生活向上や近代化を阻害せり。 

 彼は吾が褒め言葉をに喜びたり。大きく頬を緩め相貌を崩したり。杯を重ねるが、その度に彼は吾に同じ問いを繰り返し、そして吾の口から同じ言葉を導き出し、「それはそれは」とはしゃぎたり。すぐに現実に戻り、「島人のためと思いし、我が提案は実を結びたるや」と詰問するがごとく聞きたり。

 応えるに窮する質問を投げかけたり。

 我は南西諸島の人々の暮らしが未だ貧しきものと思いたり。

 咄嗟に「実現途上にありし」と応えたり。

 話題を変えたり。

 吾は南シナ海や東シナ海、東アジア、世界に様子を伝えんと欲す。大変な時代なりと。中国の軍事力による領海拡張熱は悪しき時代への逆戻りなり。2000年にオリンピックなる国際的行事の開催さるるが、そのおりに南西諸島を聖火リレーコースに指定し、コース沿いに近未来の技術展示のための施設建設を進め、日本の先端技術の素晴らしさを世界に喧伝する企画を急がん。さらにオリンピックブームを盛り上げんがために大海洋レースとイギリス式ブックメーカーを開催し、資金を稼ぎ2006年の冬季札幌オリンピックを招致するにあたり、南シナ海に面する熱帯、亜熱帯地域の国々でマリンスポーツを中心に冬のオリンピックを開催せんと持論を展開せり。

 はたして御岩木山の下りて来にし牛飼いに過ぎずと主張し、しかも我が想像せる笹森儀助なる人物なら、彼が生存せし頃にはオリンピックなる行事もなかりしはず。彼が理解したか不明なりしが、彼は吾の言葉に相づちをうち、吾は主張を繰り返し、早朝の格安料金の銭湯を楽しまんとする人々の車が薄暗き道をヘットライトを煌々と照らし一台二台と駐車場に入り来ぬ頃まで飲み明かしたり。

  御岩木山の牛飼いと名乗る男は、「もう、かくなる時間が」と慌てたり。

「急がねば戻る機会を失いぬ」と言い残し、立ち上がり、一礼すると姿を消したり。

 それに相前後するかのように、銭湯に入りける人の気配あり。

 一部始終を述べたるが、吾が言葉を決して疑うべからず。彼が去りし後、我は仮眠し、酔いを追い払った後、風呂に入り、そして忘れぬうちにと今朝の出来事を慌てて記録をするものなり。まず酒飲み吾とて一人で一升の焼酎を空にすることは出来ぬことなり。

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