3-45 鮮麗

 豪快なフォームから赤木に投じた初球は、打者を幻惑するようなスローカーブだ。視界から消えたと思ったら、気付くと構えたミットに収まっている、まさしく魔球だった。サインを出したのは繁村自身なのに、予想以上に特異な軌道に改めて舌を巻く。赤木は手が出ない。一つ息をつく。

 2球目は直球。球速表示は138 km/hと出て、これも驚くほど速いのだが、それ以上に愛琉の投球マジックで速く見える。回転が効いているためか初速と終速の差が少なく、伸びて見える。赤木はバットを振るも、軌道の下を空を切る。

 その後、130 km/h台の直球を投じるが、予想以上の伸びを意識し、空振りこそ取れないが、ファウルにしかならない。

 3球粘られ、1ボール2ストライクで投じた7球目は、初球よりも遅い70 km/h台の超スローカーブ。ボールと踏んで見送られたが、ストライクゾーンにボールは戻ってきた。元プロの赤木を何と見逃し三振に打ち取り、球場は大いに盛り上がった。

「凄い! 速球に目が行きがちだけど、これは魔球だね!」

 赤木は率直な感想で愛琉を褒めちぎる。

「この投球をなかなか公式戦で披露できないのが歯痒いものです」

「いや、本当だよ。大阪黎信うちでもエース候補だよ」


 気付けば大阪黎信のブラスバンドがアルプス席で応援していた。赤木のときの音楽は、一年前まで阪神の現役時代に赤木がバッターボックスに立っているときに演奏されていたものだ。マスコミにとっては、さぞ映像に収め甲斐のある光景に違いない。阪神のファンは歓喜するだろう。


 大阪黎信は、四番にオリックスの岡田、五番にプロ指名を受けた吉澤が入っている。それ以外のスタメンは、秋からレギュラーの二年生と引退した三年生で組まれているが、横山の調査によると、どの選手もホームランを公式戦で記録しているスラッガー揃いだという。

 二番バッターも、並みのチームなら四番級なのだろう。しかし、愛琉の変幻自在の投球は、高校生レベルではバットに当てることさえできず、三振に切って取った。三番は夏の甲子園で対戦した三年生であるが、やっと当てた打球はピッチャー正面のゴロ。何と初回の3アウトはすべて愛琉が獲ったものである。鮮麗な投球フォームからきりきり舞いに切って取る姿は、芸術と言っても過言ではないような気がした。

「ナイスピッチ! 愛琉!」

 元プロも含めた夏の甲子園優勝校の上位打線を三者凡退に打ち取る、これ以上ない素晴らしい立ち上がり。

 愛琉は、野手や繁村にハイタッチする。歓声も大きい。甲子園球場で女性選手が投げるのは、始球式でもない限り珍しいことだ。グローブとユニフォームを着用した愛琉がベンチに戻る姿は、とても絵になる。

 

 次は、清鵬館宮崎高校の攻撃であったが、うちはブラスバンド部が来ていないと聞く。さすがにいくら何でも、この一試合のためだけに遠い兵庫県まで呼び寄せることはできない。だから、我々の攻撃のときは演奏がないので寂しく感じたが、その予想はいい方向に裏切られた。

 何と、先ほどまで大阪黎信を応援していたはずの一塁側アルプススタンドの応援団が、『SEIHOKAN』と書かれた応援パネルを翳している。ブラスバンド部は演奏の準備を始めている。

「夏の甲子園大会で健闘した清鵬館宮崎高校に敬意を表して、フレー! フレー! 清鵬館!!」

 応援団長と思われる男子生徒の大きな声が聞こえてくる。

 そして一番の釈迦郡が左バッターボックスに立つと、実際に清鵬館宮崎高校が演奏していた曲目を演奏し始めていた。

 これは嬉しい。敵も味方も関係ない。両者の活躍を願い、純粋に応援してくれる姿に、繁村は思わず涙を滲ませた。

 しかし、戦っているナインは清鵬館宮崎高校に勝たせるつもりはないらしい。練習試合でもあくまで勝つ姿勢だ。監督とプロ野球のOBを選手に据えて恥ずかしい試合は許されない。城座は緊張の面持ちだが、それでも相変わらず投球のテンポが速い。夏に比べて少しボールが速くなったようだ。球速も140 km/h近く出している。

 釈迦郡はボテボテのサードゴロだったが、サードの岡田は全力で前進し素手で捕球後、捕球した体勢で矢のような軌道の送球を一塁にした。それで間一髪アウト。岡田は清鵬館宮崎のナインを間違いなく研究しているのか。改めて守備のレベルの高さを実感する。

「いやー、あの子、脚がべらぼうに速いね! 赤木みたいだ」岡田が帽子を取って頭を掻きながら言う。

 これは本人にとって最高の褒め言葉だ。塁に出すことはソロホームラン一本分に値すると言われた赤木と同じレベルに達していると現役のプロから太鼓判を押されるのは、走塁において最大の賛辞なのだ。

 二番の泥谷も奇しくもスイッチヒッターなので、右投手の城座に対し左バッターボックスに入る。泥谷は夏の甲子園大会での対決で、レフト方向に大ファウルを放っている。浜風がもう少し弱ければホームランになっていたかもしれない当たりだ。バッテリーもそのことは覚えているだろう。

 泥谷は右中間にライナー性の当たりを飛ばす。ヒットだ、と思ったが守備範囲の広い赤木が猛追して、体勢を崩しながらも捕球した。一年前に現役を引退したはずだが、動きは当時からまったく変わっていない。

 三番の坂元はサード方向に強烈なライナー。しかし岡田の瞬発力で捕球されアウトだ。

「おいおい、初回からおじさんたちをいじめないでくれよな」

 岡田は三塁側ベンチの繁村に向かってにこやかに言う。

「うん。サードとセンターに打ったら望みがないと分かったから、他の方向に打つようにするよ」

 気付くと繁村自身試合を楽しんでいたのか、ついタメ口できいていた。徐々に18年前のあの試合の記憶が鮮明に思い出される。事故のせいで悲しい記憶に上書きされてしまっていた、楽しかった試合の記憶だ。やっぱり俺は野球が好きなんだ、と改めて気付かされた。


 二回の大阪黎信の攻撃は、岡田が右バッターボックスに入る。体格は高校生のときと明らかに違って大きい。彼が岡田だと知らなくても、打ち取るのは至難の業だな、と思わせる風格が漂う。

「お願いしまーす!」

 岡田は笑顔満点で挨拶する。この表情はオールスターゲームにでも出ているかのようだ。年齢こそアラフォーでも心は少年そのものだろう。

「こちらこそ、お願いしまっす!」

 愛琉はマウンドで胸を張って挨拶する。プロだろうが誰だろうが、愛琉は怯まない。愛琉はいつも愛琉として全力を出す。そんな魅力がある。

 初球は何と140 km/hを記録した。岡田は初球からフルスイングでバットは空を切った。会場はどよめく。2球目は141 km/h。最速を更新している。今度はファウルチップだ。

「速いねー! 150 km/hくらいに感じるよぉ!」岡田は愛琉を褒める。

 次のサインは決まっていた。『フェニックスカーブ』という異名がついたらしい伝家の宝刀を。先ほどとまったく区別のつかない豪快なフォームで、ボールは視界から消えた。通常のバッターはこのボールを打てない。

 しかし、タイミングを崩されつつも岡田はこの球に喰らいついた。一塁線へのファウルである。

「あぶねー」岡田は思わず言った。

 それにしても元プロでも現プロでも、100%の投球が出来ている愛琉には感服する。メディアも入って衆人環視の中で、通常は身体の動きが硬くなるものだが、愛琉の場合はむしろガソリンになるのだろう。改めてピッチャー向きな性格だ。

 そして0ボール2ストライクで迎える4球目。

「速っ!」

 岡田の声が聞こえたが、フルスイングしている。電光掲示板には142 km/hとの数字。しかしミットに白球は収まっていなかった。

 ボールはあっという間にレフトスタンド上段に吸い込まれていった。この日ばかりは岡田も金属バット。ゆえに当たればプロの試合よりも飛ぶ。

 0-1。さすがプロだと感嘆した。

「ナイスバッティング」ホームに生還した岡田に繁村は声をかける。

「ナイスピッチング。俺じゃなきゃ三振だったな」

「ああー、もぉー、悔しー!」愛琉は大きな声出して悔やんでいる。愛琉はプロ相手でも打たれたことを本気で悔やんでいる。


 1点こそ献上したものの、五番の吉澤を含む後続はランナーを出さずに切り抜けた。続くは二回裏の攻撃は四番の栗原だ。

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