3-31 驀地
「よし、行ってこい! チャラ男!」
「絶対生還してこい! チャラごーり!」
「わっかりましたぁ!」
愛琉や若林など、ベンチいる部員からも釈迦郡に活が入る。対する釈迦郡の返事は相変わらず軽薄だが、なぜかこの男が塁上にいるとチームが賑わう。
入部当時の彼の第一印象は、部の風紀を乱す嫌な男にしか見えなかったが、一年ちょっとの間に部のムードメーカーでもあり、ラッキーボーイ的存在となった。もはや『チャラごーり』という愛称(?)までついて『愛されキャラ』となり、いまやかけがえのない存在だ。これも愛琉の彼に対する扱いが絶妙だったからに違いないと思っている。そして愛琉は、それを何の計算もなく自然体でやってのける。
続く打者は坂元。相手バッテリーは無死で得点圏に同点のランナーが、しかも代走で入ったから、警戒で2回ほど牽制球を投げた。バッターに集中できていない。
繁村は坂元にバントのサインを出している。大事な大事な9回0アウトのランナー。堅実に送って、三塁にきっちり送って欲しい。
投球モーションに入ろうとするなり、釈迦郡がシャカシャカ動く。もともと落ち着きのない男だが、いっそう落ち着きがないように見える。それが花城の集中力を削ぎ落とす。
初球。これまでキレのある変化球や打ちにくいコースにきっちり投げてきた花城が、あまり経験して来なかっただろう9イニングス目に入り、疲労も出てきたのかもしれない。バントのサインを出すのは惜しいくらいの甘い棒球。内野はチャージをかけているが、捕球したサードは三塁には投げられない。一塁送球アウトで送りバント成功だ。
ここで内野陣が集まる。一死三塁の場面。久米商業にとっては絶対1点もやれない場面で、ベンチが動いた。
『久米商業高校の守備位置の変更をお知らせします。ピッチャーの花城くんがライトに、ライトの玉城くんがピッチャーに入ります』
玉城がライトから小走りで向かい、花城と2、3言葉を交わした後、マウンドについた。投球練習で投じる球は、花城と異なりオーバースローないしスリークウォーターだったが、ミットから重い音がズドンと響いてくる。花城も速かったが、改めて見ると玉城はもっと速い。さすが150 km/h左腕。おそらく、部員の全員が未知の領域ではなかろうか。
一番の栗原は離れたところで、玉城の投球に合わせて素振りをしている。タイミングを取っているのだ。玉城はまったく疲れていない。栗原と言えど簡単には打てないのではなかろうか。
投球練習を終え、セットポジションで構える。それでもボールは速い。初球から149 km/hだ。しかし、ややボールが荒れている。決してストライク先行というわけではなく、粘ったわけでもないのにフルカウントまでいっている。
しかし、最後は速球に勢い負けしたか、ピッチャー正面のゴロ、打った瞬間栗原は落胆した。これではいくら何でもランナーは動けない。二死三塁に変わり、三塁側からあと一人コールが聞こえてくる。
続くは二番の銀鏡。銀鏡も150 km/hは未知の領域だろうが、いつも畝原の速球を捕っているから目は慣れているかもしれない。
2ボール2ストライクと追い込まれている。あと一人からあと一球コールへと変化する。
しかし銀鏡は粘った。速い球に喰らいついて、ファウルグラウンドにカットし続ける。なかなか前に飛ばないのかもしれないが、速球にしっかりついていっているだけでも大したものだ。連続で5球ファウルで粘ったとき異変が起きた。
少し力みが入ったのかもしれない。玉城は豪速球を投げるも、内角低めにワンバウンドになってしまう。銀鏡は見送るがキャッチャーが対応できなかった。後逸したのだ。
「おっ!?」
予期もしない展開に繁村も目を見張った。しかしボールの勢いがありすぎたのか、バックネットのフェンスに直撃し、勢い良く球が跳ねる。
跳ね返りが強すぎたため、キャッチャーはボールをすぐにキャッチする。そしてベースカバーに玉城が向かう。
「チャラ! 走るな!」とベンチの誰かが言う。バッターの銀鏡も手で制しているが、皆の忠告を無視し釈迦郡はホームに向かって駆け出している。暴走だ、と思ったが、低い姿勢でホームベースという獲物を狙う姿はさながらチーターのようだ。
玉城、釈迦郡、そしてキャッチャーからの返球。3方向からそれぞれホームベースを落とさんとする。釈迦郡は最も低位置から一気に跳躍した。全エネルギーをホームベースに向けたベクトルに変換しているかの如くだった。スピードはまったく落ちていない。
ベースに指先が触れたと同時に、ベースカバーのグラブが釈迦郡に触れたか。グラブには白球が収まっている。しかし直後、
チーフアンパイアは1〜2秒ほど間を置く。その数秒がとにかく長く感じられた。しかし、手は勢いよく横に振られた。セーフ判定。土壇場の同点で振り出しに戻る。
「よっしゃー! チャラごーり! お
ベンチの中にもう1頭猛獣がいた。ライオンの
同時に他のメンバーも一塁側アルプススタンドも歓喜し、スタジアム全体がどよめく。
生還した釈迦郡はベンチのメンバーにヘルメット越しにぼこぼこに叩かれている。普通ならハイタッチなのだろうが、興奮に加えランナーが釈迦郡だったので、そうなっている。決してイジメではない。
銀鏡は三振で倒れたが、粘りがあったからワイルドピッチを誘ったのかもしれない。そういう意味では銀鏡の執念が勝ったとも言える。記録上は三振だが、偉大な三振だった。
九回裏の守備。ここで点を獲られては絶対いけない。守備は、釈迦郡をセカンドに、若林をショートに、泉川をサードに入れた。
久米商業の攻撃は一番からの好打順。得点後なので投球も勢いづいて欲しいところだが、相手もさせじと執念を見せる。一番、二番と連続でヒットを打たれ、まさかの三番にはフォアボールを与えてしまった。畝原の与四死球は珍しいが、こんなところで出てしまうとは。絶体絶命の無死満塁。そして次は四番。
「ウネウネー!!」
愛琉の畝原に対するニックネームがいまいち緊迫感を与えないが、愛琉は懇願するような態度でマウンドの投手に声をかける。内野陣はマウンドに駆け寄る。1点も与えられない。内野はホームゲッツー態勢。外野は、深いフライではタッチフライを決められて即・敗北だから、浅い位置のフライをタッチアップさせないように前進守備。頭を超える当たりはサヨナラ負け確定なので捨てると言わんばかりに。
ここでピッチャーを代える勇気はなかった。こんな場面でリリーフに上がって平常心で投げられるピッチャーは、うちには残念ながらいない。
タイムを使い切り四番バッターが落ち着いた所作で左バッターボックスに入る。
「チャラー! 来るぞー!」
通常、バッターは引っ張る方が得意なので、左打者の場合ファースト、セカンド、ライトに注意喚起をすることが多い。特に守備についたばかりの釈迦郡に声をかける。釈迦郡は前進守備ながら気持ち二塁寄りに守っている。
代わったところにボールは飛ぶというように、四番はセカンド方向に引っ張った。通常なら二遊間を抜ける強いライナー性の当たりのヒットだが、釈迦郡は思い切り後上方にジャンプしてキャッチした。
「お!」
あまりにも強い当たり、しかも前進守備ということでランナーは飛び出していた。そのままの勢いで釈迦郡は一塁ランナーにタッチした。
「おお!!」
そして、釈迦郡は二塁に方向を変え、ヘッドスライディングの要領でボールの収められたグラブを突き出し、セカンドベースにタッチする。二塁ランナーも飛び出していたので戻れない。
「おおお!!!」
一瞬で3アウト。崖っぷちのピンチをトリプルプレー、しかも釈迦郡1人の力で成し遂げた。こんな超が頭に3つくらいつくファインプレーを繁村は見たことがない。
「すげー! すげーよ!」
「チャラー! お前は最高だ!」
愛琉を含めたベンチ一同、そして一塁側アルプススタンドが、消沈ムードから一転、大歓喜へと目まぐるしく変化した。
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