3-29 神速

 ズドン、と重い音が繁村の鼓膜を刺激する。見たこともないほど速い直球だった。そして見事なストライクボール。

 大月学園の先頭バッターはおそらく想像していたボールより数段速いストレートにただ茫然ぼうぜんとしている。そしてミットに収まってから思い出したように慌てて空振りをする。

「おおおおおお!!!」

 次の瞬間球場がどよめいている。

「ひゃ、140キロ!!??」

 信じられない速度が表示される。140 km/hなんて、女子では前代未聞だ。確か女子の最速記録がアメリカのサラ・ハデク選手が記録した137 km/hである。それを3 km/hも上回り140 km/hの大台に達してしまった。

 やった、と思わず繁村はガッツポーズをする。


『嶋廻さん、ありがとうございました』

 機械的なアナウンスと騒然とした場内とのギャップがありすぎて、シュールだ。しかし、公式か非公式か分からないが、世界の最速記録が拝めたこと、その記録を打ち立てた人物が非常に身近なところにいることに、武者震いにも似た感動を覚えた。

「メ・グ・ル! メ・グ・ル!! メ・グ・ル!!!」

 三塁側の清鵬館宮崎サイドのアルプススタンドからの声援、それ以外の観客のどよめきと歓声をよそに、渾身の始球式を終えた愛琉は、手を挙げながら颯爽とベンチに引き上げる。


「メグルちゃん、すげぇ!」ベンチの釈迦郡も讃える。

「サンキュ、チャラ。いい景気付けになったかな」

 愛琉の釈迦郡への対応にしては柔和なものに思えた。


「メグル先輩の凄い記録があるのに負けたら恥ずかしいぞ。全力で行くぞ!」

「おー!」

 キャッチャーの銀鏡がナインを鼓舞した。


 試合はまさしく『愛琉効果』と言うべきで、畝原のピッチングも守備も打撃も好調だった。相手は初出場だが、甲子園出場を決めただけあって動きは悪くない。しかし、愛琉の始球式なのか畝原のピッチングなのか分からないが、勢いに呑まれていた。これが流れというものだろうか。清鵬館宮崎は良いところでヒットが出るし、守りではここぞというところでファインプレーも出る。

 ワンサイドと言うわけではないが、7-1と大差をつけて勝利した。七回以降はリリーフで岩切にマウンドを引き継いだ。

 愛琉は付け慣れないスコアブックに悪戦苦闘していた分、予選より声は少なかった。それでも横山がサポートして、何とか問題なく記録を完成させた。また愛琉を補うかのように、アルプススタンドからは美郷がベンチ入りできなかった選手と後輩マネージャを従えて、応援団と一緒になって声をらしている。

 また愛琉も、ベンチ入り選手と距離が近い。三年間苦楽を共にしてきた男子部員たちと、喜びを共有できるのはまんざらでもない様子だ。

 甲子園で18年ぶりに我が校の校歌斉唱を聴いたときは、さすがに胸が熱くなった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「すげーよ、すげーよ!」

 試合後の移動中、釈迦郡がスマートフォンを眺めながら興奮している。

 試合の結果のニュースはさておき、急上昇ワードに『女子最速記録』とか『メグル』とかそんな言葉が載っていた。さっそく誰かが動画サイトやらにアップしており、その投球の様子を鑑賞した。ニュースサイトでも『宮崎県代表校の女子野球選手が始球式で140 km/h投球』などとセンセーショナルで紹介される。一部サイトでは『謎の南国の豪速球サウスポー美少女、到来』などとも。

 動画で観ると改めてめちゃめちゃ速い。球速だけでいえば畝原の方が速いのに、なぜかそれ以上に見える。

うねさんよりも速いんじゃないですか?」

 釈迦郡の発言に「こら!」と誰か先輩部員からお咎めが入る。

「実際、僕より速いよ。体感的には」畝原は言う。

「冗談ですって」釈迦郡は先輩をフォローする。

「嶋廻さんのストレートは、初速と終速の差が少ないんだ。回転がめいっぱいかかって伸びるし浮き上がってくる錯覚すらある」

「畝ちゃん、落ち込むなって」と泉川は言うも「落ち込んでないよ」と畝原は否定する。そしてなおも続ける。「嶋廻さんがもし甲子園で投球できたら、かなり高い確率で優勝狙えると思う」


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ホテルに戻ると、どこから湧いてきたのか、カメラマンやレポーターやらがうじゃうじゃと待機していた。

「嶋廻さん! ナイスピッチングでした!」

「監督、なぜ女子野球部に入れなかったんですか!? 一言!」

「女子プロ野球には行かせますか!? 監督!」

 もともと人付き合いが苦手で、マスコミ対応なんてなおさら苦手な繁村は黙って通過しようとする。

「すみません。選手たちが通りますので道を空けてもらえますか? あとホテルの方々のご迷惑になってしまいます」

 露払いのように甲斐教頭がマスコミを牽制する。こういうときありがたい。愛琉が甲子園のマウンドに立つ夢を叶えることはできたが、ここまでの反響をまったく予想していなかった。

 甲子園出場期間は、近くのグラウンドを借りて練習できるが、マスコミが多いと練習にならないな、と繁村は溜息をついた。次の試合は大会11日目の第1試合。対戦相手は9日目にならないと分からない。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 その9日目がやってくる。9日目の第3試合の勝者が清鵬館宮崎の対戦相手になる。この試合は愛知県代表の岡崎大谷おかざきおおたに高校と沖縄県代表の久米くめ商業しょうぎょう高校との一戦だった。両校ともすでに一回戦を勝ち抜いた、ノーシード校同士だ。

「どちらのチームが勝ち残っても苦戦するだろうな」

 繁村は言った。

「そうっすね」主将の若林は言う。

 岡崎大谷はバッティングが良いし、久米商業はエースナンバー1番の左投げ投手の玉城たましろがテンポ良く速い真っ直ぐのボールを投げる。

 結局4-3と僅差で久米商業が岡崎大谷を下した。岡崎大谷は初戦を3本のホームランを含む先発全員安打、二桁得点で相手校を圧倒したチームだ。その強力打線は見事封じられたと言える。


 大阪黎信と戦うまでは負けない。そして大阪黎信にも負けない。その目標を繁村の中で輝かせている。久米商業との苦戦は必至だが、負けるわけにはいかない。

「よし、2日後だ。絶対勝ちにいくぞ」

「はい!」

 改めて、選手たちを盛り立てた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 その2日後の久米商業高校戦はすぐやってくる。第1試合なので早起きで球場入りも早い。

 

 うちはレギュラー9名のうち1名を入れ替えたスタメンで臨む。左投手対策として青木の代わりに坂元を入れた。一回戦、二回戦と完投したエース玉城から打つのは至難の業だ。150 km/h超えの速球を何球か放っていた。甲子園で150 km/h超えを記録した投手はそうは多くない。横山によるとこの投手は沖縄大会でもほぼ1人で投げ切ってきた。控えの投手ももちろんいるのだが、差がついた試合で数イニングと言った感じらしい。つまり絶対的なエースなのだ。

 一部のスポーツ紙では『プロ注目』という文言もある。二戦目でプロ注目選手(しかも左腕)と対戦する運の悪さを嘆いたが、思えばシード校の我が校は一回勝った現時点で、はやベスト16なのだ。ここで勝てばベスト8入りである。相手は2回甲子園で勝っているのだから強いチームが残るはずだ。


 相手のスタメンが発表される。玉城は五番でスタメン入り。しかし、守備番号が投手を示す1番ではない。なぜかライトに入っている。守備番号1番の選手は聞いたこともない選手だ。

花城はなしろ?」

 思わず口に出すと、横山は沖縄大会で3イニングほどリリーフ登板した選手だという。自責点は0だという。この投手も左腕らしい。


 その花城は18番を付けている。ブルペンに向かったからすぐ分かった。比較的小柄で坊主頭。見た目だけでいえば横山を髣髴ほうふつとさせるような、いわゆる『ガリ勉』タイプのような風体ふうていだった。

 そんな花城が投球練習を始めるや否や、繁村は声を上げた。

「ええっ!」

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