3-20 腹痛

「マジっすか? 必ずって!」

「いまのお前ならできる!」

 黒木はレギュラーになれていない。未経験で入部して、辛い練習にも耐えてきた。横山よりは走攻守とも才能に恵まれていたが、それでも実戦経験から遠ざかっていて、今日は数少ないスタメン出場だった。

 そんな黒木に初球セーフティーバントを決めろというのは酷かもしれない。でもなぜか決められるような気がしていた。ヒットでももちろん良いのだが、畳みかけるには、初球セーフティーバントのほうが相手チームにとって精神的に効く。もし決められなかったらヒッティングでもフォアボール狙いでも切り替えれば良い。

 さあどう出るか。初球は左バッターにとってバントしづらい内角低めの直球。見逃せばボール球。これは見逃してもいいぞ、と言いたかったが、果敢にも黒木は狙いにいった。初球ストライクボールを狙えと言うべきだった。

 バットのヘッドを下げ、あまりにも窮屈で不格好なバントだった。しかし転がった所は良い。打球の勢いはあまり消えなかったが、ピッチャーとファーストの間に転がった。二人ともセーフティーバントの想定がなかったのか、もしくは想定していたもののこのボールをバントしにいく想定がなかったのか、いずれにしろ、セカンド、ファースト、ピッチャー、キャッチャーのちょうど間にてんてんと転がっている。

 金丸も黒木も俊足だ。結局捕球した投手は誰にも投げられなかった。技ありのセーフティーバント。無死一、二塁。

「黒ユメ! すげぇー! よっ、職人!」愛琉の声援は今日もガラガラだ。 

 続く、青木には手堅く送ってもらう。ここは一死でも二、三塁としてもらいたい。内野は猛チャージをしてプレッシャーをかける。

 ここはサードに捕らせるのが定石だが、ややピッチャー正面に入ってしまったか。しかし、俊足の金丸をアウトにはできないタイミングと見たか。一塁に投げると思いきや、二塁に送球する。二塁には何とセンターがベースカバーに入っていた。サードとファーストが猛チャージを仕掛けて、セカンドが一塁、ショートが三塁にそれぞれベースカバーするとともに、前進気味に構えていたセンターが二塁に入るという驚きのフォーメーション。

 二塁ランナーは三塁を狙うためには早くスタートを切っているが、一塁ランナーはターゲットになりにくい。だからスタートは遅れがちだが、この内野陣は狙っていた。一死二、三塁よりは一、三塁の方がこの後、一打で失点するリスクが低いと。

「よし、一塁ランナー青木に代わって、代走、チャラ……、じゃなくて釈迦郡!」

 最近、愛琉をはじめ『チャラごーり』とみんな言うし、何か本人公認になりつつあるので、危うく繁村も言い間違えそうになった。彼なら二、三塁にできる。

『ピッチャー吉田くんに代わりまして、仁田にたわきくん』

 ここで左投手が出てきた。吉田も好投していたし、ここで出てくると言うのは絶対に2点以上はやらないという意志表示なのだろう。

 投球練習を見ていて納得した。このピッチャーのモーションは早い。そして、試合が始まると牽制球がまた素早い。釈迦郡が逆を衝かれそうになる。結局、清鵬館宮崎の走塁のスペシャリスト、釈迦郡をもってしても盗塁は諦めた。

 栗原は代わったばかりの投手にタイミングが合わない。2球空振りし追い込まれた後、変化球を引っ掛けてしまった。ショート正面。これでは三塁ランナーは生還できない。結局二塁フォースアウトで、一塁ランナーの釈迦郡が栗原に入れ替わり、2アウトとなった。

 続く銀鏡。銀鏡は当たっていない。栗原が凡退してしまい、2アウトとなったいま、奮起してほしい。

「どうしたギンナン! 男見せろ! 男を! この優男が。ほら、バット持って縮こまっちょらんと! ドカンと一発打てっちゃ!」

「先輩、ありがとうございます! 僕、頑張れそうです!!」

 愛琉の銀鏡に対する声援は、もはや挑発や罵倒に近いが、マゾヒストな銀鏡は意に介した様子はない。

きょうぉ、打たんかったら、俺っちがメグルちゃんとフェニックス動物園デートしちゃうよ!」

 ランナーから戻ってきた釈迦郡が銀鏡に言う。

「釈迦郡、それは絶対ダメ! 僕が先──!」

「チャラごーり、どの口がこのメグル先輩様と勝手にデート計画してんだ!? 甚だ図々しい! いっちょ坊主にしてドタマ冷やして出直して来い!」

 ついに、愛琉がキレた。繁村もベンチも暫くその恐ろしさに戦慄し沈黙したが、同時に相手チームもこの女子野球選手の恐ろしさに、おののいている。


「メグメグ、言い過ぎって! ほら試合も中継してるかもしれないでしょ」

 美郷が慌てて愛琉を諌める。

「あはっ、そうだったぁ〜! ゴメンネ! テヘペロっ」

 銀鏡と釈迦郡はそれを見て悦に入る。銀鏡の素振りが勢いを増した。

 一方、相手の交代したピッチャー、仁田脇は腕の振りが小さくなっている。


 その初球を思い切り銀鏡は捕らえた。右中間にしぶとく運ぶ。

「ギンナン、うめぇ!」

 まるで美味しい茶碗蒸しに舌鼓を打つような反応の愛琉。サードランナーは生還し、2アウトで打ったら自動的に走っているファーストランナーの栗原も果敢にホームを落とそうとした。

 ライトから良いバックホームが来る。キャッチャーと交錯。

 チーフアンパイアの拳は握られ、縦に掲げられた。アウト判定。3アウト交代となる。

「ナイス銀鏡。栗原の走塁も惜しかった。1点取った、取った」

「次、絶対ぇ守るぞ!!」

 九回裏を3-2のリードで迎えて、一気に勝利への機運が高まる。

「薬師寺、頼むよ!」


 しかし、薬師寺はプレッシャーからか最終回に捕まった。連打で二人ランナーを出した後、送りバントできっちり送られ、一死二、三塁。その後、ストライクが入らず、苦肉の策で満塁策をとり、一打同点あるいはサヨナラ負けの最大のピンチを招く。

「黒木が倒れてますよ」

 なぜかレフトの黒木がうずくっている。どうしたと思いすかさずタイムを取る。どうやら急におなかが痛くなったらしい。黒木は試合経験の少なさからか、緊張していたのだ。しかし、腹痛で倒れるとは。珍しい現象に困惑しつつも、取りあえず黒木を交替させないといけない。

 外野の控えは、と考えていると、立候補者がいた。

「監督、俺を使ってください」

 名乗を上げたのは横山だった。


『清鵬館宮崎高校の守備の交代をお報せします。レフトの黒木くんに代わり横山くんが入りライト、ライトの栗原くんがセンター、センターの金丸くんがレフトに入ります。一番センター栗原くん、七番レフト金丸くん、八番ライト横山くん。以上に代わります』

「よし、横山! 絶対捕れよ!」

「おう!」

「ライト前ヒットでも捕殺しろよ!」

「おう!」

「フェンスもよじ登って捕れよ!」

「おう!」

 愛琉のやや無茶な要求だが、返事は威勢良く答えていた。


 代わったところに打球が飛ぶとはよく言ったものだが、そのとおりだった。

「ライト!」

 バックホーム体勢で前進守備のライトの頭上を越えるような打球。浅いが、横山は一旦後進し、少し後ろから勢いをつけて捕球。そして素早く送球。一死二、三塁なので当然タッチアップ体勢になる。

「バックホーム!」

 他のナインもベンチも愛琉も繁村も声を揃えて指示した。

 横山は肩こそ強くはないが、とても綺麗な送球をする。

「ノー!」

 キャッチャーの銀鏡がセカンド、ファーストに、中継に入るなという意味の指示を出す。普通は強肩の外野からの返球に出す指示だが、横山は綺麗なボールを投げた。銀鏡のいちばん捕りやすい位置でのバウンド、そしてタッチプレーに適した捕手から見てややサード寄りの軌道の球だった。同じくキャッチャーの繁村から見ても理想的だ。

 ランナーを迎え撃つように白球を吸い込んだミットがブロックする。そしてタッチ。どうだ。チーフアンパイアのジェスチャー。その手は横ではなく縦に、拳は握られた。


「3アウト! 試合終了!」

 まさかタッチアップ失敗のゲッツーで、見事横山は外野の見せ所でせた。

「横山! ナイス! 銀鏡! ナイス! 薬師寺もよく堪えた!」

 口々に最後のプレーを称讃し、勝利の喜びを分かち合う。

 しかし、いつも聞かれる声音がここでは聞こえてこない。あの甲高かんだかい、しかし大きくて、声の出し過ぎでかすれたあの愛琉の声だ。


 ベンチの上の応援席がざわついている。

「か、監督! 嶋廻先輩が頭を抱えてうずくまってます!」

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