3-04 快走

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 県選手権大会の本戦では、各ブロックの各パートを勝ち抜いた12校が戦う。ありがたいことに、決勝まで北郷学園とも藍陽とも当たらない。つまり、決勝に当たるまで、どちらか1校は敗退するということである。とは言いながら、清鵬館宮崎が楽な戦いができるかというと、そうではない。シードではないので、決勝に辿り着くまで3回勝たないといけない。粛々と一戦一戦戦っていくしかないのだ。


 本戦の初戦は、皮肉にも同じ学校法人の清鵬館日向高校と戦う。練習試合である『三校戦』では勝たせてもらっているが、決して弱いチームではない。スター選手はいないが、全員が堅実な野球をしてくるチームだ。

 ランナーを出したら、たとえ四番打者でも2アウトでない限り送ってくる。おおよそ作戦とは呼べない教科書どおりの作戦を立ててくるが、どれも着実に決めて来る。これはこれで厄介だ。畝原、銀鏡のバッテリーは苦戦したが、三振を狙うより打たせた方が良いような気がした。畝原にはシュートという右打者に対し打球を詰まらせることができる得意球があるので、それで組み立てて、内野の守備を信じた。おかげで、サードの泥谷、ショートの泉川にはひっきりなしに打球が飛んで来たが、特に泥谷はヘトヘトになりながらも、何とか打球を処理した。結局、3-1で勝利した。1失点は、ランナー二塁の場面で、渋い打球で三遊間を抜かれたタイムリーによるものである。


 次の準々決勝は、県北代表の聖文神せいぶんしん高校との対戦である。強豪だが、ここ最近練習試合も含めて当たって来なかったところだ。ゆえにデータは多くない。

 しかし何年か前は甲子園出場を決め、OBにプロ野球もいるなど、確かな練習環境や実績を有するところだ。藍陽や北郷学園に照準を合わせてきた我が校は、清鵬館日向以上に苦戦を強いられた。

 相手校の右腕のエース、ながが、フォークボールという必殺の決め球を持っていた。ストレートも速いのだが、ほぼ同じ投球フォームからほぼ同じスピードで放られ、直前まで軌道が読めない。ミートの寸前で、あたかも直角に屈曲して落ちるような錯覚に陥るほどの切れ味だった。

 このピッチャーは一つの変化球を極限まで突き詰めるタイプだった。他の変化球はない。だがそれで充分だった。なんと7回まで1本のヒットも許してもらえなかった。ランナーは3人出したが、すべてフォアボールや振逃(フォークボールをキャッチャーが捕球できなかったものにる)での出塁だ。しかもすべて2アウト時である。

 一方の畝原は、調子は悪くなかったものの、相手校のバッティングが非常に巧く、低めのストレートも大振りせずにセンター返しする。クリーンアップだろうが八番打者だろうが。いとも簡単に打ち返す。そのたびに二遊間を抜かれそうになるので、自然にその距離を縮めようとするが、そうすると三遊間を抜こうとしてくる。7回で3-0のビハインドだ。

 しかし、サードのランナーコーチを務めていた横山が、ごくわずかな癖を見抜いた。フォークは人差し指と中指を大きく開いて球を握るのだが、グラブの中でボールを握る動作なのか、右手をクイッと押し込む所作が見られるという。正直バッターからは、その動作は分かりづらい。三塁側から注意して見てはじめてそれが分かる程度の差だという。


 八回裏の清鵬館宮崎の攻撃。横山はランナーコーチの位置からそれを注意深く観察し、偶数番打者に対してはストレートのときは打者の名前、フォークのときは『バッチー』と、奇数番打者に対してはその逆の声をかけることにした。

 正直フォークは見逃せばボールというくらい落ちる。よって、フォークが来ると分かったら、バットを振らない作戦で行くことにした。

 その横山の分析が見事に的中する。七回まで散々フォークを空振りしてきたのに、突如振らなくなったのだから、首を傾げているに違いない。正直ストレートとて速いので簡単に打てるものではなかったが、畝原の直球と同じくらいか少し遅いくらいだ。球種さえ読めれば、清鵬館宮崎のレギュラーなら打ち返すことは可能。その回の先頭の七番の金丸が見事にフォアボールを選んでランナーを出す。金丸は栗原よりも俊足だ。七番とてランナーに出すと相手にとっては厄介に違いない。初球がフォークと分かったので、いきなり攻撃を仕掛ける。八番の泥谷はスイッチヒッター。今回左打席に入り敢えて空振りをした。盗塁を最大限の助けて見事に二塁はセーフ。盗塁成功だ。得点圏にはじめてランナーを進めた。

 これでフォースプレーはなくなる。これだけでも大きいが、ここはランナーを溜めたい場面。泥谷は散々バントの構えをして引いて、内野陣を揺さぶっている。

! 打てー!」

 横山からのサイン。来た。ここでストレートが来る。しかも若干コースが甘い。バントの構えからさっと引いて、バスターでヒッティングに切り換えた。ボールは見事ファースト頭上を抜けて、待望のチーム初ヒットはタイムリー安打となった。3-1である。

 ここで、九番青木を迎える。試合の経験値が少ない青木は、フォークを振らされてここまで2三振だった。バットにかすりもしていない。

 ランナーを代えてみるか。そう思ったのは、よく分からない。

『一塁ランナー泥谷くんに代わりまして、釈迦郡くん!』

 ピンチランナーとして全国的にも珍しい苗字の釈迦郡がコールされた。メットの下に伸びる男子にしてはをチラつかせながら、一塁に向かった。泥谷はベンチでハイタッチする。

 見た目はチャラいが、その足は本物だ。野球における走塁は、単純に足の速さに限らない。陸上競技における短距離スプリンターのような走法では必ずしも進塁できない。

 走ると同時に触塁しなければならない。ボールの行方を確認、推測も必要だし、ランナーコーチの声にも耳を傾けなければならない。タッチプレーをかわすテクニックも求められる。さらに進塁するかそこでストップするかで走るコースに変化をつけなければならない。様々なことを同時に処理しなければならない。

 ベースランニングというベースを駆けるだけの練習があるが、ただ走っているわけではなくて、常にシチュエーションを念頭に置きながら、どう走るか考えながら走っているのだ。釈迦郡はチャラいが、俊足を活かして、ストイックに走塁術を磨いてきた。

 繁村が甲子園で対戦しプロに進んだあかの走塁術は、彼を塁に出せばソロホームランを打たれるのと同じ、とまで言わしめたが、釈迦郡はそれくらいの技術を磨いてきた。ケースノック練習では、皆が敬遠するランナー役を積極的に買っている。彼がランナー役のとき、彼をアウトにするのはとても難しい。


 ここはノーアウトだから、彼が生還するチャンスは充分ある。最終回を2点差で迎えるのと1点差で迎えるのでは、天と地ほどの差がある。

 

 おそらく永野は青木に対して、楽に打ち取れるイメージを抱いているはずだ。ストレート2球で簡単に追い込んでくるかもしれない。

 その2球目で釈迦郡は仕掛ける。投げた瞬間スタートすると、キャッチャーは盗塁阻止体制に入る。そこで青木はセーフティーバントを試み、一塁線に巧く転がした。慌ててファーストは前進した。しかし、ファーストがボールを握った瞬間、すでに釈迦郡は二塁と三塁の中間を快走していた。このチームのファーストは右投げである。三塁に投げようとすると、一度身体を右に捻らなければならない。

 きわどいタイミングながら、釈迦郡のヘッドスライディングで三塁はセーフ。打った青木も一塁セーフだ。ノーアウト一、三塁である。


『一塁ランナー青木くんに代わりまして、黒木くん!』

 『○木』という名前の色を代えたメンバー変更だが、別にウケ狙いではない。ランナーを置いたときに若干この投手はコースが甘くなる、つまりプレッシャーには決して強くないような気がした。ここでたたみかけたい。

 バッターは先頭に戻り栗原だ。栗原は好打者だが、今日は2三振と投ゴロで当たっていない。


 1球スクイズ警戒でピッチアウトさせたあと、「栗原狙っていけ!」とここでまた横山から次はフォークボールとのサインが送られる。後逸させたら三塁ランナーが生還する可能性があるが、お構いなしフォークを投じるようだ。一塁ランナーの黒木が盗塁を仕掛ける。キャッチャーからセカンドにボールが送られるが、当の二塁手は少し前に出てボールをカットした。三塁ランナーの釈迦郡を警戒している。ランナー二、三塁となったところで、今度はストレートのサイン。栗原はここでランナー2人とも生還させると言わんばかりに、スクイズではなくヒッティングを指示した。

 しかし、ボールの下を叩いてしまう。高く舞い上がった球は、一塁のベンチ近くのフェンス際に落ちるファウルボールだ。キャッチャーが捕りに行くが、上空は風が吹いていたのか、捕球と同時にバランスを崩してしまう。しかもピッチャーも捕りに来ていたのか、ホームのベースカバーがいない。釈迦郡はそのチャンスを逃さなかった。

 タッチアップの姿勢を取っていた釈迦郡は、猛ダッシュでホームを狙っていたのだった。

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