本質

「なるほど、どうしても戦力を割かせたいということでしょうね。ならばやはり向こうは囮か? とはいえ到底無視できるものではないですね。仕方ありません、切り札を使いましょうか」


 そう言ってイリスはリアを見る。


「私? 一体何を……」


 リアの声が震える。

 イリスは声を潜めて言った。


「簡単なことですよ。あなたはおそらく生贄のレアリティに応じた威力の魔法が使えます。あなたはSRの生贄を使って魔王軍の奇襲部隊を殲滅してください。そして勇者ケント。あなたは魔王を討ち取るのです」

「え、SRの生贄って……やめろ、そんなことをしなくても」


 イリスの言わんとしていることに気づいて俺の動悸が早くなる。リアも意味を理解したようだった。一気に表情が強張る。


「大丈夫ですよ。私が欲しいのは命ではなく名声です。史書には身を捨てて人間を救った英雄と書いてもらえれば」


 そう言ってイリスはぎこちない笑みを浮かべた。おそらくイリスの気持ちに嘘はないのだろう。本当に国のために命を投げ打つ覚悟をしているに違いない。

 だが、それと同時に自身が消えることへの恐怖もあるのがはっきりと伝わって来た。


「いや、そんなこと出来るか」

「そうでしょうか? どのみち戦えば死者は出ます。それと同じことです」


 そうは言うもののイリスの声は震えている。確かに道理的にはもっともだ。

 だが、短い間でも一緒にいた人が自ら死ぬというのを黙って見過ごせるほど俺は冷血ではない。


「くそ、そんなに言うなら今から俺が魔王をぶっ殺してくる! 魔王を秒殺して、返す刀で奇襲軍も倒してやる!」

「はい、お願いします」


 だが言葉とは裏腹にイリスは一本の短剣を取り出した。何の変哲もないただの短剣である。イリスはそれをリアに握らせた。そしてリアの手を握って自分の首筋に近づける。


「馬鹿!」


 止めようとしたが、下手に手を出せばそのままイリスの首がかき斬られかねない。俺はSSSR勇者として圧倒的な膂力を持ってはいるが、器用さはない。万一止めようとして逆に傷つけてしまったら……。

 リアも蒼白な表情でされるがままになっていた。


「あくまで仮にだけど、もしイリス様を生贄にすれば……え」


 そこでリアは固まった。イリスを手にかける恐れとはまた別の戸惑いのようだった。彼女は少しの間、イリスを見て固まってしまう。

 よく分からないがリアが戸惑ってくれたのは幸いだ。


「どうしたリア。やっぱり何か問題があるのか?」


 これ幸いと俺は話を広げて結論を先送りしようとする。しかしリアの話は先送りどころの騒ぎでは済まなかった。


「いえ、問題はないんだけど……生贄に捧げられる対象は二つある」


「二つ?」


 イリスも首をかしげる。俺も何を言っているのかさっぱり分からない。一体どういうことなのだろうか。


「お前二重人格なのか?」

「そんなことないですよ。常に権力と名声を求めてますが」


 それはそれで神官としてどうなんだ。

 が、すぐにイリスは真剣な口調に戻る。


「仮に私が二重人格だとしても片方の人格で一人分とはならないでしょうね。人間は人格だけで構成されている訳ではないので」

「リア、どういうことか分かるか?」


「そうね、この感覚……一つは本当にイリス様の命を生贄に捧げる。当然これはSR相当。そしてもう一つが……イリス様に象徴されるもっと大きなもの。これはもしかしたらSR以上に相当するかもしれない!」


 リアの声が緊張と興奮で上ずってくる。当然ではあるが彼女も自分を拾ってくれたイリスをむざむざ生贄にはしたくなかったのだろう。

 とはいえ、イリスに象徴されるもっと大きなものとは一体何なのだろうか。


「そ、それを生贄にすれば本教会は救えるのか?」

「おそらく。一発だけならSSR以上の魔法が使えそう」

「何ですかそれ」


 イリスも困惑を露にする。が、そうこう話しているうちに次第に日は登っていく。


 さらに再び街の外にいた見張りが駆け込んでくる。


「イリス様、遠くに魔王軍主力が! 巨人やドラゴンなどの姿も見受けられます!」


 そして時を同じくして水晶からも通信がある。


『頼む、今すぐ勇者様を転送してくれ! キメラの大群が押し寄せている!』


 さらに俺のメテオストライクも完全回復しきったようだった。ただ、おそらくこのメテオストライク一発で魔王を討ち取ることは不可能だろう。メテオストライクを撃ち、余計な魔族を殲滅して弱った魔王を俺が倒す。

 が、それには時間がかかる。さっきはああいったが、現実的には秒殺は難しいだろう。そしてその間に本教会が襲われるだろう。となれば判断は一つしかない。


 イリスは目の前に周辺の地図を広げ、本教会周辺の一点を指さす。それでもリアは戸惑っているようだった。もしそれが何かの勘違いで本当にイリスが消えてしまえば。


「リア、それを使ってもイリスは無事なのか?」

「無事かは分かりませんが、イリスさんそのものが消滅することはないような気がします」


 ならば俺はリアの勘を信じるしかない。


「お願いします、リアさん」

「頼む、リア!」


 俺とイリスの声が重なる。


「分かった! 私の内に眠る謎の力よ、どうかこのイリス様を象徴する何かを生贄に、魔族の軍勢を消し飛ばせっ!」


 大魔法の割にふわっとした生贄の文言だな、と俺は場違いなことを思いながら詠唱を聞いた。詠唱が終わると俺は思わず閉じてしまっていた目を開く。


 おそるおそる目を空けてもイリスは消えていなかった。本教会は遠すぎてどうなったのかは不明である。何かが起こったのかすら分からない。むしろ、何かが起こったのはこちらであった。

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