第80話 暗闇の女神
軽減したとはいえ、あれからもめまいと吐き気には苦しめられていたが、みどりは独自のハーブや薬湯を作り献身的に銀次郎の看病をしていた。
さらに医師に電話してそのアドバイスを聞き出し、自分が休む寝室では24時間あかりを抑え、めまいの元、光をださないようにする。
寝るときは自分を引き寄せてキスをする。
「・・まるでぼくは君のあかちゃんだね・・」
と言うと
「・・ちがうかしら?」
とにこりとする。
そんな彼女の気遣いのおかげか、自分は3日後にはなんとか立てるようになり、仕事に復帰した。
社長は
「・・お前、だいじょうぶかいな??」
と心配したが、これ以上休むわけにはいかない。
これ以上休むと、売り上げは滞ってしまう。
仕事はまだいい、問題はY子である。
”・・どうやって別れをきりだせばいい”
考えることはこればかりであった。
これ以上Y子とつきあいを重ねても、自分とY子で不幸の奪い合いをしているだけだ。
愛情は常に甘い果実とは限らない。
その実は甘いが、じょじょに、そして確実に相手を殺す神経毒の果実もある。
仕事が終わり、Y子と約束をとる。
自分からの電話に、Y子の声はあきらかに喜んでいる。
”・・俺は、どうやって言えばいいんだろうか”
そんなことを考えているうち、また軽いめまいがして、胃液がこみあげてきた。
車のドアを急いで開けて、軽く外に吐いた。
ゼイゼイいいながら、ハンドルに突っ伏し自分を叱咤する。
「・・いうんだ・・銀次郎・・・自分のために、そしてY子のために・・・。」
約束の時間の夜になって、Y子は乗り込んできた。
「・・・ぎーんちゃん、会いたかった!!」
彼女は満面の笑みだ。
「・・じゃあ、行こうか。」
自分は人気のない場所へと車を走らせた。
彼女は自分の手を持ってうつむきながら恥ずかしそうに言う
「・・ねえ・・ひさしぶりに・・抱いてよ・・」
自分はそういう彼女の顔を見なかったが、視界に入っているのでわかる。
これは18-19の色気だろうか。
恥じらいながらそういう彼女を無視することに、自分は最大限の勇気が要った。
「・・なんでそんな怖い顔しとるん。・・」
Y子はそういうが、自分は車を走らせながらわざと聞こえないふりをした。
自分はとある誰もいない暗い港へと車を走らせた。
何も答えない自分にY子は不審がる。
自分はY子の方をむかず、瀬戸内の暗い島々をフロントガラス越しに見ていた。
「・・うち・・なにかわるいことした?」
「・・あの・・さ。」
「・・うん・・」
「・・もう、会えないんだ・・」
彼女の目が驚いてこっちを見ている。
「・・どういう意味なん?」
「・・・」
「・・うちのこと嫌いなん?」
「・・そうじゃない、でも・・誰も幸せにしないことはもうやめようと思うんだ。」
しばらくの沈黙の後
「・・ええかげんにしんさいよ・・銀次郎」
彼女は自分の襟首をつかんだ。まるでやくざのようだ。
しかしこれがY子なのだ。
「・・あんた、うちが必死に看護婦なろうゆうて、ぎんじろうの女らしゅう生きとるのに・・・そんなこというんか?」
「・・・・」
「・・わたしゆうたじゃろ・・もうみどりさんとこにはいかん、たとえあんたのセックスフレンドでも、わたしはあんたの”女”でおっちゃる・・こんな女が、他の世の中のどこにおるんね・・。」
「・・・」
「・・・あんたが子供産めいうんなら今でも産んじゃる、『死ね』ゆうんなら・・いますぐ死んじゃる・・うちはとことん性根いれとるんじゃわいね・・。」
目がすわっていた。
今更ながらこれがY子かと思った。
悪いことに、また吐き気がしてきた。
がまんできなかったので、ドアをまた開けてはいた。
「・・銀次郎・・。」
Y子はそんな自分を見て驚いたらしい。
近くに自販機があったので、ふらふらする身体でジュースを買い、口から嘔吐物を洗い流した。
「・・乗りんさい銀次郎」
車に戻ろうとすると、驚いたことにY子が運転席に乗っている。
(Y子はつい数ヶ月前、免許を取得した)
どうせ自分はこの吐き気ではしばらく運転できない。
どこか車を脇によせるのだろうと自分はだまって助手席に乗ってリクライニングを倒した。
すると心臓が飛び出るかと思うような事態になった。
Y子はBMWをホイルスピンさせながら、発進させた。
「・・おいやめろ!前は海だ!」
「・・うちをなめんさんな・・さんざん高校の頃がんぼうじゃったんじゃけえ。・・こんなもんなんでもないわいね。」
後輪から白煙を出し、車はJターンをして街に向かった。
「・・おい、どこにいくんだ?」
ふらふらする頭でY子に聞いた。
「・・いつもんところよ・・」
他の車をどんどん抜かしていくY子のハンドルさばきに愕然とした。
車はいつかY子とよく行っていたモーテルについた。
一台一台の車の車庫ごとに部屋がついている田舎のモーテルだ。
「・・ほら、しっかりしんさい・・!」
彼女は自分の肩を抱きながら部屋へと誘った。
丸い下品なベッドで自分は横になった。
「・・頼む、少しだけ寝かせてくれ・・」
そう言った自分に怒った目をしながらも心配そうにY子は寄り添った。
自分はみどりに嘘をつくために電話をした。
「・・ちょっと車を運転できそうないから・・会社で少し寝るよ・・先に食べておいてくれないか、みどりさん。・・すまない。」
みどりは
「・・・会社に迎えに行くから・・」
と言ったが、強引に来なくていいと答えた。
頭のいいみどりのことだ、あるいはもう状況は察しているかも。
Y子は、自分の横でこっちを見ながら、自分の口辺をタオルで拭いてくれている。
自分はそのまま寝てしまった。
数時間して、自分は起きた。
2-3時間は経っていたろうか、Y子は髪が片目にかかって、すやすやと寝ている。
Y子の胸元から美しい白い肌と、女として充分成熟しつくしている匂いが鼻腔にただよった。
急いで自分は目を離すと、
「・・Y子・・起きるんだ、こんなとこにいちゃいけない。」
とやさしく起こそうとした。
Y子は気づいて、自分に抱きつき唇を重ねてきた。
自分はそんな彼女を渾身の勇気ではねのけて、
「・・もうやめろ!・・」
と言った。
自分は上半身を起こしていて、彼女を見おろす体制になっている。
彼女は片肘で上半身を起こし、こちらを下から怒ったような目つきで見あげている。
「・・あんた・・このY子を捨てるんか?」
「・・・・」
「・・今あんたがうちを捨てたら、看護婦もへったくれもない・・わかっとるじゃろ?」
「・・・」
「・・あんたがおらん未来なんて、・・うちには未練なんかない・・元のY子にはもう戻れんのんよ。・・」
ほくろがわきについた、うつくしい唇で、彼女は銀次郎の耳と首筋に唇を重ねてきた。
自分が彼女の身体を熟知しているように、彼女もまた銀次郎の身体を熟知していた。
彼女の長い舌が絡みついた。
自分のシャツを脱がすと、彼女は自分の肩を軽く噛んだ。
不思議と意識が少しクリアになった。
どうしてだろう、そのときだけ脳内の何か分泌物がでるのだろうか、彼女が銀次郎の身体を刺激すると、あれだけあった吐き気とめまいが軽減する。
俗な言い方をするとすれば、身体の相性だけでいうならY子と自分の関係はこれ以上ないものだ。
Y子はそれを熟知したうえで、銀次郎を包み込んでくる。
自分はY子の口づけを受け入れてしまった。
「・・うう・・ぎんじろう・・ぎんじろう・・うちだけのぎんじろう・・」
彼女は暗闇で踊るようにして、銀次郎を下にしてそう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます