第79話 てんとう虫
その日の午後いくぶん気分がよくなったので、自分はみどりと近くの山に散歩にでかけた。
みどりさんはあんなことがあったのに上機嫌だった。
「・・ひさしぶりねえ・・こうやって二人でお昼からでかけられるなんて。」
「・・ごめんね、最近忙しすぎて、二人でどこにも旅行行ってなかったね。」
「・・ううん、わたしね、ここが大好きなのよ。綺麗な川があって畑があって、虫たちがたくさんいるでしょ。・・」
「・・そうだね。」
思えば自分は旅と言えばどこか遠くへ遠くへと行っていた。
地元を出歩くことはほとんど無かったと言える。
生まれ育った場所をきれいだと感じるぐらいには、心が暖まる期間がなくて、ただめぐるましく日々だけが流れていった気がする。
「・・ねえ・・銀次郎さん、こっち来てみて・・」
みどりさんが畑の傍らでしゃがんでよぶのでいってみたら、彼女は葉っぱの裏で身を寄せ合っているテントウムシの一群を指し示した。
「・・・かわいい・・」
「・・そうかな・・」
自分が指先でちょんとその葉の先を触ると、
「・・だめよ・・おこしちゃかわいそうよ・・」
という。
テントウムシなどは、広島でどこにでもいる生き物だが、自分は彼女のようにそんなふうに感じることはなかった。
特に自分などはそんな足下をみる余裕などなくて、ただその日夜までの命を保つことさえ大変だった。そんな時さえある。
たしかにみどりさんの言うとおりじっとテントウムシを見てみると、それぞれのテントウムシにそれぞれの赤があり、それぞれが美しい色を放っている。
「・・ほんとうだね・・かわいいね。」
そういうと彼女はにっこりと微笑んだ。
彼女はほかにも草花を摘み取ったり、そこらへんで何か動き回っている。
自分にとってはなんの変哲もない雑草をとっているので、
「それどうして採っているの?」
と聞いたら
「これってお食事の飾り付けにつかっているのよ。・・殺菌作用もあるの。」
ということだった。
そういえば、彼女の作る弁当の焼き鮭にこれが入っていたことがあるのを思い出した。
自分はそのうち、みどりさんの野山を歩くペースに耐えられなくなって、座りこんでしまった。
彼女はそんな自分にかまわず、そこらへんを歩き回っている。
よほど草花や虫を見るのが楽しいらしい。
そのうち、何をどうしたのか、彼女が顔をどろだらけにして帰ってきた。
彼女に聞くと、とある綺麗な花が咲いていたので、それを採ろうとしたら、バランスを崩し倒れかけ、水たまりに手を入れてしまい、泥がはねたのだという。
幸い怪我はどこにもしていないようだ。
改めて彼女の顔をみると自分はおかしくなって思い切り笑い転げた。
「・・そのファンデーションも味があってみどりさんらしいなあ。・・」
自分はポケットからハンカチをだしてみどりさんの顔をふいてあげると、そのまま彼女を抱きしめた。
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