第73話 フラッシュバック

部屋に帰った後、重い空気がただよった。


「・・みどり・・・ごめん。」


みどりは自分の声が聞こえないかのように背を向け、スーパーの袋からリンゴや野菜をとりだし、キッチンの上に静かに置いていた。


すべて自分の優柔不断さとだらしなさが招いたできごとだった。


彼女はキッチン前でなにやらガサゴソやっていて、こちらの言葉を聞いていないのか、何も返事しなかった。


自分が頭を抱えていると


「・・Y子さんってきれいな人ね・・・」


とみどりが静かに言った。


何をいいだすのか自分には理解できなかった。


そう言いながら、何事もなかったかのように、買ってきたものをシステムキッチンの収納棚にいれたり、冷蔵庫にいれたりしていた。


「・・ぎんじろうさん、食事にしましょう。今日は鮮度のいいカレイがあるでしょう。わたし、このお魚大好きなの。いま作るから、まっててね。」


ソファに座って自分はうなだれまま彼女に半ばいらいらして言った。


「・・・『私あんたと別れます』とか、こういうときっていうはずだろ!」


みどりは台所の作業をやめず


「・・銀次郎さんは私と別れたいの?・・・・」


と言った。


自分はうなだれたまま・・・


「・・そんなわけないじゃん・・・」


と言った。


「・・じゃあ、食事にしましょう。」


こういうときに、ちゃんと責めの言葉を使わない女ほど銀次郎にとって辛いものはない。


「・・いいよ、食事なんて、どうでも。」


自分は荷物をトランクにまとめた、家から出るつもりだった。


「こんな俺、みるのもいやだろう・・しばらく家を空けるよ。生活費はちゃんと口座にいれておくから。」


みどりは台所でこっちを見た。


自分はそんな彼女にかまわず、コートを羽織ると、玄関のドアノブを開けようとした。


みどりは身を躍らせてエプロン姿のままドアの前に立ちはだかった。


「・・・いっちゃだめよ・・」


自分を見上げながら彼女は言った。


「・・・どうしてだ?」


「・・だって、あの人のところにいくでしょう」


「・・・いくわけないだろ・・・」


「・・・どうでもいい、でも私を1人にするのは、2度と許さない。」


彼女は怒っているような、悲しんでいるような、そんな目でこっちを見上げている。


ここで自分はまた言ってはいけないことを言ってしまった。


「・・君の以前の男と俺とどこがちがう?」


「・・・。」


「俺は君が好きなのに他の女と寝ているんだぞ?・・知ってるんだろ?ぜんぶ?あの男とどこが違うんだ?」


「・・・。」


「あれだけ君を傷つけた男と同じ事、いやそれ以上のことをしてるんだ・・最低だって罵っていいんだ。・・どうか俺を1人にさせてくれないか?」


「・・・。」


「・・・君が信じてくれるかどうかわからないが、誓っていう。Y子のところにはいかないよ。」


「・・・。」


みどりは横を向いてうつむいたままだ。


自分は彼女を押しのけ外に出ようとした。


「・・・・だめ。」


彼女はドアノブにしっかりと手をかけた。


「・・今日、あなたは私と一緒に、いつもと同じように晩ご飯を食べるのよ。そしていつものとおり、『みどりのつくるご飯はおいしいな』って言ってくれるの。」


「・・・」


「・・そして寝るときにはやさしく『みどりおやすみ』って言ってくれるのよ。・・」


「・・・・」


「・・あなたが最近私の身体に”飽きてる”ってのはわかってる。」


自分はみどりが何をいいだすのか驚いた。


「・・・あの人は・・・Y子さんはこのみどりに、あなたの身体に、歯形や爪痕で、『私から銀次郎をとれるものならとってみろ』っていつも挑戦してるのよ・・。」


「・・・」


「・・・そんなことわたしわかってる、でも、わたしはそれでもいい。あなたは必ずこの家に帰ってきてくれる。わたしの作るごはんを、いつだって『おいしい』と言ってくれる。・・それでいい。」


自分はこの瞬間めまいを感じてしまった。


フラッシュバックが起きてしまったのだ。


母親はある日、愛人宅にいこうとした義父を押しとどめていた。


激しく子の前でいがみあう夫婦。


義父は母親に平手打ちを放って出て行った。


それがどれだけ子供心に醜く歪んでみえたことか。


頭の中が真っ白になった。


「・・・どうしたの?銀次郎さん?」


みどりは自分の異変に気づいた。


自分は急いでトイレに入り、思い切り吐いてしまった。


彼女は自分の汚れたシャツを脱がし、濡らしたタオルで必死に顔を拭いた。


そんな自分は軽く腕でみどりさんを制して


「・・・いいよ、俺にかまうな」


そう言って自分は倒れ込むようにベッドに寝入ってしまった。

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