第74話 激務と幸せ


『帰宅は24時すぎると思います』

『ひええ……大変ですね、ファイトです~』


 俺はすぐに返ってきたLINEを見て安堵した。

 最近咲月さんはすぐに返信してくれる。

 妊婦さんになる前は数時間経ってから既読されることも多かったけど、最近は早い。

 理由は「遅くなるとすぐに電話してくるから」……らしい。

 最近仕事が忙しすぎて、全く家に居られないので心配なのだ。

 昇進試験は無事合格して来季から課長になることになった。

 まず始めたのが、営業先の引き継ぎ作業と挨拶周りだ。

 それだけでも件数が多くて大変なのに、課長になってから使う管理ソフトの勉強、システム関連の書類も増えて……とにかく仕事が多すぎる。

 一過性とはいえ、エグい。

 でも咲月さんが安定期の今、この作業を終わらせておきたい。

 産み月の11月に入ったら、正直東京から動きたくないのだ。

 それまでにすべての営業先に本村を連れて行って、引き継ぎを終わらせたい。

 

「はあ……」

 

 俺は買ってきた乾物の山を電車の中で抱えた。

 最近忙しくて食事の作りためが出来ない。

 「何を食べても太るんです……」としょんぼりしている咲月さんのために食事を作りたいのに!

 でもありがたいことに板橋さんが週に何度か料理を作ってくれているようだ。

 響さんに悪いのでは……と思ったら、長期出張中らしい。

 お医者さんも大変だ。研修が多いんです、と旅行の時に苦笑していた。

 お世話になり申し訳ないけれど、ほんとうに助かる。

 それに簡単に作れる塩分控えめメニューも板橋さんが送ってくれた。

 見ると干ししいたけや麩を上手に使っていた。

 なるほど! と思い、今日営業ついでに何個も買ってみた。

 やっと週末だし、咲月さんとゆっくりしよう……。

 俺はやっと座れた酒臭い電車内でため息をついた。


 今年の夏休みは、ワラビさんの別荘にまた遊びに行ったり、フェスに行ったりしようと色々予定を立てていた。

 でも妊婦さんになったこともあり、咲月さんはすべての予定をキャンセルした。

 楽しいことが大好きな咲月さんだから、元気な顔をしているけど落ち込んでいると思う。

 それにお腹も大きくなってきて出社するのも大変だと思う。

 先日、病院が行っている男性の妊婦体験に行ってきたのだが、お腹に鉛をつけたら重くて驚いた。

 こんな状態であの坂を登り下りしてるのか……!

 そして先日の検診で「体重の増加が酷いですね」とかなり怒られたとしょんぼりしていた。

 何もしてないなら怒られても仕方ないが、咲月さんはとても努力している。

 「大人になって、まさかここまで怒られるとは……」と部屋で丸まっていた。

 色々大変すぎる。

 そして俺が出来ることは限られているのだ。

 なるべく理解したいし、助けてあげたい。

 俺は荷物を抱えて家の鍵を開けた。


 すると……部屋の中からすすり泣く声が聞こえてきた。

 ああ、咲月さん、落ち込んでしまってる……そんな泣くなんて……。

 俺が部屋のドアを開けると、咲月さんはティッシュの山の中で号泣していた。

 

「どうしたんですか、大丈夫ですか」

「隆太さん……っ……うええええん……サランヘヨ……」

「はい……?」

「朝鮮半島って、元に戻りませんかねえ……ああっ……ええええん……」

「はい……????」


 咲月さんが何を言っているのか分からなくてテレビ画面を見ると、何かドラマを見ているようだ。

 

「もう……朝鮮半島が分かれちゃってると、二人が幸せになれないんです!!」

「韓国ドラマですか」

「元に戻りませんかね……二人のために……うう……世界を戻してっ……!!」


 咲月さんはティッシュを掴んで涙を拭いた。

 どうやら韓国ドラマにドはまりして泣いていたようだ。

 先日「面白いらしいので見てみます~」と聞いていたけれど、こんな即落ちは想定外だ。

 テレビで見ながら、スマホでワラビさんと繋がり、同時上映をしているようだ。


『あっ……滝本ざんっ……おかえりなさいっ……ううっ……』

「あ、どうもワラビさん、おつかれさまです」


 画面の中にいるワラビさん……ワラビさん?! 俺は画面を二度見した。

 推定ワラビさんになっているけど気にしないのだろうか……。

 ターバンを巻いてオデコ丸出しで眼鏡姿、それにたぶん普段見られないようなパジャマ姿だ。

 画面の中とはいえ、人の奥さまの生活する姿をあまり見ない方がよい気がして、俺は見えない場所に移動した。

 咲月さんはティッシュ箱を抱えたまま叫ぶ。


「ワラビちゃんこれさあ、どーやったら幸せになるのよお……!」

『わかりませんっ……ああ、もう二人で脱北しかないですよ』

「いやだって、それが出来ないって所が最高に上がるんじゃん。真面目、カッコイイ、すてき、いやあああ!!!」

『これ言っちゃ悪いですけど、北朝鮮の軍服じゃなかったら、この一兆倍上がりません?』

「分かる!!! ドイツドイツ、ドイツの軍服着せよう!!」

『ああああ~~~~でもなんかこのペラペラ感が良い気がしてきました』

「毒されてキターー」


 二人は叫びながらドラマを見て、ついにタブレットを取り出して主人公の男性を書き始めた。

 俺が見ている限り、二人は楽しくなってくると絵を描き始める。

 

『こんなに北朝鮮ディスって大丈夫なの? って思いましたけど、これはこれで幸せってちゃんと書いてるんですね』

「最近の流行らしいよ。北朝鮮の人たちは悪くない、他のことが悪いって書き方になるんだって」

『へえ~~。ていうか、歴史全然知らないですね。そもそもなんで分かれてるんです?』

「もう私は世界史の漫画をさっきポチリました」

『早い!! 私も勉強します』

「萌えは学びから!!」

『萌えは学びから!!』


 二人は声を合わせて叫んだ。

 あまりに楽しそうなので、俺はお風呂に入ることにした。

 もうお風呂の準備はされていて、簡単なお夜食も準備してあった。

 忙しくて何も食べてないから、ありがたい……。

 俺はスーツを脱ぎながら二人の会話を聞く。

 

「もうダメだ……朝鮮統一しか、二人は幸せになれない!!」

『そんなクソ脚本考えないでくださいよ、黒井さん!!』

「えーんえーん、つらいよう……」


 二人の会話を聞きながら、俺は反省した。


 夏休みのスケジュールも全部消えて、身体もつらそうで、妊婦は身体が重くて……とネガティブな所ばかり見ていた。

 でも咲月さんは相変わらず『このタイミングで楽しめること』を楽しむ天才だ。

 俺がいてもいなくても関係なくて、それがとても心強い。

 

 風呂に入ると温泉の素が入っていていい香りだし、きれいに掃除されている。

 最近家事の9割を咲月さんがしてくれている。

 俺はこれから二か月は鬼のように忙しいので、ありがたい……。

 こうして甘やかされるのも、少しずつなれてきた。

 ものすごく気楽だ……。 

 俺は眠りそうになり、慌てて風呂から出た。




「ちょっとまって、これ……クソ不味いんだけど。中から何か出てきたよ!!」

『あっ……なんでしょう、これ、海藻……これは煮詰めた昆布ですね、昆布イン飴!!』


 リビングに行くと、机の上に数種類の袋が並んでいた。

 画面の向こうのワラビさんも同じ商品を買っているようで、二人で色々食べ比べしながらドラマを見ているようだ。

 咲月さんは、一粒飴のようなものを渡してきた。


「隆太さん、これ食べてみてください。板橋さんが健康食品を仕入れてくれたんですけど、鬼クソ不味いので、全部あげます」

「なるほど……?」


 妊婦さんのための健康商品ということは、栄養豊富で疲れ果てている俺にも良いはずだ。

 ぱくりと食べたら、何かが割れてドロドロとした何かが口を満たす……すごい、不味い。

 咲月さんは目を輝かせて言う。


「不味いですよね! 口の中に入れた瞬間にあふれ出す腐った昆布の集合体ですよ。無添加で超ミネラル豊富な貴重品らしいんですけど」

「ドロドロしてますね、すごい」

『板橋が張り切りすぎてるんですよねー。もう買いすぎ』


 画面の向こうでワラビさんも飲みながら笑っている。

 咲月さんは次に「こっちは別の意味ですごいんですよ」と煎餅のようなものを渡してくれた。

 食べると


「……嘘みたいに甘いですね」

「そうなんですよ、これで砂糖入ってないなんてすごいですよね。そして脅威のゼロカロリー」

『なんか中国の身体に良いアイテムをパリパリにしたアイテムらしいです。効果は疲労回復?』


 ワラビさんも画面の向こうでバリバリと噛みながら言った。

 咲月さんは「これは普通に美味しいです」とうれしそうに言う。


「今しか身体に良いものなんて食べないじゃないですか。だったら試してみようかなって! ある意味期間限定ですよ!!」

「……今が一番楽しめる時期ですね」

「そうなんです。妊娠しなかったら絶対食べませんでしたよ」


 そう言ってケラケラと笑った。

 やっぱり咲月さんは『今を楽しむ』天才すぎる。

 そして瞬時にドラマに戻った。


「あああ~~~、ちょっとまって、またこれやっぱ途中で一人だけ帰るのかな?」

『構成的にまだ前半ですからね。全話数考えると一度帰りますね。その後……その後ですよおおお!!』

「いやあああ!!!」


 咲月さんとワラビさんは煎餅を食べながら鑑賞を続けていた。

 一緒に少し見ていたけど、話も分からないのでお夜食を頂くことにした。

 俺が部屋から出ようとすると、咲月さんがトトトッと追ってきて、頬にキスしてくれた。


「週末は一緒にご飯作りましょうね。最近隆太さん忙しいから一緒に過ごせるのを楽しみにしてました」

「はい」


 頭を撫でると目を細めてしがみついてきた。

 俺の奥さんは楽しみ上手で、一緒にいる俺の固い気持ちは、いつもほぐされる。

 毎日が楽しい咲月さんと一緒にいると、俺も楽しい。


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