第72話 極寒の花見と、命を見た日


 咲月さんが妊娠したことを長谷川さんに伝えたら「良かったなあ……」と目を輝かせて喜ばれた。

 長谷川さんは子どもが出来ないことに悩んでいた。

 それも大きいんだと思う。

 今が一番大切な時期だが、今日は参加する必要があることも理解してくれた。


 たった10分のお花見参加とはいえ、会場はものすごく寒かった。

 咲月さんには去年と同じ分厚いダウンのコートとヒートテックとマフラーを装備してもらった。

 花見だというのに最初から婚約発表で、本当に意味が分からないが伊藤さんは大きな取引先なので仕方ない。

 無事にお花を渡し終えて俺の横にきた咲月さんに優しくほほ笑んだ。

 乾杯が終わり、さあお花見が始まる……という時に、長谷川さんが咲月さんを呼びに行くのが見えた。


「相沢さん、レンテックさんが急遽確認したいことがあるって。ごめんね、お花見なのに」

「分かりました、確認に戻ります」


 わざわざ二人は周囲に聞こえる声で話した。

 そして咲月さんは会社に戻って行った。

 その瞬間恐ろしいほど冷たい風が吹き抜けた。

 ああ……安心した。俺はすぐにスマホを取り出して

 『コートのポケットに番茶のティーバッグを入れて置いたので、飲んで温まってくださいね』とLINEした。

 すぐに既読になって『何か入ってると思いましたけど、お茶ですか。ありがとうございます』と苦笑するスタンプと共に送られてきた。

 大切な人が妊婦さんになって過保護で何が悪い!! 

 さあ、俺は俺の仕事をしよう。

 ビール瓶を片手に伊藤さんの列に並んだ。

 そして後ろにきた長谷川さんに頭をさげた。

 長谷川さんはVサインをしてほほ笑んでくれた。

 本当に助かる……。

 

 そして花見から一週間ほど待ち、咲月さんは会社に妊娠を報告した。

 清川には殴られ、本村にも殴られ、取引先の方々からはとても祝福してもらった。

 何より会社に報告したことで、咲月さんは仕事量の調整がしやすくなったようで、安心した。

 





 数日後、一緒に産婦人科に行くことになった。

 家の周辺に大きな病院はなく、会社との間の大きな駅にその病院はあった。

 俺は妊娠を知ってから、これ以上ない速度で情報を集めた。

 そして出産するためにものすごく早くから的確に動く必要があると知ったのだ。

 まず出産できる病院の少なさに心底驚いた。

 そして麻酔を入れて痛みを減らす無痛分娩を知った。

 痛くなくて普通に産めるなら良い気がして咲月さんに聞いてみた。

 

「検討はしたんですか?」

「一瞬考えたんですけど、近くの病院で取り扱いがないことと、陣痛っていうのを体験してみたい欲があるんですよね。人生最大の痛みってやつを味わってみたいんですよ」

「痛みが楽しみ……ということですか?」

「漫画に使えるかも知れません。推しの出産シーンとかに」

「推しの?? なるほど??」

 

 咲月さんは腐女子の世界では男性も普通に妊娠出産するのですと教えてくれた。

 あまりに訳が分からなくて参考に何か貸してくださいと言ったら、超絶戸惑いながら一冊貸してくれた。

 先日読んだんだけど……すごかった。

 人体の構造を完全に無視している。

 同人誌とはここまで自由なのか。知らなかった。

 新しすぎる扉を俺は静かに閉じた。

 しかし痛みに叫ぶ咲月さんを見たくないし、海外では無痛分娩が普通だと聞き、何個か病院をピックアップして最終確認したのだが


「次は推しがリアルな出産をする話を描きます。もうプロットを考えました」


 と笑顔で断られた。

 そこの需要が……? と思ったが俺は何も知らないので黙った。

 俺が辛そうな咲月さんを見たくないだけだ。

 咲月さんが良いならそれでいい。

 当然だが俺は痛みにとても弱いし、血も苦手だ。

 先ほど病院に到着して、一緒に病院中を移動ながら検査している姿を見ているのだが……痛そうなことの連続で驚いている。

 採血だけでも7、8本も取り、待ち時間は4時間くらいかかるのだと笑った。


「仕事があるので土曜日にしか来られないのもありますけど、初めて来た時も4時間かかったので、それが標準なようですね」

「すごいですね……」

「やはり衣類を脱いだりしますし、時間がかかるんですかね」


 そして待っているのは他の方も同じですし? と静かにほほ笑んだ。

 それに腰が痛くならないように、椅子の上にセッティングできるものや座布団。

 ソシャゲのイベントも同時に走らせて、先日ついに持ち歩きのWi-Fiを契約したのだと言っていた。

 曰く「この病院、場所が悪いのか回線弱くて。あ、隆太さんも使ってくださいね」とパスワードをLINEで送って来た。

 快適に待つことに対して迷いがない。


 思うんだけど、オタクは待ち時間に強い。

 イベントでも一般参加すると、信じられないレベルの待ち時間だし、グッズを買いに行っても長蛇の列だ。

 俺も先着順のライブの時は5時間以上平気で並ぶ。

 もちろんその先に楽しみがあるから待てるのだが、待つことに慣れているという点でオタクは強い。


 俺も待ち時間は平気なほうだ。

 病院は混んでいて座る所も限られていたので、少し離れた場所で咲月さんを見まもりつつ、妊娠関連のブログを読んだ。

 今までこういうブログを読んだことがなかったが、細かく書かれていて参考になる。

 そして久しぶりにデザロズのTwitterや、個人ブログも見た。

 ずいぶんと見てない記事が溜まっている……。

 俺は時間があることもあり、ゆっくりと読んだ。


 実は妊娠が分かってから、デザロズのライブに行っていない。

 咲月さんは毎週末、家にいる俺に気がついて「オタ活動は普通にしてもらって良いですよ」と笑った。

 そして「何かあったらちゃんと言いますから」と。 

 咲月さんも普段通りのオタ活をしていて、夜は漫画を書いているし、俺にも普通にしてほしいのだろう。

 

 ただ俺が気になって仕方ないのだ。

 だってライブの最中はスマホを切っている。

 その時に咲月さんから『何かあったと連絡があったら』!!

 そしてライブ中で電話に出られなかったら!!

 考えるだけで恐ろしいし、立ち直れないほど後悔すると思う。

 だから俺はちゃんと伝えた。

「スマホを切る必要があるライブに怖くて行けません」と。

 咲月さんは苦笑しながら「何かあったら伝えますからね、好きにしてくださいね。でも連絡が取れる状態を保ってくれるのは嬉しいです」

 とほほ笑んでくれた。


 久しぶりにブログを見て宣伝映像を見るとライブに行きたいとは思う。

 のんちゃんの歌は最近レベルが上がり、また上手くなっている。

 それにみんなのダンスもすごくいい。

 当然のように応援する気持ちはあると思い出す。

 最近行われている休日のライブはすぐに満員御礼になり、長くライブを行っていた会場から、もっと広い所に移動する話も出始めた。

 動画を見ながら「ライブのネット配信をしたいんだけどなあ……」とラリマー艦長が言っていたことを思い出した。

 この前面白そうな会社を発見したし……今度提案してみよう。

 それなら俺も見られるし。

 デザロズのファンはやめない。ただ関わり方を変えていく。

 会社でも昇進試験に申し込みしたし、立場が変わることによって、オタ活も変わって行くのだと思う。


 変わって行くもの、変わらないもの、そして……何より守りたいもの。


 咲月さんのほうをチラリと見た。

 すると首まくらに頭を預けてスヤスヤと眠っている。

 読んでいた本が手元から落ちそうになっていて、俺は近づいて本を手に取り、ひざ掛けをした。

 最近の咲月さんはやたら眠いらしく、休日は一日中眠っている。

「会社でも眠くて眠くて辛いです……」と帰ってきてすぐに眠っている姿を見ると、もう家で仕事をすればいいのに……と思ってしまう。

 会社での給料は知らないが、デザロズ関連だけでもかなりの収入を得ていると俺は知っている。

 正直フリーランスの絵描きさんとして生きていける人だと思う。


 でも問題点も分かっている。

 咲月さんの自己管理は皆無に等しいのだ。


 可愛い、可愛いのだ、本当に。

 少しキリが良い所まで終わると「ゴールが見えました」と〇プラトゥーンする所が、ソシャゲする所が、漫画を読みながら眠る所が。

 でも……終わっていないのだ……。

 会社で仕事として作業していると、管理されているし時間制限もあるから締め切りが守れているのだが、自宅では難しいようだ。

 俺が管理を……と思うが、それを自宅で、旦那である俺がするのは息苦しくなるだろう。

 それに咲月さん曰く「これでもかなり良くなりました。結婚前はもっと地獄でしたから」と笑っていた。

 咲月さんは会社員で仕事をして、趣味で絵を描くのが良い。

 見ていて俺もその結論に至った。

 咲月さんが少しでも好きに生きていけるお手伝いをしたいと今は思う。 


「滝本さん、どうぞ」


 名前を呼ばれて我に返った。

 俺は眠っている咲月さんを優しく揺らして起こした。


「咲月さん、呼ばれましたよ」

「……おっと。めっちゃ寝てました」


 そう言って咲月さんはフワリとほほ笑んだ。

 オタク、本当に待ち時間が得意すぎる。

 俺は咲月さんの荷物を持って、診察室に入った。


 中は至る所に赤ちゃんの絵や、臍帯血のポスターが貼ってあった。

 予防接種の大切さを問う話に、赤ちゃんがどんな風に大きくなっていくか書かれた長いポスター。人生で初めて見るものばかりだ。

 診察室は普通の病院と変わらないが、薄いピンクで統一されていて緊張を解くようにしてある気がする。

 優しそうな女医さんに挨拶して、エコーというお腹の中を見る作業が始まった。

 ピピッ……という音が止まり先生がモニターを引っ張って俺に見せてくれる。


「赤ちゃん元気だねー。サイズも丁度良い。はい、旦那さん、見てみる? これが赤ちゃん」

「はい!!」


 俺はモニターに近づく。

 真っ黒な画面の中……正直見方が全然分からないけど、小さな繭のようなものがあり、そこが小さくピコピコと点滅して見える。

 

「これが心臓。元気でしょ」

「はい……動いてる……」


 俺はお腹の奥の方から溢れてきそうな涙を押し殺して返事をした。

 本当に咲月さんのお腹の中には、命が宿っていて、元気に動いていた。

 先生は何枚かプリントして俺に渡してくれた。

 俺はそれを持ってきたクリアファイルに入れて病室を出た。

 たぶん感熱紙だから、時間が経ったら消えてしまう。家に帰ったら写メするか、咲月さんにお願いしてスキャンしてもらおう。

 白黒の画面の中で動き続けている心臓。

 それに小さいけれど人だと分かる繭。

 何枚か写真を頂いて、俺はそれを見て少し泣いた。

 命を見た日、俺は今日のことを忘れない。


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