第71話 新しい身体と、相変わらずの会

「何を食べても大丈夫なんですか?」

「生ものは止めたほうが良いみたいですけど」

「あっ……じゃあ生野菜は食べないでください」

「でも生野菜はビタミンも多いし大丈夫だって言ってる人も多いんです」

「調べます。きっと俺のほうが得意だと思います」


 桜の花びらが舞い散る木の下。

 たまひよとスマホ片手に隆太さんは目を輝かせた。

 伝えたらこうなることは分かってたけど、ものすごく嬉しそうで良かった。


 基本的に自分勝手に生きてきて、食事も生活も適当。

 結婚してなかった頃の朝ごはんはバナナか饅頭だった。

 同人の締め切りが来ると徹夜してユンケル飲みまくって、次の日酒飲んで倒れてた。

 身体が変になって当たり前だし、健康診断は会社のものしか受けていない。

 だから簡単には無理かなあと思っていたけど、これは完全に運が良かったのだと思う。


 自分でチェックして陽性を確認したのは先週だ。

 その時点で伝えても良かったけど、ぬか喜びさせるのも悪いと思い、とりあえず家と会社の間で病院を探した。

 そもそも私は病院にあまり行かないので、ぜんぜん知らなくて困った。

 風邪を引いたらユンケルを飲んで眠り続ければ治るし、怪我もしたことがない。

 それに大学の同期に「即予約しないとマジで産めない」と聞かされていたので、陽性反応が出たらそのまま産める所と考えた。

 譲れない条件は女医さん、そして家と会社の間にあること。


 なんとか見つけた行ったんだけど、初診でなんと4時間もかかった。

 時間がかかるとネットで調べて知っていたので、スマホゲーのイベントも残して、ずっと読み切れなかったミステリーも持って行った。

 腰も痛くなりそうだったので、椅子にセットして使える腰サポーターも準備。

 首まくらも持って行ったので、正直快適すぎる待ち時間だった。

 静かで本も読めるし、ゲームもし放題。

 わりと病院もありだな……と思った。


 見てくれたのは優しい女医さんで、私のお腹には小さな命が宿っていた。

 小さくぴこぴこと動く心臓には感動した。

 今度の検診は隆太さんと行きたい。

 新しい世界楽しい!

 しかし……


「これは……情報が錯そうしてますね。この人は推奨してますし、この人はやめたほうがいいと言う。何を信じれば良いのか……文献か何か読む必要がありますね」

「隆太さん。とりあえずダメって言ってる人がいるのはやめておけば良いんじゃないですか?」

「そうですね、でもその場合逆もあり得るので怖いです」


 隆太さんは私を優しく抱き寄せて膝の間に入れて言った。

 分かってたけど、過保護が加速する。

 私はさっき届いたLINEを見て言う。


「あの……絶対忘れてると思うんですけど……明日って会社の花見ですよね」


 隆太さんが目を見開いてガガ……と私のほうを見た。

 表情が固まっていてロボットのようだ。

 ほんとうに結婚して一年経つけど、まだまだ初めての表情があるのね。

 隆太さんは調べことに夢中になりすぎて、明日の花見のことを完全に忘れていたようだ。

 前、酔った時に言っていたけれど、商店街の男性の方々がうちの女性社員に近づきすぎることを良く思ってないようだ。

 去年は私も無理にお酒をすすめられてイヤな思いをした。

 そしてとても寒いので妊婦さんが長く居られる場所ではない。

 私は続けて話す。


「本来なら明日朝伝えてお花見を辞退すべきだと思います。しかし明日だけは言えない理由があります」

「あっ……」

 隆太さんが絶句した。

 そう明日の花見は

「瀬川さんが婚約を報告する日でしたね」

「そうです、しかもお相手は商店街の伊藤さん。そして私はお花を渡す係です。『明日よろしくね!』と今LINEが来ました」

「……なるほど」


 隆太さんの声が固くなった。

 これはちゃんと正面を向いて話すことだと思い、私は隆太さんから離れて、正面に座った。

 隆太さんは自分の背中から毛布を取り、丁寧に私の肩にかけた。

 私はそれを胸元に引き寄せる。


 明日のお花見は、ただのお花見ではない。

 同じ部署の瀬川さんと、商店街でスーパーを営む伊藤さんが婚約を発表する日だ。

 出会いもこのお花見なので、この会で発表するのだと瀬川さんたちはずっと前から準備していた。

 さすがに明日妊娠を伝えるのは社会人的に『なし』だ。

 目の前で隆太さんは仕事をしてる時と同じ硬い表情をしている。

 ずっとグルグルと考えて、言えない言葉を飲み込んでいる表情だと分かる。

 私は考えてきたことを話す。


「私の上司の磯部さんと、隆太さんの上司の長谷川さんにだけ妊娠したことをお話して配慮をお願いするのはどうでしょうか。祝福の会でお花だけ渡して、その後、確認の電話があった……とどちらかの上司に私を呼んでもらう」

「!! 咲月さん……、すいません、俺……どうしても行かせたくないしか考えられず、そんな名案を出せませんでした」

「私は病院で陽性を知ってから、どうしたら角が立たずにお花見を回避できるか考えてましたから。祝福の会とお花なら冒頭の10分くらいだと思います」

「ああ……咲月さん……良かった。俺、どうしても行かせたくなくて、でも何も浮かびませんでした……ダメだ……」

「さっき妊娠を伝えたばかりなので混乱して当然です」


 さっき石のように硬かった表情をクシャクシャにした隆太さんの頬を引き寄せてキスをする。

 隆太さんは私を優しく引き寄せて、再び膝の間に入れてくれた。

 温かくて安心する。


「私、夢があるんです」

「……なんですか?」

「私も隆太さんもいつか死ぬじゃないですか」

「え……突然なんの話ですか」


 戸惑う隆太さんの首の下に私は優しくキスをして続ける。


「隆太さんが死ぬ時に『ああもうあそこもここも痛い、そこら中がイヤだ、もう寒いし暑いし、全部イヤだ!!』ってめちゃくちゃ文句を言って欲しいんですよ」

「……咲月さん」

「人生で一番気を遣う時に、迷わず文句を言い合えるような夫婦になりたいんです。逆に私が死にかけたら、超言いますよ!」

「……はい」

「だからちゃんと、今から練習をしましょう。お互いに言い分があるのは当然のことです。それぞれ立場が違いますからね。でも伝え合わないと、心に痛いことばかり残りますよ」


 隆太さんはうつむいて、唇を嚙む。

 少しずつ良くなってるし、ぽつぽつと本音を口にしてるとは思うけど、隆太さんは言いたいことを我慢するタイプだと思う。

 同じ人間だけど人の数だけ答えが違う。

 だけど私たち夫婦なら、話し合うことはできるはず。

 隆太さんはうつむいたまま、私の手を優しく包んで顔を上げた。


「そうですね、俺はサプライズという名の下に会社の会を私物化する瀬川さんのお祝いなんてど~~でも良くて、婚約パーティーをしたいならちゃんと会場を借りて自分たちの手でやるべきなのに、なんで全員参加の会で見せつけるように祝わせるのか分からないし、それに普通に乗っかってくる伊藤さんもお金を浮かせたいだけなのか自己顕示欲なのか分かりませんし、正直迷惑で、そんな会に妊婦になった咲月さんを参加させるなんてあり得ない、そもそも会社のお花見自体をやめるべきだと考えていました」

「あーっ……隆太さんの暗黒面が、ダークサイドきたーーー!!」


 私はあふれ出す闇に爆笑してしまう。

 

「すいません、そんなこと考えても咲月さんを守れるわけじゃないのに」

「だったら一緒に考えましょう。せっかくここに脳みそがふたつありますから。おっと三つになったのかな?」

「咲月さん……」


 私たちは食事をしながら胎児の脳がいつ作られるのか調べた。

 脳の神経細胞は妊娠八週目以降から作られる! ほほ~~。


 私は身体を後ろに向けて膝をつき、隆太さんの頬を手で優しく包む。

 そして唇に自分の唇を触れさせた。

 隆太さんは優しくほほ笑んで、今度は私の頬を包んで、唇を落としてくれる。

 嬉しい、大好き。


「明日出社したら、磯部さんと長谷川さんにお話しましょう」

「LINEを入れておきますね」


 私たちはキスをしながら、ゆっくりと毛布に転がった。

 抜けるような青空と桜のピンク色が美しい。



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