第67話 新しいことを始めるなら


「これは……書き心地が面白いですね」

「でしょー? 密度が違うんですよ」

「サンプルを頂いてもよろしいですか」

「もちろん!」


 良い紙ができたから触りにきてよ! と呼ばれて岐阜県まで来た。

 確かにすごく面白い紙だと思う。壁紙とかにも使えそうだ。


「山梨にある新田紙業さんが面白いもの作ってたよ。なんでも色紙にできるセットだってさ」

「色紙は需要が高い商品ですからね、明日にでも寄ってみます」

「滝本さんはフットワーク軽くていいよねー! あんまりいないよ、すぐに来てくれる営業さん。はいお茶と五平餅。好きでしょ?」

「ありがとうございます、こうして名産品も頂けて楽しいんです」


 俺はお礼を言って五平餅を食べた。

 咲月さんが五平餅好きで、今日は岐阜に行きますと言ったら「買ってきてください!! 晩御飯それにしますから!!」と目を輝かせていた。

 出張でお土産など買わなかったけど、咲月さんが喜ぶならなんでも買って帰る。


「じゃあちょっと待っててね。サンプル準備するからさ。他にも何個か入れていい?」

「もちろんです」


 俺は笑顔で答えた。

 文具メーカーに就職したのは、文具が好きとかではなく、大手で合格したから。それだけだ。

 咲月さんほど明確に「定時に帰れること」を目標にしたわけではないが、休みが取りやすい所はポイントだった。

 軽い気持ちで入社したけど、今はわりと気に入っている。

 日本はわりと小さな工場が独自に紙や文具を作っていて、販売ルートを持たない。

 この工場もそうだ。

 面白い紙が無限にあるのに無名だ。

 俺はこういう商品を東京に持って行き、色んな人に紹介する仕事を楽しいと思っている。

 俺はサンプルを貰って工場を出た。


 そう、俺はこうして現場を回る営業の仕事がわりと好きで……。

 小さくため息をついてマフラーを巻いた。


 実は長谷川さんから

「もういい加減、昇進試験を受けろ」

 と言われている。

 営業成績も良く、結婚してからメンタルも安定した。

 わが社的は、ある程度成績を残したら現場を回るより後輩の育成などに力を入れる……と言う風習がある。

 分かってはいるのだが、こうして現場を回るのが好きでやる気が出ない。

 長谷川さんを見ていると、正直苦労のほうが多く見える。 

 給料も上がるし、立場も明確になるけど……。

 

「……ふう」


 俺はため息をついて、6本五平餅を買った。

 咲月さんが「このお店が一番美味しいです!」と言っていたお店のものだ。

 こうして名産品を持ち帰り、喜んでもらえるし……正直一生現場が良い。


  


 仕事を終えて帰ると、もうパジャマに着替えた咲月さんが出迎えてくれた。

 持ち帰った五平餅を渡すと「待ってました!!」と目を輝かせた。

 最近駅でLINEするとお風呂を入れてくれるので、俺は直行した。

 ゆずの入浴剤が入ってて、温まる……。

 最近はお風呂も一階のものを使わせてもらっている。

 家事の負担も咲月さんのほうが増えている気がして気になって聞いたら

「? できるほうがすれば良くないですか?」 

 と、なに言ってるんですか? といった表情をした。

 咲月さんのそういう感覚が、とても好きだ。

 

 お風呂から出ると咲月さんはもうビール片手に五平餅を食べていた。


「隆太さんも食べますか?!」

「いえ、大丈夫です。咲月さん、顔に味噌がついてますよ?」

「すいません、ありがとうございます。もうこのクルミが美味しくて。はあ……最高です」


 口の横に一文字に味噌のライン? ができていたので、俺は笑いながらウエットティッシュで拭いた。

 咲月さんは映画を見ながらすべて食べて、その場にコロンと転がった。


「ああ~~、最高に美味しかったです。ずっと楽しみにしてました」

「それは良かったです」

「東京のはどれも違うんですよねえ……。隆太さん、そういえばちょっとお話があるので、ソファーで抱っこしてもらって良いですか? 食べたばかりで少しばかり重たいですが」

「良いですよ。さあ、どうぞ」


 俺は膝の間に咲月さんを入れて、優しく抱き寄せた。

 咲月さんは「えへへ」と笑いながら俺にしがみ付いてくる。

 かわいい。優しく抱きしめて髪の毛にキスをした。

 咲月さんも俺の頬に軽くキスを返してくれる。


「あのですね、私たちの子どもについて隆太さんはどう考えてますか?」

「え……あ、はい。突然ですね。えっと……」

「欲しいですか? 欲しくないですか?」

「欲しい、です」


 俺は即答した。

 咲月さんと暮らす日々はとても幸せで、このままでも楽しいのは間違いない。

 でも俺の家は両親が離婚していて、ずっと母さんがひとりで俺を育ててくれた。

 それには感謝している。

 でも『家族』というフォーマットには憧れがあり、咲月さんと暮らす延長線上に子どもがいたら楽しい……そう思う。


 しかし妊娠出産は女性のほうが負担が多く、俺の口からは言い出せずにいた。

 咲月さんは優秀なデザイナーさんなのに、仕事のキャリアも分断される。

 それに趣味を大切にしてて、それを続けるために偽装結婚した人だ。

 だからこれ以上の束縛なんて……そう思っていた。

 

「私ね、ひとりで暮らすのが最高に好きなんですよ」

「はい」

「実家が嫌いで嫌いで!! 出てきてひとりで好きなことできる生活が最高に好きなんです。今もあれもこれも楽しいです。でも結婚して分かったんですけど、楽しいことがあった時、それを隆太さんに話すのが、また楽しいんです。そして一緒にするのも楽しい。楽しいことが二倍! 趣味があう人と暮らすって、こういうことなんですね」

「咲月さん……」

「二人はもちろん面倒だと思うこともありますよ? 隆太さん、私の服勝手に捨てるし! 穴があいてもまだ着られるのにー! それに部屋着でコンビニも禁止されたし、お風呂から全裸で出てくるのもできないし? ひとりのが気楽な所もあります。でもね……それ以上に二人で楽しいことのが多いです」


 ふんわりとほほ笑む咲月さんを俺は抱き寄せた。

 ……嬉しい。すごく嬉しい。

 何よりも、咲月さんの人生に俺が馴染んでいくのをここから先も許されたことが嬉しいんだ。

 咲月さんは続ける。


「子どもを産んだら、今よりもっと大変だし面倒が増えるのは超承知ですけど、隆太さんと一緒ならちょっと楽しそうです。すぐできるかどうかも分かりませんし、両者とも欲しいと思ってるなら作り始めませんか?」

「……はい」

「まずは避妊をやめてみましょう。仕事のスケジュールも確認したんですけど、来年は新人が三人入ってくるので、少し楽になると思うんですよね」

「咲月さん……正直、俺もう、今の時点でめっちゃくちゃ抱きたいです」

「もう……隆太さん……。私、この話をするの、ちょっと緊張しちゃって……実は結構飲んでるんですよ、ビール臭いですよ……?」

「じゃあ俺も」


 そう言って咲月さんが飲んでいたビールの残りを一口飲んだ。


「……これで同じです」

「隆太さん」


 咲月さんは苦笑して俺の頬を両手で包み、優しくキスしてくれた。

 俺は咲月さんの腰を抱いて引き寄せる。

 そして柔らかい感触を、なんども味わうようにキスを返す。

 なんどしても咲月さんとするキスは気持ちが良い。


「はっ……」


 漏れる吐息も愛しくて、一度顔を離す。

 すると咲月さんは少し目をそらして恥ずかしそうに


「……もう……じゃあベッドに行きましょう?」


 と言った。

 かわいい、もうちょっと顔を見たい。

 咲月さんはエッチする時にいつも部屋を暗くしてしまい、表情がよく見えない。

 俺はソファーの上で強く抱きしめてもう一度キスをして、舌を唇の間に差し入れる。

 咲月さんがたまらず俺の肩を摑む。

 薄く目を開いて見ると、咲月さんは目を閉じて俺にしがみついている。

 ……かわいい。

 キスしながら耳に親指を入れて、中指で首筋を撫でる。

 するとピクンと身体を揺らして眉間にしわを入れた。


「……隆太さん……」

「咲月さん、かわいい。好きです、大好きです」

 

 俺はなんども名まえを呼びながら咲月さんを抱いた。

 そして布団にくっついて入り、足を重ねて丸まった。

 相変わらず咲月さんは終わるとすぐに眠ってしまう。

 この時間が一番咲月さんをゆっくり見られて嬉しい。


 パララ……と軽くふり始めた雨が霙に変わる音がする。

 おでこに触れて髪の毛をあげて、頭を引き寄せてキスをする。 

 咲月さんの香り……夜だからこそ、更に甘く深く感じる。


 昇進試験を受けよう。

 俺は霙が屋根を叩く音を聞きながら思った。

 子どもを産めるのが女の人だけだというなら、俺は俺だけができることをするしかない。

 それは現時点では仕事と出世、そして安定して生活できる環境を整えること。

 でも……やはり現場も諦めたくない。


 だったら、俺がそれを変えられる管理者になればいいんだ。


 うちの部長も現場が好きで、現場に行きながら管理もして、今の地位まで上った人だ。

 ということは、成績さえ残せば許されるはず。

 俺は……好きな時に東京にいて、好きな時に出張できる身勝手な営業になりたい。


 そして咲月さんになにかあったら、秒で駆け付けられる人になりたい。

 冷たくて強い髪の毛を引き寄せる。

 この人を守り、未来を安心して続けていく力を俺は得たい。

 

 ……昇進試験ってTOEICと小論文と面接だっけな……?

 TOEICか……テキストどこだ……?

 英語は辛いが、妊娠出産のほうが物理的に辛そうだ。

 正直想像もできないけど。


 新しいことを始めるなら一緒に……。


 俺は咲月さんを引き寄せて眠りに落ちた。


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