第61話 冷たい風と確かな未来


 よく晴れた12月の朝。

 今日は隆太さんと自転車に乗り長靴のメロンソーダを飲みに行く日だ。

 自転車はたまに乗っていて、慣れてきたので楽しい。

 行きましょうか! と玄関から出て外気に触れた瞬間……私は立ち止まった。

 後ろから出てきた隆太さんが私の横に立つ。


「どうしました? 忘れものですか?」

「隆太さん、私、今日のために買ったものがあります」


 そう言って靴を脱いで一度部屋に戻った。

 そして大昔買って、ワラビちゃんに「黒井さん、これで何をするつもりなんですか?」と爆笑されたアイテムをつけて外に戻った。

 私をみた隆太さんは、腹を抱えて爆笑した。


「すいません咲月さん、その状態で自転車に乗るのは、ちょっと、あの、職質されると思うんです」

「知ってるんです、私。これ、顔が痛い寒さじゃないですか! 寒い、すごく寒いです!!」

「だからって、ニットの目出し帽子は……! しかも赤で黄色って〇イアンマンじゃないですか、ちょっと待ってください」


 隆太さんは笑いすぎて庭石の上に座り込んでいる。

 イベントで見つけた〇イアンマンの目出し帽子は、楽しそうだったので買ったのは良いが数年間箪笥で眠っていた。

 寒い日に風を受けて自転車に乗ると、顔が痛いことは何度か乗って知っている。

 だから最適だと思ったのに、そこまで笑われるとは心外だ。

 隆太さんは笑いすぎて流れた涙を拭きながら一度部屋に戻り、大きめのネックウォーマーを持ってきてくれた。


「これを鼻の下まで伸ばすと、寒くないですよ」

「あ、本当ですね。温かい! じゃあこの目出し帽子は隆太さんに貸しますね。はい、どうぞ」

「では失礼します」

「……ぎゃはははは!! 何してるんですか、職質されますよ!!」


 それをかぶった隆太さんは予想をはるかにこえて変だった。

 なんでこんな物買ったのか、全く理解できない。

 イベントに行くとテンションが上がって、あれもこれも買いたくなるけど、本当にやめたい。

 隆太さんは目出し帽子をカバンに入れて自転車に跨がった。

 もふもふな手袋も借りたので、指先も冷たくないし、ネックウォーマーってすごい。 

 温かい! 私は目の下までそれを上げた。

 すると隆太さんの香りがして嬉しくなった。

 

 


 山をくだって、平面の道に出る。

 川沿いにずっと走って行くと大きな公園に出るのでそこで一度休憩しようと話していた。

 自転車の少し悲しいところは、二人で走っているとお話が出来ないところだと思う。

 公園の駐輪所に停めて、温かいコーヒーを飲むことにする。

 ベンチに座ろうとしたら、隆太さんが折りたたみ式の座布団をひいてくれた。

 四センチほどの筒なんだけど、パタパタパタと開くと座布団になるのだ。


「すごい! これはアウトドアアイテムですか?」

「そうです。外のイベントで使うんです。お尻が冷たいとHPがガリガリ削られるんで大切なんです」

「わかります。私もコミケに一般参加する時は折りたたみの椅子を持って行きます。見てください、最近買ったんです」


 私はスマホをいじって最近買った椅子を見せた。

 ファイルのように薄くなるんだけど、真ん中に力を入れると椅子になるアイテムだ。


「畳むと再録本くらいの分厚さになるので、カバンにも入れられて便利なんです」

「これは薄くていいですね。しかし、再録本とは何ですか? 知らない言葉です」

「今まで出した本をまとめて一冊にして何かした気になれる便利な本です」

「ベストアルバムですか。それは素敵な記録になりますね」

「そうなんですよ、結局何冊出しても手元に再録本があれば『そんなの出したなあ』って思えるんです」


 この程度の説明で再録本の説明が済むなんて、オタク旦那さんはラクチンすぎる。

 普通の人と結婚したら一般参加の説明から必要……その前にコミケに行くことを話せるだろうか。

 私は幸せものだ……とコーヒーを飲んで温まった。

 隆太さんは缶のクッキーを開けて見せてくれた。


「このクッキー。先日営業先で教えていただいたんですけど、ものすごく美味しいんですよ」

「!! すごい、ていうか、缶が可愛いですね。頂きます。うわっ……サクサクで美味しいっ……!」


 そのクッキーは15cm角のパステルカラーの缶に入っていて、クッキーはバターたっぷりで口に入れるとほろほろほどけた。

 そしてこれまた隆太さんが豆からこだわって入れてきてくれた濃いコーヒーを飲むと……最高に美味しい。


「はあ、最高です」

「咲月さんアウトドアお好きですよね。来年の夏、キャンプに行きませんか?」

「!! アイドルフェスですか?!」

「フェスに行きたいですか? 結構ハードですが」

「行きたいです、私、勝手にウロウロしてますから!」

「いいですよ。片蔵たちも来ると思うので喜ぶと思います」

「一度行ってみたかったんです。でも参加方法もよく分からなくて」


 隆太さんは楽しいですよ、と優しくほほ笑んだ。

 裏庭で隆太さんがテントを広げていた時から、あのテントの中で眠ってみたいと思ってたので嬉しい。

 Twitterで雨がすごく降ると読んだから、雨具とか充実させたほうが良いのかな。

 土砂降りの中で踊るとか、最高に楽しそう! ……と思ってふと思い出した。


「そういえばデザロズなんですけど、2月に出す新曲に合わせて、ラリマー艦長からイラストの依頼を正式に受けましたよ」

「ええええっ?!?!」


 さっきまで冷静だった隆太さんが、恐ろしいほど取り乱した。

 あまり激しい感情を見せない人なので、こういう表情を見ると笑ってしまう。


「見ますか? まだラフなんですけど」

「いえ、それはチート行為になるのでみんなと一緒に拝見します。奥さまだからって、俺だけ先に見るわけには」

「分析官として意見が聞きたかったんですけど……あ、じゃああそこの鉄棒で懸垂10回したらご褒美に見るとかどうですか?」

「ご褒美ですか、それなら仕方ないですね、仕方ないですね、まったく仕方ないですね」


 隆太さんは「仕方ない」と何度も言いながら公園にある大きな鉄棒に向かった。

 私も一度ぶら下がってみたが……冗談じゃない。鉄棒の上に顔を出すなんて無理に決まっている。

 ぶら下がっているだけで手が痛くて辛い。 

 自分の体重を腕で持ち上げる?! ありえない。

 私は鉄棒から飛び降りた。 


「隆太さん、無理だったらしなくてもいいですよ?」

「咲月さんは少し俺のことを甘くみていますね」


 隆太さんはそう言ってマフラーと手袋を私に渡した。

 あら、なんだかカッコイイ隆太さんになった。

 そして鉄棒にぶら下がり、私をキュッと見て少しほほ笑んで……恐ろしい速度でキュンキュンと懸垂を始めた。

 

「めちゃくちゃ出来るじゃないですか!!」

「イベントで椅子や机を運んでますし、わりと鍛えてるんですよ。オタ芸も体力が必要なんです」

「もう踊れることを隠しもしない、開き直りましたね!!」

「10回でいいんですか?」

「あ、じゃあこれをして10回追加でお願いします」


 私はカバンから〇イアンマンの目出し帽を出して隆太さんにかぶせた。

 隆太さんはかぶった状態でキュンキュンと懸垂をした。

 鉄棒の上から高速で顔が出てくる〇イアンマンの目出し帽子!!

 涙が出るほど面白くてベンチに転がって笑う。


「この人何してるの?」


 公園に遊びにきていた小学生くらいだろうか、男の子数人が私の横に来た。

 そして目出し帽子をかぶって懸垂してる隆太さんを見て笑う。


「懸垂する〇イアンマンだよ。かっこいいでしょ?」

「変だよ、泥棒じゃん!!」

「違う違う、〇イアンマンだよ」

「ヤバい、キモい」

「これよ、これ?」

 

 私はスマホで〇イアンマンを表示されて子どもに見せた。

 すると懸垂を止めた隆太さんが目出し帽をかぶったまま、トタタタタと走ってきた。


「やべぇ怖ええ!!」

「にげろおおおお!!!」


 隆太さんは目出し帽子をかぶったまま子どもたちを追いかけ始めた。

 私はお腹が痛いほど笑う。

 隆太さんは見知らぬ子どもたちと遊び始めた。

 ギリギリ捕まえない速度で追いかけ、疲れて休むと子どもたちが背中を叩きにくる。理不尽!

 お母さんたちが井戸端会議を終える15分くらい一緒に遊び、戻ってきた時には汗だくで私は爆笑してしまった。


「ものすごく疲れました。長靴のメロンソーダを飲みに行きましょう」

「カロリー消費完璧ですね! あ、これがご褒美……デザロズのラフです。どうですかね、ポストカードらしいんですけど」

「!! 素晴らしいです。ああ……早く自転車で走りだしたいです!!」


 興奮しはじめた隆太さんの横を、さっき遊んだ小学生たちが去って行く。


「〇イアンマンのお兄ちゃん、またね~~~!」

「おう、またな」


 子どもたちに手を振る隆太さんの表情は柔らかくて丸い。

 私自身が子どもで、その私が子どもを産むなんてリアルに考えてなかった。

 でも私たちに子どもが生まれたら……きっとこんな風に遊んでくれるのかな。

 そんな未来絶対楽しい。

 私は隆太さんに近づいて、キュッ……と手を握った。

 この人が旦那さまで嬉しい。

 でもきっと〇イアンマンの目出し帽子は赤ちゃん泣いちゃうな。

 それくらいは私も分かる。

 ……キャプテン〇メリカなら半分顔見えてるし大丈夫かな?

 ていうか子どもが生まれたら同人誌とかどうするんだろ。

 子どもにとても見せられないような本もたくさんあるんだけど?

 そんなことを少しリアルに考え始めた。

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